葉室麟『影踏み鬼』
長編小説。副題『新撰組篠原泰之進日録(しんせんぐみ しのはらたいのしんにちろく)』。
篠原泰之進が新撰組に加盟、脱退して維新後まで生きのびた経緯と、妻子との絆を描く。
映画「蜩ノ記」、NHK時代ドラマ「風の峠 ~銀漢の賦~」の原作小説を書いた葉室麟が、新撰組を題材とする作品を発表していたと知り、気になったので読んでみた。
単行本の出版当時、作者のインタビュー記事(「本の話WEB」掲載「自分の普通を貫いて生きられるやつは格好いい」)が発表された。
この記事中、作者は自身の新撰組体験について、子母澤寛『新選組始末記』と司馬遼太郎『新選組血風録』に少なからぬ影響を受けたと語っている。
また、本作を執筆した理由について、『新選組血風録』中「油小路の決闘」に登場する篠原泰之進が印象的だったこと、「東国人の集まり」というイメージが強い新撰組にも九州出身の隊士がおり、「西南の新撰組」を書いてみたかったこと、を挙げている。
---
篠原泰之進は、実在の新撰組隊士であり、経歴が比較的よく伝わっている。
本人記録「秦林親日記」や「史談会速記録」の証言、後世の研究により判明している事柄を、ごく大まかにまとめると以下のとおりである。
◆文政11年(1828)10月10日、筑後国生葉郡高見村に生まれる。父は篠原元助、石工業。母はタキ。
青年時代は、久留米藩士に武家奉公しながら、剣術や柔術など武芸を学んだ様子。
◆安政5年(1858)、主の久留米藩家老・有馬右近の江戸出府にしたがい、赤羽の江戸藩邸に入る。
2年後に有馬家を脱して水戸へ赴き、翌年に江戸へ戻り柔術道場で修業する。
やがて京坂へ上って尊攘派志士と交流、さらに関東、奥羽、越後などを広く遊歴。
◆文久3年(1863)、神奈川奉行所に雇われ、横浜の外国人居留地の警備につく。
この頃、服部武雄、加納鷲雄、佐野七五三之助らと親しくなり、加納の紹介で伊東甲子太郎と知りあう。
同年10月、運上所に乱入したイギリス人3人を縛り上げ路上に放置し、追及される身となって江戸に潜伏。
◆元治元年(1864)10月、伊東らとともに新選組入隊のため京へ上る。
しかし、翌年5月まで所用のためとして、単身大坂に滞在。理由は不明。
◆慶応元年(1865)7月頃の隊士名簿によると、諸士調役並監察、柔術師範の役につく。
同月、伊東甲子太郎、富山弥兵衛、茨木司、久米部正親とともに大和へ出張。不審な浪士らと戦って撃退。
10月頃、幕府に捕えられていた元奇兵隊総督・赤根武人、久留米の志士・淵上郁太郎の放免に関わる。
◆慶応2年(1866)1月、近藤勇の安芸出張に、伊東、尾形俊太郎らと同行。
9~10月、新撰組の三井両替店への申し入れに際し、三木三郎と組んで近藤らを説得し、断念させる。
これにより三井から礼金を受け取るも、12月になってさらに金銭を要求した。
◆慶応3年(1867)3月、御陵衛士の同志らとともに新選組から分離脱退。
11月18日、油小路の変にて新選組との乱闘から脱出、薩摩藩にかくまわれる。
12月18日、伏見墨染にて、阿部十郎、加納、富山らとともに近藤勇を要撃。
◆慶応4年(1868)、薩摩軍として戊辰戦争に参戦。赤報隊の「偽官軍事件」に巻き込まれ一時入獄。
出獄後は越後方面で戦い、戦功をあげる。維新後は「秦林親(はたしげちか)」を名乗った。
警察官や大蔵省造幣寮の監察役を経て、民間の実業家へ転身。晩年クリスチャンとなる。
◆妻の萩野との間に、男児庄太郎(文久3年生まれ)がいた。
慶応4年2月頃までは荻野の存在が示されるも、それ以降の消息は庄太郎とともに不明。
◆明治3年(1870)1月、西本願寺内蓮城院東坊の住職・佐々木信瑞の長女チマ(当時16歳)と結婚する。
チマとの間には、明治11年に長男泰親、同21年に次男弥三郎が誕生した。
◆明治44年(1911)6月13日、東京青山の弥三郎宅にて84歳で没す。
---
本作は、こうした実際の経歴に概ね沿ったストーリーとなっている。
作者のオリジナリティを感じさせる要素として、以下【その1】~【その7】が印象に残った。
【その1】篠原泰之進の人物造形。
弱い者を庇おうとする人情や正義感の持ち主。
感情面の安定した常識人。他人から何を言われても、柔術のワザのように巧みにいなすことができる。
自信はあるが、かといって攻撃的でも尊大でもなく、常に立場を弁えて行動する。
柔術や剣術に長けているのみならず、頭脳明晰で、伊東甲子太郎の右腕として各種の交渉もこなす。
観察眼が鋭く、たとえば御陵衛士に加わった斎藤一が間者であることも、すぐさま見抜く。
主人公なので、読者が共感できる好人物に描かれるのは当然だろう。
ただ、実際に泰之進と親しかった西村兼文は、『新撰組始末記』に「過激人」と記している。
新撰組隊士の中でもそう特記されるくらいだから、思想や行動に突出した何かがあったのではなかろうか。
【その2】泰之進が上京後、大坂に滞在した理由。
盟友の酒井伝次郎が斬られたという三条新地の牢屋敷を見にいって、萩野と松之助の母子に偶然出会う。
夫を亡くした荻野に同情し、母子を大坂の知人宅まで送り届け、危機に巻き込まれかけたところを救う。
そのまま半年ほど家族のように暮らした。
泰之進にとって、荻野と松之助の存在が生き甲斐となっていく。
彼が志士として活動しつつ、混迷の中でも自己を保っていけたのは、守りたいものがあったゆえ。
少々付け加えると、酒井伝次郎は実在の久留米藩士。江戸藩邸で泰之進と親しくなった。
万延元年に帰国。文久2年、寺田屋事件に関与して強制送還される。
翌3年、天誅組の大和挙兵に参加して捕えられ、京都の獄で元治元年2月16日に処刑された。享年27。
【その3】新撰組という組織の実態や内情。
新撰組が会津藩に重宝される理由は、市中取り締まりのほか、豪商からの資金調達も果たしているから。
近藤勇は自己の栄達を夢見ているらしく、新撰組はすでに「同志集団」ではなく「近藤とその家来」「近藤の野望を果たすための道具」と化している。
隊士の多くはそうした新撰組の在り方に失望し、松原忠司は現状を嘆きつつ亡くなる。
伊東派の面々も、入隊してみたものの期待が外れた。試衛館派だった藤堂平助も、近藤への反感を露わにする。
伊東甲子太郎は近藤を「利害優先で人の気持ちを考えない」「武士の心を解さない百姓あがりの野人」とみなす。
【その4】土方歳三との確執。
伊東派の入隊を、土方は当初から快く思っていない様子。
泰之進に対しては、伊東を支えるその有能さゆえに、特に油断ならない相手とみなしている。
露骨な敵意を向け、常に監視しつつ心理的プレッシャーをかける。
近藤・土方を悪者にしておけば、読者は主人公の泰之進に感情移入しやすいだろう。
それにしても、土方が初対面から「粛清してやる」気満々なので、つい笑ってしまった。
こんな扱いを受けたら、事情はどうあれ入隊を辞退して帰ってもよいと思う。
新撰組と御陵衛士とは、いずれ衝突を避けられない剣呑な関係と描写される。
ただ、そのわりに分離後も双方の行き来が続いているのは、不思議な感じがした。
分離前からこれほど不和が露呈していては、表向き協力関係を標榜しても、意味を成さないかも。
両者の対立を見れば、「最初からその芽があった」と類推しやすいのはわかる。
しかし実際、泰之進も含め伊東派の多くは、新撰組に入隊して重要な役職に任じられた。
ということは、少なくとも当初は歓迎され、良好な関係だったのではなかろうか。
たとえ悪感情を持たなかったとしても敵対関係に至ってしまうのが、幕末という時代の混沌であり、予測不能な人の運命であると思う。
前出インタビュー記事によると、作者は新撰組を「実態はかなり凄惨な組織」と捉え、全共闘世代に近い立場として「連合赤軍のような内部粛清をする組織の恐ろしさ」をイメージしているとか。
「現代では新撰組は女性に人気があるが、本来は女性に好まれるようなものではないと思う」「良いイメージで捉えられることに違和感がある」といった旨も語っている。
新撰組をその手の過激派に準えるのは、同世代かそれ以上の作家にしばしば見かける傾向なので、やっぱりこの作者もそうなのかと思った。【その3】【その4】も、その反映と感じられる。
ただ、この陰険で殺伐とした描かれ方も、主人公に降りかかる試練(ストーリー上の仕掛け)と思えば面白い。
【その5】斎藤一の人物造形。
本作の斎藤は、つかみどころのない自由奔放な人柄。
近藤・土方から泰之進を斬るよう命じられ、それを隠そうともせず彼につきまとう。
かと思うと、重要な情報を教えたり、新撰組への背任にあたりそうな行動をとってまで助けたりする。
谷三十郎の頓死、武田観柳斎の粛清にも、泰之進と斎藤との駆け引きが大きく関わっている。
泰之進と斎藤は、敵とも味方とも言い難い、不思議な関係にある。
組織の中にあっても自己の価値観を優先し行動するところは、よく似ている。互いに陰画と陽画のような存在。
【その6】油小路の変の描写。
伊東横死の知らせが届き、泰之進は遺骸収容を同志らに呼びかける。
新撰組の待ち伏せがあることは、当然予測している。
服部武雄が鎖帷子の着用を提案するが、泰之進が「死んだ後に見られては命を惜しんだようで見苦しい」と反対したため、全員が着用せずに現場へ行くことになった。
現場では、予測どおり新撰組との乱闘になる。
服部が、鎖を着込んだ原田左之助を「さほどに命が惜しいか」と嘲笑。原田が逆上する。
泰之進は、近藤がその場にいないと知ると「生きて近藤を討ち、恨みを晴らす」と同志らに退却を指示する。
本作では、御陵衛士が誰も鎖帷子を用いない。
実際には、服部武雄が着ていたと、遺体を目撃した桑名藩士・小山正武が証言している。
このような実戦で装備をできるだけ整えておくのは至極当然であり、別に未練でも卑怯でもない。
服部が踏み止まった者の中で最も長く奮戦したらしいのも、剣技に優れると同時に、装備を疎かにしなかったことが大きな理由だろう。
余談ながら、このあたりの泰之進の言動は、首尾一貫を欠いている。
伊東の後を追って死にたいのか、生きのびて報復したいのか、命が惜しくないのか惜しいのか、どっちなんだ!と問い詰めたくなった。
逆上のあまり正常な思考ができなかった、と解釈すべきだろうか。
【その7】維新後の、萩野と松之助の消息。
チマとの結婚については簡単に触れるのみで、そちらの家庭の描写はほとんどない。
---
本作のタイトル『影踏み鬼』の由来とは――
作中、泰之進が幼い松之助にせがまれ、何度かつきあってやった遊びのひとつである。
また、油小路の変後、復仇のため近藤・土方をどこまでも追うと誓った泰之進が「影を踏まれた者が鬼となり、踏んだ相手を追いかける影踏み鬼に似ている」と心に思う。
さらには、泰之進と萩野ら母子との行き違いを暗喩するような節も感じられた。
長かった影踏み鬼がようやく終わる最後の場面は、静謐のうちにも感動をもたらす。
幕末の「時勢の渦」の中で活躍した英雄たちは、多くが道半ばで命を落とした。
本作の篠原泰之進は、彼ら英雄とは異なる道を歩んだ。
維新後、「わたしは伊東さんが唱えた草莽の大義を生きたかった。だが、いまになってみると、薩長の藩閥政府をつくるために懸命に働いていたようなものだ。ひょっとすると、草莽の大義は近藤や土方に持っていかれたような気もする」と述懐している。
