描かれた井上源三郎
日野市立新選組のふるさと歴史館にて、企画展「没後150年 新選組 井上源三郎 ―八王子千人同心と新選組の幕末維新―」が、2017年12月12日から2018年2月18日まで開催された。
井上源三郎が、新選組草創以来の中核メンバーであり、日野出身であったことは、周知のとおりである。
この企画展は、源三郎の兄・井上松五郎も取り上げつつ、新選組と幕末動乱期を検証する内容だった。
展示構成は、以下のとおり。
1.幕末の日野宿と天然理心流
2.井上松五郎・源三郎兄弟
3.浪士組上洛
4.京都での新選組
5.鳥羽・伏見の戦い
6.八王子千人同心と井上松五郎
7.描かれた井上源三郎
全般に興味深い展示だったが、当ブログ的には最後の「描かれた井上源三郎」に着目した。
小説・映画・マンガなどフィクションにおける、源三郎の人物造形とその変遷が面白い。
要点をまとめると、次のようだった。
(1)創作に登場する新選組と井上源三郎
大正時代から昭和20年代頃のフィクションでは、新選組は「近藤勇とその他一同」扱い。
近藤の脇に土方歳三や沖田総司が配される例はあるが、源三郎を含む他の隊士はあまり重視されない。
登場したとしても、年齢や性格などは作品によってまちまちで、決まったイメージはなかった。
(2)『新選組血風録』と井上源三郎
源三郎の人物像を決定づけたのは、司馬遼太郎の小説『新選組血風録』。
作中、源三郎は「老齢凡骨」と形容され、剣才のない老人として描かれる。
史実に創作を混入しリアリティを出す司馬の絶妙なテクニックにより、これが実像と誤解されてしまった。
(3)大河ドラマと新しい井上源三郎像
平成16年のNHK大河ドラマ「新選組!」の頃、マンガやゲームなどの創作もピークに。
当時は、まだ従来作品の設定を流用したものが少なくなかった。
しかしその後、新しいイメージを打ち出す作品が増え、バリエーション豊かになっている。
源三郎についても、実際は年寄りでもなければ弱くもない、ということが知られつつある。
ただ、長年醸成されたイメージが完全に払拭されるには、未だ至っていない。
というわけで、今更ながらに司馬遼太郎の影響力の大きさを思い知った。
土方歳三も沖田総司も、今日のようなイメージが形成され人気者になった流れを遡れば、司馬作品に行き着く。
源三郎もまた同様、とは指摘されるまで意識しなかったが、別にありえない話ではなかったのだ。
ただ、源三郎の場合は土方・沖田と扱いが異なり、いささか残念な感じになってしまった。
小説など創作においては、登場人物が全員カッコよくてもつまらない。
剣客集団・新選組の中に、幹部にもかかわらず強くない人物がいる。お荷物扱いされていたのに、あるとき意外な奮闘を見せる、というエピソードがあれば面白くなる。
作家によってそういう役回りを負わされた結果であろう。
短編集『新選組血風録』のうち、源三郎を主人公とするのは「三条磧乱刃」である。
この1編だけでキャラクターイメージが出来上がってしまったというのは、やはり凄い。
読み返してみて、改めて気づいたことがいくつかある。
【源三郎の外見と年齢】
作中、源三郎は「六十くらい」に見えるが、本当の高齢者ではない。沖田は、43~44歳くらいだと言う。
実のところ、「三条磧乱刃」の慶応元年頃には、37歳である。
これは、作家が事実を知らなかったというより、身内同然の沖田にさえ実際より年嵩に見られているというユーモアなのでは?とも思える。
【源三郎の剣歴】
府中における近藤勇襲名披露の野試合では、源三郎が鉦役を務めたと説明されている。
これは佐藤彦五郎の書簡が伝える事実。ただし、「安政5年」ではなく文久元年のことだ。
また、源三郎が天然理心流の「目録止まり」とあるのは、事実でない。
実際には、嘉永元年(1848)に「切紙」「目録」を受けた後、安政2年(1855)に「中極意目録」、万延元年(1860)に「免許」を授かっている。
【同郷同流出身の絆】
源三郎と近藤・土方・沖田の強い心理的結束が、描かれている。
多摩の郷党と深く結びつき、天然理心流を修業した4人の信頼関係は、江戸以来の同志の中でも別格。
明確な根拠を挙げづらいものの、ほぼ事実ではなかろうか。
例えば、池田屋事件の時、土方が自分の手勢を分け指揮を任せたのは、源三郎である。深い信頼あってこそできたことだろう。そして源三郎の隊は、土方隊よりも早く池田屋に駆けつけ、近藤隊を支援して戦ったという。
また、慶応3年の江戸での隊士募集には、源三郎が土方に同行、補佐している。
フィクションの人物造形に利用される材料は、ほかにもいくつかあると思う。
主要なものを挙げると、こんなところだろうか↓
◆八木為三郎の証言(子母澤寛『新選組遺聞』)
(壬生寺で子供と遊んでいる沖田のところへ)井上源三郎というのがやって来ると、「井上さんまた稽古ですか」という。井上は「そう知っているなら黙っていてもやって来たらよかりそうなもんだ」と、忌(い)やな顔をしたものです。井上は、その時分もう四十位で、ひどく無口な、それで非常に人の好い人でした。
証言者は、新選組が最初に屯所を置いた壬生、八木家の子息。
『新選組遺聞』は、昭和4年に単行本が出版され、研究にもフィクションにも多くの影響を与えた。
「三条磧乱刃」にも、この証言は引用されている。
◆井上泰助の証言(井上家の伝承)
おじさん(源三郎)は、ふだんは無口でおとなしい人だったが、一度こうと思い込んだらテコでもうごかないようなところがあった。鳥羽、伏見の戦の時も、味方が不利になったので大坂へ引揚げるため、引けという命令がでたが、戦いを続けてすこしも引かず、ついに弾丸にあたってたおれてしまった。
証言者は、井上松五郎の次男、源三郎にとっては甥。12歳にして新選組に入隊、源三郎の戦死を目撃した。
井上家の伝承は、ご子孫や研究家の谷春雄によって関連出版物に発表されるなどしている。
司馬遼太郎は、取材に日野を訪れ、地元住民から聞き取りをしたことがある。
◆川村三郎の書簡
井上源三郎 同(戊辰正月)三十七、八歳。武州八王子同心ノ弟ニテ、近藤土方等ト倶ニ新撰組ヲ組織セシ人ナリ。依テ副長助勤ト名称シ局長会議ニ参与スル務ナリ。併シ乍ラ文武共劣等ノ人ナリ。
証言者は元新選組隊士、在隊時は近藤芳助と名乗る。元治元年の入隊時には22歳。
明治39年頃、高橋正意からの問い合わせに回答した。その返書が、京都府立総合資料館所蔵『新撰組往事実戦譚書』として現存する。存在が広く知られたのは、昭和47年、研究家の石田孝喜によって紹介されて以来。
司馬遼太郎が先んじて読んでいたどうか不明だが、可能性は否定できまい。
記述された年齢は、実際の40歳よりやや若い。前歴は、そこそこ正確。
しかし、「文武共劣等」のくだりは「三条磧乱刃」を裏づけるかのよう。
あんまりな評価と思うが、このように見られる場合もあった、とは言えるのかもしれない。
フィクションが史実に縛られる必要はなく、自由に創作されてよいと思う。
そしてまた、受け手は、虚実ない交ぜであることを踏まえた上で楽しめばよい。
本項で小説と史実とを対照してみたのは、単に共通点や相違点が興味深いからであって、「史実に反するフィクションは良くない」などという意図は全然ない、念のため。
それはそれとして、源三郎の従来イメージでも「温厚篤実で周囲から慕われる」という面は決して悪くない。
こういう彼を主人公に据えたフィクションもある。例えば、比較的新しい小説では、秋山香乃『新撰組捕物帖』『諜報新撰組 風の宿り』、小松エメル「信心」(『夢の燈影』所収 )など。
主役ならずとも名脇役として描かれる例は、さらに多くある。
今後、我らが愛すべき「源さん」のイメージがどのように変遷していくのか、見届けたいと思う。

井上源三郎が、新選組草創以来の中核メンバーであり、日野出身であったことは、周知のとおりである。
この企画展は、源三郎の兄・井上松五郎も取り上げつつ、新選組と幕末動乱期を検証する内容だった。
展示構成は、以下のとおり。
1.幕末の日野宿と天然理心流
2.井上松五郎・源三郎兄弟
3.浪士組上洛
4.京都での新選組
5.鳥羽・伏見の戦い
6.八王子千人同心と井上松五郎
7.描かれた井上源三郎
全般に興味深い展示だったが、当ブログ的には最後の「描かれた井上源三郎」に着目した。
小説・映画・マンガなどフィクションにおける、源三郎の人物造形とその変遷が面白い。
要点をまとめると、次のようだった。
(1)創作に登場する新選組と井上源三郎
大正時代から昭和20年代頃のフィクションでは、新選組は「近藤勇とその他一同」扱い。
近藤の脇に土方歳三や沖田総司が配される例はあるが、源三郎を含む他の隊士はあまり重視されない。
登場したとしても、年齢や性格などは作品によってまちまちで、決まったイメージはなかった。
(2)『新選組血風録』と井上源三郎
源三郎の人物像を決定づけたのは、司馬遼太郎の小説『新選組血風録』。
作中、源三郎は「老齢凡骨」と形容され、剣才のない老人として描かれる。
史実に創作を混入しリアリティを出す司馬の絶妙なテクニックにより、これが実像と誤解されてしまった。
(3)大河ドラマと新しい井上源三郎像
平成16年のNHK大河ドラマ「新選組!」の頃、マンガやゲームなどの創作もピークに。
当時は、まだ従来作品の設定を流用したものが少なくなかった。
しかしその後、新しいイメージを打ち出す作品が増え、バリエーション豊かになっている。
源三郎についても、実際は年寄りでもなければ弱くもない、ということが知られつつある。
ただ、長年醸成されたイメージが完全に払拭されるには、未だ至っていない。
というわけで、今更ながらに司馬遼太郎の影響力の大きさを思い知った。
土方歳三も沖田総司も、今日のようなイメージが形成され人気者になった流れを遡れば、司馬作品に行き着く。
源三郎もまた同様、とは指摘されるまで意識しなかったが、別にありえない話ではなかったのだ。
ただ、源三郎の場合は土方・沖田と扱いが異なり、いささか残念な感じになってしまった。
小説など創作においては、登場人物が全員カッコよくてもつまらない。
