新選組の本を読む ~誠の栞~

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 山田風太郎『警視庁草紙』 

明治初期の東京に起きる、数々の不可解な事件。
旧幕臣の千羽兵四郎らと、警視庁大警視の川路利良らとが、事件をめぐり対決するさまを描く、伝奇ミステリー。
タイトル読みは「けいしちょうぞうし」。形式としては短編連作集。ただ、各編の独立性より相互の関連が重視され、全編で1本のストーリーを成しているため、実質的には長編小説と言えよう。

各編の内容は以下のとおり。◯はゲスト的に登場する歴史上の人物。

明治牡丹灯籠
明治6年10月28日の朝、西郷隆盛が東京を去り、川路大警視らはそれを見送る。
その前夜、警視庁の巡査・油戸杖五郎は、不可解な出来事に遭遇していた。
美女の乗る人力車が去った後、路上に大量の血が溜まっていたのだ。
轍の跡を追って発見した粗末な家では、旧旗本・羽川金三郎が変死を遂げていた。
現場近くに住む三遊亭円朝は、当夜の状況を執拗に問い質され、とばっちりを恐れる。
千羽兵四郎、神田三河町の半七、冷酒かん八の3人は、円朝を助けようと真相究明に乗り出す。
そこへ訪れた不意の来客は、かつて羽川と婚約していたお雪であった――

◯西郷隆盛/三遊亭円朝

黒暗淵(やみわだ)の警視庁
料理屋で殺人事件が起きる。土佐訛りの壮士が、他の客と揉めたあげく、相手を斬殺したのだった。
捜査を開始した油戸巡査は、高知県士族・黒岩成存を容疑者として逮捕する。
その6日後、右大臣・岩倉具視は刺客の集団に襲われ、からくも危地を脱した。
警視庁が容疑者グループの検挙に乗り出す。この襲撃事件には、お雪の夫も関わっていた。
兵四郎たちは、お雪が苦境に立たされ、ひいては自らも追及される危機を案じて、対応策を練る――

◯黒岩成存/岩倉具視

人も獣も天地の虫
警視庁が密売春の大規模な摘発を行い、多数の売女が逮捕される。
その大半は、生活に窮した家族を救うため、身を堕とした旧幕臣の子女だった。
5人の知友が捕えられてしまい、お蝶は彼女らを伝馬町の牢屋から救出するよう、兵四郎に懇願する。
窮した兵四郎は、やむなく旧旗本・青木弥太郎に相談。
弥太郎は、かつて悪逆の限りを尽くした大悪党だったが、徳川の恩顧に報いるべく協力、策略を提示する――

◯小政(清水次郎長の子分)/青木弥太郎/お竜(坂本龍馬の妻)/おうの(高杉晋作の愛人)

幻談大名小路
ある夜、かん八は、盲目の按摩・宅市を偶然に暴漢から救う。
宅市は、何者かに大名小路の屋敷へ連行され、かつて自分の視力を奪った奥戸外記と引き合わされた後、郊外に置き去りにされ、そこへやって来た別の者に襲われた、と一連の不可解な体験を語る。
一方、小松川の癲狂院を訪れた油戸巡査は、院長から不審な事件を打ち明けられた。
昨夜、院の門前で奥戸外記が自害し、彼によって入院させられていた女性が何者かに連れ去られたという。
警視庁の捜査によると、外記は大聖寺藩の国家老の子息であり、戊辰戦争では日和見して藩政を惑わせ、維新後に政府の要職を得ていた――

◯夏目漱石/樋口一葉

開化写真鬼図
兵四郎は、横浜から帰途の新橋ステーションで、女と若者の揉め事を見かけてつい仲裁に入った。
若者は肥後熊本出身の桜井直成と名乗り、兵四郎に「決闘の介添人になって欲しい」と懇願する。
桜井は横浜・岩亀楼の小浪という遊女に執着し、決闘するのは彼女のためだと語る。
一方、油戸巡査は、剣術道場で知りあった南部藩出身の青年・東条英教から、やはり決闘の介添を依頼される。
そして決闘の当日。決闘場に赴いた兵四郎は、加治木警部に怪しまれ、危機に陥る。
隅老斎は、写真師・下岡蓮杖の力を借りて兵四郎を救うべく、策をめぐらす――

◯桜井直成/唐人お吉/東条英教/下岡蓮杖/種田政明

残月剣士伝
直心影流男谷派の榊原鍵吉は、かつて講武所教授を務めた幕臣だが、維新後は禄を失い活計に窮していた。
警視庁の剣術師範に迎えたいと旧知の今井巡査らに懇請されるも、新政府に仕える気はない。
そこで、弟子の勧めによって剣術の見世物をはじめる。
この「撃剣会」興行は、予想外の大人気を集め、他流からも似たような境遇の師範たちが集まる。
一方、腕の立つ師範を求める川路大警視は、彼らが奉職を厭い「撃剣会」に集まるのを快く思わない。
その意を忖度した加治木警部の命により、元新選組の平間重助が「撃剣会」潰しを実行する。
困り果てた榊原のもとに、からす組の隊長・細谷十太夫として勇名を馳せた鴉仙和尚が訪れる――