しかし、そうした思いを抱えた泰之進も、終幕には報われたと実感する。
英雄的ではない普通の生き方も、充分価値あるものになりうる、ということだろう。
---
参考として、篠原泰之進が記した「秦林親日記(筑後之住秦林親称泰之進履歴表)」の主な収録書を挙げる。
『維新日乗纂輯』(三) 日本史籍協会 1926 (※出版元・出版年の異なるバージョン複数あり)
『新選組覚え書』 小野圭次郞ほか 新人物往来社 1972
『新選組史料集』 新人物往来社編・発行 1993/1995(コンパクト版) >> 記事を参照する
『新選組史料大全』 菊地明・伊東成郎編 KADOKAWA 2014 >> 記事を参照する
「史談会速記録」については、下記を参照されたい。
>> 山村竜也『新選組証言録』の記事を参照する
他に、詳しい研究書として下記をお薦めする。
>> 市居浩一『高台寺党の人びと』(&『新選組・高台寺党』)の記事を参照する
本作の初出は、『オール讀物』2014年2月号~6月号。
2015年、単行本(四六判ハードカバー)が文藝春秋より刊行された。
2017年、文春文庫版が出版された。


篠原泰之進が新撰組に加盟、脱退して維新後まで生きのびた経緯と、妻子との絆を描く。
映画「蜩ノ記」、NHK時代ドラマ「風の峠 ~銀漢の賦~」の原作小説を書いた葉室麟が、新撰組を題材とする作品を発表していたと知り、気になったので読んでみた。
単行本の出版当時、作者のインタビュー記事(「本の話WEB」掲載「自分の普通を貫いて生きられるやつは格好いい」)が発表された。
この記事中、作者は自身の新撰組体験について、子母澤寛『新選組始末記』と司馬遼太郎『新選組血風録』に少なからぬ影響を受けたと語っている。
また、本作を執筆した理由について、『新選組血風録』中「油小路の決闘」に登場する篠原泰之進が印象的だったこと、「東国人の集まり」というイメージが強い新撰組にも九州出身の隊士がおり、「西南の新撰組」を書いてみたかったこと、を挙げている。
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篠原泰之進は、実在の新撰組隊士であり、経歴が比較的よく伝わっている。
本人記録「秦林親日記」や「史談会速記録」の証言、後世の研究により判明している事柄を、ごく大まかにまとめると以下のとおりである。
◆文政11年(1828)10月10日、筑後国生葉郡高見村に生まれる。父は篠原元助、石工業。母はタキ。
青年時代は、久留米藩士に武家奉公しながら、剣術や柔術など武芸を学んだ様子。
◆安政5年(1858)、主の久留米藩家老・有馬右近の江戸出府にしたがい、赤羽の江戸藩邸に入る。
2年後に有馬家を脱して水戸へ赴き、翌年に江戸へ戻り柔術道場で修業する。
やがて京坂へ上って尊攘派志士と交流、さらに関東、奥羽、越後などを広く遊歴。
◆文久3年(1863)、神奈川奉行所に雇われ、横浜の外国人居留地の警備につく。
この頃、服部武雄、加納鷲雄、佐野七五三之助らと親しくなり、加納の紹介で伊東甲子太郎と知りあう。
同年10月、運上所に乱入したイギリス人3人を縛り上げ路上に放置し、追及される身となって江戸に潜伏。
◆元治元年(1864)10月、伊東らとともに新選組入隊のため京へ上る。
しかし、翌年5月まで所用のためとして、単身大坂に滞在。理由は不明。
◆慶応元年(1865)7月頃の隊士名簿によると、諸士調役並監察、柔術師範の役につく。
同月、伊東甲子太郎、富山弥兵衛、茨木司、久米部正親とともに大和へ出張。不審な浪士らと戦って撃退。
10月頃、幕府に捕えられていた元奇兵隊総督・赤根武人、久留米の志士・淵上郁太郎の放免に関わる。
◆慶応2年(1866)1月、近藤勇の安芸出張に、伊東、尾形俊太郎らと同行。
9~10月、新撰組の三井両替店への申し入れに際し、三木三郎と組んで近藤らを説得し、断念させる。
これにより三井から礼金を受け取るも、12月になってさらに金銭を要求した。
◆慶応3年(1867)3月、御陵衛士の同志らとともに新選組から分離脱退。
11月18日、油小路の変にて新選組との乱闘から脱出、薩摩藩にかくまわれる。
12月18日、伏見墨染にて、阿部十郎、加納、富山らとともに近藤勇を要撃。
◆慶応4年(1868)、薩摩軍として戊辰戦争に参戦。赤報隊の「偽官軍事件」に巻き込まれ一時入獄。
出獄後は越後方面で戦い、戦功をあげる。維新後は「秦林親(はたしげちか)」を名乗った。
警察官や大蔵省造幣寮の監察役を経て、民間の実業家へ転身。晩年クリスチャンとなる。
◆妻の萩野との間に、男児庄太郎(文久3年生まれ)がいた。
慶応4年2月頃までは荻野の存在が示されるも、それ以降の消息は庄太郎とともに不明。
◆明治3年(1870)1月、西本願寺内蓮城院東坊の住職・佐々木信瑞の長女チマ(当時16歳)と結婚する。
チマとの間には、明治11年に長男泰親、同21年に次男弥三郎が誕生した。
◆明治44年(1911)6月13日、東京青山の弥三郎宅にて84歳で没す。
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本作は、こうした実際の経歴に概ね沿ったストーリーとなっている。
作者のオリジナリティを感じさせる要素として、以下【その1】~【その7】が印象に残った。
【その1】篠原泰之進の人物造形。
弱い者を庇おうとする人情や正義感の持ち主。
感情面の安定した常識人。他人から何を言われても、柔術のワザのように巧みにいなすことができる。
自信はあるが、かといって攻撃的でも尊大でもなく、常に立場を弁えて行動する。
柔術や剣術に長けているのみならず、頭脳明晰で、伊東甲子太郎の右腕として各種の交渉もこなす。
観察眼が鋭く、たとえば御陵衛士に加わった斎藤一が間者であることも、すぐさま見抜く。
主人公なので、読者が共感できる好人物に描かれるのは当然だろう。
ただ、実際に泰之進と親しかった西村兼文は、『新撰組始末記』に「過激人」と記している。
新撰組隊士の中でもそう特記されるくらいだから、思想や行動に突出した何かがあったのではなかろうか。
【その2】泰之進が上京後、大坂に滞在した理由。
盟友の酒井伝次郎が斬られたという三条新地の牢屋敷を見にいって、萩野と松之助の母子に偶然出会う。
夫を亡くした荻野に同情し、母子を大坂の知人宅まで送り届け、危機に巻き込まれかけたところを救う。
そのまま半年ほど家族のように暮らした。
泰之進にとって、荻野と松之助の存在が生き甲斐となっていく。
彼が志士として活動しつつ、混迷の中でも自己を保っていけたのは、守りたいものがあったゆえ。
少々付け加えると、酒井伝次郎は実在の久留米藩士。江戸藩邸で泰之進と親しくなった。
万延元年に帰国。文久2年、寺田屋事件に関与して強制送還される。
翌3年、天誅組の大和挙兵に参加して捕えられ、京都の獄で元治元年2月16日に処刑された。享年27。
【その3】新撰組という組織の実態や内情。
新撰組が会津藩に重宝される理由は、市中取り締まりのほか、豪商からの資金調達も果たしているから。
近藤勇は自己の栄達を夢見ているらしく、新撰組はすでに「同志集団」ではなく「近藤とその家来」「近藤の野望を果たすための道具」と化している。
隊士の多くはそうした新撰組の在り方に失望し、松原忠司は現状を嘆きつつ亡くなる。
伊東派の面々も、入隊してみたものの期待が外れた。試衛館派だった藤堂平助も、近藤への反感を露わにする。
伊東甲子太郎は近藤を「利害優先で人の気持ちを考えない」「武士の心を解さない百姓あがりの野人」とみなす。
【その4】土方歳三との確執。
伊東派の入隊を、土方は当初から快く思っていない様子。
泰之進に対しては、伊東を支えるその有能さゆえに、特に油断ならない相手とみなしている。
露骨な敵意を向け、常に監視しつつ心理的プレッシャーをかける。
近藤・土方を悪者にしておけば、読者は主人公の泰之進に感情移入しやすいだろう。
それにしても、土方が初対面から「粛清してやる」気満々なので、つい笑ってしまった。
こんな扱いを受けたら、事情はどうあれ入隊を辞退して帰ってもよいと思う。
新撰組と御陵衛士とは、いずれ衝突を避けられない剣呑な関係と描写される。
ただ、そのわりに分離後も双方の行き来が続いているのは、不思議な感じがした。
分離前からこれほど不和が露呈していては、表向き協力関係を標榜しても、意味を成さないかも。
両者の対立を見れば、「最初からその芽があった」と類推しやすいのはわかる。
しかし実際、泰之進も含め伊東派の多くは、新撰組に入隊して重要な役職に任じられた。
ということは、少なくとも当初は歓迎され、良好な関係だったのではなかろうか。
たとえ悪感情を持たなかったとしても敵対関係に至ってしまうのが、幕末という時代の混沌であり、予測不能な人の運命であると思う。
前出インタビュー記事によると、作者は新撰組を「実態はかなり凄惨な組織」と捉え、全共闘世代に近い立場として「連合赤軍のような内部粛清をする組織の恐ろしさ」をイメージしているとか。
「現代では新撰組は女性に人気があるが、本来は女性に好まれるようなものではないと思う」「良いイメージで捉えられることに違和感がある」といった旨も語っている。
新撰組をその手の過激派に準えるのは、同世代かそれ以上の作家にしばしば見かける傾向なので、やっぱりこの作者もそうなのかと思った。【その3】【その4】も、その反映と感じられる。
ただ、この陰険で殺伐とした描かれ方も、主人公に降りかかる試練(ストーリー上の仕掛け)と思えば面白い。
【その5】斎藤一の人物造形。
本作の斎藤は、つかみどころのない自由奔放な人柄。
近藤・土方から泰之進を斬るよう命じられ、それを隠そうともせず彼につきまとう。
かと思うと、重要な情報を教えたり、新撰組への背任にあたりそうな行動をとってまで助けたりする。
谷三十郎の頓死、武田観柳斎の粛清にも、泰之進と斎藤との駆け引きが大きく関わっている。
泰之進と斎藤は、敵とも味方とも言い難い、不思議な関係にある。
組織の中にあっても自己の価値観を優先し行動するところは、よく似ている。互いに陰画と陽画のような存在。
【その6】油小路の変の描写。
伊東横死の知らせが届き、泰之進は遺骸収容を同志らに呼びかける。
新撰組の待ち伏せがあることは、当然予測している。
服部武雄が鎖帷子の着用を提案するが、泰之進が「死んだ後に見られては命を惜しんだようで見苦しい」と反対したため、全員が着用せずに現場へ行くことになった。
現場では、予測どおり新撰組との乱闘になる。
服部が、鎖を着込んだ原田左之助を「さほどに命が惜しいか」と嘲笑。原田が逆上する。
泰之進は、近藤がその場にいないと知ると「生きて近藤を討ち、恨みを晴らす」と同志らに退却を指示する。
本作では、御陵衛士が誰も鎖帷子を用いない。
実際には、服部武雄が着ていたと、遺体を目撃した桑名藩士・小山正武が証言している。
このような実戦で装備をできるだけ整えておくのは至極当然であり、別に未練でも卑怯でもない。
服部が踏み止まった者の中で最も長く奮戦したらしいのも、剣技に優れると同時に、装備を疎かにしなかったことが大きな理由だろう。
余談ながら、このあたりの泰之進の言動は、首尾一貫を欠いている。