剣客集団・新選組の中に、幹部にもかかわらず強くない人物がいる。お荷物扱いされていたのに、あるとき意外な奮闘を見せる、というエピソードがあれば面白くなる。
作家によってそういう役回りを負わされた結果であろう。
短編集『新選組血風録』のうち、源三郎を主人公とするのは「三条磧乱刃」である。
この1編だけでキャラクターイメージが出来上がってしまったというのは、やはり凄い。
読み返してみて、改めて気づいたことがいくつかある。
【源三郎の外見と年齢】
作中、源三郎は「六十くらい」に見えるが、本当の高齢者ではない。沖田は、43~44歳くらいだと言う。
実のところ、「三条磧乱刃」の慶応元年頃には、37歳である。
これは、作家が事実を知らなかったというより、身内同然の沖田にさえ実際より年嵩に見られているというユーモアなのでは?とも思える。
【源三郎の剣歴】
府中における近藤勇襲名披露の野試合では、源三郎が鉦役を務めたと説明されている。
これは佐藤彦五郎の書簡が伝える事実。ただし、「安政5年」ではなく文久元年のことだ。
また、源三郎が天然理心流の「目録止まり」とあるのは、事実でない。
実際には、嘉永元年(1848)に「切紙」「目録」を受けた後、安政2年(1855)に「中極意目録」、万延元年(1860)に「免許」を授かっている。
【同郷同流出身の絆】
源三郎と近藤・土方・沖田の強い心理的結束が、描かれている。
多摩の郷党と深く結びつき、天然理心流を修業した4人の信頼関係は、江戸以来の同志の中でも別格。
明確な根拠を挙げづらいものの、ほぼ事実ではなかろうか。
例えば、池田屋事件の時、土方が自分の手勢を分け指揮を任せたのは、源三郎である。深い信頼あってこそできたことだろう。そして源三郎の隊は、土方隊よりも早く池田屋に駆けつけ、近藤隊を支援して戦ったという。
また、慶応3年の江戸での隊士募集には、源三郎が土方に同行、補佐している。
フィクションの人物造形に利用される材料は、ほかにもいくつかあると思う。
主要なものを挙げると、こんなところだろうか↓
◆八木為三郎の証言(子母澤寛『新選組遺聞』)
(壬生寺で子供と遊んでいる沖田のところへ)井上源三郎というのがやって来ると、「井上さんまた稽古ですか」という。井上は「そう知っているなら黙っていてもやって来たらよかりそうなもんだ」と、忌(い)やな顔をしたものです。井上は、その時分もう四十位で、ひどく無口な、それで非常に人の好い人でした。
証言者は、新選組が最初に屯所を置いた壬生、八木家の子息。
『新選組遺聞』は、昭和4年に単行本が出版され、研究にもフィクションにも多くの影響を与えた。
「三条磧乱刃」にも、この証言は引用されている。
◆井上泰助の証言(井上家の伝承)
おじさん(源三郎)は、ふだんは無口でおとなしい人だったが、一度こうと思い込んだらテコでもうごかないようなところがあった。鳥羽、伏見の戦の時も、味方が不利になったので大坂へ引揚げるため、引けという命令がでたが、戦いを続けてすこしも引かず、ついに弾丸にあたってたおれてしまった。
証言者は、井上松五郎の次男、源三郎にとっては甥。12歳にして新選組に入隊、源三郎の戦死を目撃した。
井上家の伝承は、ご子孫や研究家の谷春雄によって関連出版物に発表されるなどしている。
司馬遼太郎は、取材に日野を訪れ、地元住民から聞き取りをしたことがある。
◆川村三郎の書簡
井上源三郎 同(戊辰正月)三十七、八歳。武州八王子同心ノ弟ニテ、近藤土方等ト倶ニ新撰組ヲ組織セシ人ナリ。依テ副長助勤ト名称シ局長会議ニ参与スル務ナリ。併シ乍ラ文武共劣等ノ人ナリ。
証言者は元新選組隊士、在隊時は近藤芳助と名乗る。元治元年の入隊時には22歳。
明治39年頃、高橋正意からの問い合わせに回答した。その返書が、京都府立総合資料館所蔵『新撰組往事実戦譚書』として現存する。存在が広く知られたのは、昭和47年、研究家の石田孝喜によって紹介されて以来。
司馬遼太郎が先んじて読んでいたどうか不明だが、可能性は否定できまい。
記述された年齢は、実際の40歳よりやや若い。前歴は、そこそこ正確。
しかし、「文武共劣等」のくだりは「三条磧乱刃」を裏づけるかのよう。
あんまりな評価と思うが、このように見られる場合もあった、とは言えるのかもしれない。
フィクションが史実に縛られる必要はなく、自由に創作されてよいと思う。
そしてまた、受け手は、虚実ない交ぜであることを踏まえた上で楽しめばよい。
本項で小説と史実とを対照してみたのは、単に共通点や相違点が興味深いからであって、「史実に反するフィクションは良くない」などという意図は全然ない、念のため。
それはそれとして、源三郎の従来イメージでも「温厚篤実で周囲から慕われる」という面は決して悪くない。
こういう彼を主人公に据えたフィクションもある。例えば、比較的新しい小説では、秋山香乃『新撰組捕物帖』『諜報新撰組 風の宿り』、小松エメル「信心」(『夢の燈影』所収 )など。
主役ならずとも名脇役として描かれる例は、さらに多くある。
今後、我らが愛すべき「源さん」のイメージがどのように変遷していくのか、見届けたいと思う。
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- 原田左之助の本 (2016/11/30)
- 描かれた井上源三郎 «
- 沖田総司の写真…ではなかった (2017/04/09)
秋山香乃『新撰組捕物帖』
短編連作集。単行本には副題『源さんの事件簿』と付くが、文庫版には付いていない。
人情家の井上源三郎が、さまざまな事件を解決しようと奔走する姿を描く。全5編を収録。
井上源三郎は、近藤道場の門人であり、新選組草創メンバーのひとりであるにもかかわらず、フィクションでは脇役扱いされてきた。
時には「三条磧乱刃」(司馬遼太郎『新選組血風録』)、 「大望の身」(戸部新十郎『総司残英抄』)、「信心」(小松エメル『夢の燈影』)のように短編小説の主人公となる場合もあるが、いずれも一編きりに終わっている。
本書は短編集ながら、1冊まるごと源三郎を主とした連作集であるところが新しい。
少なくとも商業出版物では、他に類例がなかったように思う。
「捕物帖」というタイトルのとおり、事件の捜査・解明がストーリーの主軸となっている。
第一話 仇討ち
薬の行商人・権蔵が何者かに殺害され、11歳の伜・三太が遺される。
たまたま遺体を発見したのは、夜間警邏中の尾形俊太郎の小隊だった。
事情を聞いた源三郎は、天涯孤独となった三太に同情し、大坂鴻池に奉公の口を世話してやる。
そして、父の仇を討ちたいとせがむ三太に、犯人を捜し出すとつい約束してしまうのだった。
事件は新撰組の取扱ではないため、内密に調べようと、配下の中村久馬に聞き込みを命じる。
手がかりは、権蔵が隠していた小さな壺と、それを預けていったという不審な男の存在だった。
文久3年7月の話。
逸脱行為とわかっていても、困っている者を放っておけず、つい世話を焼いてしまう源三郎。
そんな源三郎を心配しながら口には出せず、厳しい態度をとる土方歳三。
双方の心のうちを知っていて、丸く収めようとする近藤勇。この3人の関係が面白い。
源三郎が戦う場面もある。格好良いのか悪いのか、どちらとも判断しかねるところが彼らしいかも。
ちなみに、「じじい」と罵られて「まだじじいじゃねェんだよ」と言い返すあたり、司馬遼太郎の人物造形に対するアンチテーゼかと思えた。(※『新選組血風録』には「百姓の隠居」のようだなどと書かれている。)
侠客の水野弥太郎も登場する。
実際に新撰組とは関わりの深かった人物であるが、ここでは初めての邂逅が描かれている。
第二話 二人総司
南条新之助は、優れた剣才の持ち主と認められて入隊し、沖田総司の配下となった。
ところが、気弱な性格のため、稽古では一方的に打たれるばかり。
同志たちから侮られている彼を、総司も久馬もなんとか助けてやりたいと案じていた。
ふたりからそれぞれ相談を受けた源三郎は、本人の話を聞いてみようと思い立つ。
そんな時、屯所の至近で隊士・藤田従吾が斬殺された。
その斬り口は凄まじく、それほどの手練れは新撰組にも総司か斎藤一しかいない。
総司を犯人扱いする無責任な噂に、源三郎は憤慨し、真犯人を突き止めようとする。
文久3年の晩秋か初冬の話。
源三郎の視点から描かれる沖田総司の人物像が興味深い。
平素は子供っぽくて頼りなさそうに見えるが、自分の組下にはちゃんと目配りしている。
作中、蕎麦屋で鰊蕎麦(にしんそば)が出される。
京都の名物料理のひとつであるけれども、「松葉」の公式サイトによると、二代目松野与三吉が考案し元祖となったのが明治15年だそうな。
ただ、たまたま思いついて作ってみた蕎麦屋が幕末にもいた、と考えられなくはない。
蕎麦屋で、総司と源三郎がいきなり虫拳を始める場面には、噴いてしまった。
虫拳は、3種類の手からひとつを出しあって勝負を競うジャンケンのようなゲームであり、ここではヘビ・カエル・ナメクジいずれかの物真似をしなければならない。
ふたりとも侍なのだから、少しは世間の目を気にしたほうがいいのでは。
そして、もし新之助がこれを見ていたら、総司にそこまで憧れたかどうか(笑)
第三話 新撰組恋騒動
土方歳三の外出が増え、「恋人ができたらしい」と噂が立つ。
真偽を確かめようと歳三を尾行した源三郎は、思わぬ真相に行き当たる。
一方、将軍家茂の警護として京へ上ってきた伊庭八郎は、島原で不穏な話を漏れ聞いた。
どうやら新撰組の誰かが、馴染みの小天神(遊女)と心中しようと思い詰めているらしい。
源三郎は事態を未然に防ぐため、八郎の協力を得て内密に調査し、ようやくその隊士を探し当てる。
それは、源三郎のよく知る者であった。
元治元年の春から夏にかけての話。
池田屋事件の裏話といえるが、池田屋の激闘はほとんど描かれていない。
伊庭八郎は、試衛館一党とは旧知の仲という設定で、第五話にも登場する。
女あしらいが非常に上手く、源三郎が呆気にとられる描写が愉快。
若い隊士の恋愛を応援する源三郎にも、心に想う相手がいることが明かされる。