◯榊原鍵吉/上田馬之助/天田愚庵/島田一郎・長連豪・杉本乙菊・脇田巧一/平間重助/細谷十太夫/永倉新八

幻燈煉瓦街
戯作者の河竹黙阿弥と、元お坊主の幸田成延を交えて、銀座の煉瓦街を訪れた隅老斎と兵四郎。
そこで、一行はのぞきからくりの興行に目を留める。
興行師が語るストーリーは、尾去沢銅山事件をめぐる政府高官の汚職を告発する内容だった。
興行がはねて人通りも絶えた夜ふけ、路地を見回っていた油戸巡査は、三味線の音に気づく。
のぞきからくりが行なわれていた建物に突入すると、中では三味線を手にした男が死んでいた。
その男は、井上馨から尾去沢銅山の払い下げを受けた岡田平蔵であった――

◯河竹黙阿弥/幸田露伴/井上馨/由利公正/からくり儀右衛門/東条英教/村井茂兵衛/江藤新平/三千歳花魁

数寄屋橋門外の変
のぞきからくり事件から1ヶ月後、かん八は人捜しのため銀座を訪れる。
事件の現場となった建物は、なんと井上馨が買い取り、貿易商社「先収会社」を置いていた。
その建物において、またも事件が起きる。
先収会社の社員18人が、変死体となって発見されたのだ。被害者の全員が、なぜか旧彦根藩士であった。
岡田平蔵の殺害に続くこの事件に、井上馨は激昂し、川路大警視に対して早期解決を強く迫る。
そして巡査・菊池剛蔵に容疑がかかる。菊池は事件当時、現場で不可解な体験をしていた――

◯井上馨/板垣征徳/米内受政/徳川昭武/井伊直憲

最後の牢奉行
旧幕時代から伝馬町にあった牢屋敷は、新政府により「囚獄署」と名を変え、引き続き利用されていた。
明治8年、囚獄署は市ヶ谷へ移転することとなる。川路大警視は、移転準備の視察に訪れる。
当時、斬首刑の廃止が議論されていたため、執行の実情を検分するという目的もあった。
ところが、当日斬刑に処される予定の罪人が、独居房で絞殺されて見つかる。
犯人として疑われたのは、牢番の石出帯刀。彼は旧幕時代には牢奉行であったが、今では冷遇されていた。
石出の子であるお香也と柳之丞の姉弟は、隅老斎に父の無実を訴え、救出を懇願する―

◯山田浅右衛門吉亮/石出帯刀(十七代)

痴女の用心棒
参議・広沢真臣が何者かに暗殺されて4年。容疑者として逮捕された愛妾おかねが、無罪放免となった。
事件は未解決であり、真犯人が唯一の目撃者おかねに接近する可能性がある。
加治木警部は、油戸巡査に彼女の身辺を見張るよう命じた。
まもなく、おかねは旧会津藩士・千馬武雄と所帯を持つ。貧しいながら、夫婦の仲は濃密に睦まじい。
油戸巡査に代わって見張りに就いた紙屋巡査は、夫婦に執拗に接近し、監視を続ける。
千馬は、監視者を真犯人と思い込み「妻が狙われている」と佐川官兵衛や隅老斎に訴える――

◯佐川官兵衛/永岡敬次郎/長連豪

春愁 雁のゆくえ
前回の事件にて殺人の疑いをかけられた兵四郎を救うため、隅老斎は警視庁に匿名で投書する。
これを怪しんだ加治木警部は、紙屋巡査に兵四郎の身元を探るよう密命を下した。
紙屋は、調査のため、柳橋の売れっ子芸者・お千に接近。
目的を忘れて彼女に迫ったあげく、情人の永岡敬次郎によって手ひどく撃退される。
これを恨んだ紙屋は、永岡が書いた密書を奪い去り、お千を脅迫する――

◯黒田清隆/大久保利通/森鴎外/賀古鶴所/永岡敬次郎/玉木真人/乃木希典/野村靖

天皇お庭番
兵四郎たちは浅草に出かけた折、手裏剣打ちの大道芸に目を留める。
飛んでくる手裏剣を避けながら舞う盲目の男は、旧幕時代に徳川のお庭番を務めた針買将馬。
彼に向けて手裏剣を打つのは、妻お志乃であった。
針買は現役時代、薩摩のお庭方によって視力を奪われていた。
手を下したお庭方の頭は今の川路大警視であり、その部下たちも警視庁の密偵となっている。
しかし、針買は過去を捨て去り、虚心坦懐の境地に生きていた。
そんな針買に、かつての徳川お庭番の同僚・杉目万之助らが接近し、報復するよう勧める――


妖恋高橋お伝
山田浅右衛門は、市ヶ谷囚獄署にて首斬り役を務めていたが、近頃は剣技が衰えたと感じる。
そんな時、たまたま出会った街娼のお伝に迷ったあげく、大金を持ち逃げされてしまう。
お伝は、近所に引っ越してきた4人の士族のうち、若く美貌の長連豪に強く惹かれていた。
経済的に逼迫している彼らを、何くれとなく面倒見るお伝。しかし、連豪の態度は冷たい。
その連豪から急に借金を頼まれて、有頂天になったお伝は、金を工面するため殺人を犯す。
ところが、連豪に金を渡した翌日、彼ら4人の姿は寓居から消えていた――