伊東の後を追って死にたいのか、生きのびて報復したいのか、命が惜しくないのか惜しいのか、どっちなんだ!と問い詰めたくなった。
逆上のあまり正常な思考ができなかった、と解釈すべきだろうか。
【その7】維新後の、萩野と松之助の消息。
チマとの結婚については簡単に触れるのみで、そちらの家庭の描写はほとんどない。
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本作のタイトル『影踏み鬼』の由来とは――
作中、泰之進が幼い松之助にせがまれ、何度かつきあってやった遊びのひとつである。
また、油小路の変後、復仇のため近藤・土方をどこまでも追うと誓った泰之進が「影を踏まれた者が鬼となり、踏んだ相手を追いかける影踏み鬼に似ている」と心に思う。
さらには、泰之進と萩野ら母子との行き違いを暗喩するような節も感じられた。
長かった影踏み鬼がようやく終わる最後の場面は、静謐のうちにも感動をもたらす。
幕末の「時勢の渦」の中で活躍した英雄たちは、多くが道半ばで命を落とした。
本作の篠原泰之進は、彼ら英雄とは異なる道を歩んだ。
維新後、「わたしは伊東さんが唱えた草莽の大義を生きたかった。だが、いまになってみると、薩長の藩閥政府をつくるために懸命に働いていたようなものだ。ひょっとすると、草莽の大義は近藤や土方に持っていかれたような気もする」と述懐している。
しかし、そうした思いを抱えた泰之進も、終幕には報われたと実感する。
英雄的ではない普通の生き方も、充分価値あるものになりうる、ということだろう。
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参考として、篠原泰之進が記した「秦林親日記(筑後之住秦林親称泰之進履歴表)」の主な収録書を挙げる。
『維新日乗纂輯』(三) 日本史籍協会 1926 (※出版元・出版年の異なるバージョン複数あり)
『新選組覚え書』 小野圭次郞ほか 新人物往来社 1972
『新選組史料集』 新人物往来社編・発行 1993/1995(コンパクト版) >> 記事を参照する
『新選組史料大全』 菊地明・伊東成郎編 KADOKAWA 2014 >> 記事を参照する
「史談会速記録」については、下記を参照されたい。
>> 山村竜也『新選組証言録』の記事を参照する
他に、詳しい研究書として下記をお薦めする。
>> 市居浩一『高台寺党の人びと』(&『新選組・高台寺党』)の記事を参照する
本作の初出は、『オール讀物』2014年2月号~6月号。
2015年、単行本(四六判ハードカバー)が文藝春秋より刊行された。
2017年、文春文庫版が出版された。
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秋山香乃『新選組藤堂平助』
長編小説。複雑な境遇に育った若き剣士・藤堂平助が、土方歳三ら試衛館一党と出会い、どこまでも共にいきたいと願いつつもやがて離反していく、苦悩多き生涯を描く。
文久元年の初夏、多摩川沿いを日野宿へ向けて歩いていた土方歳三は、一対一の斬り合いを目撃する。
相手を斬り倒したのは16~17歳ほどの少年であり、問われるままに「藤堂平助」と名乗った。
初めて人を斬った衝撃にうちのめされている藤堂を、土方は放っておけず、試衛館に連れていく。
道場主・近藤勇や原田左之助ら食客たちは、色白で華奢な藤堂を迎え入れることに当初難色を示したが、外見に似合わぬ剣技を目の当たりにして承知した。
藤堂は、事情を聞かずに助けてくれた土方に、最大の信頼と好意を寄せる。
土方は、慕われて面映ゆく、ぶっきらぼうな態度をとりながらも、試衛館での生活を共にした。
文久2年の初冬、お尋ね者として追われていた清河八郎が、江戸に戻る。
以前、清河の下で少しばかり働いた藤堂は、挨拶に行き、浪士組の計画を聞かされた。
戻って、土方に浪士募集の件を打ち明け、「おめェは行くのか」と問われた時、人斬りへの恐怖から「行きたくない」と思い、また一方で土方とは「離れたくない」と思う。
その心を見抜いたかのように、土方は「おめェは俺が連れてゆく」と言う。
浪士組として上京後、清河は突然「皇意の下に攘夷の魁となる」と宣言し、幕府の指揮を離れる意図を明かした。藤堂は、清河から同調を求められていたものの、試衛館一党についていく。
その藤堂に対して、清河は北辰一刀流・千葉門において学んだ尊皇思想を突きつけ、「君は時代の流れの中で、あの男たちを裏切る日が来る」と言い放つ。
こうして浪士組と袂を分かち、京都残留組の一員として新選組結成に加わった藤堂平助。
人斬りへの抵抗感を克服すべく、「魁先生」「新選組四天王のひとり」と異名を取るまでの活躍を見せる。
ところが、彼が「裏切り者」の汚名を免れ得ない時が、ついにやってくるのだった。
藤堂平助という人物については、あまり多くの情報が残っておらず、新選組結成に携わった試衛館派の面々の中では最も謎めいた存在といえよう。
謎が多い分、フィクションでは自由度が高く描きやすいと思われるが、彼を主人公とする作品は意外に少ない。
本作は、この謎多き藤堂平助を、数少ない情報と周囲の人々との関係や時代背景とをもとに、内面まで踏み込んで描いた意欲作である。
本作の藤堂平助は、母親の手ひとつで育てられた。伊勢津藩主・藤堂和泉守の落胤と言い聞かされるが、藤堂家からは何の庇護も受けていない。苦労を重ねた母は身も心も病んで、彼が6歳の時に他界した。
残されたものは、侍としての矜持と、上総介兼重作の名刀と、形見の守り袋だけだった。
以後、様々に苦労しながら、なんとか自力で生きてきた様子。
それでも荒んだところはなく、素直で思いやり深く、礼儀正しい性格。
土方歳三に偶然出会い、助けられたこと、自分の孤独な心を理解されたことが嬉しく、すっかり懐く。
なんとなく、初めて見た動くものを親とすり込まれたヒナ鳥のようで、微笑ましくもある。
以来、全編を通して、藤堂が「一番好きな人」は土方歳三である。
新選組結成後、土方の厳しい隊内運営に反発を覚えることもあるが、彼が敢えて嫌われ役を引き受けていること、内心では同志を思いやっていることに気づき、やはりこの人についていこうと考え直す。
土方のほうも、容易に人を信じない性格でありながら、いったん信じた藤堂には気を許している。
また、藤堂の繊細さを気にかけ、池田屋事件以来トラウマを負ってしまった彼を、一度は除隊させようと計らう。しかし、彼が隊にとって、また自分にとって必要な人間と改めて気づくのだった。
そして、藤堂の行動に不審な点が見え始めても、なかなか疑うことができずに逡巡する。
伊東甲子太郎は、藤堂にとっては剣流の師である。
かつて、玄武館の片隅にいるだけで稽古もろくに受けられなかった藤堂を、才能ある少年と見て指南した。
そのおかげで、藤堂は北辰一刀流の目録を獲得できた。
教授料を納められない藤堂に気を遣わせないよう、伊東は「出世払いでよい、時が来れば役に立ってもらう」と言った。藤堂も「必ずお役に立ちます」と誓った。
だからこそ、新選組から分派する際の誘いを、藤堂は断れなくなる。
つまり藤堂は、土方と出会うより以前に、伊東と知りあっていた。
それなら、伊東が「一番好きな人」になっても良さそうなものだ。しかし、尊敬する師であり、共に新選組と訣別した仲にもかかわらず、伊東よりも土方なのだ。この差はなんだろうか。
人の好き嫌いというものは、理屈では割り切れない。
ただ、敢えて理由を挙げるとすれば、土方は最初に出会った時、藤堂を助けても何ひとつ利益になることがなく、むしろ厄介事に巻き込まれかねない状況だったのに、救いの手をさしのべたこと。
そして、寄る辺ない藤堂の心をすぐに理解したこと。
素っ気ない態度の裏に、好意や信頼があること。これらが、藤堂を強く惹きつけたのだろう。
試衛館の中では、土方に次いで、永倉新八が藤堂と親しい。
一緒に外出したり、冗談を言ってふざけあったり。
どこか、土方とはできないことを、永倉が代わってやっているような風情もある。
分離脱退が決まった時、藤堂はもし斬られるなら試衛館の仲間に、できれば永倉に斬られたいと告げる。
しかし永倉は、お互い爺になるまで生きるんだと、強く言い聞かせる。
山南敬助とは、同じ北辰一刀流を学んだ仲として、気持ちが通じ合っている。
岩城升屋事件で重傷を負い、剣を遣えなくなった山南を、藤堂は敢えて道場に連れ出し、指導を頼む。それは、山南にとっては辛いことであると同時に、ありがたいことでもあった。
しかし、藤堂が江戸へ行ってしまい、山南はますます引きこもり、隊のお荷物になっている自分に耐えられなくなっていく。
山南が脱走した本当の理由を、他の誰も知らない。近藤も、土方との対立が原因と捉え、土方を非難した。
そして、山南の望みを容れて切腹を申し渡した土方さえ、気がつかないことがあった。
しかし、以前から度々話し合っていた藤堂には、察せられるのだった。
斎藤一は、本作では試衛館一党ではなく、京都に来てから会津藩の紹介で入隊している。
本心をなかなか表さないが、内面は感情豊かな性格。意外に冗談好きでもある。
土方の密偵として湖陵衛士に加盟するが、藤堂はもちろん知らされていない。
ただ、何度か2人きりの時に、藤堂はそれとなく本心を吐露し、斎藤が聞いてやる。
伊東暗殺の直前、斎藤は、藤堂をなんとか連れ戻そうと月真院に走る。
藤堂の恋人として、紀乃という女が登場する。
当初は遊女と客の関係だったが、藤堂はいつしか彼女を妻として迎えたいと思うようになる。
紀乃のほうも、彼が新選組隊士と知った時は戸惑うが、憎み切れずますます思いが募る。
しかし、この愛はやがて無惨な結末に至る。
新入隊士・雪村佐吉(19歳)も、終盤に登場する印象的な脇役。
入隊前、ガラの悪い連中に絡まれて困っているところを、土方が助けた。藤堂の組下に入る。
剣の腕前はそれほど優れているわけでもなく、土方にからかわれてびくつくなど純情な少年と思われていたが、後に意外な素顔を見せる。
沖田総司は、軽口を叩いてばかりの明るい性格。
土方の弟分という位置づけは藤堂と似ているが、土方に対してまったく遠慮のない態度が大きな違い。
岡田以蔵、桂小五郎、高杉晋作、久坂玄瑞、勝海舟、西郷隆盛、坂本龍馬もちらりと登場。
特に、桂小五郎と坂本龍馬は、藤堂に助けられるなどの関わりを持つ。
藤堂平助の生涯の中で最大の謎は、試衛館時代の同志と袂を分かち、御陵衛士に加盟した理由だと思う。
本作は、そこに至る経緯をわかりやすく、自然に描いている。
例えば、禁門の変で焼け出された人々を見て、弱い者が苦しむ世の中は間違っていると思う。
四国艦隊下関砲撃事件では、外国の侵略行為を傍観している幕府に憤慨する。
筑波山に蜂起した天狗党が、頼りにした一橋慶喜に見捨てられ、無惨な最期を遂げたと聞いて心を痛める。
――といったように、幕政への失望が重なったことが遠因である。
そして、直接の理由は「義理と人情を秤にかけりゃ、義理が重たい男の世界」ということだろう。
近藤・土方の隊内運営に嫌気が差したとか、もともと尊皇攘夷主義だったとか、そんな理由よりは納得がいく。
正直なところ、読み始めた当初は「普通、男同士でこんなこと言わないだろ」と感じる場面があった。
「女子が理想とする男同士の友情」を描いたというか、一種のBL小説とも解釈できそうな作品、と思えた。