その相手とは、料亭の仲居として働くハル。夫を亡くし、ひとりで生計を立てている。
しかし、不器用な彼はなかなか告白できず、久馬にも「ここまで奥手とは」と驚かれるほど。
新撰組隊士として働く以上、明日をも知れない身である彼ら。
その時が来ても後悔しないように今日を生きようと、隊務にも恋愛にもひたむきな様子が切ない。
第四話 怨めしや
平隊士の永井信次が、突然錯乱して自刃する。
同じく浅利敬之助は、清水の舞台から飛び降りて死ぬ。
相次ぐ隊士の不審死に考えをめぐらすうち、源三郎は壬生村の娘お夕を思い出す。
気立てが良く美人の彼女は、隊士らの人気者だったが、すでに故人となっていた。
そして、新入隊士の大沢博人は、お夕に面差しがよく似ていた。しかし本人は、彼女を知らないと言う。
源三郎は、渋る尾形俊太郎を連れて壬生を訪れ、お夕の死について聞き込みをするものの、熱病を患って亡くなったとしかわからない。だが、隊内では不穏な噂が囁かれていた。
慶応元年の春から初夏頃の話。
娘の亡霊が様々な怪奇現象を引き起こすかのような、少々オカルティックな描写がある。
ついに尾形俊太郎までが、ハルに告白しろと源三郎へ迫る。
そのおかげで、源三郎がようやくハルを花見に誘い、一緒に出かけることに成功。
ただ、せっかくの逢い引きが途中で台無しになってしまうのは、なんとも皮肉。
本編にも、源三郎が戦う場面がある。
「じじいはすっこんでろ」「おれはまだ四十前だ」というやりとりもある。
斬り合いでの老人呼ばわりは、本作の定番なのだろうか。
河原の見世物小屋に、いわゆる催眠術のような出し物が登場する。
催眠術は、日本には明治初期に移入されたというが、海外では前世紀から研究されていた。
つまり、幕末にも知っている日本人がわずかながらいた、という可能性は一概に否定できないだろう。
本編のように、舞台興業が行なわれたかどうかはわからないが。
見世物の観客が「拍手喝采」する、というくだりがある。
賛成や称賛の意味で手をパチパチ叩くのは、西洋から伝わり明治期に広まった習慣(※参考『考証要集』)。
ここでは「歓声を上げた」「大いに褒めそやした」程度の意味に考えておけばよいのだろう。
新撰組の中にとんでもない不届き者がいた、という後味の悪い事件。
決して陰鬱なストーリーではなく、源三郎とハルの関係がほのぼのと描かれていたりするのだけれど、なんとなく新撰組や源三郎の前途に暗い影が差したようにも感じられた。
第五話 源さんの形見
伏見・淀の戦場から大坂へ撤退してきた土方歳三は、沖田総司に源三郎の戦死を伝える。
意外にも総司は、取り乱すことなく冷静に受けとめ、すでに気づいていたと語る。
一方、恩人に報いたいと強く願って従軍した三太は、戊辰戦争を戦った末、重傷を負う。
戦乱の中、多くの者たちが命を散らしていった。
戦後、三太は生き残ってしまったという悔恨を胸に、源三郎の郷里である日野を訪れる。
そこで、意外な人物に再会するのだった。
慶応4年1月から明治初期にかけての話。
源三郎の亡き後、新撰組がどうなったか、ゆかりの人々がどのような運命をたどったかを描く。
つまり本編に源三郎は登場しないのだが、彼を知る多くの人々によって、その存在感が示される。
最後の場面は、「箱館戦争が終結し(中略)四年」とあるので、明治6年頃かと思える。
一方、相馬主計の死が描かれているので同8年以降とも考えられ、よくわからない。
旅路の果て、源三郎の遺志に気づいた三太は、生きる意欲を取り戻す。
世を去った者の思いも、それを受け継ぐ者がいるならば、この世に生き続けていくのだ。
---
事件捜査ものであるが、本格推理小説のように複雑なトリックや予想外の真相があるわけではない。
どちらかというと、登場人物たちの活躍や人間関係、時代背景や当時の風俗などを楽しむ作品である。
各話はそれぞれ独立したストーリーであるが、全話を通読してこそ伝わるものは多い。
特に第五話があることによって、第一~四話も引き立っていると感じた。
主人公の井上源三郎は、お人好しの世話好きで、思いやり深い人物。
のみならず本作では、物事を論理的に推理する頭脳や、凶器を持った相手を制する腕も持っている。
華々しい表舞台に立たなくとも、多くの者に必要とされる存在として描かれているところが良い。
ほぼ全話にわたり、尾形俊太郎が登場する。
本作では、感情をなかなか表に出さない無愛想な性格。
心には熱さや優しさを秘めているが、それを他人に悟られたくないようで、事務的にふるまっている。
源三郎のお節介や逸脱行為を止めようとして、結局巻き込まれてしまうことが多い。
源三郎を慕う中村久馬も、実在の隊士である。
ただ、文久3年6月頃に入隊、元治元年6月の池田屋事件より前に離隊したらしいことが伝わるのみで、それ以外は出身地も年齢も剣流もまったくわかっていない。
本作は、この謎の経歴を活かしつつ、心優しい誠実な若者として描いている。
久馬の後日談も、注目どころと言えよう。
---
2005年、単行本『新撰組捕物帖 源さんの事件簿』が、河出書房新社より刊行された。四六判ハードカバー。
2011年、『新撰組捕物帖』が、幻冬舎時代小説文庫として出版された。巻末解説は縄田一男。
なお、続編として『諜報新撰組 風の宿り 源さんの事件簿』が発表されている。
幻冬舎より、2007年に単行本、2011年に時代小説文庫が刊行された。
正編と混同なきよう要注意。


人情家の井上源三郎が、さまざまな事件を解決しようと奔走する姿を描く。全5編を収録。
井上源三郎は、近藤道場の門人であり、新選組草創メンバーのひとりであるにもかかわらず、フィクションでは脇役扱いされてきた。
時には「三条磧乱刃」(司馬遼太郎『新選組血風録』)、 「大望の身」(戸部新十郎『総司残英抄』)、「信心」(小松エメル『夢の燈影』)のように短編小説の主人公となる場合もあるが、いずれも一編きりに終わっている。
本書は短編集ながら、1冊まるごと源三郎を主とした連作集であるところが新しい。
少なくとも商業出版物では、他に類例がなかったように思う。
「捕物帖」というタイトルのとおり、事件の捜査・解明がストーリーの主軸となっている。
第一話 仇討ち
薬の行商人・権蔵が何者かに殺害され、11歳の伜・三太が遺される。
たまたま遺体を発見したのは、夜間警邏中の尾形俊太郎の小隊だった。
事情を聞いた源三郎は、天涯孤独となった三太に同情し、大坂鴻池に奉公の口を世話してやる。
そして、父の仇を討ちたいとせがむ三太に、犯人を捜し出すとつい約束してしまうのだった。
事件は新撰組の取扱ではないため、内密に調べようと、配下の中村久馬に聞き込みを命じる。
手がかりは、権蔵が隠していた小さな壺と、それを預けていったという不審な男の存在だった。
文久3年7月の話。
逸脱行為とわかっていても、困っている者を放っておけず、つい世話を焼いてしまう源三郎。
そんな源三郎を心配しながら口には出せず、厳しい態度をとる土方歳三。
双方の心のうちを知っていて、丸く収めようとする近藤勇。この3人の関係が面白い。
源三郎が戦う場面もある。格好良いのか悪いのか、どちらとも判断しかねるところが彼らしいかも。
ちなみに、「じじい」と罵られて「まだじじいじゃねェんだよ」と言い返すあたり、司馬遼太郎の人物造形に対するアンチテーゼかと思えた。(※『新選組血風録』には「百姓の隠居」のようだなどと書かれている。)
侠客の水野弥太郎も登場する。
実際に新撰組とは関わりの深かった人物であるが、ここでは初めての邂逅が描かれている。
第二話 二人総司
南条新之助は、優れた剣才の持ち主と認められて入隊し、沖田総司の配下となった。
ところが、気弱な性格のため、稽古では一方的に打たれるばかり。
同志たちから侮られている彼を、総司も久馬もなんとか助けてやりたいと案じていた。
ふたりからそれぞれ相談を受けた源三郎は、本人の話を聞いてみようと思い立つ。
そんな時、屯所の至近で隊士・藤田従吾が斬殺された。
その斬り口は凄まじく、それほどの手練れは新撰組にも総司か斎藤一しかいない。
総司を犯人扱いする無責任な噂に、源三郎は憤慨し、真犯人を突き止めようとする。
文久3年の晩秋か初冬の話。
源三郎の視点から描かれる沖田総司の人物像が興味深い。
平素は子供っぽくて頼りなさそうに見えるが、自分の組下にはちゃんと目配りしている。
作中、蕎麦屋で鰊蕎麦(にしんそば)が出される。
京都の名物料理のひとつであるけれども、「松葉」の公式サイトによると、二代目松野与三吉が考案し元祖となったのが明治15年だそうな。
ただ、たまたま思いついて作ってみた蕎麦屋が幕末にもいた、と考えられなくはない。
蕎麦屋で、総司と源三郎がいきなり虫拳を始める場面には、噴いてしまった。
虫拳は、3種類の手からひとつを出しあって勝負を競うジャンケンのようなゲームであり、ここではヘビ・カエル・ナメクジいずれかの物真似をしなければならない。
ふたりとも侍なのだから、少しは世間の目を気にしたほうがいいのでは。
そして、もし新之助がこれを見ていたら、総司にそこまで憧れたかどうか(笑)
第三話 新撰組恋騒動
土方歳三の外出が増え、「恋人ができたらしい」と噂が立つ。
真偽を確かめようと歳三を尾行した源三郎は、思わぬ真相に行き当たる。
一方、将軍家茂の警護として京へ上ってきた伊庭八郎は、島原で不穏な話を漏れ聞いた。
どうやら新撰組の誰かが、馴染みの小天神(遊女)と心中しようと思い詰めているらしい。
源三郎は事態を未然に防ぐため、八郎の協力を得て内密に調査し、ようやくその隊士を探し当てる。
それは、源三郎のよく知る者であった。
元治元年の春から夏にかけての話。
池田屋事件の裏話といえるが、池田屋の激闘はほとんど描かれていない。
伊庭八郎は、試衛館一党とは旧知の仲という設定で、第五話にも登場する。
女あしらいが非常に上手く、源三郎が呆気にとられる描写が愉快。
若い隊士の恋愛を応援する源三郎にも、心に想う相手がいることが明かされる。
その相手とは、料亭の仲居として働くハル。夫を亡くし、ひとりで生計を立てている。
しかし、不器用な彼はなかなか告白できず、久馬にも「ここまで奥手とは」と驚かれるほど。
