新選組の本を読む ~誠の栞~

小説 史談 エッセイ マンガ 研究書など

 森満喜子『沖田総司幻歌』 

短編小説集。沖田総司、あるいは彼と関わった人々を主人公とする6編を収録。

「百年の霧」
京都市、西京保健所の保健婦・岡田光子は、放射線技師らとレントゲン車で集団検診に向かった。
ところが、濃い霧に包まれ道を見失ったかと思うと、幕末の壬生、新選組屯所に着いてしまう。
山崎烝の出迎えを受け、隊士たちの胸部レントゲン撮影をするという、ありえない事態に。
後日、医師の画像読影により、結核に罹患している患者が見つかる。
その患者とは、沖田総司であった。そこで、再検査の必要を伝えることに。
再検査の当日、保健所のスタッフ一同は沖田らの来所を待ち受ける――


いわゆるタイムスリップもの。
保健所の医師として結核を担当した作者自身の経験から、医学的見地に基づいて書かれている。
作者あとがきによると、読者からの手紙に沖田の病状に関する質問が多いこと、現代なら沖田の病気は完全に治せたであろうにと思ったことが、執筆の動機とか。

作中の「現代」は、執筆・発表当時の昭和40年代後半(1970年代前半)。
そのため、新選組の活動期が「100年前」とあったり、女性保健師を「保健婦」と称したり。
ただ、結核治療の基本が抗生剤服用と安静なのは、現在とあまり変わらない様子。

光子をはじめ沖田に関わった人々は、なんとか彼を救いたいと親身になる。
しかし、100年を隔てた霧と「戦い続けたい」という沖田自身の意思に阻まれ、思うにまかせない。
そのもどかしさと無念さ、愛惜の気持ちが、温かくも切ない。

「苔の庭」
山南敬助は、新選組の現状と近藤・土方の組織運営に対し、強い不満を覚えるようになっていた。
その思いを打ち明けられた沖田は、山南の苦悩を理解したものの、共有するまでには至らない。
西本願寺への屯所移転問題をきっかけに、山南は書き置きを残して屯所を去る。
近藤と土方は、沖田に後を追うよう指示。
ただ、周囲の耳目をはばかって、互いの真意を充分に確認することはできなかった。
大津で出会った沖田と山南は、親しく語らった後、連れ立って屯所へ戻るが――


山南の脱走・切腹を主題とする物語。
あのような結末は誰ひとりとして意図せず、ちょっとした行き違いのせいでは――と作者は考え、本作を執筆したという。確かに、山南と土方の間に深刻な確執があったなどとする説は、事実かどうかわからない。
誰も意図しない結末なればこその悲劇に、打ちのめされる沖田の心痛は深い。

西芳寺(苔寺)の緑の苔、その上に舞い落ちる色づいた木の葉の鮮やかな描写が、効果的に使われている。

「京洛早春賦」
文久4年(元治元年)2月3日。壬生寺の節分会には、多くの老若男女が訪れる。
その中には、男女逆転の仮装した人々「お化け」も立ち交じる。
そこで藤堂平助は、わざわざ振袖や娘島田のかつらを借りてきて、誰かを女に仕立てようと言い出す。
女役のくじを引いてしまったのは、皆の期待どおり、沖田総司だった――


「節分おばけ」は、京都町衆の厄払いの風習。
花街では芸妓が仮装で客をもてなす。一般人が参加するコスプレイベントも開催されるとか。
本作は、その風習を取り入れコメディタッチに仕上げた、沖田の武勇談(?)。
気楽に読める話だが、後日談できっちりオチをつけたところが作者の手腕と感じる。

作中では、藤堂平助の名が「兵助」と表記されている。

草創初期の新選組の面々が前途洋々としているさまは、清々しく微笑ましい。

「萩咲く」
新選組隊士・田中寅蔵は、剣術の巧者であり、また非常に律儀な性格でもあった。
ある日、長州系浪士たちと、取り締まろうとした新選組との斬り合いが勃発。
戦いの後、浪士のひとりから最期の願いとして1通の書状を託された田中は、それを高杉晋作に届ける。
高杉は、死者のために単独で訪れた田中に警戒を解く。そして、「西洋列強の日本侵略を防ぐには、勤皇・佐幕の争いを一刻も早くやめて一丸とならなければ」と語る。
これに共鳴した田中は、新選組を攘夷の先鋒たらしめたい、と純粋な善意で考える。
沖田は、帰隊した田中から、いきなり「新選組は方針転換すべき」と説かれて困惑する――