ただ、中盤あたりからはそういう感じがしなくなり、切なくも眩しい青春の軌跡として読めた。
政治的背景もわかりやすく盛り込まれており、狭い人間関係だけを描いたような作品とは異なる。
小説として、粗削りな面もいくらかある。
例えば、「腹を割る」という慣用句を切腹・自裁の意味で使用した例が2箇所あるが、辞書をひいても「包み隠さず打ち明ける」といった意味しか見つからない。(「割腹」なら腹を切る意味なのに、不思議ではある。)
また、登場人物や小道具が、活かしきれていない部分もある。特に、紀乃の消息がよくわからず、藤堂が彼女を思い出す場面もないのは、残念に感じた。
しかし、15年ほど前に書かれたごく初期の作品であり、あまりネチネチ言うのも野暮だろう。
本作独自の設定や解釈に、いくつか興味を惹かれた。
◯「新選組」の隊名は、本人たちが結成時に自発的に決めたことになっている。
◯お梅が、江戸っ子のように伝法な口を利く。出身地はわからないが、京都ではなさそう。
◯楠小十郎の粛清。実は間者ではなかったようだが、行き違いで命を落とすことになる。
◯津藩士の某家から、藤堂を縁者の養子に迎えたいという話が舞い込む。これは藩侯の落胤であることを、暗に前提とした申し入れである。しかし、藤堂は承知しなかった。
◯野口健司の切腹。芹沢派だから粛清されたわけではなく、トラブルに巻き込まれ隊規違反に問われた。
◯池田屋に、過激浪士が40人くらい集まって、潜入していた山崎丞が焦る。
◯藤堂の趣味のひとつは、鉢植えの花作り。かつて糊口を凌ぐ内職として手がけていた。
◯谷三十郎の死因。隊内に潜入した間者に殺害された。
◯伊東の分離脱退は、慶応2年9月のうちに表明され、御陵衛士拝命よりもだいぶ早い。
◯御陵衛士となってから、藤堂は経済の勉強をするようになる。
◯藤堂が、御陵衛士のために、水野弥太郎ら博徒の協力を取りつける。新選組が出し抜かれた形になり、土方が激怒して、月真院に大砲を撃ち込んでやる、と荒れる。
いくつかの場面に、橘(タチバナ、日本古来の柑橘類)の実が出てくる。
藤堂の好物であり、土方が手渡してやったりする。
調べてみると、ミカンよりかなり酸っぱくて、そのままでは食べにくいらしい。
ただ、小さいながら黄金色に輝いて香り立つ様を思うと、藤堂の短い生涯がより鮮やかな印象を残す。
本作は、2000年、文芸社より『SAMURAI 裏切り者』のタイトルで単行本が刊行された。このとき、作者は「藤原青武」の名義を使用している。
次いで2003年、『新選組藤堂平助』と改題した増補改訂版の単行本が、「秋山香乃」名義で文芸社から出た。
作者説明によると、ストーリーは前作と変えていないが、目次構成を変更、冒頭部分を削除、文章を加筆修正、言葉遣いを読みやすく分かりやすくするため、手を入れたという。
改訂前と改訂後にどれほどの違いがあるのか、生憎と確認していないが、いずれ前作も見てみたい。
なお、2007年、文春文庫版が刊行された。
※藤堂平助の関連書籍全般について、別記事「藤堂平助の本」にまとめている。併せてご参照のほどを。

文久元年の初夏、多摩川沿いを日野宿へ向けて歩いていた土方歳三は、一対一の斬り合いを目撃する。
相手を斬り倒したのは16~17歳ほどの少年であり、問われるままに「藤堂平助」と名乗った。
初めて人を斬った衝撃にうちのめされている藤堂を、土方は放っておけず、試衛館に連れていく。
道場主・近藤勇や原田左之助ら食客たちは、色白で華奢な藤堂を迎え入れることに当初難色を示したが、外見に似合わぬ剣技を目の当たりにして承知した。
藤堂は、事情を聞かずに助けてくれた土方に、最大の信頼と好意を寄せる。
土方は、慕われて面映ゆく、ぶっきらぼうな態度をとりながらも、試衛館での生活を共にした。
文久2年の初冬、お尋ね者として追われていた清河八郎が、江戸に戻る。
以前、清河の下で少しばかり働いた藤堂は、挨拶に行き、浪士組の計画を聞かされた。
戻って、土方に浪士募集の件を打ち明け、「おめェは行くのか」と問われた時、人斬りへの恐怖から「行きたくない」と思い、また一方で土方とは「離れたくない」と思う。
その心を見抜いたかのように、土方は「おめェは俺が連れてゆく」と言う。
浪士組として上京後、清河は突然「皇意の下に攘夷の魁となる」と宣言し、幕府の指揮を離れる意図を明かした。藤堂は、清河から同調を求められていたものの、試衛館一党についていく。
その藤堂に対して、清河は北辰一刀流・千葉門において学んだ尊皇思想を突きつけ、「君は時代の流れの中で、あの男たちを裏切る日が来る」と言い放つ。
こうして浪士組と袂を分かち、京都残留組の一員として新選組結成に加わった藤堂平助。
人斬りへの抵抗感を克服すべく、「魁先生」「新選組四天王のひとり」と異名を取るまでの活躍を見せる。
ところが、彼が「裏切り者」の汚名を免れ得ない時が、ついにやってくるのだった。
藤堂平助という人物については、あまり多くの情報が残っておらず、新選組結成に携わった試衛館派の面々の中では最も謎めいた存在といえよう。
謎が多い分、フィクションでは自由度が高く描きやすいと思われるが、彼を主人公とする作品は意外に少ない。
本作は、この謎多き藤堂平助を、数少ない情報と周囲の人々との関係や時代背景とをもとに、内面まで踏み込んで描いた意欲作である。
本作の藤堂平助は、母親の手ひとつで育てられた。伊勢津藩主・藤堂和泉守の落胤と言い聞かされるが、藤堂家からは何の庇護も受けていない。苦労を重ねた母は身も心も病んで、彼が6歳の時に他界した。
残されたものは、侍としての矜持と、上総介兼重作の名刀と、形見の守り袋だけだった。
以後、様々に苦労しながら、なんとか自力で生きてきた様子。
それでも荒んだところはなく、素直で思いやり深く、礼儀正しい性格。
土方歳三に偶然出会い、助けられたこと、自分の孤独な心を理解されたことが嬉しく、すっかり懐く。
なんとなく、初めて見た動くものを親とすり込まれたヒナ鳥のようで、微笑ましくもある。
以来、全編を通して、藤堂が「一番好きな人」は土方歳三である。
新選組結成後、土方の厳しい隊内運営に反発を覚えることもあるが、彼が敢えて嫌われ役を引き受けていること、内心では同志を思いやっていることに気づき、やはりこの人についていこうと考え直す。
土方のほうも、容易に人を信じない性格でありながら、いったん信じた藤堂には気を許している。
また、藤堂の繊細さを気にかけ、池田屋事件以来トラウマを負ってしまった彼を、一度は除隊させようと計らう。しかし、彼が隊にとって、また自分にとって必要な人間と改めて気づくのだった。
そして、藤堂の行動に不審な点が見え始めても、なかなか疑うことができずに逡巡する。
伊東甲子太郎は、藤堂にとっては剣流の師である。
かつて、玄武館の片隅にいるだけで稽古もろくに受けられなかった藤堂を、才能ある少年と見て指南した。
そのおかげで、藤堂は北辰一刀流の目録を獲得できた。
教授料を納められない藤堂に気を遣わせないよう、伊東は「出世払いでよい、時が来れば役に立ってもらう」と言った。藤堂も「必ずお役に立ちます」と誓った。
だからこそ、新選組から分派する際の誘いを、藤堂は断れなくなる。
つまり藤堂は、土方と出会うより以前に、伊東と知りあっていた。
それなら、伊東が「一番好きな人」になっても良さそうなものだ。しかし、尊敬する師であり、共に新選組と訣別した仲にもかかわらず、伊東よりも土方なのだ。この差はなんだろうか。
人の好き嫌いというものは、理屈では割り切れない。
ただ、敢えて理由を挙げるとすれば、土方は最初に出会った時、藤堂を助けても何ひとつ利益になることがなく、むしろ厄介事に巻き込まれかねない状況だったのに、救いの手をさしのべたこと。
そして、寄る辺ない藤堂の心をすぐに理解したこと。
素っ気ない態度の裏に、好意や信頼があること。これらが、藤堂を強く惹きつけたのだろう。
試衛館の中では、土方に次いで、永倉新八が藤堂と親しい。
一緒に外出したり、冗談を言ってふざけあったり。
どこか、土方とはできないことを、永倉が代わってやっているような風情もある。
分離脱退が決まった時、藤堂はもし斬られるなら試衛館の仲間に、できれば永倉に斬られたいと告げる。
しかし永倉は、お互い爺になるまで生きるんだと、強く言い聞かせる。
山南敬助とは、同じ北辰一刀流を学んだ仲として、気持ちが通じ合っている。
岩城升屋事件で重傷を負い、剣を遣えなくなった山南を、藤堂は敢えて道場に連れ出し、指導を頼む。それは、山南にとっては辛いことであると同時に、ありがたいことでもあった。
しかし、藤堂が江戸へ行ってしまい、山南はますます引きこもり、隊のお荷物になっている自分に耐えられなくなっていく。
山南が脱走した本当の理由を、他の誰も知らない。近藤も、土方との対立が原因と捉え、土方を非難した。
そして、山南の望みを容れて切腹を申し渡した土方さえ、気がつかないことがあった。
しかし、以前から度々話し合っていた藤堂には、察せられるのだった。
斎藤一は、本作では試衛館一党ではなく、京都に来てから会津藩の紹介で入隊している。
本心をなかなか表さないが、内面は感情豊かな性格。意外に冗談好きでもある。
土方の密偵として湖陵衛士に加盟するが、藤堂はもちろん知らされていない。
ただ、何度か2人きりの時に、藤堂はそれとなく本心を吐露し、斎藤が聞いてやる。
伊東暗殺の直前、斎藤は、藤堂をなんとか連れ戻そうと月真院に走る。
藤堂の恋人として、紀乃という女が登場する。
当初は遊女と客の関係だったが、藤堂はいつしか彼女を妻として迎えたいと思うようになる。
紀乃のほうも、彼が新選組隊士と知った時は戸惑うが、憎み切れずますます思いが募る。
しかし、この愛はやがて無惨な結末に至る。
新入隊士・雪村佐吉(19歳)も、終盤に登場する印象的な脇役。
入隊前、ガラの悪い連中に絡まれて困っているところを、土方が助けた。藤堂の組下に入る。
剣の腕前はそれほど優れているわけでもなく、土方にからかわれてびくつくなど純情な少年と思われていたが、後に意外な素顔を見せる。
沖田総司は、軽口を叩いてばかりの明るい性格。
土方の弟分という位置づけは藤堂と似ているが、土方に対してまったく遠慮のない態度が大きな違い。
岡田以蔵、桂小五郎、高杉晋作、久坂玄瑞、勝海舟、西郷隆盛、坂本龍馬もちらりと登場。
特に、桂小五郎と坂本龍馬は、藤堂に助けられるなどの関わりを持つ。
藤堂平助の生涯の中で最大の謎は、試衛館時代の同志と袂を分かち、御陵衛士に加盟した理由だと思う。
本作は、そこに至る経緯をわかりやすく、自然に描いている。
例えば、禁門の変で焼け出された人々を見て、弱い者が苦しむ世の中は間違っていると思う。
四国艦隊下関砲撃事件では、外国の侵略行為を傍観している幕府に憤慨する。
筑波山に蜂起した天狗党が、頼りにした一橋慶喜に見捨てられ、無惨な最期を遂げたと聞いて心を痛める。
――といったように、幕政への失望が重なったことが遠因である。
そして、直接の理由は「義理と人情を秤にかけりゃ、義理が重たい男の世界」ということだろう。
近藤・土方の隊内運営に嫌気が差したとか、もともと尊皇攘夷主義だったとか、そんな理由よりは納得がいく。
正直なところ、読み始めた当初は「普通、男同士でこんなこと言わないだろ」と感じる場面があった。