◯山田浅右衛門吉亮/高橋お伝/小川市太郎/島田一郎・長連豪・杉本乙菊・脇田巧一/熊坂長庵

東京神風連
明治9年の夏、兵四郎たちは、横浜の根岸競馬場で軽気球の飛行実験を見物した。
その帰途、島田一郎たちと同じ汽車に偶然乗り合わせる。
隅老斎は、彼らにも、また自分たちにも、警視庁の監視がついていると気づく。
しかし、なぜ拘引されず泳がされているのか、理由はわからない。
一方、川路大警視らの宴席に侍ったお蝶は、永岡敬次郎の同志2人が警視庁に狙われていると知る。
お蝶の懇願を受けて、兵四郎はこの2人を助けようとするも、自身が窮地に陥ってしまう――

◯からくり儀右衛門/谷干城/島田一郎・長連豪・杉本乙菊・脇田巧一/山県有朋/山岡鉄舟/静寛院宮/根津親徳・平山直一/前原一誠/永岡敬次郎

吉五郎流恨録
掏摸の名人・むささびの吉五郎が、兵四郎たちの協力者になる以前のこと。
安政6年、捕えられ伝馬町の牢屋敷にいた吉五郎は、三宅島への遠島に処される。
島の暮らしは非常に過酷であり、赦免される望みもほとんどない。
生きのびたのは、牢内で酔いどれ絵師から手に入れた「笑い絵」を隠し持ち、巧みに利用したためだった。
明治5年、吉五郎は赦免され本土へ戻り、すっかり変わった世の中に戸惑いつつ、吉田松陰の知る辺を捜す――

◯吉田松陰/河鍋暁斎/山城屋和助/山県有朋/野村靖

皇女の駅馬車
思案橋事件において永岡敬次郎と同志らが逮捕された後、残された家族たちは生活に窮していた。
その境遇を案じたお千の依頼を受け、兵四郎たちが消息を尋ねてまわる。
旧会津藩士の子・柴五郎が協力して、家族の子供たち30人がお千の隠棲先へ預けられた。
兵四郎は「永岡を助けて仇を討つ」というお千の願いをかなえたいが、それには多額の費用がかかる。
そこで、費用を工面するため、熊坂長庵から持ちかけられた密謀に乗ろうと思い立つ。
折しも静寛院宮が、十四代将軍家茂の木像を京都から東京へ馬車で運ばせようとしていた――

◯柴五郎/熊坂長庵/山岡鉄舟

川路大警視
前編の続き。兵四郎ら一行は「静寛院宮御用」の馬車を駆り、家茂像と秘密の荷を運んでゆく。
加治木警部の命を受けた4人の巡査が追うも、荷の中身を究明することはできない。
駿河に入ると、どこからか渡世人たちが現われ、次第に人数を増やしつつ馬車の護衛に加わって走る。
ついに安倍川のほとりで、4人の巡査は渡世人の頭目を捕えようと挑みかかった。
一方、川路大警視は、鹿児島へ密偵を送り込むべく部下たちに指示を与えていた――

◯清水の次郎長/大政/天田愚庵/山岡鉄舟

泣く子も黙る抜刀隊
明治10年2月7日、築地の海軍操練所にて、軽気球の2度目の実験が行なわれる。
兵四郎は、隅老斎に同行し見物する予定だったが、永岡敬次郎が処刑されるという知らせに市ヶ谷監獄へ向かう。
しかし、それは兵四郎を捕えようとする警視庁の罠だった。
一方の実験場では、川路大警視が隅老斎と対決した末、逮捕しようとする。
ところが、隅老斎についてきたお蝶が兵四郎の危機を知って逆上し、思わぬ行動に出た――

◯からくり儀右衛門/清水定吉

レギュラーの登場人物は、以下のとおり。

千羽兵四郎
26~27歳。旧幕時代は町奉行の同心。伊庭道場で心形刀流の免許皆伝を受けた、剣の遣い手。
幕府瓦解後、愛人お蝶のヒモ同然となって暮らしている。
新政府に対して反感を抱いているが、かといって転覆させようなどという物騒な考えはない。
不遇な者を放っておけない義侠心、警視庁を翻弄して楽しむ遊び心ゆえに、事件に関わることとなる。

隅老斎(駒井相模守信興)
旧幕時代、江戸南町奉行を務めた。
瓦解後、奉行所跡地の小さな家にひっそりと住まう。何事にも動じない、鷹揚で上品なご隠居。
推理力に長け、兵四郎に何かと知恵を貸す、頼もしいアドバイザー。新政府側の有力者にも顔が利く。
通称の「隅老斎」は、バロネス・オルツィ作「隅の老人」シリーズが由来と思われる。

冷酒かん八
30歳くらい。旧幕時代、神田三河町の半七親分の下で働いていた目明し。
冷や酒を飲みながら仕事をするので、この渾名がついた。
瓦解後、三河町で昔ながらの髪結床を営業する。近代的な床屋もザンギリ頭も大嫌い。
少々お調子者だが、面倒見が好い。兵四郎や隅老斎のため、骨身を惜しまず働く。