田中寅蔵は実在の隊士。
品行方正で、撃剣師範に就任するほどの腕もあったが、過激な攘夷論を主張して切腹させられたと、西村兼文『新撰組始末記』に記されている。
死亡日は慶応3年4月15日、享年27。作中にも書かれているとおり、辞世の歌を遺した。

新選組は、実際のところ、攘夷の先鋒たらんとして発足した組織である。
「攘夷は日本が列強並みの軍事力を得てから実行する」「指揮は幕府が執る」という幕府の方針を支持した。
対して「攘夷は直ちに実行すべき」「日本が一丸となるため主導権は天皇が握るべき」と主張する勢力がある。
この考え方の違いが、親幕vs.反幕の争いの原因。
新選組は治安部隊として、幕府の方針に逆らう者と戦わなければならなかった。

沖田はどのような政治思想を持っていたのか、理想と行動とのギャップに悩んだりしたことはなかったのか、という読者からの問いをヒントとして、作者は本作を著わしたという。
田中を救いたいと腐心しつつ、彼の主張に賛成することはできない沖田の思いが哀しい。

「はんばあぐ・すてえき」
肥後の松田謹吾は、義兄・松田重助が池田屋事件で沖田総司に斬られたと知り、仇討ちを決意。
京へ上り、一対一の勝負を挑んだものの、あまりに技量が違いすぎ、あっさり退けられてしまう。
帰郷し、厳しい修業を積むうち3年が過ぎて、天下の情勢は大きく変わった。
京から大坂、江戸へと仇敵の消息を求めて、謹吾はようやく沖田の潜伏先を捜し当てる。
千駄ヶ谷へ向かう途中、西洋料理店を見かけ、仇討ちの前に腹ごしらえしようと思い立った。
初めて食べる旨い料理で心身を満たした後、ようやく沖田と対面すると――


松田重助は実在した志士だが、主人公の松田謹吾は架空の人物。
新選組が私情を交えず任務のため戦っていても、相手方の心に怨恨を生むことは少なからずあったろう。
実際の沖田は静穏な療養生活のうちに世を去ったが、もしも謹吾のような人物が押しかけてきたらどうなったかと、作者は想像して本作を書いたという。

闘争の日々の果てに、旧時代とともに世を去っていく沖田。
新時代に新しい生き方を感得し、己の運命を切り開こうとする謹吾。
ふたりの若者の姿が、作者の狙いどおり、時代の交代を象徴している。

美味しいものを食べることは、一見何気ない行為のようであるが、人の体と心を養い、時には人生を変えるほどの力を持つ。
そうした「食の力」を、改めて考えさせる物語でもある。

「翡翠(ひすい)
秋田清之助は、旗本の五男坊。沖田総司とは江戸以来の友人であり、その伝手で新選組に入隊した。
ある日、沖田から女への贈り物を見繕って欲しいと頼まれ、清之助は買い物を手伝う。
沖田は、蘭の花を象った翡翠のかんざしを、費用を顧みず特注するのだった。
男ぶりが良く女性関係の盛んな清之助だが、荒物屋の娘・千枝と知り合い、行く末を真剣に考えるようになる。
ところが、油小路事件が原因となって、千枝から拒絶されてしまった。
新選組の伏見移転後、沖田の体調は目に見えて悪化し、清之助もその症状が肺結核と気づく。
まもなく鳥羽・伏見戦争が勃発。戦列を離れた沖田に代わり、清之助は無我夢中で戦うが――


新選組の慶応元年から4年までの動静を背景に、沖田総司の秘めた恋と、秋田清之助の青春を描く。
清之助は架空の隊士。
家を継ぐことなく、これといった志があるわけでもなく、なんとなく生きる目的を求めている若者。
そんな彼も、新選組に在籍したことで、否応なく動乱の渦中に巻き込まれていく。
そして、命の危機と絶望を乗り越えた末、幸福を得る。

沖田は、秘めた恋を成就させることなく、短い生を終えた。
「相手の親に反対された」と本人は語ったが、病気のため自ら身を引いたのではなかろうか。
その目撃者として配された清之助との対比が、際だっている。
沖田ももっと長く生きられたとしたら、いつか悲恋を忘れられる未来があったろう。
そんな日を迎えることなく他界した沖田への哀惜と、それを象徴する翡翠のかんざしが印象に残る。

作者が以前発表した「旅」では、沖田と愛しあった女との間に遺児がいた。(※『沖田総司抄』に収録。)
子孫筋から聞いた話をもとにした作品であるものの、読者の批判的な感想も寄せられた様子。
作者自身も、本作のほうが沖田の本当の恋に近いと思える、とあとがきに記している。