新撰組隊士として働く以上、明日をも知れない身である彼ら。
その時が来ても後悔しないように今日を生きようと、隊務にも恋愛にもひたむきな様子が切ない。
第四話 怨めしや
平隊士の永井信次が、突然錯乱して自刃する。
同じく浅利敬之助は、清水の舞台から飛び降りて死ぬ。
相次ぐ隊士の不審死に考えをめぐらすうち、源三郎は壬生村の娘お夕を思い出す。
気立てが良く美人の彼女は、隊士らの人気者だったが、すでに故人となっていた。
そして、新入隊士の大沢博人は、お夕に面差しがよく似ていた。しかし本人は、彼女を知らないと言う。
源三郎は、渋る尾形俊太郎を連れて壬生を訪れ、お夕の死について聞き込みをするものの、熱病を患って亡くなったとしかわからない。だが、隊内では不穏な噂が囁かれていた。
慶応元年の春から初夏頃の話。
娘の亡霊が様々な怪奇現象を引き起こすかのような、少々オカルティックな描写がある。
ついに尾形俊太郎までが、ハルに告白しろと源三郎へ迫る。
そのおかげで、源三郎がようやくハルを花見に誘い、一緒に出かけることに成功。
ただ、せっかくの逢い引きが途中で台無しになってしまうのは、なんとも皮肉。
本編にも、源三郎が戦う場面がある。
「じじいはすっこんでろ」「おれはまだ四十前だ」というやりとりもある。
斬り合いでの老人呼ばわりは、本作の定番なのだろうか。
河原の見世物小屋に、いわゆる催眠術のような出し物が登場する。
催眠術は、日本には明治初期に移入されたというが、海外では前世紀から研究されていた。
つまり、幕末にも知っている日本人がわずかながらいた、という可能性は一概に否定できないだろう。
本編のように、舞台興業が行なわれたかどうかはわからないが。
見世物の観客が「拍手喝采」する、というくだりがある。
賛成や称賛の意味で手をパチパチ叩くのは、西洋から伝わり明治期に広まった習慣(※参考『考証要集』)。
ここでは「歓声を上げた」「大いに褒めそやした」程度の意味に考えておけばよいのだろう。
新撰組の中にとんでもない不届き者がいた、という後味の悪い事件。
決して陰鬱なストーリーではなく、源三郎とハルの関係がほのぼのと描かれていたりするのだけれど、なんとなく新撰組や源三郎の前途に暗い影が差したようにも感じられた。
第五話 源さんの形見
伏見・淀の戦場から大坂へ撤退してきた土方歳三は、沖田総司に源三郎の戦死を伝える。
意外にも総司は、取り乱すことなく冷静に受けとめ、すでに気づいていたと語る。
一方、恩人に報いたいと強く願って従軍した三太は、戊辰戦争を戦った末、重傷を負う。
戦乱の中、多くの者たちが命を散らしていった。
戦後、三太は生き残ってしまったという悔恨を胸に、源三郎の郷里である日野を訪れる。
そこで、意外な人物に再会するのだった。
慶応4年1月から明治初期にかけての話。
源三郎の亡き後、新撰組がどうなったか、ゆかりの人々がどのような運命をたどったかを描く。
つまり本編に源三郎は登場しないのだが、彼を知る多くの人々によって、その存在感が示される。
最後の場面は、「箱館戦争が終結し(中略)四年」とあるので、明治6年頃かと思える。
一方、相馬主計の死が描かれているので同8年以降とも考えられ、よくわからない。
旅路の果て、源三郎の遺志に気づいた三太は、生きる意欲を取り戻す。
世を去った者の思いも、それを受け継ぐ者がいるならば、この世に生き続けていくのだ。
---
事件捜査ものであるが、本格推理小説のように複雑なトリックや予想外の真相があるわけではない。
どちらかというと、登場人物たちの活躍や人間関係、時代背景や当時の風俗などを楽しむ作品である。
各話はそれぞれ独立したストーリーであるが、全話を通読してこそ伝わるものは多い。
特に第五話があることによって、第一~四話も引き立っていると感じた。
主人公の井上源三郎は、お人好しの世話好きで、思いやり深い人物。
のみならず本作では、物事を論理的に推理する頭脳や、凶器を持った相手を制する腕も持っている。
華々しい表舞台に立たなくとも、多くの者に必要とされる存在として描かれているところが良い。
ほぼ全話にわたり、尾形俊太郎が登場する。
本作では、感情をなかなか表に出さない無愛想な性格。
心には熱さや優しさを秘めているが、それを他人に悟られたくないようで、事務的にふるまっている。
源三郎のお節介や逸脱行為を止めようとして、結局巻き込まれてしまうことが多い。
源三郎を慕う中村久馬も、実在の隊士である。
ただ、文久3年6月頃に入隊、元治元年6月の池田屋事件より前に離隊したらしいことが伝わるのみで、それ以外は出身地も年齢も剣流もまったくわかっていない。
本作は、この謎の経歴を活かしつつ、心優しい誠実な若者として描いている。
久馬の後日談も、注目どころと言えよう。
---
2005年、単行本『新撰組捕物帖 源さんの事件簿』が、河出書房新社より刊行された。四六判ハードカバー。
2011年、『新撰組捕物帖』が、幻冬舎時代小説文庫として出版された。巻末解説は縄田一男。
なお、続編として『諜報新撰組 風の宿り 源さんの事件簿』が発表されている。
幻冬舎より、2007年に単行本、2011年に時代小説文庫が刊行された。
正編と混同なきよう要注意。
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小松エメル『夢の燈影』
短編小説集。タイトル読みは「ゆめのほかげ」。
新選組の実在隊士をモデルとして、彼らの生き方とその心のうちを描く全6編を収録。
「信心」
井上源三郎が、淀の激戦に倒れ、来し方をさまざまに振り返る。
試衛館の一員として浪士組に加わり上京して以来、源三郎は仲間たちの助けになろうと努力してきた。
だが、隊内の軋轢が芹沢暗殺に至って、そのようなやり方に同調できない自分は、ここにいて皆の役に立っているのかと、疑問が次第に大きくなる。ついに、退職を申し出て郷里へ帰ろうと思い立った。
ところが、源三郎が申し出るよりも早く、仲間たちは彼の意思に気づく。
井上源三郎の人柄が、人情にあつく世話好き、小言幸兵衛、努力家と描写される。
フィクションには類例のある人物造形ながら、彼も悩んで離隊を考えたことがある、という筋立ては面白い。
ちなみに作品タイトルは、信心深く、神仏の加護を頼む性分に由来している。
淀の戦場で、源三郎の最期を見届けるのは相馬肇。箱館まで戦い続け、最後の新選組隊長となった実在隊士だが、ここではちょっと世話焼きの新米隊士として描かれている。
源三郎にとっての懐かしい「故郷」とは、多摩のみならず、仲間とともに5年を過ごした京都でもあった。
「夢告げ」
蟻通勘吾(ありどおしかんご)は、従兄・七五三之進(しめのしん)の姿を夜の夢に繰り返し見る。
先に新選組に入隊し、勘吾を勧誘した七五三之進は、半年前に行方不明となっていた。隊内では「長州に通じて脱走した」という噂が広まるものの、勘吾にはとても信じられない。
周囲からは「勘吾もそのうち脱走するのでは」と不審の目で見られ、土方歳三からも冷遇されて、意欲が持てないまま隊務に服す日々が続く。
そんな時、勘吾らの班長・瀬川が何者かに斬られてしまう。代わりに配属されたのは、沖田総司だった。
さらに、親しい隊士・永橋が「七五三之進を見かけた」と勘吾に打ち明ける。
勘吾と七五三之進は、実在の隊士がモデル。
蟻通勘吾は、讃岐高松出身、天保10年生まれ、文久3年6月頃入隊。明治2年5月11日、箱館で戦死。
蟻通七五三之進は、生没年、出身地など不詳。文久3年4月頃に入隊、8月18日の政変に出動するも、その後の消息は不明。(※佐野七五三之助と名前が似ているが別人。)
勘吾と七五三之進との関係については不明だが、本作同様に血縁の可能性は考えられる。
作中、七五三之進の失踪には、ある陰謀が絡んでいた。
ただ、陰謀の主犯がそもそも何を企んでいたのか、何を知られまいとしたのか、明記がない。
この話の重点は夢と現実とのリンクにあり、陰謀を詳述する必要はないと作者は考えたのかもしれないが、もう少し具体的な説明が欲しいと感じた。
土方歳三が勘吾にそっと告げた言葉は、本書を読み進める上で覚えておきたい。
冷遇されていると思った勘吾が箱館まで戦い続けたのは、おそらくこの言葉がきっかけであろうから。
「流木」
谷三兄弟の末弟・周平は、剣技も学問も凡庸な若者。
取り柄といえば、出自が筋目正しいこと、美男子で女性にもてること、この2点のみだった。
そんな周平が、兄の三十郎・万太郎とともに新選組に加盟。近藤勇に望まれて、養子となる。
しかし、長兄や養父の期待は重荷であり、他の隊士らからは「未熟者のくせに、旧主家とのコネをちらつかせて局長に取り入った」と軽蔑されているように思えてならない。
その重圧から逃れるように女遊びを繰り返すうち、真実の恋に巡りあうが……
谷昌武が近藤勇と養子縁組をし、周平を名乗ったのは事実。ただ、いつしか縁組解消されたらしく、その経緯はよくわかっていない。本作では、縁組から解消に至る直前までが、周平の心理を主軸として描かれている。
周平に対して、三十郎は説教することもあるが、ひどく叱責するわけではない。近藤は何も言わず、温かく見守っている。しかし、周平にとってはむしろ辛いらしい。
また、永倉新八が周平に慕われている。永倉はそっけない態度でありながら、密かに若い周平を案じる。
本作には、周平の婚約者としてコウが登場する。小説には珍しいと思った。
コウも実在人物であり、大坂の医師・岩田文碩の娘。コウの姉スエは、谷万太郎の妻になっている。
「近藤勇の養女」の伝承とコウとを結びつける研究家・古賀茂作の説が発表されており、作者はそれを参考にしたのだろう。
作品タイトルは、周平が鴨川の流木を眺める場面に由来している。
行く先もわからず、沈むこともできず、ただ流されていく己の人生を、流木に重ね合わせる心がやるせない。
「寄越人」
酒井兵庫は、計算の能力を山南敬助に認められ、勘定方に抜擢された。
それに加え、ある時から寄越人(よりこしにん)の兼任を命じられる。寄越人とは、死亡した隊士の亡骸を光縁寺に運んで埋葬を依頼し、最後まで見届ける役目だった。