お蝶
柳橋の芸者。芸名は「小蝶」。御家人の娘だったが、幕府瓦解によって芸者となる。気っ風が良い。
新政府の要人や役人を嫌い、そうした客の座敷に出ても口をきかないが、その美貌ゆえに容認されている。
ヒモ同然の兵四郎を養いつつ、いつか大事を成し遂げる男と期待をかける。
同輩や似たような境遇の女たちが困っていると放っておけず、兵四郎に救援を依頼することも度々ある。

川路利良
薩摩出身、司法省警視庁の大警視。頭脳明晰で冷静沈着、時に非情な決断も辞さない。
西郷隆盛によって抜擢されたため、深く恩義を感じ、心服している。
薩摩藩士時代すでに御庭番を使いこなしていたため、警視庁でも密偵を使うのが巧み。

加治木直武
警部。川路の腹心。薩摩出身で、やはり西郷隆盛を信奉している。職務に忠実。性格はわりと直情径行。

油戸杖五郎
巡査。長身で体格が良い。生真面目で職務に忠実。優れた棒術の遣い手で、巡査の六尺棒を見事に扱う。
維新後は生活苦に追われ、ようやく警視庁に職を得たものの、旧仙台藩士の前歴ゆえに出世の見込みはない。
家庭では、しっかり者の妻おてねに頭が上がらない。

菊池剛蔵
巡査。油戸の同僚。元は水戸浪士、前名は海後嵯磯之助。
万延元年3月3日、桜田門外の変で井伊直弼を要撃したグループの一員だった。

藤田五郎
巡査。油戸の同僚。元新選組の斎藤一。
外見について「のんきそうな、平べったい容貌」と形容される。

今井信郎
巡査。油戸の同僚。元見廻組の組士。
旧幕時代の話はほとんどしない。キリスト教に傾倒している。

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ストーリーは創作であるが、歴史上の事件を背景として歴史上の人物が多く登場する。
虚実ない交ぜの、ある種贅沢な群像劇に仕上がっている。
伏線の張りかたも面白い。登場人物をめぐる因縁が複雑で、なおかつ意外性に富む。

あまり重要でない脇役などは、てっきり架空の人物だと思ったら、モデルが実在することも多い。
人物や背景となった出来事へを調べていくと、なかなか勉強になる。
あっさり読み流しても楽しめるが、歴史好きならこだわってみるのも妙味だろう。
史実をどれだけ承知しているか、創作との境界をどこまで見極めることができるか、作家と勝負しているような気分にもなってくる。

本作を読んでみた理由のひとつは、藤田五郎が登場すること。
警視庁の巡査として度々活躍し、新選組隊士だったという前歴も語られる。
ただ、ストーリー全体から見ると、重きを成すほどの役回りではない。
永倉新八佐川官兵衛も登場するのに、藤田との関わりはまったく描かれない。
新選組に関心を寄せる者として、この点は残念と言えば残念である。

どちらかというと新政府方の人物よりも、旧幕方の人物へのシンパシーを感じさせる描写が多い。
その一方で、ストーリー全体は川路大警視の深慮遠謀に貫かれている。
川路がこれほどに大きな敵役であればこそ、千羽兵四郎や隅老斎たちの活躍が際立つのかも。

最後に、作家らしい奇想天外なスペクタクルがある。
そのカタルシスのまま完結するかと思ったら、さらに予想外のオチがついて終わった。
千羽兵四郎と川路大警視との3~4年にわたる対決は、果たしてどちらが勝ったのだろう。
どちらとも解釈できる可能性を残して終わるところが、心憎い。

幕末から明治へと激しく時代が変わる時、人々の運命も大きく変わった。
混乱に乗じて成功を得た者もいれば、かつての地位から転落した者もいる。
ただ、その立場はいつ逆転するかもしれない危うさもはらんでいる。
そうした人々の波乱に満ちた人生を、アイロニーやペーソスを交え巧みに描き出しているところも秀逸。

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本作は2001年、NHK金曜時代劇としてドラマ化された。
タイトルは「山田風太郎 からくり事件帖 ―警視庁草紙より―」、全9話。

本作の初出誌は、文藝春秋刊『オール讀物』。
1973年7月号から1974年12月号まで、全18回にわたり連載された。

これまでに出版された書籍は、おおよそ以下のとおり。
『警視庁草紙』上・下 文芸春秋 1975
『警視庁草紙』上・下 文春文庫 1978
『山田風太郎コレクション 警視庁草紙』上・下 河出文庫 1994
『山田風太郎明治小説全集 1 警視庁草紙』 筑摩書房 1997
『山田風太郎明治小説全集 1 警視庁草紙 上』 ちくま文庫 1997
『山田風太郎明治小説全集 2 警視庁草紙 下』 ちくま文庫 1997
『山田風太郎ベストコレクション 警視庁草紙』上・下 角川文庫 2010
電子書籍も各種出版されている。

警視庁草紙 上
山田風太郎ベストコレクション
(角川文庫)



警視庁草紙 下
山田風太郎ベストコレクション
(角川文庫)




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 しんせんぐルメ 誠メシ! 