---
本書は、『沖田総司哀歌』(1972)、『沖田総司抄』(1973)に続く、作者の沖田総司短編集の3冊目。
昭和49年(1974)、新人物往来社から単行本(四六判ハードカバー)が刊行された。
再版や文庫化はされていない様子で、もったいなく思える。

沖田総司幻歌


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 大佛次郎『角兵衛獅子』 

長編小説。時代小説『鞍馬天狗』シリーズの一編。タイトル読みは「かくべえじし」。
勤王の志士・鞍馬天狗と彼を慕う杉作少年との絆、そして鞍馬天狗と近藤勇との戦いを描く。

あらすじは以下のとおり(序盤のみ)。

「角兵衛獅子」とは、小さな獅子頭をかぶった子供が演じる曲芸である。
杉作は、その角兵衛獅子の演じ手だった。
京都の往来で芸を見せ、見物人の投げる銭を拾って日々を暮らす。

その日も、弟分の新吉とふたりであちこち回ったが、ふと気づくと稼ぎを入れた財布をなくしていた。
そのまま帰れば、親方にきつく折檻される。かといって、他に行くあてもない。
泣きじゃくる新吉を連れて途方にくれていた時、小さな寺の前で、見知らぬ侍に声をかけられる。
侍は事情を聞くと、杉作たちに金銭を与え、優しく励ました。
杉作は、いつかこの恩を返したいと思い、「倉田」と呼ばれた侍の名を心に刻む。

杉作は新吉とともに急ぎ帰ったが、財布をなくしたことが親方・長七に知れてしまう。
厳しく詰問され、やむなく事情を話した。
すると長七は、「倉田」とはお尋ね者の「鞍馬天狗」ではないか、と推測。
隠れ家を突き止め、新選組に知らせて褒美を得ようと画策する。
杉作は、図らずも「親切なおじさん」に仇を為すはめになってしまい、苦しむ。
倉田にこの事態を知らせたいと思い巡らすものの、良い方策は浮かばなかった。

翌日、杉作は長七に、倉田と出会った松月院へ案内させられる。
その途中、新選組の隊長・近藤勇に出会った。
近藤は、連日のように隊士を鞍馬天狗に斬殺されて、ただではおかぬと憤る。
長七の報告によって、隊士たち7~8人が松月院へ同行することとなる。

松月院には、果たして倉田がいた。
長七は、杉作を連れて感謝を述べにきたように装う。
しかし倉田は、長七の魂胆を早々に見破り、大胆にも自ら「鞍馬天狗」と名乗る。
そこを新選組隊士たちが取り囲み、激しい戦いとなった。
やがて、近藤勇が新たな手勢を率いて到着し、逃走しようとする倉田の背に短筒を向ける。
その刹那、杉作は無我夢中で近藤の腕に飛びついた――


主な登場人物は、下記のとおり。

杉作
本作の主人公。年齢は13~14歳(数え年か満年齢か不明)。
親方・長七の下で、角兵衛獅子として働いている。身軽で、高所へ上るのも得意。
肉親の所在や前歴について作中に記述がなく、孤児であるらしい。
恩人の鞍馬天狗になんとか報いたいと、子供ながらに東奔西走し、危険な目に遭いながらも力を尽くす。

鞍馬天狗(倉田典膳)
本作のもうひとりの主人公。勤王の志士。主家を持たず、素性も本名も一切が謎である。
一刀流皆伝の優れた剣士であり、馬術も得意。
目元涼しく、口元にそこはかとなく微笑をたたえ、きりりとした男前。
つねに冷静沈着、泰然自若として、時にはユーモアのセンスも見せる。
単独行動が多く、大胆不敵にもひとりで新選組屯所に斬り込んだり、大坂城に乗り込んだりする。
たとえ絶望的な状況に陥っても、諦めたり挫けたりはしない。
高き志を持ち、より良い国造りのため活動しつつ、弱者を労る細やかな人情も忘れない。

隼(はやぶさ)の長七
角兵衛獅子の親方。強い者に媚び弱い者を虐げる、因業な性格。
聖護院の近くに住み、杉作ら8人ほどの子供を手元に置き、角兵衛獅子をさせて稼ぐ。
厳しいノルマを課し、達成できない者に体罰を加えるので、子供たちから恐れられている。
お上から十手を預かる目明しでもあり、近藤勇に命じられて鞍馬天狗を追う。

黒姫の吉兵衛
鞍馬天狗の配下。痩身で、目のぎょろりとした、すばしこい男。
かつては泥棒だったが、鞍馬天狗に助けられて改心した、という過去の持ち主。
恩人のためには命を惜しまない。鞍馬天狗が危機にあると聞き、杉作とともに大坂へ向かう。