剣が不得意な兵庫にとって、寄越人の仕事は、斬り込みに比べればまだ楽に思えた。また、亡くなった者を見送るのも大切な役目と理解していた。
しかし、自分を引き立ててくれた山南敬助を失い、揉め事の責任を取った大谷、規律に反した2人の隊士の埋葬に立ち会い、同役で親しかった河合の死を目の当たりにした時、ついに精神的な限界を感じる。
酒井兵庫という隊士については、新選組の実態に恐れをなして脱走し、追っ手の沖田総司に斬られ、命を取り留めたものの傷の深さに驚きショック死したと、西村兼文『新撰組始末記』に記述され、それが事実と長らく考えられてきた。
ただ、実際は何らかの理由で退職したという説が近年有力のようで、本作もそちらを採用している。
「寄越人」は、光縁寺の記録史料「往詣記」に見られる語句。新選組の中で、役職名として使われていたかどうかはわからない。
「往詣記」によると、酒井兵庫が寄越人を務めたのは大谷良輔、瀬山多喜人と石川三郎の埋葬であり、山南敬助の時も関わっていた可能性があるという。本作にも、これらが反映されている。
小説に登場する酒井兵庫の人物像は、作家や作品によって区々だが、本作では純朴な性格に描かれている。
人の死に慣れることなく、納得のいかない気持ちを鬱積させていく心模様は、苦しく痛ましい。
そして、山南の死に関心を示そうとしなかった藤堂平助もまた、心のうちでは深く悔やみ悲しんでいた。
親しい者の死が辛いのは、誰しも同じなのだ。
「家路」
山崎丞は、池田屋事件に際して、反幕浪士らの会合場所を懸命に探索する。
しかし、事前に探し当てることができなかった。もしも早く情報をつかんでいたら、味方にも敵方にもあれほどの死傷者を出さずにすんだ――その後悔の念から、監察方に抜擢された丞は、任務にいっそう励む。
時に内部の非をも暴く監察方は、同志から忌み嫌われもしたが、だからといってなおざりにはできなかった。
やがて伊東甲子太郎が新選組から分離脱退した時、その動向を探るよう指令が下る。
今度こそ憂うべき事態を回避したいと努力する丞だが、その思いは再び挫かれ……
本作の山崎丞は、大坂で鍼医をしていた父を手伝い、父の死後に京へ上って新選組に加盟した。
弟の新次郎もいっしょに上京したが、新選組には加盟せず、永井尚志の家臣になったとある。
また、屯所の外に別宅を持ち、そこに妻の琴尾を住まわせている。
(※山崎丞のプロフィールは、島津隆子『新選組密偵 山崎烝』を参照のこと)
山崎丞が監察方の任務にひたすら打ち込む姿と並行して、原田左之助との関係が描かれる。
取り立てて親しいわけではないが、読めない行動をする原田を、烝はなんとなく放っておけない。
妻子の待つ家に帰ることができず、逡巡する原田に投げかけた励ましの言葉が、胸に快い。
「姿絵」
武州多摩は八王子千人同心の家に生まれ、天然理心流を学んでいた中島登。
近藤勇の奉納試合を見て、その気組みに惚れ込み、日野の佐藤道場へ通うようになる。
やがて近藤らが京へ上ったのを羨ましく思っていた登は、元治元年、江戸での隊士募集に応じた。
面接した近藤は、京へ連れていく代わりに、関東探索の任務を提案する。これを引き受けた登は、広く不審人物の動静などを探り、画を交えた報告書を認めては近藤へ送り続けた。
鳥羽伏見戦後、新選組が江戸へ帰還し、登は晴れて本隊に合流する。新参同様ながら、隊への帰属意識は高い。北関東から会津へと転戦するうち、近藤の死によって目標を見失った時期もあったものの、最後まで新選組に残ると決意する。
しかし、人生の情熱すべてを賭けた新選組隊士としての日々は、箱館で終焉を迎えるのだった。
降伏後に囚われの身となりながらも、登は仲間たちが生きた証を残したいと、肖像画を描く。
中島登は、戊辰戦争後も生きのびた隊士のひとりであり、同志たちの肖像画「戦友姿絵」や手記「中島登覚書」を残したことで知られる。また、正式入隊の前は関東で探索に携わったと言われるが、具体的にどのような活動をしていたのかわかっていない。
本作は、これらに基づき、中島登の人生と「戦友姿絵」作成に至った経緯を描いている。
登と斎藤一との関係が面白い。
会津では、土方の代わりに斎藤が新選組隊長に就任し、登は隊長付き筆頭に抜擢される。
ところが、斎藤は黙って単独行動をとることが多い。おかげでさんざん苦労させられる登だが、ともに死線をくぐりぬけて戦い続けるうち、少しずつ心が通いあっていく。
次第に戦局が厳しくなり、会津に残るか仙台へ行くか迷う登に、斎藤が告げた決別の言葉が深い。
作中、登は島田魁や相馬主計の絵姿も描いている。
今日伝わっている「戦友姿絵」に彼らをモチーフとした絵は存在しないが、仮に存在したとして、それらがどうなったか想像させる筋立てが巧い。
登と長男・歌吉(登市郎)との父子関係も、心に残る。
長く生き別れとなっていた後、絆を取り戻すきっかけとなったのは、やはり登の描く絵だった。
「夢鬼」(文庫版のみ収録)
他の収録作にも登場した隊士・瀬川の主観で描かれる。
戦死した瀬川は、ふと気づけば幽霊と化していた。
誰にも見えない存在として、主立った隊士たちについていき、彼らと新選組の行く末を見届ける。
ところが、長い旅路の果てに見たものは――
「信心」「夢告げ」の番外編ともいえる掌編。
---
いずれの作品も、新選組の興亡を段取り的に追うのではなく、登場人物の心理や人間関係を活写している。
哀感がベースにあるけれども、感傷過多に陥ってはいない。
さらに、主人公たちの目から見た近藤や土方など幹部隊士の人柄も、注目どころと言える。
書名『夢の燈影』は、新選組という夢の輝きと、それを心に抱き続けた主人公たちの生き方をイメージさせる。
また、灯りが創り出す光と影の中に多彩な人間模様が浮かび上がるとも感じられ、内容に相応しいと思った。
収録作品の初出は、講談社刊『小説現代』の下記各号。
「信心」(「小言頼み」改題) …2014年6月号
「夢告げ」 …2013年5月号
「流れ木」 …2013年9月号
「寄越人」 …2013年12月号
「家路」 …2014年2月号
「姿絵」 …2014年4月号
「夢鬼」 …文庫版書き下ろし
単行本『夢の燈影』は、2014年9月、講談社より刊行された。
文庫版『夢の燈影 新選組無名録』は、2016年9月、講談社より出版。
文庫版には、書き下ろし短編「夢鬼」が追加収録されている。
作者の著書は、それまで文庫書き下ろしが主体であり、単行本は本書が初という。
新選組が登場する作品としては、他に『蘭学塾幻幽堂青春記』シリーズ(ハルキ文庫)がある。
作家としては若手と思われ、今後いっそうの活躍を期待したい。


新選組の実在隊士をモデルとして、彼らの生き方とその心のうちを描く全6編を収録。
「信心」
井上源三郎が、淀の激戦に倒れ、来し方をさまざまに振り返る。
試衛館の一員として浪士組に加わり上京して以来、源三郎は仲間たちの助けになろうと努力してきた。
だが、隊内の軋轢が芹沢暗殺に至って、そのようなやり方に同調できない自分は、ここにいて皆の役に立っているのかと、疑問が次第に大きくなる。ついに、退職を申し出て郷里へ帰ろうと思い立った。
ところが、源三郎が申し出るよりも早く、仲間たちは彼の意思に気づく。
井上源三郎の人柄が、人情にあつく世話好き、小言幸兵衛、努力家と描写される。
フィクションには類例のある人物造形ながら、彼も悩んで離隊を考えたことがある、という筋立ては面白い。
ちなみに作品タイトルは、信心深く、神仏の加護を頼む性分に由来している。
淀の戦場で、源三郎の最期を見届けるのは相馬肇。箱館まで戦い続け、最後の新選組隊長となった実在隊士だが、ここではちょっと世話焼きの新米隊士として描かれている。
源三郎にとっての懐かしい「故郷」とは、多摩のみならず、仲間とともに5年を過ごした京都でもあった。
「夢告げ」
蟻通勘吾(ありどおしかんご)は、従兄・七五三之進(しめのしん)の姿を夜の夢に繰り返し見る。
先に新選組に入隊し、勘吾を勧誘した七五三之進は、半年前に行方不明となっていた。隊内では「長州に通じて脱走した」という噂が広まるものの、勘吾にはとても信じられない。
周囲からは「勘吾もそのうち脱走するのでは」と不審の目で見られ、土方歳三からも冷遇されて、意欲が持てないまま隊務に服す日々が続く。
そんな時、勘吾らの班長・瀬川が何者かに斬られてしまう。代わりに配属されたのは、沖田総司だった。
さらに、親しい隊士・永橋が「七五三之進を見かけた」と勘吾に打ち明ける。
勘吾と七五三之進は、実在の隊士がモデル。
蟻通勘吾は、讃岐高松出身、天保10年生まれ、文久3年6月頃入隊。明治2年5月11日、箱館で戦死。
蟻通七五三之進は、生没年、出身地など不詳。文久3年4月頃に入隊、8月18日の政変に出動するも、その後の消息は不明。(※佐野七五三之助と名前が似ているが別人。)
勘吾と七五三之進との関係については不明だが、本作同様に血縁の可能性は考えられる。
作中、七五三之進の失踪には、ある陰謀が絡んでいた。
ただ、陰謀の主犯がそもそも何を企んでいたのか、何を知られまいとしたのか、明記がない。
この話の重点は夢と現実とのリンクにあり、陰謀を詳述する必要はないと作者は考えたのかもしれないが、もう少し具体的な説明が欲しいと感じた。
土方歳三が勘吾にそっと告げた言葉は、本書を読み進める上で覚えておきたい。
冷遇されていると思った勘吾が箱館まで戦い続けたのは、おそらくこの言葉がきっかけであろうから。
「流木」
谷三兄弟の末弟・周平は、剣技も学問も凡庸な若者。
取り柄といえば、出自が筋目正しいこと、美男子で女性にもてること、この2点のみだった。
そんな周平が、兄の三十郎・万太郎とともに新選組に加盟。近藤勇に望まれて、養子となる。
しかし、長兄や養父の期待は重荷であり、他の隊士らからは「未熟者のくせに、旧主家とのコネをちらつかせて局長に取り入った」と軽蔑されているように思えてならない。
その重圧から逃れるように女遊びを繰り返すうち、真実の恋に巡りあうが……