新選組の隊士たちは、日々どんなものを食べていたろうか。

こういう些細なことが、意外とわかりにくい。
大きな出来事はともかく、ありふれた日常を記録に残そうとする人物が、隊内や周辺にいなかったためだろう。
前回『幕末単身赴任 下級武士の食日記』を紹介するにあたり、改めて調べてみたが、確実と思える情報は見つからなかった。

とは言え、手がかりは皆無ではない。目についた事柄をいくつか挙げてみよう。

みそづけ
沖田総司が宮川音五郎(近藤勇の実兄)に宛てた、慶応3年11月12日付の書簡がある。
その一節に「何より之味噌漬被下、難有奉存候」と、味噌漬けをもらったことへの謝辞が記される。

この味噌漬けは、江戸へ出張した土方歳三と井上源三郎が京都へ戻る際、音五郎が托したものらしい。
わざわざ持たせるからには、沖田(あるいは近藤らも含めた面々)の好物だったのだろう。
ただ残念ながら、何を漬けたものか明記がない。野菜、魚肉、それ以外……想像をめぐらすのみである。
(※参考『土方歳三・沖田総司全書簡集』

あひる
慶応3年元旦、伊東甲子太郎が永倉新八と斎藤一、そのほか腹心たちを引き連れて島原の角屋へ出かけた。
その日、廓内は休みであったので、「途中から家鴨十羽買い込み」持っていった。

この家鴨を料理させて、酒肴とする意図であったようだ。
生憎と調理法は不明だが、焼き物にでもしたのだろうか。
(※参考『新撰組顛末記』『新選組奮戦記』

うなぎ
戊辰戦争が続いていた頃のこと。
永倉新八は、同志の芳賀宜道と連れ立って、米沢から東京へ密かに舞い戻った。
浅草へ着いて山野の重箱で久しぶりで江戸前の鰻で」腹を満たした、という。

「重箱」とは、寛政年間から続く蒲焼きの老舗。現在は、赤坂で本格的料亭として営業しているとか。
永倉らがこの店へ立ち寄ったのは、店の者と顔見知りだったなど、安心できる理由があったのだろう。
(※参考『新撰組顛末記』『新選組奮戦記』

たくあん
小野路の小島家に伝わる逸話。
土方歳三は、小野路・橋本家の自家製の沢庵が大好きで、訪問のたび山盛りの沢庵をパリポリ食べていた。
ある時など、樽ごと担いで帰ったという。

農家が漬け物を作る樽は、かなり大きい。
例えば四斗樽なら、高さも直径も約60センチ、容量は約72リットル。さらに大きいものが使われることもある。
沢庵がぎっしり詰まっていたら、独りで担ぐのは困難なのでは。
小さい樽に移してもらったのか、それとも「これほど好物だった」という誇張が入っているのか。
(※参考『新選組余話』

とろめし
これも小野路の小島家に伝わる逸話。
近藤勇が上溝村の佐藤為彦を訪問した折、先客の鷹取胖斎と会った。
夕食の時、とろめし(とろろかけご飯)の大食い対決をすることになり、ふたりは競って食べた。
近藤は19杯、鷹取は20杯食べて、勝負がつく。負けず嫌いの近藤も兜を脱いだ、という。

上溝村は相模国高座郡(現在の相模原市)であり、小野路村とは近い。
佐藤為彦は、上溝村の名主。小野路の小島家や橋本家、近藤一門とも交流があった模様。
鷹取胖斎は、上溝村在住の蘭方医。佐久間象山の門人であり、師匠に劣らぬ奇人であったと伝わる。
近藤も鷹取もとろめしが好物だったそうだが、それにしてもよくこれだけ食べられたものだ。
(※参考『新選組余話』

伝承の類いは、どこまで正確な事実なのか、検証が難しい。
しかしながら、当人と面識・交流のあった人々が伝えた話は、それなりの信憑性を感じさせる。

小野路 小島資料館の門
↑小野路 小島家(小島資料館)の門

まとめ そのほかの関連記事

 葉室麟、木下昌輝ほか『決戦!新選組』 

アンソロジー。6人の作家による新選組の短編小説を収録。
作家6人は、葉室麟、門井慶喜、小松エメル、土橋章宏、天野純希、木下昌輝。
本書の責任表示にも「著者」として6人が列記されている。ただ、当記事タイトルには全員を書き切れないので、便宜的に最初と最後の2人を挙げた。悪しからずご了承いただきたい。

収録作品6編は、以下のとおり。

葉室麟「鬼火」
沖田総司は、少年期の忌まわしい体験によって心的外傷を負う。
以来、感情をうまく表わせない、人に心を許すことができない性格となり、そのまま成長した。
試衛館一党が浪士組に加わって京に上った後、残留者同士の間で勢力争いが起きる。
邪魔者を粛清するよう命じられた総司だが、敵に後れを取ってしまう。その危機を救ったのは芹沢鴨だった。
芹沢は、壬生浪士組を土台に「尊王義軍」を組織しようと、様々な方策を果敢に断行していく。
一方、富商からの押し借り、大坂力士との乱闘事件、大和屋焼き討ち事件などで、乱暴者と恐れられた。
芹沢の優しさを知る総司は、彼の生き方に惹かれ、その行く末を見届けたいと思う。ところが――