近藤勇
新選組の隊長。筋の通らないことや卑怯なことを嫌う、潔癖でまっすぐな気性の持ち主。
短気なところもあるが、寛容の精神も持ち合わせている。
猛者ぞろいの新選組を束ねるだけあって、強力な剣客であり、その腕は鞍馬天狗と互角。
鞍馬天狗を敵として追う一方、彼の技量や人格を認めてもいる。

くらやみのお兼
女密偵。若いながらも度胸のある女丈夫。機転が利き、抜け目ない。
土方歳三の依頼で、幕府要人の秘密会談における連絡・探索役を担う。
新選組や大坂城代と協力し、鞍馬天狗を追い詰めていく。
決して冷酷な性格ではないが、任務のためには杉作にも情け容赦しない、忠誠心と非情さを見せる。

西郷吉之助
薩摩藩士。藩士たちのリーダー的存在として、慕われている。
鞍馬天狗とは、勤王のために尽くす同志として肝胆相照らす仲。
長七に使われていた杉作たちを預かり、薩摩屋敷に置いて面倒を見てやる。

土方歳三
近藤勇と並び称される新選組の幹部。その強さは知れ渡っている。
登場は1場面のみだが、礼儀正しく、冷静で周到な人柄の様子。
幕府要人の秘密会談の警備にあたり、鞍馬天狗の妨害を警戒、くらやみのお兼に連絡・探索役を依頼する。

---
『鞍馬天狗』シリーズは、大佛次郎の代表作のひとつ。
大正13年(1924)の「鬼面の老女」から昭和40年(1965)の「地獄太平記」まで、長編短編あわせて全47作が発表されている。
本来は一般向け小説だが、少年向けに書かれたものも5作ほどある。
本作「角兵衛獅子」は、シリーズ11作目にして少年向けの嚆矢であり、昭和2~3年(1927-1928)『少年倶楽部』誌に連載された。

『鞍馬天狗』シリーズは、度々映像化されている。
映画は、原作小説第1作の発表と同じ年に始まり、主演・監督・配給会社を変えつつ60本近くが制作された。
中でも、アラカンこと嵐寛寿郎(1902-1980)が演じた鞍馬天狗は、大人気を博す。
フィクションにおける「素顔を隠した正義のヒーロー」像の成立も、アラカンの天狗がルーツとされる。

ただ、原作者の大佛次郎は「アラカンの天狗は人を斬りすぎる」との不満を訴えた、とか。
他にも業界の諸事情が絡んでいたようだが、結局、アラカン主演映画の制作は打ち切られる。
その後、別の俳優を使い原作者の意向に忠実な映画が作られたが、こちらは興業不振で長続きしなかった。

『鞍馬天狗』というタイトルに、個人的には「勧善懲悪ものの代名詞」というイメージを持っていた。
古い作品でもあるから、おそらく「徳川幕府は旧弊で打倒すべきもの、倒幕勢力こそが正しい」という史観に基づいて書かれ、中でも新選組などは「幕府に盲従する走狗」扱いなのでは?……などと思っていた。
(映像化作品では2008年のテレビドラマを見たが、現代ふうにアレンジされているように感じた。)

しかし、「人を斬りすぎる」映画がイヤだと言うからには、原作者は単なる痛快娯楽時代劇を書いたつもりはないのだろう。それでは何を書きたかったのか、確認すべく本作を読んでみた。

本作「角兵衛獅子」は、少年向けのため、「です・ます」調の文体で書かれている。
(※同じ『鞍馬天狗』シリーズでも、一般向け作品は「だ・である」調。)
なるべく平易な言葉を用い、漢字も少なめ。
にもかかわらず、疎漏なところはなく丁寧で、格調を感じさせる文章。
情景描写が視覚的で美しい。ちょっと古い言い回しにはレトロ感があって面白い。

ストーリーは波瀾万丈。手に汗握る攻防戦が繰り広げられる。
筋立てが明快でわかりやすいが、先が読めるようで読めない。主人公たちの危機がこれでもかと続き、飽きない。
さしもの鞍馬天狗も冒険が過ぎて捕われてしまい、杉作や吉兵衛が必死に試みても状況を打開できないあたり、どういう解決を見るのかとハラハラする。

勤王派と幕府方との対立構造について、善悪二元論で断じるような内容ではなかった。
新選組をことさら貶すような描写もない。土方歳三は常識をわきまえた人柄であるし、近藤勇はむしろ人格者として設定されている(※実在の隊士で登場するのはこの2人だけ)。

加えて、立場的に対立する同士であっても憎みあう以外の関係を結ぶことができる、という価値観が提示される。
相互理解や友情というものに期待してもよいと、希望を持てる気がした。