谷昌武が近藤勇と養子縁組をし、周平を名乗ったのは事実。ただ、いつしか縁組解消されたらしく、その経緯はよくわかっていない。本作では、縁組から解消に至る直前までが、周平の心理を主軸として描かれている。
周平に対して、三十郎は説教することもあるが、ひどく叱責するわけではない。近藤は何も言わず、温かく見守っている。しかし、周平にとってはむしろ辛いらしい。
また、永倉新八が周平に慕われている。永倉はそっけない態度でありながら、密かに若い周平を案じる。
本作には、周平の婚約者としてコウが登場する。小説には珍しいと思った。
コウも実在人物であり、大坂の医師・岩田文碩の娘。コウの姉スエは、谷万太郎の妻になっている。
「近藤勇の養女」の伝承とコウとを結びつける研究家・古賀茂作の説が発表されており、作者はそれを参考にしたのだろう。
作品タイトルは、周平が鴨川の流木を眺める場面に由来している。
行く先もわからず、沈むこともできず、ただ流されていく己の人生を、流木に重ね合わせる心がやるせない。
「寄越人」
酒井兵庫は、計算の能力を山南敬助に認められ、勘定方に抜擢された。
それに加え、ある時から寄越人(よりこしにん)の兼任を命じられる。寄越人とは、死亡した隊士の亡骸を光縁寺に運んで埋葬を依頼し、最後まで見届ける役目だった。
剣が不得意な兵庫にとって、寄越人の仕事は、斬り込みに比べればまだ楽に思えた。また、亡くなった者を見送るのも大切な役目と理解していた。
しかし、自分を引き立ててくれた山南敬助を失い、揉め事の責任を取った大谷、規律に反した2人の隊士の埋葬に立ち会い、同役で親しかった河合の死を目の当たりにした時、ついに精神的な限界を感じる。
酒井兵庫という隊士については、新選組の実態に恐れをなして脱走し、追っ手の沖田総司に斬られ、命を取り留めたものの傷の深さに驚きショック死したと、西村兼文『新撰組始末記』に記述され、それが事実と長らく考えられてきた。
ただ、実際は何らかの理由で退職したという説が近年有力のようで、本作もそちらを採用している。
「寄越人」は、光縁寺の記録史料「往詣記」に見られる語句。新選組の中で、役職名として使われていたかどうかはわからない。
「往詣記」によると、酒井兵庫が寄越人を務めたのは大谷良輔、瀬山多喜人と石川三郎の埋葬であり、山南敬助の時も関わっていた可能性があるという。本作にも、これらが反映されている。
小説に登場する酒井兵庫の人物像は、作家や作品によって区々だが、本作では純朴な性格に描かれている。
人の死に慣れることなく、納得のいかない気持ちを鬱積させていく心模様は、苦しく痛ましい。
そして、山南の死に関心を示そうとしなかった藤堂平助もまた、心のうちでは深く悔やみ悲しんでいた。
親しい者の死が辛いのは、誰しも同じなのだ。
「家路」
山崎丞は、池田屋事件に際して、反幕浪士らの会合場所を懸命に探索する。
しかし、事前に探し当てることができなかった。もしも早く情報をつかんでいたら、味方にも敵方にもあれほどの死傷者を出さずにすんだ――その後悔の念から、監察方に抜擢された丞は、任務にいっそう励む。
時に内部の非をも暴く監察方は、同志から忌み嫌われもしたが、だからといってなおざりにはできなかった。
やがて伊東甲子太郎が新選組から分離脱退した時、その動向を探るよう指令が下る。
今度こそ憂うべき事態を回避したいと努力する丞だが、その思いは再び挫かれ……
本作の山崎丞は、大坂で鍼医をしていた父を手伝い、父の死後に京へ上って新選組に加盟した。
弟の新次郎もいっしょに上京したが、新選組には加盟せず、永井尚志の家臣になったとある。
また、屯所の外に別宅を持ち、そこに妻の琴尾を住まわせている。
(※山崎丞のプロフィールは、島津隆子『新選組密偵 山崎烝』を参照のこと)
山崎丞が監察方の任務にひたすら打ち込む姿と並行して、原田左之助との関係が描かれる。
取り立てて親しいわけではないが、読めない行動をする原田を、烝はなんとなく放っておけない。
妻子の待つ家に帰ることができず、逡巡する原田に投げかけた励ましの言葉が、胸に快い。
「姿絵」
武州多摩は八王子千人同心の家に生まれ、天然理心流を学んでいた中島登。
近藤勇の奉納試合を見て、その気組みに惚れ込み、日野の佐藤道場へ通うようになる。
やがて近藤らが京へ上ったのを羨ましく思っていた登は、元治元年、江戸での隊士募集に応じた。
面接した近藤は、京へ連れていく代わりに、関東探索の任務を提案する。これを引き受けた登は、広く不審人物の動静などを探り、画を交えた報告書を認めては近藤へ送り続けた。
鳥羽伏見戦後、新選組が江戸へ帰還し、登は晴れて本隊に合流する。新参同様ながら、隊への帰属意識は高い。北関東から会津へと転戦するうち、近藤の死によって目標を見失った時期もあったものの、最後まで新選組に残ると決意する。
しかし、人生の情熱すべてを賭けた新選組隊士としての日々は、箱館で終焉を迎えるのだった。
降伏後に囚われの身となりながらも、登は仲間たちが生きた証を残したいと、肖像画を描く。
中島登は、戊辰戦争後も生きのびた隊士のひとりであり、同志たちの肖像画「戦友姿絵」や手記「中島登覚書」を残したことで知られる。また、正式入隊の前は関東で探索に携わったと言われるが、具体的にどのような活動をしていたのかわかっていない。
本作は、これらに基づき、中島登の人生と「戦友姿絵」作成に至った経緯を描いている。
登と斎藤一との関係が面白い。
会津では、土方の代わりに斎藤が新選組隊長に就任し、登は隊長付き筆頭に抜擢される。
ところが、斎藤は黙って単独行動をとることが多い。おかげでさんざん苦労させられる登だが、ともに死線をくぐりぬけて戦い続けるうち、少しずつ心が通いあっていく。
次第に戦局が厳しくなり、会津に残るか仙台へ行くか迷う登に、斎藤が告げた決別の言葉が深い。
作中、登は島田魁や相馬主計の絵姿も描いている。
今日伝わっている「戦友姿絵」に彼らをモチーフとした絵は存在しないが、仮に存在したとして、それらがどうなったか想像させる筋立てが巧い。
登と長男・歌吉(登市郎)との父子関係も、心に残る。
長く生き別れとなっていた後、絆を取り戻すきっかけとなったのは、やはり登の描く絵だった。
「夢鬼」(文庫版のみ収録)
他の収録作にも登場した隊士・瀬川の主観で描かれる。
戦死した瀬川は、ふと気づけば幽霊と化していた。
誰にも見えない存在として、主立った隊士たちについていき、彼らと新選組の行く末を見届ける。
ところが、長い旅路の果てに見たものは――
「信心」「夢告げ」の番外編ともいえる掌編。
---
いずれの作品も、新選組の興亡を段取り的に追うのではなく、登場人物の心理や人間関係を活写している。
哀感がベースにあるけれども、感傷過多に陥ってはいない。
さらに、主人公たちの目から見た近藤や土方など幹部隊士の人柄も、注目どころと言える。
書名『夢の燈影』は、新選組という夢の輝きと、それを心に抱き続けた主人公たちの生き方をイメージさせる。
また、灯りが創り出す光と影の中に多彩な人間模様が浮かび上がるとも感じられ、内容に相応しいと思った。
収録作品の初出は、講談社刊『小説現代』の下記各号。
「信心」(「小言頼み」改題) …2014年6月号
「夢告げ」 …2013年5月号
「流れ木」 …2013年9月号
「寄越人」 …2013年12月号
「家路」 …2014年2月号
「姿絵」 …2014年4月号
「夢鬼」 …文庫版書き下ろし
単行本『夢の燈影』は、2014年9月、講談社より刊行された。
文庫版『夢の燈影 新選組無名録』は、2016年9月、講談社より出版。
文庫版には、書き下ろし短編「夢鬼」が追加収録されている。
作者の著書は、それまで文庫書き下ろしが主体であり、単行本は本書が初という。
新選組が登場する作品としては、他に『蘭学塾幻幽堂青春記』シリーズ(ハルキ文庫)がある。
作家としては若手と思われ、今後いっそうの活躍を期待したい。
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木内昇『新選組 幕末の青嵐』
長編小説。タイトル読みは「しんせんぐみ ばくまつのせいらん」。
新選組の草創から終焉を、主な隊士や関係人物ら多数の視点から描き出す。
ストーリーは在京期に重点を置いている。
主な登場人物は実在した人物、出来事はほぼ史実のとおりと、オーソドックスな新選組小説。
余分なものを足したり、必要なものを省いたりせず、基本に忠実かつ丁寧に構築されている。
これから新選組小説をいろいろと読んでみようという向き、荒唐無稽なトンデモ設定やどぎついエログロ描写は要らないという向きにも、安心してオススメできる秀作。
内容の特徴を知るには目次を見るのが最適と思われるので、以下に引用してみた。
遠景の光
足下の薄氷
烟月の夜
覇者の風招き
一筋の露
洛陽の嵐
記憶
文体は一貫して三人称ながら、目次のとおり時々の局面をそれぞれの人物の主観で描いている。
こうした手法は、作者の専売特許というわけではなく、多くの作家に用いられてきた。
ただ、主観人物と視点変更がこれほど多く、しかも長編小説ながら一編ごとに明確な区切りをつけた作品は、あまり類がないと思う。
これを読みにくいと思う読者もいるかもしれないが、当方は群像劇として面白く読めた。
新選組を題材に話を作る時、苦心する点のひとつは人物の描き分けだと思う。
フィクションは、それぞれの個性がはっきりしなければ面白くない。しかし、試衛館一党だけでも8~9人いるところへ、芹沢派、伊東派、そのほか隊士や関係人物の多数が入れ代わり立ち替わり登場するとなると、描き分けにはなかなか工夫を要する。
本作は、それぞれの人物の性格や考え方などの内面と、それがどのような言動となって現れるかという外面、双方合わせた個性をよく描き分けている、と感じた。
脇役人物については類型的なところもあるが、中心人物はなかなか掘り下げられている。
主要人物のそれぞれは、仲間内で、属する組織の中で、そして目まぐるしく変化していく大きな社会の中で、おのれが何を拠り所に生きていくのかを模索している。その内省的な心情が、わかりやすく丁寧に描写されている。