本作の沖田総司は、周囲の人間に心から打ち解けられない。土方歳三に対しても、常に距離をおいている。
そんな総司が、芹沢鴨に対して単なる親愛以上の感情を抱く展開は、珍しいと思う。

本作の芹沢鴨は、武田耕雲斎や藤田小四郎と連携して攘夷を実行するため、浪士組に加わった。
壬生浪士組を「尊王義軍」にするため、戦闘集団として組織編成し、鉄の規律を設けたのも芹沢である。既成の作品では、土方が組織編成や法度の制定を行なったとされる例が多い。しかし、本作では「農民出身の近藤や土方にできることではなかった」と記述されている。
芹沢が有栖川宮に接近したのも、攘夷を実行するための一方策。
これほど具体的な目標を持ち、ひたすら努力・邁進する芹沢の人物造形は、ユニークで興味深い。

ちなみに、作者が新選組を描いた作品に、篠原泰之進を主人公とする長編『影踏み鬼』がある。
作者はおそらく、近藤・土方体制に従わない人物のほうが好きなのだろう。

門井慶喜「戦いを避ける」
元治元年6月5日の夜。
近藤勇は、わずかな人数を率いて、池田屋へ御用改めに立ち寄る。
思いがけずここが過激志士らの会合場所と知ったとたん、不本意ながら戦闘に突入してしまう。
焦燥の中、養子の周平が一刻も早くこの場へやってくるよう、ひたすら念じた。
近藤が谷三兄弟の末弟・喬太郎こと周平を養子に迎えたのは、ある大きな計画のためであった。
それは、この皇国(日本)を革めること、そのため新選組を強力な組織に仕立てて資することに他ならない。
やがて土方歳三のグループが駆けつけ、周平もようやく姿を現すが――


大坂にある谷道場を、近藤と原田左之助が訪問する場面が印象的。
本作の谷三十郎は、備中松山の元藩士というより、まるで「浪花の商人」。近藤とのやりとりがユーモラス。
万太郎と喬太郎が評価されると、すかさず自分も売り込む抜け目なさに、近藤もたじたじ。

近藤と周平との関係を描く小説は複数あるが、本作の場合は、板倉勝静(老中、備中松山藩主)が関連した新選組増強計画のあたりにオリジナリティを感じる。
司馬遼太郎「槍は宝蔵院流」、早乙女貢「槍の三十郎」、小松エメル「流木」などと読み比べるのも面白い。
また、近藤の熱しやすく醒めやすい性格は、作者の『新選組颯爽録』にも描かれている。

小松エメル「足りぬ月」
藤堂平助は、幼少期「藤堂和泉守の御落胤」を口実に実母から厄介払いされた、と信じて成長した。
人に必要なのは才と運。運はあれど才が今ひとつ及ばない己には、才のある誰かが必要だった。
山南敬助と出会い、彼の力量を頼みにして、いつか成功を得ようと決める。
山南の伝手で知りあった伊東甲子太郎は、さらに優れた容姿と文武の才を持つ魅力的な人物であった。
それに引き換え、近藤勇は剣・学問・要領・容姿いずれも秀でたもののない凡庸な人物、と目に映る。
やがて「夜道を照らす月」とも頼んだ山南を失った時、伊東を新選組にぜひ入隊させようと企図する――


本作の平助は、複雑な生い立ちから、人間関係を益になるか否かで判断する習慣がある。
損得ぬきの信頼なぞ理想論に過ぎないと思ってきたが、心の奥底では何よりそれを渇望していた。

プライドが高い一方で自己評価の低い平助が、それを自覚しないまま人生を模索する姿は、苦しく切ない。
得がたいものを得ようとする努力は大切だが、すでに得たものの価値に気づかず投げ捨てて「もっと素晴らしい何か」を探し求める生き方は不幸だ。
ただ、それは平助に限った話ではなく、人はこうした面を多かれ少なかれ持っている気がする。

こういう人柄の平助を、卑小な者ではなく共感できる主人公として描いた、作者の力量を感じる。
そのほか、近藤勇、伊東甲子太郎、斎藤一といった脇役の人物も魅力的。
作者の『夢の燈影』『総司の夢』とのつながりを見出すのも、楽しめると思う。

「足りぬ月」というタイトルは、少しだけ欠けた姿の月を意味している。
昨年12月13日の当方ツイートを引用しておく↓

【慶応3年11月18日=1867年12月13日・京都の夜空】
現地時刻で月出18:54、月没9:10(翌日)、月齢16.9(右側が少し欠けている)。
嵯峨實愛の日記によると、18日は晴れて雲が南へ行くのが見えたとか。
油小路事件の時、雲さえ無ければ月もよく見えたはず。
>>Twitter「誠の栞」‎@bkmakoto 2016/12/13

完璧なものだけに価値があるのではなく、多少不足があっても素晴らしいものは素晴らしい。
そのことに平助が気づいたのは、命が尽きようとする瞬間だった。

土橋章宏「決死剣」
慶応3年末、新選組を含めた幕府勢力は京都を引き払う。
永倉新八は、愛する内妻の小常を亡くし、生後まもない娘お磯とも別れ、戦いに臨む覚悟を決める。
負傷した近藤勇、病状が進んだ沖田総司は、戦列を離れた。
布陣した伏見で戦端が開かれると、ここを死に場所と定めた新八は、獅子奮迅の戦いを繰り広げる。
新八にとって、時流も政治も思想も関係ない。剣を極め、信頼する仲間とともに戦うこと、先行きはわからなくても命あるかぎり今を生きることが、何より大切だった――