主人公の杉作は、不幸な境遇にもめげす、健気に生きている。
次々と襲い来る苦難に挫けそうになっても、そのたび勇気を奮い起こす。
杉作を支え続けたのは、鞍馬天狗が話したある言葉である。
それは、危険を顧みず闘い続ける鞍馬天狗に、杉作が「死なないでください」と願った時のこと。
鞍馬天狗は、次のように言い聞かせる。

「うむ、死ぬまい。めったに、またむだには死なない。
……おじさんは人間がすきなのだ。生きているのがよいことだとも、よく知っている。
だから、まず死ぬのはきらいだ。できるだけながくゆかいに生きていたいと思う。
……けれど、自分の命よりたいせつなものがあって、それをまもるためには命をなげださなければならないというときには、男はいさぎよく死ななければならない。
それと知っていて、知らぬ顔をして助かろうとするのは、ひきょうなのだ。わかるかい?
人間は、そういうときには命があぶないと知っていても、たたなければいけない」
(※「身がわり密使」の章 第一節より引用)


この言葉は、様々に解釈できるし、人によって異論もあるかもしれない。
ただ、「大きな事を成し遂げたかったら命と引き換えすべき」と煽るような意図では、決してないと思う。
人は、自分が生きていく上で大切なものは何か、知っておかなければならない。
それを守るために、いつか大きな決断を迫られる時が来るかもしれない。
だから、その覚悟をしておく必要がある、という意味かと感じられた。
作者の大佛次郎が読者の少年たちに伝えたかったことも、つまりこういうことだと思う。

とは言え、シリーズの1作だけを読んで、わかったようなつもりになるのは早計であろう。
いずれ、一般向けの作品も読んでみる必要があると思う。
まず本作を読んで、『鞍馬天狗』シリーズに好感が持てたこと、他の作品も読んでみようかという気持ちになれたことは、収穫だった。

本作「角兵衛獅子」は、昭和2~3年(1927-1928)『少年倶楽部』誌に連載された。
その後、下記の書籍として刊行されている。

『角兵衛獅子 前篇』 渾大防書房 1927
『角兵衛獅子』 先進社 1929
『角兵衛獅子 杉作の巻』 湘南書房 新日本少年少女選書 1948
『角兵衛獅子 鞍馬天狗』 湘南書房 新日本少年少女選書 1948
『鞍馬天狗 第12巻(角兵衛獅子)』 中央公論社 1951
『鞍馬天狗 角兵衛獅子』 湘南書房 1951
『鞍馬天狗・角兵衛獅子・山岳党奇談 日本少年少女名作全集 1』 河出書房  1954
『現代国民文学全集 第12巻(大仏次郎集 続)』 角川書店 1957
『鞍馬天狗 角兵衛獅子』 光風社書店 1967
『大仏次郎 少年少女のための作品集 1』 講談社 1967
『鞍馬天狗 第1巻(角兵衛獅子・雪の雲母坂)』 光風社書店 1969
『角兵衛獅子』 講談社 少年倶楽部文庫 1975  ← 本項の参考書
『大仏次郎時代小説全集 第2巻(鞍馬天狗 2)』 朝日新聞社 1975
『鞍馬天狗 4(角兵衛獅子)』 朝日新聞社 1981
『角兵衛獅子 鞍馬天狗 1』 小学館文庫 2000
『鞍馬天狗 2 大佛次郎時代小説全集 第2巻』 朝日新聞社 2005 1975年刊を原本とするオンデマンド版
『角兵衛獅子 鞍馬天狗傑作選 1』 大佛次郎 文藝春秋 2007
『鞍馬天狗 鶴見俊輔セレクション 1』 小学館 P+D BOOKS 2017 小学館文庫2000年刊の再刊

鞍馬天狗 1
角兵衛獅子
鶴見俊輔セレクション
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 国枝史郎「甲州鎮撫隊」 

短編小説。戦列を離れ病床に伏す沖田総司と、彼をめぐる愛憎・陰謀劇を描き出す。

国枝史郎(1888~1943)は、主に伝奇・怪奇幻想小説で人気を博した作家。
長編『蔦葛木曽桟』『八ヶ嶽の魔神』『神州纐纈城』が、国枝三大伝奇としてよく知られている。
新選組を題材とした著作は、どうやら本作だけらしい。短編ながら印象的な秀作なので、今回紹介する。
以下あらすじ(前半のみ)。