彼らの価値観はかなり現代的と感じる。「当時の人はこのように考えるだろうか」と多少疑問を覚える面もあるのだが、一方で「昔も今も人の考えはそう変わらないだろうな」とも思える。一種絶妙のバランスと言えるかもしれない。
作者は時代小説を書くことを、雑誌インタビューにて以下のように語っている。
一本調子になってしまうと、それこそ過去のことで、関係ないやという意識でとられてしまうかもしれないですが、多角的に描いていくことで、自分の身にも起こりうるかもとか、生々しく書くことでちょっと自分の身に振り返って感じられるというのがおもしろいと思っています。
自分の書いたものが「昔のお話」という感じで読まれてしまうのが一番こわいんですね。
つまり、本作を書くに当たって、いわゆる「歴史上の英雄ではない等身大の青春群像」を描きたい、現代の読者にも新選組の面々を身近な存在と感じて欲しい、という意図があったのだろう。
その試みは成功している、と思う。
世間の価値観にとらわれることなく理想の実現に熱意を傾ける土方歳三、理想と現実との乖離に悩み疲れていく山南敬助など、我々の周囲にもいそうな人物と思えてくる。
近藤勇が純朴過ぎておバカなところは、司馬遼太郎の影響ではないかと感じた。雑誌インタビューによると、やはり作者は司馬作品が好きだそうだ。
土方や沖田の描写も、いくらか司馬的なものを感じさせる。
他の試衛館派の中で、特に永倉新八の造形――いつも冷静で、自分自身を「普通の人間」と捉えているなど――には作者なりの独自性が感じられ、興味深く思えた。
人物同士の相互関係や、他者を見る目線(人物評)も面白い。
井上源三郎が土方歳三を理解し、口には出さずとも様々に気遣っているところは、心温まる。
沖田総司は、天才すぎて理解されにくいというか、誰からも「わけのわからないことばかり言う奴」とみなされているものの、本人は全然気にしていないところがユーモラス。
藤堂平助が、近藤・土方らに反発して隊を離れ、斎藤一の忠告にも耳を貸さなかったけれども、彼らの真意を知った時にはすでに遅く……という場面は、切ない。
序盤と中盤に登場した佐藤彦五郎が最後にも登場し、在りし日の近藤や沖田、そして義弟・歳三の姿を思い出す場面は、哀しくも懐かしさ愛おしさに満ちている。
「青嵐」という言葉の意味を調べると、「1.青々とした山の気。 2.青葉のころに吹きわたる風。あおあらし」と説明されている。
新選組という組織を、ひいては幕末という時代を牽引したのは若者達のエネルギーであり、それらが激しく、時にはぶつかり合いながら駆け抜けていったことを感じさせる、相応しいタイトルと思えた。
本作は、作者の小説家デビュー第一作と聞く。
デビュー作でこれだけ書けるなら、もっとオリジナリティを盛り込んだものも上手いだろう。
多くの作家が描いてきて半ば定説化しているような事柄から一歩抜け出して、それでいて荒唐無稽なトンデモ話に陥らない作品を、作者には書けるはずだし、書いてもらいたいと思った。
新選組を題材とした小説は、本作と翌年発表の『地虫鳴く』との2作だけらしいが、今後に期待したい。
2004年、アスコムより単行本が出版。
2009年、集英社文庫版が刊行された。

新選組の草創から終焉を、主な隊士や関係人物ら多数の視点から描き出す。
ストーリーは在京期に重点を置いている。
主な登場人物は実在した人物、出来事はほぼ史実のとおりと、オーソドックスな新選組小説。
余分なものを足したり、必要なものを省いたりせず、基本に忠実かつ丁寧に構築されている。
これから新選組小説をいろいろと読んでみようという向き、荒唐無稽なトンデモ設定やどぎついエログロ描写は要らないという向きにも、安心してオススメできる秀作。
内容の特徴を知るには目次を見るのが最適と思われるので、以下に引用してみた。
遠景の光
暗闇 土方歳三
武州 佐藤彦五郎
試衛館 沖田総司
策謀 清川八郎
浪士組 近藤勇
今の若い者は 鵜殿鳩翁
京 山南敬助
裏切り 土方歳三
離脱 近藤勇
組織と個人と 山岡鉄太郎
武州 佐藤彦五郎
試衛館 沖田総司
策謀 清川八郎
浪士組 近藤勇
今の若い者は 鵜殿鳩翁
京 山南敬助
裏切り 土方歳三
離脱 近藤勇
組織と個人と 山岡鉄太郎
足下の薄氷
壬生浪士組 芹沢鴨
恍惚 斎藤一
局中法度 井上源三郎
回り道 永倉新八
八月十八日の政変 原田左之助
粛清 近藤勇
切腹 土方歳三
学問と修行と 山南敬助
恍惚 斎藤一
局中法度 井上源三郎
回り道 永倉新八
八月十八日の政変 原田左之助
粛清 近藤勇
切腹 土方歳三
学問と修行と 山南敬助
烟月の夜
蠕動 永倉新八
大きなもの 沖田総司
長州間者 斎藤一
盟友 佐藤彦五郎
停滞 近藤勇
覚悟 井上源三郎
桝屋 武田観柳斎
煙草盆 山南敬助
池田屋 藤堂平助
血 土方歳三
大きなもの 沖田総司
長州間者 斎藤一
盟友 佐藤彦五郎
停滞 近藤勇
覚悟 井上源三郎
桝屋 武田観柳斎
煙草盆 山南敬助
池田屋 藤堂平助
血 土方歳三
覇者の風招き
英雄 原田左之助
武士 土方歳三
帰還 近藤勇
再起 山南敬助
脱走 沖田総司
ほころび 土方歳三
武士 土方歳三
帰還 近藤勇
再起 山南敬助
脱走 沖田総司
ほころび 土方歳三
一筋の露
焦燥 藤堂平助
勤王 伊東甲子太郎
密偵 斎藤一
大政奉還 井上源三郎
坂本龍馬 藤堂平助
油小路 永倉新八
王政復古 井上源三郎
勤王 伊東甲子太郎
密偵 斎藤一
大政奉還 井上源三郎
坂本龍馬 藤堂平助
油小路 永倉新八
王政復古 井上源三郎
洛陽の嵐
鳥羽伏見 土方歳三
記憶
文体は一貫して三人称ながら、目次のとおり時々の局面をそれぞれの人物の主観で描いている。
こうした手法は、作者の専売特許というわけではなく、多くの作家に用いられてきた。
ただ、主観人物と視点変更がこれほど多く、しかも長編小説ながら一編ごとに明確な区切りをつけた作品は、あまり類がないと思う。
これを読みにくいと思う読者もいるかもしれないが、当方は群像劇として面白く読めた。
新選組を題材に話を作る時、苦心する点のひとつは人物の描き分けだと思う。
フィクションは、それぞれの個性がはっきりしなければ面白くない。しかし、試衛館一党だけでも8~9人いるところへ、芹沢派、伊東派、そのほか隊士や関係人物の多数が入れ代わり立ち替わり登場するとなると、描き分けにはなかなか工夫を要する。
本作は、それぞれの人物の性格や考え方などの内面と、それがどのような言動となって現れるかという外面、双方合わせた個性をよく描き分けている、と感じた。
脇役人物については類型的なところもあるが、中心人物はなかなか掘り下げられている。
主要人物のそれぞれは、仲間内で、属する組織の中で、そして目まぐるしく変化していく大きな社会の中で、おのれが何を拠り所に生きていくのかを模索している。その内省的な心情が、わかりやすく丁寧に描写されている。
彼らの価値観はかなり現代的と感じる。「当時の人はこのように考えるだろうか」と多少疑問を覚える面もあるのだが、一方で「昔も今も人の考えはそう変わらないだろうな」とも思える。一種絶妙のバランスと言えるかもしれない。
作者は時代小説を書くことを、雑誌インタビューにて以下のように語っている。
一本調子になってしまうと、それこそ過去のことで、関係ないやという意識でとられてしまうかもしれないですが、多角的に描いていくことで、自分の身にも起こりうるかもとか、生々しく書くことでちょっと自分の身に振り返って感じられるというのがおもしろいと思っています。
自分の書いたものが「昔のお話」という感じで読まれてしまうのが一番こわいんですね。
――「いま、新選組を描くということ」(『歴史読本』2012年9月号掲載)より
つまり、本作を書くに当たって、いわゆる「歴史上の英雄ではない等身大の青春群像」を描きたい、現代の読者にも新選組の面々を身近な存在と感じて欲しい、という意図があったのだろう。
その試みは成功している、と思う。
世間の価値観にとらわれることなく理想の実現に熱意を傾ける土方歳三、理想と現実との乖離に悩み疲れていく山南敬助など、我々の周囲にもいそうな人物と思えてくる。
近藤勇が純朴過ぎておバカなところは、司馬遼太郎の影響ではないかと感じた。雑誌インタビューによると、やはり作者は司馬作品が好きだそうだ。
土方や沖田の描写も、いくらか司馬的なものを感じさせる。
他の試衛館派の中で、特に永倉新八の造形――いつも冷静で、自分自身を「普通の人間」と捉えているなど――には作者なりの独自性が感じられ、興味深く思えた。
人物同士の相互関係や、他者を見る目線(人物評)も面白い。
井上源三郎が土方歳三を理解し、口には出さずとも様々に気遣っているところは、心温まる。
沖田総司は、天才すぎて理解されにくいというか、誰からも「わけのわからないことばかり言う奴」とみなされているものの、本人は全然気にしていないところがユーモラス。
藤堂平助が、近藤・土方らに反発して隊を離れ、斎藤一の忠告にも耳を貸さなかったけれども、彼らの真意を知った時にはすでに遅く……という場面は、切ない。
序盤と中盤に登場した佐藤彦五郎が最後にも登場し、在りし日の近藤や沖田、そして義弟・歳三の姿を思い出す場面は、哀しくも懐かしさ愛おしさに満ちている。
「青嵐」という言葉の意味を調べると、「1.青々とした山の気。 2.青葉のころに吹きわたる風。あおあらし」と説明されている。
新選組という組織を、ひいては幕末という時代を牽引したのは若者達のエネルギーであり、それらが激しく、時にはぶつかり合いながら駆け抜けていったことを感じさせる、相応しいタイトルと思えた。
本作は、作者の小説家デビュー第一作と聞く。
デビュー作でこれだけ書けるなら、もっとオリジナリティを盛り込んだものも上手いだろう。
多くの作家が描いてきて半ば定説化しているような事柄から一歩抜け出して、それでいて荒唐無稽なトンデモ話に陥らない作品を、作者には書けるはずだし、書いてもらいたいと思った。
新選組を題材とした小説は、本作と翌年発表の『地虫鳴く』との2作だけらしいが、今後に期待したい。
2004年、アスコムより単行本が出版。