戦いの描写は迫力満点。
沖田が得意の三段突きを凌駕する必殺技を繰り出したり、新八が剣で薩摩の銃隊を圧倒したり、アクション映画的な味わいがある。

鳥羽・伏見戦争の場面で、新政府方の先込ミニエー銃に対し、新選組は火縄銃を装備している。
幕末、短期間に銃器が目覚ましく発展したのは事実。とはいえ、火縄銃から一足飛びにミニエー銃が導入されたわけではない。時期や地域によって、ゲベール銃やヤーゲル銃が用いられもしたし、幕府方にもミニエー銃・ドライゼ銃・シャスポー銃などを導入していた部隊はあった。
幕府や会津藩が軍制改革を進めていたのだから、新選組もゲベール銃くらいは装備していたと思う。
戊辰戦争で火縄銃が投入されたのは、軍備が遅れていた小藩の勢力、もしくは装備や人員が極端に不足した局面ではなかろうか。

新八の、同志たちと別れても戦いぬき、時代の移り変わりを見つめつつ、己の生を全うした生涯。
本人に「死に遅れた」という思いはあったかもしれないが、亡き盟友たちの分まで生きた、と感じられた。

天野純希「死にぞこないの剣」
会津にやってきた斎藤一は、土方歳三の代理として新選組隊長の任に就く。
松平容保に初めて親しく言葉をかけられ、この主君のために戦おうと決意を新たにした。
白河の攻防戦では、同盟軍の一翼を担って戦い、敵を退ける。しかしその後、新たに着任した総督の指揮が振るわず、劣勢に陥り撤退を余儀なくされた。
次いで、母成峠の守備につく。ところが、傷が癒えて戦線に復帰した土方は、会津藩の敗北を予言する。
曰く、兵員不足の母成峠は突破され、城下戦になる。そうなれば同盟は瓦解するだろう。
「会津を出て蝦夷地へ渡り、徳川旧臣による新政権を樹立する」という壮大な計画に誘われ、一の心は迷う。
やがて、霧を衝き山中の険路を踏破した敵軍が、猛攻を開始する。応戦する守備勢だが――


斎藤一の視点から、会津戦争の苦しさが描写される。
軍事能力より家柄を重視した同盟側の人事。たとえ能力があろうと、軽格者の進言は採用されない。
それらが影響して敗色が濃くなると、ついに心が離れていく者も出る。
このような状況の中、一が敢えて会津に残り戦い続けるに至った理由は、単純だけれども深く大きい。

土方は、合理的な判断から見切りをつけ、新天地を求める。
ただ本作では、一と対比させるため、このように描かれているのだろう。
実際のところ、当初は救援要請が第一だったと思われる。最初から旧幕海軍との合流が目的ならば、新選組を大鳥圭介に預けて米沢方面へ向かう必要はなかった。

戊辰戦争後、明治を生きる一の心境には、土橋章宏「決死剣」の永倉新八に似通ったものを感じた。
性格や生き方はそれぞれ違っても、生き残り幹部としての精神には共通項がありそうだ。
戦後にこのふたりが会ったとしたら、どんな話をしたのか……そんな想像をせずにいられない。

木下昌輝「慈母のごとく」
土方歳三は、鳥羽・伏見の戦場で、旧幕将兵の士気がまったく振るわず、逃げ出すさまを多く目撃する。
やはり鬼となって叱咤激励する指揮官がいなければ、勝てはしない。己は、部下に怯懦の振る舞いを許さない。
近藤勇は、そんな歳三を「厳しいだけでは人はついてこない」と諫める。
それでも歳三は、自分の正しさを信じて疑わなかった。
流山で敵に包囲された時、近藤は指揮官として責任を取り、武士として死ぬため、切腹しようとする。
それを止めた歳三は、一か八かの起死回生に賭け、新政府方へ出頭せよと勧める。
やむなく応じた近藤は、別れ際、歳三にある「約束」をさせるのだった――


「鬼」と畏れられた土方歳三が、戊辰戦争の中で「仏」に変わり部下たちから慕われるようになった経緯の裏には、近藤勇との「約束」があった、という物語。
歳三は、近藤を死なせた償いとして「約束」を守るが、最後の戦いでは破らなければと心に決めた。
ところが激戦の最中、目の当たりにしたのは、歳三のそんな思いとはまったく裏腹な光景だったのだ。
予測が外れてむしろ良かったと思わせる結末が、切なくも温かい。

脇役の野村利三郎と島田魁が、それぞれ妙味を見せている。
野村は、意欲的だけれど強情な性格。何かにつけ他人の非を糺しては叱りつける。しかし、戦いでは常に危険な役回りを引き受けるので、人望がある。
島田は、野村をかつての歳三に似ていると評するが、歳三は「俺はあんな馬鹿じゃない」と不満顔。
そして宮古湾海戦では、やはり野村が真っ先に敵艦へ飛び込んでゆくのだった。