千駄ヶ谷の植木屋「植甚」の親方は、自宅の庭に大きな池と滝を設えていた。
そして、住み込んだばかりの職人・留吉に「この水がうちの植木を良く育てる」と自慢する。

その「植甚」の離れ座敷に、沖田総司が療養していた。
ある夜のこと、すぐ近くの往来で、複数の浪人者が斬り合いを始める。
通りすがりの女がひとり、巻き添えを恐れ、庭へ逃げ込んできた。
匿って欲しいと懇願された総司は、騒ぎが収まるまでと女を離れ座敷に入れてやる。
総司の病篤い様子を見て、女は介抱の手をさしのべるのだった。

お力と名乗った女は、それから毎日のように、総司のもとへ通ってきて世話をする。
総司は何か悩みを抱えているらしく、うなされつつ「お千代」「細木永之丞」という名前を寝言に漏らす。

それからまもない日、近藤勇が総司を訪ねてきた。
甲府城防衛の任を受け、近く出陣することになったものの、総司を連れていくことはできない、と告げる。
なんとしても従軍したい総司だが、勇に説き伏せられて断念するしかなかった。

その後、お力は総司の面倒を見ながら、何気ない口ぶりで寝言のわけを尋ねる。
「お千代」とは、深く慕いあいながらも、故あって泣く泣く別れた恋人だった。
そして「細木永之丞」は、親友ともいうべき同志であった。しかし……と総司は語る。

総司の話を聞いたお力は、やがてお千代その人と思いがけず出会う。


タイトルから、甲陽鎮撫隊(作中では「甲州鎮撫隊」)が勝沼柏尾で戦う話を想像した。
しかし読んでみると、柏尾戦争は背景にすぎず、主題は病臥に残された沖田総司と、彼に関わる人物たちとの因縁話である。
子母澤寛『新選組遺聞』あたりを参考にした節が窺えるが、独自の展開を描いている。

人物の言葉遣いが、所々でクラシカル。
特に、総司が「左様じゃ」「わしは思う」などと言う場面はちょっと笑える。
これがサムライらしい話し方、ということか。

説明的な会話がやや多い。
特に、お力に問われるまま過去を語る総司は、幼い子供のように警戒心が薄くて素直。
聞き出し方が巧いにしても、これほど何でも打ち明けてしまうのは、病気で心が弱っているせいなのか。

お力は、実に強かな女。その抜け目なさ、大胆さには舌を巻く。
彼女が陰の主人公であり、その心情や行動が活き活きと描かれるからこそ、本作は面白いとも言える。

作中の植木屋「植甚」は屋号だけで、主人(親方)の名前は出てこない。
『新選組遺聞』に、屋号だけ書かれているせいかもしれない。)
この「植甚」が千駄ヶ谷に実在したことは、ほぼ間違いないようだ。主人の名は「平五郎」、姓は「柴田」だったということも判明している。

この「植甚」の親方は、本作では総司を匿うのみならず、ほかにも重要な役目を密かに負う。
冒頭の何気ない滝の自慢話にも、その秘密が隠されていた。
実在の平五郎も、こういう気っ風の好い親方だったのでは、という気がする。

何気なく読み流してしまうと気づきにくいが、出来事の順番は史実に沿っていない。
ストーリー展開を整理すると、以下のような経緯となっている。(※年次は慶応4年)

2月   沖田総司、植甚の離れ座敷に療養する(横浜の病院から浅草今戸を経て移転)
     近藤勇、甲州出陣について総司を説得する
3月 6日 甲州鎮撫隊、勝沼で敗退する
4月 3日 流山の近藤勇、新政府軍の出頭要請に応じる
4月11日 沖田総司、病没する 江戸城、明け渡しとなる(近藤勇はすでに死去)
5月15日 上野戦争が勃発 彰義隊が敗退する


一方、実際の流れは以下のとおり。(※参考『新選組日誌』ほか)

1月18日 沖田総司、神田和泉橋の医学所に入院する(2~3月に浅草今戸へ転院か)
2月28日 新選組、甲府鎮撫を命じられる
2月30日 甲陽鎮撫隊、江戸より出陣する
3月 2日 甲陽鎮撫隊、日野の佐藤彦五郎方に立ち寄る(総司も同行、翌日に離脱か)
3月 6日 甲陽鎮撫隊、柏尾の戦いに敗れ退却する(この直後に総司は千駄ヶ谷へ移転か)
4月 3日 流山の近藤勇、新政府軍の出頭要請に応じる
4月11日 江戸城明け渡し
4月25日 近藤勇、板橋で処刑される
5月15日 上野戦争が勃発 彰義隊が敗退する
5月30日 沖田総司、病没する(グレゴリオ暦では1868年7月19日、ユリウス暦では同年7月7日)