「女子が理想とする男同士の友情」を描いたというか、一種のBL小説とも解釈できそうな作品、と思えた。
ただ、中盤あたりからはそういう感じがしなくなり、切なくも眩しい青春の軌跡として読めた。
政治的背景もわかりやすく盛り込まれており、狭い人間関係だけを描いたような作品とは異なる。
小説として、粗削りな面もいくらかある。
例えば、「腹を割る」という慣用句を切腹・自裁の意味で使用した例が2箇所あるが、辞書をひいても「包み隠さず打ち明ける」といった意味しか見つからない。(「割腹」なら腹を切る意味なのに、不思議ではある。)
また、登場人物や小道具が、活かしきれていない部分もある。特に、紀乃の消息がよくわからず、藤堂が彼女を思い出す場面もないのは、残念に感じた。
しかし、15年ほど前に書かれたごく初期の作品であり、あまりネチネチ言うのも野暮だろう。
本作独自の設定や解釈に、いくつか興味を惹かれた。
◯「新選組」の隊名は、本人たちが結成時に自発的に決めたことになっている。
◯お梅が、江戸っ子のように伝法な口を利く。出身地はわからないが、京都ではなさそう。
◯楠小十郎の粛清。実は間者ではなかったようだが、行き違いで命を落とすことになる。
◯津藩士の某家から、藤堂を縁者の養子に迎えたいという話が舞い込む。これは藩侯の落胤であることを、暗に前提とした申し入れである。しかし、藤堂は承知しなかった。
◯野口健司の切腹。芹沢派だから粛清されたわけではなく、トラブルに巻き込まれ隊規違反に問われた。
◯池田屋に、過激浪士が40人くらい集まって、潜入していた山崎丞が焦る。
◯藤堂の趣味のひとつは、鉢植えの花作り。かつて糊口を凌ぐ内職として手がけていた。
◯谷三十郎の死因。隊内に潜入した間者に殺害された。
◯伊東の分離脱退は、慶応2年9月のうちに表明され、御陵衛士拝命よりもだいぶ早い。
◯御陵衛士となってから、藤堂は経済の勉強をするようになる。
◯藤堂が、御陵衛士のために、水野弥太郎ら博徒の協力を取りつける。新選組が出し抜かれた形になり、土方が激怒して、月真院に大砲を撃ち込んでやる、と荒れる。
いくつかの場面に、橘(タチバナ、日本古来の柑橘類)の実が出てくる。
藤堂の好物であり、土方が手渡してやったりする。
調べてみると、ミカンよりかなり酸っぱくて、そのままでは食べにくいらしい。
ただ、小さいながら黄金色に輝いて香り立つ様を思うと、藤堂の短い生涯がより鮮やかな印象を残す。
本作は、2000年、文芸社より『SAMURAI 裏切り者』のタイトルで単行本が刊行された。このとき、作者は「藤原青武」の名義を使用している。
次いで2003年、『新選組藤堂平助』と改題した増補改訂版の単行本が、「秋山香乃」名義で文芸社から出た。
作者説明によると、ストーリーは前作と変えていないが、目次構成を変更、冒頭部分を削除、文章を加筆修正、言葉遣いを読みやすく分かりやすくするため、手を入れたという。
改訂前と改訂後にどれほどの違いがあるのか、生憎と確認していないが、いずれ前作も見てみたい。
なお、2007年、文春文庫版が刊行された。
※藤堂平助の関連書籍全般について、別記事「藤堂平助の本」にまとめている。併せてご参照のほどを。
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木内昇『地虫鳴く』
長編小説。タイトル読みは「じむしなく」。
幕末動乱の中、新選組と御陵衛士の面々の、ある者は揺るぎなく信念を貫き、またある者は悩み迷いつつ己の道を模索していく、それぞれの姿を描く。
元治2年(=慶応元年)のぜんざい屋事件から慶応3年末の近藤勇狙撃事件までの期間にウエイトを置く。
作者・木内昇の『新選組 幕末の青嵐』に続く、新選組小説の2作目である。
前作は、試衛館派の人物を中心として新選組の興亡を描く、オーソドックスなストーリーだった。
本作も、実在の人物と実際の出来事を描いており、その点では前作と同じ。
しかし、阿部十郎、篠原泰之進、尾形俊太郎など一般にはあまり知られていない人物の視点から描き出している点で、大変ユニークな作品である。
また、武力闘争よりも政治闘争に焦点を当て、新選組や御陵衛士が目まぐるしく変転する世の動きに翻弄されつつも粘り強く活動するさまを詳しく描写しており、その点でもオリジナリティに富む。
幕府と反幕府勢力、そして試衛館派と伊東派との暗闘が、単純な善悪や正邪に拠らず多角的に捉えられており、興味深い。また、登場人物の造形も、表裏さまざまな陰影に富んでいる。
全体として、リアリティの高さを感じさせる名作。
章題とおおまかな内容は、以下のとおり。
明治三十二年六月 東京
プロローグ。史談会の席上、年老いた阿部隆明(十郎)が編纂者たちに幕末期の体験を語る。
第1章 流転
高野(阿部)十郎、ぜんざい屋(石蔵屋)事件をきっかけに新選組へ復帰。浅野薫、阿部を歓迎。伊東甲子太郎、薩摩とのコネクションを画策する。土方歳三、隊の新編成を構想し、尾形俊太郎に説明する。薩長の動向を探る尾形&山崎烝チームの発足。井上源三郎と谷三十郎ら大坂遠征組、藤井藍田を捕縛する。
第2章 迷妄
伊東、薩摩藩士・吉井幸輔に接近する。武田観柳斎ら、蹴上奴茶屋にて薩摩藩士を殺傷する。近藤勇ら、幕府の長州訊問使に随行し、赤根武人を伴い安芸へ。河合耆三郎の死。伊東らは分離脱退を計画し、三木三郎が阿部を勧誘。近藤ら、再び幕府使節に随行して西へ。山崎と吉村貫一郎、密偵として長州へ潜入する。
第3章 漂失
伊東派へ加入しようとした谷三十郎、殺害される。長州再征の開戦。伊東派、情報を薩摩藩や水口藩の反幕派に渡して関係強化を図る。将軍家茂の薨去。浅野、三条制札事件の失策により除名される。土方と伊東、稽古の際に立ち合う。大久保一蔵との面会にこぎつけた伊東、御陵衛士設立の構想を篠原泰之進に打ち明ける。慶喜の将軍就任。孝明天皇の崩御。
第4章 振起
谷周平、兄の仇を討とうとする。阿部、浅野を御陵衛士に勧誘する。沖田総司の病状悪化。伊東派の分離脱退工作が成功する。佐野七五三之助・茨木司らの脱走と切腹。橋本皆助、御陵衛士から土佐陸援隊へ。不動堂村へ屯所移転。近藤と後藤象二郎との面談。大政奉還。浅野薫、御陵衛士に加盟を許される。
第5章 自走
伊東らの西国遊説。谷周平の離隊。討幕の密勅がくだる。御陵衛士、近藤暗殺を計画する。斎藤一、御陵衛士を脱走し新選組に復帰する。土方、伊東を討つべく決意。坂本龍馬と中岡慎太郎の死。油小路事件。王政復古。三木、復讐を誓う。新選組の伏見布陣。御陵衛士の残党、墨染にて近藤を狙撃する。
明治四年十二月 会津
エピローグ。転勤の途中、会津に立ち寄った阿部。回想による鳥羽・伏見戦争以降の経過。伊東らの戒光寺改葬、近藤・沖田・土方ら新選組主要人物の末路。会津に隠棲するという元新選組隊士の消息。
また、主要な登場人物は以下のとおり。
阿部十郎(復帰前は高野十郎、のち阿部隆明)
出羽の農家出身。貧しさゆえ少年期に江戸へ出て働くが、境遇に不満を覚え、世間を怨むようになる。
発足直後の新選組に入隊するも、芹沢派の粛清をきっかけに脱走、大坂で谷三十郎・万太郎に拾われた。
ぜんざい屋事件をきっかけに、新選組へ復帰する。その後、三木から御陵衛士へ誘われる。
なりゆきまかせに流転しては曖昧な期待を裏切られる挫折を繰り返してきた。自己嫌悪感が強く、自虐的な皮肉を言う。一方で自尊心は強く、同情を嫌い虚勢を張る。
他人との交流を避けてきたが、浅野薫とだけは親しくなり、損得抜きで人を助けようとする純粋な欲求が芽生える。しかし、その思いは打ち砕かれた。
篠原泰之進
伊東の門人であり、共に新選組に加盟した。腹心として、何かと頼りにされる。
自身の理想や目標は希薄。伊東と行動しつつ自分の役目を果たせれば充分、と考えている。
ただし、単純に心酔している同志らとは異なって客観的。理想が先走り過ぎて足下の危うい言動をたびたび諫めるが、ほとんど聞き入れられない。やがて「人々がより良く生きられる世の中を一日も早く実現したい」という伊東の純粋な情熱に共感し、本人の望むとおりに行動させてやろうと考える。
新選組脱退にあたり、御陵衛士拝命の交渉役を担った。それでも自分の能力不足をもどかしく感じ、近藤の補佐役である土方と自身を比較することも。
尾形俊太郎
新選組の監察方。言葉遣いが丁寧で、笑い声が甲高くホホホと聞こえるため、陰で「長袖様(ちょうしゅうさま、公家の意味)」と渾名されている。
頭脳明晰で洞察力に優れ、土方の信任があつい。しかし剣術は苦手。気を遣いすぎる不器用な面もある。
山崎烝が得た反幕派の情報を整理・分析し、諜報活動の方針を決めたり土方に報告したりする役目を担う。
取り立てて大義や大志を抱いているわけではないが、藩や身分のしがらみがなく働ける新選組に魅力を感じ、その組織を創り上げた近藤・土方を尊敬し、彼らの活動ぶりを痛快に感じている。
自らも新選組を支える力となるべく、隊務に励む。
浅野薫
もとは備前の医者。尊皇攘夷の志を遂げるため京へ上り、新選組に入った。
話し好き、裏表のない善人で、思いやり深い。近藤を尊敬し、よく働き、隊内でそこそこ評価されている。
人物や物事の良い面を見ようとする。阿部の長所を褒め続け、阿部にとって唯一の懇意となった。
三条制札事件で任務を果たせなかった。臆病風に吹かれたのではないが、結果的に同僚の死を招き、除名処分となる。
その後は活計の道もなく、阿部の援助を受け細々暮らす。見かねた阿部が御陵衛士への加盟を取り計らい、伊東の許可を得た。しばらく山科に潜伏するよう命じられ、阿部や衛士らに感謝しつつ出発するが…
三木三郎
伊東甲子太郎の実弟。少年期に他家へ養子入りしていたためか、兄への態度は他人行儀。
生気や表情に乏しく、積極的に発言することもなく、兄とは外見も性格も似つかない。
しかし無能を演じながら、陰ではまめに情報収集し、伊東に報告していた。
御陵衛士として分離独立を果たしてからは、強気で専横な言動が増える。
まっすぐな伊東に代わって泥をかぶるのも厭わず、時には自己判断で謀略に手を染める。
「最も信頼されている補佐役は自分」と確認したいのか、篠原とは何かと対立。
御陵衛士の反幕派としての地位を向上すべく、近藤暗殺計画を主導した。
伊東の死後、無意味と知りつつも新選組に復讐しようとする。
近藤勇、土方歳三、伊東甲子太郎といった面々はいうまでもないが、そのほかには――
常に物事の本質を見抜き、核心を突くあまり毒舌を吐いたりもするが、剽軽で憎めない山崎烝。
剣を究めることにしか興味がなく、無愛想で人づきあいが悪いが、孤独な者に手をさしのべる斎藤一。
死病に取り憑かれても悲観することなく、周囲にも光を与えるかのような明るさを保つ沖田総司。
――などの人物造形も、なかなか魅力的である。
ストーリーが濃密で、興味深い場面は多いが、特に印象に残ったことをいくつか挙げてみる。
訊問使に随行し安芸へ行った際、伊東は赤根武人を使って情報をつかみ独占しようと計画する。
それを知った尾形が、近藤の弱点を巧みに利用して阻止する手並みは鮮やか。
谷三十郎の殺害について、独自の展開が描かれる。
通説とは異なり、反幕浪士や斎藤一が犯人ではなく、酒の上での些細な争いが原因でもない。