2009年、集英社文庫版が刊行された。
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戸部新十郎『総司残英抄』
短編小説集。京洛を舞台に、沖田総司の活躍と、彼をめぐる様々な人間模様とを描く、連作7編。
「大望の身」 人が好く、真面目で世話好きな井上源三郎と、三浦啓之助との対決。
面倒見の好い井上は、父・佐久間象山の仇を討つため入隊した三浦啓之助(=佐久間恪二郎)にも、何かと目をかけてやる。しかし、三浦はわがまま粗暴な振る舞いに走る。
一方、平隊士・赤松貫之助は、不逞浪士に殺害された同僚の仇を討ちたいと願っていた。
同じ仇持ちの身であることから、三浦と赤松は何かにつけ比較される。
その赤松が、突然行方不明となった。
後日、井上は思いがけず、失踪の真相を知る。
「木娘」 所司代の密偵・藤兵衛の、娘への愛情を、総司が目撃する。
藤兵衛は、密偵として働く一方、父子の名乗りができない娘おしげを見守っていた。
おしげは勤王浪士・白鳥兵庫と恋仲になっており、藤兵衛は白鳥の情報を報告したものかどうか悩む。
総司は、藤兵衛の思いを知りつつも、見廻組隊士を殺害した白鳥を見逃すわけにはいかないと考える。
そして、白鳥の隠れ家を発見した山崎烝と共に、その家へ向かう。
「郷愿(きょうげん)」 多摩からやってきた若者達によって、不逞浪士の隠れ家が判明する顛末。
多摩の門人・次助と藤五郎が入隊を志願して訪れるが、土方歳三は許可しない。
総司と井上源三郎は、二人に京見物をさせて帰そうと計らう。
呑気に出歩く二人は、郊外の庭にある菊の鉢に見入り、その家の主と菊作りについて話し込む。
二人の帰郷後、山崎烝の報告によって、総司は探索方とその家を急襲する。
ちなみに「郷愿」とは、善良を装って郷党の人気を得ようとする小人・俗物、の意味。
「流亡」 阿波名産のスダチを鍵として、内通者の粛清劇を描く。
隊士・針山登に不審ありと聞かされる総司だが、本人から故郷の思い出話などを聞き、とてもそのようには思えない。むしろ好ましい人物とさえ感じた。
ある夜、島原に松井竜三郎が現れる。松井は、かつて新選組に潜入、逃亡した間者だった。
土方に命令され、総司は前野五郎とともに松井を追ったものの、見失ってしまう。
土方は、輪違屋の男衆・多作が、松井を逃がしたのではと疑う。
「美人画」 新選組隊士を襲う謎の刺客と、愚直な隊士・小沼貫助との死闘。
故郷の妻を偲んで、常に似顔絵を携帯する小沼。
刺客と思しき不審者の追跡中、見張りを命じられたにも拘わらず、絵に見入って気づかないばかりか、ミスしたという自覚すらない。
ある日、謎の刺客が潜むという家へ、総司らが斬り込むことになり、小沼も従う。
しかし、その家の中に、刺客の姿は見えなかった。
やむなく引き揚げようとした時、小沼が落とし物に気づいて引き返す。
「京の夢」 隊中美男五人衆の一人、山野八十八の生涯。
色白の愛くるしい顔立ちに似合わず、山野は剣もよく遣う。
総司に命じられ島原の酒亭を内偵中、3人の浪士に襲われた時も、臆せず戦った。
この時、加勢に駆けつけた総司が、主犯を取り逃がす。
翌年、たまたま出会った旅人を道案内した総司は、不審な宿屋を発見し、山野と出かける。
「病葉」 総司の医者通いと、内通者の粛清劇を描く。
病状が進んだ総司は、周囲への配慮から、清水の近くに開業する町医者・高原園斎に通う。
園斎の弟子・長尾至は、学問のため入門し、不承不承に医業を手伝っていた。
総司は、園斎から儒学の講義を受け、至と話し、至の下宿先の父娘が営む掛け茶屋で甘酒を味わう一時に、楽しみと安らぎを感じる。
一方、大石鍬次郎は、平隊士・津雲成助が高台寺近辺に出没することを掴んでいた。
そして、至が下宿で何者かに襲われ、新品の羽織を奪われるという事件が起こる。
いずれの話も、何気ない出来事から事件へ発展していく筋立てが、非常に巧みである。
心理描写も深い観察眼と洞察力に支えられており、作者の優れた力量を感じさせる。
沖田総司は、前作『総司はひとり』と同様に独立独歩、我が道を行く風情だが、本作では冗談を言ったりふざけたりする場面が多く、だいぶ明るい印象である。
部下の面倒を見るなど新選組幹部としての気遣いも増えて、人間関係がより面白くなった。
鷹揚で少々ピントの外れた近藤勇、皆に恐れられながら総司にはいなされてしまう土方歳三、世話焼きの井上源三郎、有能で気の利く山崎烝、有能でも気の利かない大石鍬次郎、総司を尊敬する真面目な山野八十八など、脇役の人物像も生き生きと描かれる。
会話に味わいがあり、さりげない言葉の端々に寓意やユーモアが込められている。
タイトルの「ざんえい」は、一般的には「残映」「残影」が使われるだろうが、作者は見てのとおり「残英」の字を当てている。
漢和辞典によると、「英」には「美しい花」「すぐれた者」の意味がある。
沖田総司をそのような人物と擬え、彼への愛惜を表した言葉が「残英」なのだろう、と想像した。
青樹社の単行本(1978)、河出文庫(1985)、徳間文庫(1990)、中公文庫(2003)が出版されている。
電子書籍もある様子。

「大望の身」 人が好く、真面目で世話好きな井上源三郎と、三浦啓之助との対決。
面倒見の好い井上は、父・佐久間象山の仇を討つため入隊した三浦啓之助(=佐久間恪二郎)にも、何かと目をかけてやる。しかし、三浦はわがまま粗暴な振る舞いに走る。
一方、平隊士・赤松貫之助は、不逞浪士に殺害された同僚の仇を討ちたいと願っていた。
同じ仇持ちの身であることから、三浦と赤松は何かにつけ比較される。
その赤松が、突然行方不明となった。
後日、井上は思いがけず、失踪の真相を知る。
「木娘」 所司代の密偵・藤兵衛の、娘への愛情を、総司が目撃する。
藤兵衛は、密偵として働く一方、父子の名乗りができない娘おしげを見守っていた。
おしげは勤王浪士・白鳥兵庫と恋仲になっており、藤兵衛は白鳥の情報を報告したものかどうか悩む。
総司は、藤兵衛の思いを知りつつも、見廻組隊士を殺害した白鳥を見逃すわけにはいかないと考える。
そして、白鳥の隠れ家を発見した山崎烝と共に、その家へ向かう。
「郷愿(きょうげん)」 多摩からやってきた若者達によって、不逞浪士の隠れ家が判明する顛末。
多摩の門人・次助と藤五郎が入隊を志願して訪れるが、土方歳三は許可しない。
総司と井上源三郎は、二人に京見物をさせて帰そうと計らう。
呑気に出歩く二人は、郊外の庭にある菊の鉢に見入り、その家の主と菊作りについて話し込む。
二人の帰郷後、山崎烝の報告によって、総司は探索方とその家を急襲する。
ちなみに「郷愿」とは、善良を装って郷党の人気を得ようとする小人・俗物、の意味。
「流亡」 阿波名産のスダチを鍵として、内通者の粛清劇を描く。
隊士・針山登に不審ありと聞かされる総司だが、本人から故郷の思い出話などを聞き、とてもそのようには思えない。むしろ好ましい人物とさえ感じた。
ある夜、島原に松井竜三郎が現れる。松井は、かつて新選組に潜入、逃亡した間者だった。
土方に命令され、総司は前野五郎とともに松井を追ったものの、見失ってしまう。
土方は、輪違屋の男衆・多作が、松井を逃がしたのではと疑う。
「美人画」 新選組隊士を襲う謎の刺客と、愚直な隊士・小沼貫助との死闘。
故郷の妻を偲んで、常に似顔絵を携帯する小沼。
刺客と思しき不審者の追跡中、見張りを命じられたにも拘わらず、絵に見入って気づかないばかりか、ミスしたという自覚すらない。
ある日、謎の刺客が潜むという家へ、総司らが斬り込むことになり、小沼も従う。
しかし、その家の中に、刺客の姿は見えなかった。
やむなく引き揚げようとした時、小沼が落とし物に気づいて引き返す。
「京の夢」 隊中美男五人衆の一人、山野八十八の生涯。
色白の愛くるしい顔立ちに似合わず、山野は剣もよく遣う。
総司に命じられ島原の酒亭を内偵中、3人の浪士に襲われた時も、臆せず戦った。
この時、加勢に駆けつけた総司が、主犯を取り逃がす。
翌年、たまたま出会った旅人を道案内した総司は、不審な宿屋を発見し、山野と出かける。
「病葉」 総司の医者通いと、内通者の粛清劇を描く。
病状が進んだ総司は、周囲への配慮から、清水の近くに開業する町医者・高原園斎に通う。
園斎の弟子・長尾至は、学問のため入門し、不承不承に医業を手伝っていた。
総司は、園斎から儒学の講義を受け、至と話し、至の下宿先の父娘が営む掛け茶屋で甘酒を味わう一時に、楽しみと安らぎを感じる。
一方、大石鍬次郎は、平隊士・津雲成助が高台寺近辺に出没することを掴んでいた。
そして、至が下宿で何者かに襲われ、新品の羽織を奪われるという事件が起こる。
いずれの話も、何気ない出来事から事件へ発展していく筋立てが、非常に巧みである。
心理描写も深い観察眼と洞察力に支えられており、作者の優れた力量を感じさせる。
沖田総司は、前作『総司はひとり』と同様に独立独歩、我が道を行く風情だが、本作では冗談を言ったりふざけたりする場面が多く、だいぶ明るい印象である。
部下の面倒を見るなど新選組幹部としての気遣いも増えて、人間関係がより面白くなった。
鷹揚で少々ピントの外れた近藤勇、皆に恐れられながら総司にはいなされてしまう土方歳三、世話焼きの井上源三郎、有能で気の利く山崎烝、有能でも気の利かない大石鍬次郎、総司を尊敬する真面目な山野八十八など、脇役の人物像も生き生きと描かれる。
会話に味わいがあり、さりげない言葉の端々に寓意やユーモアが込められている。
タイトルの「ざんえい」は、一般的には「残映」「残影」が使われるだろうが、作者は見てのとおり「残英」の字を当てている。
漢和辞典によると、「英」には「美しい花」「すぐれた者」の意味がある。
沖田総司をそのような人物と擬え、彼への愛惜を表した言葉が「残英」なのだろう、と想像した。
青樹社の単行本(1978)、河出文庫(1985)、徳間文庫(1990)、中公文庫(2003)が出版されている。
電子書籍もある様子。
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