最大の違いは、作中の総司が実際より約1ヶ月半も早く没したことである。
作者は何故そのように設定したのだろうか。
江戸城が新政府軍に明け渡された日、すなわち徳川幕府が終焉を迎えた日に、総司もその命を終えた……
あくまで想像だが、両者を重ね合わせて意味を持たせたように思える。

作中に描かれる総司の臨終は、心安らかなものではない。
望みが達せられた悦びの一方で、怨嗟と憎悪を吐き出すさまは痛ましく衝撃的。
これが最後の最後に、彼の無念を晴らそうとする者たちの、精一杯の一撃へとつながっていく。

「植甚」の(何も彼(か)も是(これ)で片がついた)という感慨込めた呟きが、物語を締めくくる。
この言葉には、二重の意味がある。
ひとつは、総司の鎮魂のために、残された者たちが報復を遂げたこと。
もうひとつは、彰義隊が敗北し、徳川時代が完全に終わったと江戸の民衆が実感したこと。
旧幕方と新政府方の戦いは翌年まで続いたけれども、上野戦争がひとつの節目となったことは間違いないだろう。

沖田総司への、そして去りゆく江戸への名残を惜しむ心情が、本作の底流に感じられた。

本作「甲州鎮撫隊」の初出は、1938年の『講談倶楽部』(大日本雄弁会講談社)。
下記の書籍に収録されている。

『国枝史郎名作選』 新正堂刊 1942
『新選組傑作コレクション 興亡の巻』 司馬遼太郎ほか著 縄田一男編 河出書房新社 1990 ←本項の参考書
『新選組興亡録』 司馬遼太郎ほか著 縄田一男編 角川文庫 2003
『国枝史郎歴史小説傑作選』 末國善己編 作品社 2006

このほかにもありそうだが、生憎とデータを見出せなかった。
なお、青空文庫でも読むことかできる。

新選組興亡録
(角川文庫)
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国枝史郎
歴史小説傑作選
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 井上友一郎「武田観柳斎」 

短編小説。新選組の幹部隊士・武田観柳斎が、非業の死を遂げる経緯を描く。

◆作者・井上友一郎
井上友一郎(1909~1997)は、大阪出身。都新聞の記者を経て、作家となる。
特に風俗小説で人気を集めた。幕末維新史を題材とした作品も手がけている。下記はその一部。
『清河八郎』 大觀堂出版 1944
『近藤勇』 新潮社/1953 鱒書房/1955/1990 六興出版部/1958 双葉社/1964
『幕末刺客伝』 鱒書房 1955
『幕末長恨歌』 光風社出版 1985

◆「武田観柳斎」(前半あらすじ)
武田観柳斎は、副長助勤や文学師範を務める新選組の幹部である。
長沼流兵法を修め、隊士の調練の指揮を任されてもいる。
その立場をよいことに、若い隊士たちを些細な理由でネチネチいびり、己の機嫌を取る者だけを贔屓した。

観柳斎に追従する者の中に、梅崎実之助という若者がいた。観柳斎も彼に何かと目をかけてやる。
やがて、新選組に西洋式調練が導入されると、長沼流兵法とともに観柳斎の存在感は薄くなっていく。
威勢の衰えを感じた観柳斎は、むしろ己のほうが梅崎を頼りにするような言葉も洩らすのだった。

その頃、梅崎は菓子屋の若後家おらくと懇ろになり、それを観柳斎に打ち明けた。
町屋の女房との私通など、本来は切腹に値する隊規違反である。しかし観柳斎は、大目に見てやった。
ところが、梅崎とおらくの逢引を、土方歳三が知ってしまう。
詰問された梅崎は、しらを切り通す。観柳斎も、事実を隠して梅崎を庇った。
彼らの言い分を信じたのかどうか、土方は観柳斎に意外なことを告げる――


◆作品と観柳斎の人物像
子母澤寛『新選組始末記』「隊士ぞくぞく斃る」に、観柳斎の逸話がある。
本作「武田観柳斎」は、この逸話をベースに、架空の隊士を登場させて独自のストーリーとした作品。
土方の観柳斎に対する態度は、本意とも罠ともつかず、なかなかスリリングな展開となる。
「隊士ぞくぞく斃る」ではいささか唐突な伏見の薩摩屋敷のことも、本作は巧く関連づけてある。

子母澤描くところの観柳斎は、西村兼文『新撰組始末記(一名壬生浪士始末記)』が元ネタとなっている。
西村の書く人物像もかなりユニークだが、子母澤はいっそう特異なキャラクターに潤色した。
『新選組物語』「隊中美男五人衆」にも再登場させ、強烈な印象を残している。
おかげで以後、観柳斎という隊士は、多くの作家によって多数の作品に描かれることとなった。