犯人が追及されなかった理由も、納得がいった。
土方歳三は、伊東甲子太郎の分離脱退を、損得に流されているわけでなく純粋に達成したい理想があるため、と理解している。ただ、容認も同情もする気はない。
伊東派が多くの隊士を勧誘したにもかかわらず、ついていく者は12名だった。
近藤に「隊士はあんたを選んだんだ」と告げる土方の言葉を聞いて、自らが伊東を負かそうとしたのではなく、近藤vs.伊東の勝負に近藤を勝たせたかったのだと、尾形は気づく。
篠原泰之進は、中岡慎太郎と面談し、心中密かに衝撃を受ける。
中岡は、ほとんど孤立無援で活動を続け、脱藩を許されて陸援隊の隊長となるなどの実績をあげた。
薩摩の使い走りのように扱われる御陵衛士とは、大きく異なる。
また、辛酸をなめたにもかかわらず荒んでも汚れてもいない中岡の人柄にも、感銘を受ける。
浅野が阿部に語った言葉の数々のうち、特に印象深いものがあった。曰く、
「うまくいかんかったことを他人に押しつけるのは容易いが、わしはそれをするのが怖いんじゃ。そういうことを繰り返すと、他人の人生を生きとるような気にならんかのう。わしゃそれが一番怖い。理不尽だとしても自分の関わったことじゃ。受ければええんじゃ」
伊東がかつて篠原に対して語ったのも、含蓄ある言葉だ。曰く、
「基礎というのは平凡に感じるかもしれない。だから魅力もないし、退屈に思える。だが大概のことは平凡の上に成り立っているんだ。修練というのはね、己が平凡であるということを認識する機会でもあるんだ」
才人の伊東ながら、特別な人間などと自惚れているわけではなかった。
かつて新選組に籍を置いていたため、倒幕勢力から信頼を得られない御陵衛士。
しかし、伊東の死によって、生き残った衛士たちはようやく同志として扱われるようになる。
皮肉ではあるが世の中にありがちな展開かも、と思えた。
「地虫」という言葉を調べると、コガネムシ類の幼虫、もしくはオケラなど地中に棲む虫の総称、などと説明されている。また、「地虫鳴く」は秋の季語であり、秋の夜、地中の虫の鳴き声が聞こえるさまを表わすという。
この言葉が、本作のタイトルに使われた理由は何だろうか。
特に大きな関連がありそうなのは、ストーリー終盤で心神に失調をきたした阿部の挙動である。
彼は、耳の奥で虫が鳴き騒ぐかのような耳鳴りに悩まされる。そして真実に気づき、鬱積が一気に解き放たれた時、暗い内奥に押し込めてきた己の声を初めてはっきりと聴いたのだった。
終章、阿部は迷妄から抜け出し、自分なりの生き方を見出したらしいので安堵した。
また、会津にて元新選組隊士のある人物が生きていた、という結末も良い。阿部はそれを信じないが、両者が会うことなく終わったのは双方にとって幸いだったろう。
この人物が何者か、作中にヒントがあるので読者にはすぐわかる。
本作を読むと、世の中には2種類の人間がいるように思える。
恵まれない状況下でも、才能と努力によって新しいものを創り出し、揺るぎなく進んでいく者。
そのような創出者に牽引されて、凡庸なりに生きていく者。
後者が、混迷する社会の中で何をどのように捉え、いかに身を処したかを描いたのが本作といえるだろう。
だから凡人の当方にとっては、身に覚えのあることがずいぶん多い(汗)。現状に不満を持ちながら努力を諦め、すべての人間関係に背を向ける阿部の姿も、他人事ではないような気がした。
とはいえ、凡人の目には英雄と映る前者にも、限界はあるし、思うに任せず苦しむことも多いのだ。
両者の間には大きな隔たりがあるようでいて、実はそんなものはなく、自己をどちら側に置くかは本人次第なのかもしれない。
本作は2005年、書き下ろし単行本『地虫鳴く』として河出書房新社より刊行された。
2010年、『新選組裏表録(しんせんぐみうらうえろく)地虫鳴く』と改題、集英社文庫として刊行。
なお、プロローグに登場する史談会については、『新選組証言録』を参照のこと。
同書に収録されている阿部の談話が、本作中にも引用されている。併読するとより興味深い。

幕末動乱の中、新選組と御陵衛士の面々の、ある者は揺るぎなく信念を貫き、またある者は悩み迷いつつ己の道を模索していく、それぞれの姿を描く。
元治2年(=慶応元年)のぜんざい屋事件から慶応3年末の近藤勇狙撃事件までの期間にウエイトを置く。
作者・木内昇の『新選組 幕末の青嵐』に続く、新選組小説の2作目である。
前作は、試衛館派の人物を中心として新選組の興亡を描く、オーソドックスなストーリーだった。
本作も、実在の人物と実際の出来事を描いており、その点では前作と同じ。
しかし、阿部十郎、篠原泰之進、尾形俊太郎など一般にはあまり知られていない人物の視点から描き出している点で、大変ユニークな作品である。
また、武力闘争よりも政治闘争に焦点を当て、新選組や御陵衛士が目まぐるしく変転する世の動きに翻弄されつつも粘り強く活動するさまを詳しく描写しており、その点でもオリジナリティに富む。
幕府と反幕府勢力、そして試衛館派と伊東派との暗闘が、単純な善悪や正邪に拠らず多角的に捉えられており、興味深い。また、登場人物の造形も、表裏さまざまな陰影に富んでいる。
全体として、リアリティの高さを感じさせる名作。
章題とおおまかな内容は、以下のとおり。
明治三十二年六月 東京
プロローグ。史談会の席上、年老いた阿部隆明(十郎)が編纂者たちに幕末期の体験を語る。
第1章 流転
高野(阿部)十郎、ぜんざい屋(石蔵屋)事件をきっかけに新選組へ復帰。浅野薫、阿部を歓迎。伊東甲子太郎、薩摩とのコネクションを画策する。土方歳三、隊の新編成を構想し、尾形俊太郎に説明する。薩長の動向を探る尾形&山崎烝チームの発足。井上源三郎と谷三十郎ら大坂遠征組、藤井藍田を捕縛する。
第2章 迷妄
伊東、薩摩藩士・吉井幸輔に接近する。武田観柳斎ら、蹴上奴茶屋にて薩摩藩士を殺傷する。近藤勇ら、幕府の長州訊問使に随行し、赤根武人を伴い安芸へ。河合耆三郎の死。伊東らは分離脱退を計画し、三木三郎が阿部を勧誘。近藤ら、再び幕府使節に随行して西へ。山崎と吉村貫一郎、密偵として長州へ潜入する。
第3章 漂失
伊東派へ加入しようとした谷三十郎、殺害される。長州再征の開戦。伊東派、情報を薩摩藩や水口藩の反幕派に渡して関係強化を図る。将軍家茂の薨去。浅野、三条制札事件の失策により除名される。土方と伊東、稽古の際に立ち合う。大久保一蔵との面会にこぎつけた伊東、御陵衛士設立の構想を篠原泰之進に打ち明ける。慶喜の将軍就任。孝明天皇の崩御。
第4章 振起
谷周平、兄の仇を討とうとする。阿部、浅野を御陵衛士に勧誘する。沖田総司の病状悪化。伊東派の分離脱退工作が成功する。佐野七五三之助・茨木司らの脱走と切腹。橋本皆助、御陵衛士から土佐陸援隊へ。不動堂村へ屯所移転。近藤と後藤象二郎との面談。大政奉還。浅野薫、御陵衛士に加盟を許される。
第5章 自走
伊東らの西国遊説。谷周平の離隊。討幕の密勅がくだる。御陵衛士、近藤暗殺を計画する。斎藤一、御陵衛士を脱走し新選組に復帰する。土方、伊東を討つべく決意。坂本龍馬と中岡慎太郎の死。油小路事件。王政復古。三木、復讐を誓う。新選組の伏見布陣。御陵衛士の残党、墨染にて近藤を狙撃する。
明治四年十二月 会津
エピローグ。転勤の途中、会津に立ち寄った阿部。回想による鳥羽・伏見戦争以降の経過。伊東らの戒光寺改葬、近藤・沖田・土方ら新選組主要人物の末路。会津に隠棲するという元新選組隊士の消息。
また、主要な登場人物は以下のとおり。
阿部十郎(復帰前は高野十郎、のち阿部隆明)
出羽の農家出身。貧しさゆえ少年期に江戸へ出て働くが、境遇に不満を覚え、世間を怨むようになる。
発足直後の新選組に入隊するも、芹沢派の粛清をきっかけに脱走、大坂で谷三十郎・万太郎に拾われた。
ぜんざい屋事件をきっかけに、新選組へ復帰する。その後、三木から御陵衛士へ誘われる。
なりゆきまかせに流転しては曖昧な期待を裏切られる挫折を繰り返してきた。自己嫌悪感が強く、自虐的な皮肉を言う。一方で自尊心は強く、同情を嫌い虚勢を張る。
他人との交流を避けてきたが、浅野薫とだけは親しくなり、損得抜きで人を助けようとする純粋な欲求が芽生える。しかし、その思いは打ち砕かれた。
篠原泰之進
伊東の門人であり、共に新選組に加盟した。腹心として、何かと頼りにされる。
自身の理想や目標は希薄。伊東と行動しつつ自分の役目を果たせれば充分、と考えている。
ただし、単純に心酔している同志らとは異なって客観的。理想が先走り過ぎて足下の危うい言動をたびたび諫めるが、ほとんど聞き入れられない。やがて「人々がより良く生きられる世の中を一日も早く実現したい」という伊東の純粋な情熱に共感し、本人の望むとおりに行動させてやろうと考える。
新選組脱退にあたり、御陵衛士拝命の交渉役を担った。それでも自分の能力不足をもどかしく感じ、近藤の補佐役である土方と自身を比較することも。
尾形俊太郎
新選組の監察方。言葉遣いが丁寧で、笑い声が甲高くホホホと聞こえるため、陰で「長袖様(ちょうしゅうさま、公家の意味)」と渾名されている。
頭脳明晰で洞察力に優れ、土方の信任があつい。しかし剣術は苦手。気を遣いすぎる不器用な面もある。
山崎烝が得た反幕派の情報を整理・分析し、諜報活動の方針を決めたり土方に報告したりする役目を担う。
取り立てて大義や大志を抱いているわけではないが、藩や身分のしがらみがなく働ける新選組に魅力を感じ、その組織を創り上げた近藤・土方を尊敬し、彼らの活動ぶりを痛快に感じている。
自らも新選組を支える力となるべく、隊務に励む。
浅野薫
もとは備前の医者。尊皇攘夷の志を遂げるため京へ上り、新選組に入った。
話し好き、裏表のない善人で、思いやり深い。近藤を尊敬し、よく働き、隊内でそこそこ評価されている。
人物や物事の良い面を見ようとする。阿部の長所を褒め続け、阿部にとって唯一の懇意となった。
三条制札事件で任務を果たせなかった。臆病風に吹かれたのではないが、結果的に同僚の死を招き、除名処分となる。
その後は活計の道もなく、阿部の援助を受け細々暮らす。見かねた阿部が御陵衛士への加盟を取り計らい、伊東の許可を得た。しばらく山科に潜伏するよう命じられ、阿部や衛士らに感謝しつつ出発するが…
三木三郎
伊東甲子太郎の実弟。少年期に他家へ養子入りしていたためか、兄への態度は他人行儀。
生気や表情に乏しく、積極的に発言することもなく、兄とは外見も性格も似つかない。
しかし無能を演じながら、陰ではまめに情報収集し、伊東に報告していた。
御陵衛士として分離独立を果たしてからは、強気で専横な言動が増える。
まっすぐな伊東に代わって泥をかぶるのも厭わず、時には自己判断で謀略に手を染める。
「最も信頼されている補佐役は自分」と確認したいのか、篠原とは何かと対立。
御陵衛士の反幕派としての地位を向上すべく、近藤暗殺計画を主導した。
伊東の死後、無意味と知りつつも新選組に復讐しようとする。
近藤勇、土方歳三、伊東甲子太郎といった面々はいうまでもないが、そのほかには――
常に物事の本質を見抜き、核心を突くあまり毒舌を吐いたりもするが、剽軽で憎めない山崎烝。
剣を究めることにしか興味がなく、無愛想で人づきあいが悪いが、孤独な者に手をさしのべる斎藤一。
死病に取り憑かれても悲観することなく、周囲にも光を与えるかのような明るさを保つ沖田総司。
――などの人物造形も、なかなか魅力的である。
ストーリーが濃密で、興味深い場面は多いが、特に印象に残ったことをいくつか挙げてみる。
訊問使に随行し安芸へ行った際、伊東は赤根武人を使って情報をつかみ独占しようと計画する。
それを知った尾形が、近藤の弱点を巧みに利用して阻止する手並みは鮮やか。
谷三十郎の殺害について、独自の展開が描かれる。
通説とは異なり、反幕浪士や斎藤一が犯人ではなく、酒の上での些細な争いが原因でもない。
犯人が追及されなかった理由も、納得がいった。
土方歳三は、伊東甲子太郎の分離脱退を、損得に流されているわけでなく純粋に達成したい理想があるため、と理解している。ただ、容認も同情もする気はない。
伊東派が多くの隊士を勧誘したにもかかわらず、ついていく者は12名だった。
近藤に「隊士はあんたを選んだんだ」と告げる土方の言葉を聞いて、自らが伊東を負かそうとしたのではなく、近藤vs.伊東の勝負に近藤を勝たせたかったのだと、尾形は気づく。
篠原泰之進は、中岡慎太郎と面談し、心中密かに衝撃を受ける。
中岡は、ほとんど孤立無援で活動を続け、脱藩を許されて陸援隊の隊長となるなどの実績をあげた。
薩摩の使い走りのように扱われる御陵衛士とは、大きく異なる。
また、辛酸をなめたにもかかわらず荒んでも汚れてもいない中岡の人柄にも、感銘を受ける。
浅野が阿部に語った言葉の数々のうち、特に印象深いものがあった。曰く、
「うまくいかんかったことを他人に押しつけるのは容易いが、わしはそれをするのが怖いんじゃ。そういうことを繰り返すと、他人の人生を生きとるような気にならんかのう。わしゃそれが一番怖い。理不尽だとしても自分の関わったことじゃ。受ければええんじゃ」
伊東がかつて篠原に対して語ったのも、含蓄ある言葉だ。曰く、
「基礎というのは平凡に感じるかもしれない。だから魅力もないし、退屈に思える。だが大概のことは平凡の上に成り立っているんだ。修練というのはね、己が平凡であるということを認識する機会でもあるんだ」
才人の伊東ながら、特別な人間などと自惚れているわけではなかった。
かつて新選組に籍を置いていたため、倒幕勢力から信頼を得られない御陵衛士。
しかし、伊東の死によって、生き残った衛士たちはようやく同志として扱われるようになる。
皮肉ではあるが世の中にありがちな展開かも、と思えた。
「地虫」という言葉を調べると、コガネムシ類の幼虫、もしくはオケラなど地中に棲む虫の総称、などと説明されている。また、「地虫鳴く」は秋の季語であり、秋の夜、地中の虫の鳴き声が聞こえるさまを表わすという。
この言葉が、本作のタイトルに使われた理由は何だろうか。
特に大きな関連がありそうなのは、ストーリー終盤で心神に失調をきたした阿部の挙動である。
彼は、耳の奥で虫が鳴き騒ぐかのような耳鳴りに悩まされる。そして真実に気づき、鬱積が一気に解き放たれた時、暗い内奥に押し込めてきた己の声を初めてはっきりと聴いたのだった。
終章、阿部は迷妄から抜け出し、自分なりの生き方を見出したらしいので安堵した。
また、会津にて元新選組隊士のある人物が生きていた、という結末も良い。阿部はそれを信じないが、両者が会うことなく終わったのは双方にとって幸いだったろう。
この人物が何者か、作中にヒントがあるので読者にはすぐわかる。
本作を読むと、世の中には2種類の人間がいるように思える。
恵まれない状況下でも、才能と努力によって新しいものを創り出し、揺るぎなく進んでいく者。
そのような創出者に牽引されて、凡庸なりに生きていく者。
後者が、混迷する社会の中で何をどのように捉え、いかに身を処したかを描いたのが本作といえるだろう。
だから凡人の当方にとっては、身に覚えのあることがずいぶん多い(汗)。現状に不満を持ちながら努力を諦め、すべての人間関係に背を向ける阿部の姿も、他人事ではないような気がした。
とはいえ、凡人の目には英雄と映る前者にも、限界はあるし、思うに任せず苦しむことも多いのだ。
両者の間には大きな隔たりがあるようでいて、実はそんなものはなく、自己をどちら側に置くかは本人次第なのかもしれない。
本作は2005年、書き下ろし単行本『地虫鳴く』として河出書房新社より刊行された。
2010年、『新選組裏表録(しんせんぐみうらうえろく)地虫鳴く』と改題、集英社文庫として刊行。
なお、プロローグに登場する史談会については、『新選組証言録』を参照のこと。
同書に収録されている阿部の談話が、本作中にも引用されている。併読するとより興味深い。
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新宮正春「甲子太郎の策謀」
短編小説。伊東甲子太郎の虚々実々の動向を、大政奉還や近江屋事件に絡めつつ、主に阿部十郎の視点から描く。
伊東甲子太郎に従い新選組を離脱し、高台寺党の一員となった阿部十郎。
しかしながら、領袖である甲子太郎の真意をまったく理解できずにいた。
甲子太郎は、近藤・土方に離脱の目的を「薩長の動向を探るため」と説明しておきながら、いざ高台寺党を独立させると薩摩藩の経済的援助によって活動している。
また、自ら命じて新選組に残した茨木司、佐野七五三之助、中村五郎、富川十郎の4人が土方らに殺害されたにもかかわらず、平然としている。
さらに、薩摩の手先かもしれない富山弥兵衛、甲子太郎に遺恨ありとも見える中西昇、会津藩の隠し目付と思われる斎藤一など油断ならない者を内部に置いて、警戒した様子もない。
その一方で、橋本皆助を土佐陸援隊に送り込み、動向を報告させている。
そんな時、薩摩藩と陸援隊が結び慶喜襲撃を企てている、という情報が入った。
いよいよ倒幕の挙兵かと思いきや、慶喜が大政奉還に踏み切ったことで、計画は未遂に終わる。
慶喜が先手を打てたのは、甲子太郎が新選組を通じて会津藩へ計画を報知したためと知り、十郎はますます困惑する。
やがて、斎藤一が月真院の屯所から脱走、行方をくらます――
短い作品であり、文章も平易であり、短時間でさらりと読めてしまう。
新選組と御陵衛士との対立、坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された近江屋事件も、他の小説やマンガなどで度々取り上げられ、特に珍しい題材というわけでもなく馴染みがある。
ところが、読了後にタイトルを改めて見直すと、甲子太郎の策謀とは果たして何だったのか?という疑問が湧く。反幕か、そうと見せかけて親幕か、何を目的として行動していたのか?
真相を確認すべく再読すると、実は非常にわかりにくい作品であったことに気づかされる。
このわかりにくさは、幕末の複雑怪奇な政情を象徴しているようにも思える。
作者は、読者の理解を助けようとしてか、非常に多くの情報を提示している。
作品全体の長さに対して、あれこれ詰め込みすぎとも思えるほどだ。
おかげで、それら情報の中から重要な手がかりを見つけ、推理を組み立てていくのに苦労する。
目印のパン屑をあまりにたくさんまき散らすと、却って道筋はわかりにくいものだ。
断っておくが、「わかりにくい」とは決して「つまらない」という意味ではない。
むしろアドベンチャーゲームの一種とでも思えば、このわかりにくさも楽しい。
普通に読めば通常エンドにたどり着き、真相を求めて読めば真エンドに到達できる、といった感がある。
結局、甲子太郎は己の真意を隠して権謀術数が渦巻く世を巧みに立ち回り、多くの人間を操りもしたが、背後にはさらに上手をいく黒幕が存在し、甲子太郎もまた踊らされていた――というのが真相らしい。
その黒幕が何者か書いてしまうとネタバレも甚だしいので、ここには明かさずにおく。
博徒の親分・美濃の弥太郎が、語り手・阿部十郎の相方として登場するのが目を引く。
当初、新選組の監察方の下で働いていたが、藤堂平助を慕って高台寺党に押しかけ、雑用係を務めるようになった。多くの者が旗幟を鮮明にしない世情を嘆きつつ、悲運の最期を遂げる。
モデルは実在の侠客・水野弥太郎(弥三郎とも)。
幕末維新期には、弥太郎のほかにも清水次郎長、会津小鉄、黒駒勝蔵など多くの侠客が活躍した。
本作は、事実を題材にしてはいるが、言うまでもなく創作を主体とするフィクションである。
谷兄弟の兄が三十郎、弟が万太郎とあるのに、別の場面では長幼が逆転しているという食い違いには少々戸惑わされたが、ストーリーに大きく影響するほどのミスではない。
本作「甲子太郎の策謀」を収録している書籍は、下記のとおり。
『秘剣影法師』 新人物往来社 1994 …作者の短編小説7編を収録した単行本。
『秘剣影法師 剣客列伝』 廣済堂文庫 1998 …単行本『秘剣影法師』の文庫化。
『幕末剣豪人斬り異聞 佐幕篇』 菊池仁編 アスキー 1997 …アンソロジー、短編小説9編。
(本項は『幕末剣豪人斬り異聞 佐幕篇』を参考とした。)
ちなみに、作者の短編「坂本龍馬の眉間」にも、近江屋事件の裏に伊東甲子太郎の暗躍があったなど、本作と共通のモチーフが多数描かれている。
こちらは見廻組の今井信郎を主人公として、北辰一刀流の遣い手である龍馬をいかに制するか、剣客の執念を描いた作品であり、本作よりはずっと単純明快。
「坂本龍馬の眉間」を収録している書籍は、下記のとおり。
『勝敗一瞬記』 集英社文庫 1990 …詳細は『勝敗一瞬記』を参照。
『龍馬の天命 坂本龍馬名手の八篇』 末國善己編 実業之日本社 2010 …アンソロジー。
『七人の龍馬 傑作時代小説』 細谷正充編 PHP文庫 2010 …アンソロジー。


伊東甲子太郎に従い新選組を離脱し、高台寺党の一員となった阿部十郎。
しかしながら、領袖である甲子太郎の真意をまったく理解できずにいた。
甲子太郎は、近藤・土方に離脱の目的を「薩長の動向を探るため」と説明しておきながら、いざ高台寺党を独立させると薩摩藩の経済的援助によって活動している。
また、自ら命じて新選組に残した茨木司、佐野七五三之助、中村五郎、富川十郎の4人が土方らに殺害されたにもかかわらず、平然としている。
さらに、薩摩の手先かもしれない富山弥兵衛、甲子太郎に遺恨ありとも見える中西昇、会津藩の隠し目付と思われる斎藤一など油断ならない者を内部に置いて、警戒した様子もない。
その一方で、橋本皆助を土佐陸援隊に送り込み、動向を報告させている。
そんな時、薩摩藩と陸援隊が結び慶喜襲撃を企てている、という情報が入った。
いよいよ倒幕の挙兵かと思いきや、慶喜が大政奉還に踏み切ったことで、計画は未遂に終わる。
慶喜が先手を打てたのは、甲子太郎が新選組を通じて会津藩へ計画を報知したためと知り、十郎はますます困惑する。
やがて、斎藤一が月真院の屯所から脱走、行方をくらます――
短い作品であり、文章も平易であり、短時間でさらりと読めてしまう。
新選組と御陵衛士との対立、坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された近江屋事件も、他の小説やマンガなどで度々取り上げられ、特に珍しい題材というわけでもなく馴染みがある。
ところが、読了後にタイトルを改めて見直すと、甲子太郎の策謀とは果たして何だったのか?という疑問が湧く。反幕か、そうと見せかけて親幕か、何を目的として行動していたのか?