観柳斎が実在の隊士であることは、複数の史料により裏づけられており、間違いない。
ただし、本当に西村や子母澤が書くとおりの人物であったかどうかは、不明である。
「隊中美男五人衆」の、馬越三郎に言い寄ったというくだりは、おそらく子母澤の創作であろう。

◆観柳斎の死
観柳斎の死亡状況もまた、西村の記述に詳しく、子母澤がドラマチックに盛った。
要するに、慶応2年9月28日の夜、近藤勇の意を受けた斎藤一と篠原泰之進が、観柳斎を伏見へ送っていく途中、銭取橋で斬り殺したのだという。本作「武田観柳斎」にも反映されている。
ただ、この説は、現在では疑問視されている。

【疑問その壱 日時】
研究家諸氏の指摘によると、尾張藩士が書き残した『世態志』に以下の記述がある。
(慶応3年)六月二十二日、油小路竹田街道にて元新選組武田某、肩先より大ケサに切害におよびあい果て候。右仕業人は新選組仲間とのよし」(『新選組大人名事典』より引用)
西村の記述は明治22年の出版物なので、それより同時代史料『世態志』に信憑性がある、と判断される。
ちなみに、別の同時代史料『新選組金談一件』から、「慶応2年9月28日」はどうやら観柳斎が新選組を脱走した時期(死亡したのはその8ヶ月余後)と推測可能である。

【疑問その弐 実行犯】
斎藤一と篠原泰之進が斬ったとする点も、事実ではないと指摘されている。
なぜなら、両人とも伊東甲子太郎の分離脱盟に加わり、慶応3年3月、新選組を離れている。新選組隊士ではなくなった彼らが、近藤や土方の命令によって観柳斎を斬る、という道理はない。
もっとも、葉室麟『影踏み鬼』では、両人が伊東配下の御陵衛士でありながら観柳斎粛清に関わる経緯を、巧みに処理している。フィクションとはいえ、そのような可能性も捨てきれないと考えさせる好例。

【疑問その参 場所】
現場を銭取橋とする点も、『ふぃーるどわーく京都 南』(歳月堂/2001)によると疑わしい。
そもそもは「油小路通を南に向かい(中略)、銭取橋にさしかかったが、本街道に出ると人通りが多くなるので、橋を渡ったとたん背後から斬った」との旨を西村が記し、そのとおりに信じられてきた。
しかし、『世態志』に信憑性があるとすれば、現場は「油小路竹田街道」のどこかである。
この「油小路竹田街道」は、銭取橋を通らないのだ。

京都と伏見とを結ぶ竹田街道は、二通りの道筋がある。
  (1)東洞院通を南下し、勧進橋(=銭取橋)で鴨川を渡り、竹田村領の東端を通り、伏見に入る本街道
  (2)油小路通を南下し、竹田橋で鴨川を渡り、竹田村の集落を通り、竹田村の南で(1)に合流する

「竹田街道」とは、狭義には(1)を指し、広義には(1)(2)の両方を指す。
そして、「油小路竹田街道」は(2)を意味する表現、と捉えるのが順当であろう。(1)と区別するため「油小路」を補ったと思われるからだ。

つまり、現場が銭取橋(もしくは(1)上のどこか)であったならば、わざわざ「油小路竹田街道」と表現するのは不自然であり、そのような必然性がない。

ひょっとすると、現場は「油小路竹田街道」が通る竹田橋だったのではないだろうか。
西村の記述には矛盾があるものの、「銭取橋」を「竹田橋」に置き換えさえすれば意味が通るのだ。
本願寺の寺侍であった彼が、京都の地理に疎いはずはないと思えるが、何か勘違いした可能性もあろう。
よしんば場所を特定できないとしても、銭取橋とする説は根拠薄弱と言わざるをえない。

◆出版情報
本作「武田観柳斎」は、井上友一郎の短編集『新選組外伝』(久保書店/1965)に収録されている。
『新選組外伝』の収録作品は「武田観柳斎」のほか、「壬生の風雲児」「高台寺党」「無法の剣」「祇園心中」「深雪太夫」「人斬り以蔵」の全7編。
久保書店が2017年より、オンデマンド版(ペーパーバック)を取り扱っている。
全7作をまとめたもののほか、1作品ずつの分冊版もある様子。

このほか、短編「武田観柳斎」を収録した書籍は、下記のとおり。
『武田観柳斎』 河出書房/新書 1956 …井上友一郎の短編集、表題作を含む全6編を収録。
『新選組傑作コレクション 烈士の巻』 河出書房新社 1990 …縄田一男編のアンソロジー、本項の参考書。

新選組外伝
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