真相を確認すべく再読すると、実は非常にわかりにくい作品であったことに気づかされる。
このわかりにくさは、幕末の複雑怪奇な政情を象徴しているようにも思える。
作者は、読者の理解を助けようとしてか、非常に多くの情報を提示している。
作品全体の長さに対して、あれこれ詰め込みすぎとも思えるほどだ。
おかげで、それら情報の中から重要な手がかりを見つけ、推理を組み立てていくのに苦労する。
目印のパン屑をあまりにたくさんまき散らすと、却って道筋はわかりにくいものだ。
断っておくが、「わかりにくい」とは決して「つまらない」という意味ではない。
むしろアドベンチャーゲームの一種とでも思えば、このわかりにくさも楽しい。
普通に読めば通常エンドにたどり着き、真相を求めて読めば真エンドに到達できる、といった感がある。
結局、甲子太郎は己の真意を隠して権謀術数が渦巻く世を巧みに立ち回り、多くの人間を操りもしたが、背後にはさらに上手をいく黒幕が存在し、甲子太郎もまた踊らされていた――というのが真相らしい。
その黒幕が何者か書いてしまうとネタバレも甚だしいので、ここには明かさずにおく。
博徒の親分・美濃の弥太郎が、語り手・阿部十郎の相方として登場するのが目を引く。
当初、新選組の監察方の下で働いていたが、藤堂平助を慕って高台寺党に押しかけ、雑用係を務めるようになった。多くの者が旗幟を鮮明にしない世情を嘆きつつ、悲運の最期を遂げる。
モデルは実在の侠客・水野弥太郎(弥三郎とも)。
幕末維新期には、弥太郎のほかにも清水次郎長、会津小鉄、黒駒勝蔵など多くの侠客が活躍した。
本作は、事実を題材にしてはいるが、言うまでもなく創作を主体とするフィクションである。
谷兄弟の兄が三十郎、弟が万太郎とあるのに、別の場面では長幼が逆転しているという食い違いには少々戸惑わされたが、ストーリーに大きく影響するほどのミスではない。
本作「甲子太郎の策謀」を収録している書籍は、下記のとおり。
『秘剣影法師』 新人物往来社 1994 …作者の短編小説7編を収録した単行本。
『秘剣影法師 剣客列伝』 廣済堂文庫 1998 …単行本『秘剣影法師』の文庫化。
『幕末剣豪人斬り異聞 佐幕篇』 菊池仁編 アスキー 1997 …アンソロジー、短編小説9編。
(本項は『幕末剣豪人斬り異聞 佐幕篇』を参考とした。)
ちなみに、作者の短編「坂本龍馬の眉間」にも、近江屋事件の裏に伊東甲子太郎の暗躍があったなど、本作と共通のモチーフが多数描かれている。
こちらは見廻組の今井信郎を主人公として、北辰一刀流の遣い手である龍馬をいかに制するか、剣客の執念を描いた作品であり、本作よりはずっと単純明快。
「坂本龍馬の眉間」を収録している書籍は、下記のとおり。
『勝敗一瞬記』 集英社文庫 1990 …詳細は『勝敗一瞬記』を参照。
『龍馬の天命 坂本龍馬名手の八篇』 末國善己編 実業之日本社 2010 …アンソロジー。
『七人の龍馬 傑作時代小説』 細谷正充編 PHP文庫 2010 …アンソロジー。


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広瀬仁紀『幕末鬼骨伝』
幕末~明治の実在人物を主人公とする時代小説集。中編1作+短編3作を収録。
収録作のうち新選組に関わるものは、中編「高台寺の鵺」と短編「最後の御殿医」「青嵐独歩録」。
「高台寺の鵺(ぬえ) 伊東甲子太郎」
伊東甲子太郎が近藤勇の勧誘により加盟上京してから暗殺されるまでを、土方歳三ら新選組、大久保一蔵ら薩摩藩との、虚々実々の駆け引きを交えて描く。
藤堂平助の推薦によって加盟した伊東を、土方は自身より上位の参謀職に就ける。
まもなく、西本願寺への屯所移転をめぐり、山南敬助が脱走、切腹した。
土方にとっては、山南とよく話し合おうとしていた矢先の出来事であり、伊東が山南を煽動した結果と受け止めざるをえなかった。
伊東は、新選組参謀として活躍し、勤王論者として京洛に知られていく一方、幕威の凋落を実感する。
そんな時、土方は伊東に、分派して薩摩の情勢を探って欲しいと依頼。伊東も了承した。
薩摩の大久保一蔵は、富山弥兵衛を新選組に潜入させるため伊東の協力を得ていたものの、伊東が頻りに面会を求めてくるようになった意図を計りかねる。
そして慶応3年の正月、伊東と永倉新八、斎藤一の3人が島原の角屋に流連、無断外泊して隊務懈怠を問われるという事件が起きる。
史実の裏にはこのような経緯があったと、独自の推理を交えて展開するスリリングな陰謀劇。
伊東の分離脱盟は、土方との密約による諜報活動とされている。さらに島原流連事件は、土方が斎藤に授けた秘策であり、伊東はそうと気づかなかった(事件自体は実際にあったらしく、永倉新八『新撰組顛末記』に記述されている)。真相は不明だが、ひょっとするとこれらが事実だったかも、と思わせる。
また、土方が山南の死を悔やむ場面は、印象的。自ら追っ手となって逃がそうとしたのに、山南が連れ戻されることを望んだために、喪う結果となってしまった。
作者の時代小説は、会話と地の文とが混じり合うような独特の文体で書かれることが多い。
本作では特にそれが際立ち、慣れないと読みづらいかもしれない。しかし、古典文学にも似た味わいがある。
本書のための書き下ろし作品であり、他書には収録されていない様子。
「最後の御典医 松本良順」
将軍家茂・慶喜に仕えた典医であり、近代医学発展に努めた松本良順の生涯を描く。
戊辰戦争に際して会津へ赴き、負傷者の治療に尽くした時期に重点を置いている。
近藤勇との初めての出会い、西本願寺屯所の訪問と助言、沖田総司の肉食嫌い、会津での土方歳三との再会、仙台での別離など、新選組と関わる場面も多い。良順が新選組の面々に寄せた愛惜が、よく伝わってくる。
初出は新人物往来社刊『歴史読本』昭和51年(1976)9月号。
「青嵐独歩録 山岡鉄舟」
新政府軍による江戸総攻撃をやめさせた真の功労者、幕臣・山岡鉄舟の生涯を描く。
前半は、清河八郎との出会い、浪士組取締役として上京・東帰したこと、暗殺された清河の首級を隠したことが中心。
後半は、前将軍慶喜の意を受け、江戸へ進攻してくる東征軍の西郷隆盛と恭順交渉をしたことが中心となっている。
浪士組上京の途次に起きた本庄宿の大篝火事件、浪士組東帰と芹沢・近藤派の残留、甲陽鎮撫隊のことなど、新選組に関連した場面がある。
初出は旺文社刊『ブレーン・歴史にみる群像 3』(1986)。
「松籟颯々 頭山満」
自由民権運動の壮士、福岡玄洋社のリーダーであった頭山満の生涯を描く。新選組は登場しない。
初出はTBSブリタニカ刊『日本のリーダー 11』(1983)。
書名の「きこつ」は、「気骨」あるいは「奇骨」と表記されるのが一般的であろう。
巻末解説を書いた郷原宏は、作者が「鬼骨」とした理由を「気骨のある鬼才」の意味と推測している。
作者の新選組登場作では『適塾の維新』(1976)、『洛陽の死神』(1977)、『沖田総司恋唄』(1977)、『土方歳三散華』(1978)、『新選組風雲録』(1987-89)に続き、本書は1993年、富士見書房・時代小説文庫として刊行された。
余談だが、作者が「最後の御典医」を含む新選組関連作品で参考とした松本良順の回顧録「蘭疇自伝」は、平凡社の東洋文庫『松本順自伝・長与専斎自伝』(1980)に収録されている。
近藤勇や土方歳三の逸話が松本順(良順)自身の言葉で語られ、なかなか興味深い。


収録作のうち新選組に関わるものは、中編「高台寺の鵺」と短編「最後の御殿医」「青嵐独歩録」。
「高台寺の鵺(ぬえ) 伊東甲子太郎」
伊東甲子太郎が近藤勇の勧誘により加盟上京してから暗殺されるまでを、土方歳三ら新選組、大久保一蔵ら薩摩藩との、虚々実々の駆け引きを交えて描く。
藤堂平助の推薦によって加盟した伊東を、土方は自身より上位の参謀職に就ける。
まもなく、西本願寺への屯所移転をめぐり、山南敬助が脱走、切腹した。
土方にとっては、山南とよく話し合おうとしていた矢先の出来事であり、伊東が山南を煽動した結果と受け止めざるをえなかった。
伊東は、新選組参謀として活躍し、勤王論者として京洛に知られていく一方、幕威の凋落を実感する。
そんな時、土方は伊東に、分派して薩摩の情勢を探って欲しいと依頼。伊東も了承した。
薩摩の大久保一蔵は、富山弥兵衛を新選組に潜入させるため伊東の協力を得ていたものの、伊東が頻りに面会を求めてくるようになった意図を計りかねる。
そして慶応3年の正月、伊東と永倉新八、斎藤一の3人が島原の角屋に流連、無断外泊して隊務懈怠を問われるという事件が起きる。
史実の裏にはこのような経緯があったと、独自の推理を交えて展開するスリリングな陰謀劇。
伊東の分離脱盟は、土方との密約による諜報活動とされている。さらに島原流連事件は、土方が斎藤に授けた秘策であり、伊東はそうと気づかなかった(事件自体は実際にあったらしく、永倉新八『新撰組顛末記』に記述されている)。真相は不明だが、ひょっとするとこれらが事実だったかも、と思わせる。
また、土方が山南の死を悔やむ場面は、印象的。自ら追っ手となって逃がそうとしたのに、山南が連れ戻されることを望んだために、喪う結果となってしまった。
作者の時代小説は、会話と地の文とが混じり合うような独特の文体で書かれることが多い。
本作では特にそれが際立ち、慣れないと読みづらいかもしれない。しかし、古典文学にも似た味わいがある。
本書のための書き下ろし作品であり、他書には収録されていない様子。
「最後の御典医 松本良順」
将軍家茂・慶喜に仕えた典医であり、近代医学発展に努めた松本良順の生涯を描く。
戊辰戦争に際して会津へ赴き、負傷者の治療に尽くした時期に重点を置いている。
近藤勇との初めての出会い、西本願寺屯所の訪問と助言、沖田総司の肉食嫌い、会津での土方歳三との再会、仙台での別離など、新選組と関わる場面も多い。良順が新選組の面々に寄せた愛惜が、よく伝わってくる。
初出は新人物往来社刊『歴史読本』昭和51年(1976)9月号。
「青嵐独歩録 山岡鉄舟」
新政府軍による江戸総攻撃をやめさせた真の功労者、幕臣・山岡鉄舟の生涯を描く。
前半は、清河八郎との出会い、浪士組取締役として上京・東帰したこと、暗殺された清河の首級を隠したことが中心。
後半は、前将軍慶喜の意を受け、江戸へ進攻してくる東征軍の西郷隆盛と恭順交渉をしたことが中心となっている。
浪士組上京の途次に起きた本庄宿の大篝火事件、浪士組東帰と芹沢・近藤派の残留、甲陽鎮撫隊のことなど、新選組に関連した場面がある。
初出は旺文社刊『ブレーン・歴史にみる群像 3』(1986)。
「松籟颯々 頭山満」
自由民権運動の壮士、福岡玄洋社のリーダーであった頭山満の生涯を描く。新選組は登場しない。
初出はTBSブリタニカ刊『日本のリーダー 11』(1983)。
書名の「きこつ」は、「気骨」あるいは「奇骨」と表記されるのが一般的であろう。
巻末解説を書いた郷原宏は、作者が「鬼骨」とした理由を「気骨のある鬼才」の意味と推測している。
作者の新選組登場作では『適塾の維新』(1976)、『洛陽の死神』(1977)、『沖田総司恋唄』(1977)、『土方歳三散華』(1978)、『新選組風雲録』(1987-89)に続き、本書は1993年、富士見書房・時代小説文庫として刊行された。
余談だが、作者が「最後の御典医」を含む新選組関連作品で参考とした松本良順の回顧録「蘭疇自伝」は、平凡社の東洋文庫『松本順自伝・長与専斎自伝』(1980)に収録されている。
近藤勇や土方歳三の逸話が松本順(良順)自身の言葉で語られ、なかなか興味深い。
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