歳三が宇都宮戦で味方の兵を斬ったこと、二股台場山で部下たちを労ったこと、いつしか子に慕われる「慈母」の如く配下の者たちに慕われたこと、箱館市街戦で「退く者は斬る」と宣言したことなど、多くの史料や通説を採り入れつつ、巧みに独自の展開へ落とし込んでいる。
その手法は、『人魚ノ肉』でも活かされていた。

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収録作品の初出は、『日刊ゲンダイ』2016年11月8日~2017年5月1日。
本書は2017年5月、講談社より出版された。四六判ソフトカバー。電子書籍もある。

決戦!新選組




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 歴史時代作家クラブ編『新選組出陣』 

アンソロジー。歴史時代作家クラブに所属する作家9人が、新選組を題材とする短編小説を競作。
それぞれ興味のある隊士を選び、書き下ろした。
巻末に、執筆陣による座談会が収録されている。

「花は桜木 ―― 山南敬助」 天堂晋助
山南敬助は、なじみの遊女とめを連れて、新撰組を脱走した。
胸を患うとめは、故郷の山陰の海を見たいと言う。
その望みを叶えてやろうと旅路をたどりながら、山南は来し方を様々に思い返す。
江戸へ出て剣術修業をするうち、近藤勇ら試衛館の面々と出会い、浪士組に加わり、新撰組を結成し……
死を覚悟した戦いの日々も意欲に溢れていたはずなのに、その情熱はいつしか冷めてしまった。


山南と追ってきた沖田総司とのやりとりが、目新しく感じられた。
ただ、脱走の動機が今ひとつ呑み込めない。
健康上の問題を抱えているわけではなく、ただ「死に飽きた」と言う。また、大名然とふるまう近藤勇に対して、同志すべてが平等であるべき新撰組の在り方に反していると、不満を抱いた様子。
それらが理由ならば、単身脱走すればよいと思う。とめを救うにしても、逃亡の旅に連れ出すのは過酷。
合理的な判断ができないほど精神的に疲れ切っていた、と解釈すればよいのだろうか。

「終わりの始まり ―― 河合耆三郎」 響由布子
勘定方の河合耆三郎は、幼い頃から霊感があり、長じるにつれ霊能力を身につけた。
しかし、人に話しても理解されるどころか奇異の目で見られかねないので、秘密にしている。
新選組では、隊士に憑いた霊を除き、屯所の霊的守りを固めるなど、密かな役割を自主的に担っていた。
ただ、同じように霊感体質の松原忠司とは打ち解けて、何かと相談しあう仲になる。
ある日、西本願寺屯所に見知らぬ僧がやって来た。
この僧を怪しいと直感した耆三郎は、屯所の霊的結界を強化しようとするものの、怪異に襲われる。


新選組とオカルトを組み合わせたのみならず、河合耆三郎を主人公として、勘定方らしく算法の能力を霊的分野にも活かすところがユニーク。松原忠司とのコンビも面白い。
河合と松原について子母澤寛『新選組物語』を読んでいれば、なお楽しめよう。

フィクションを史実にリンクさせていく工夫が上手いと感じられた。
また、この事件が新選組だけでなく、幕府や日本全体に影響を及ぼすと予測させるスケール感もよい。
実際の歴史の裏にもこのようなことがあったかも、などと想像したくなる。

「京の茶漬け ―― 山崎烝」 飯島一次
慶応4年1月、新選組の伏見陣地は、開戦前の緊張感と一時の静けさに包まれていた。
2年半前に入隊した江戸出身の「俺」が独りでいるところへ、山崎烝が声をかける。
「おまはん、京の茶漬けて、知ってるかいな」
たわいない会話は、京坂と江戸との習慣の違いや、お互いの身の上話に及ぶが――


隊士「俺」の一人称で書かれている。その文体にまず仕掛けがあった、と気づかされるのは最後。
長閑な世間話が続くのに、いきなり真相が暴かれる急転直下は、直前まで予想できなかった。
よく考えれば陰惨な結末だが、まるで落語のオチのように軽妙な味わいを持たせたところが巧い。
山崎烝の人物像もなかなか魅力的。

「誠の桜 ―― 市村鉄之助」 嵯峨野晶
慶応3年、14歳にして入隊した市村鉄之助は、厳しい稽古や雑用にも懸命に取り組む。
内部粛正を目の当たりにして、新選組の現実を思い知りながらも、早く一人前になりたいと努めた。
病に伏した沖田総司の看病をするうち、鳥羽伏見戦争が勃発し江戸へ撤退することに。
兄・辰之助が脱走しても、自らは隊に残り、土方歳三の側付きとして奮闘する。
ところが、箱館の戦局が押し詰まった頃、土方から脱出するよう言い渡されるのだった。


前半では、馬越三郎が登場し、武田観柳斎の粛清が描かれる。
実際のところ、慶応3年にはふたりとも在隊していなかった可能性が大きいようだが、子母澤寛『新選組物語』のアレンジとして面白い。

オリジナルの登場人物・お佳代と織江の存在が、物語に奥行きと温かみを持たせている。
戊辰戦争終結後にも印象的な出来事がひとつあれば、いっそう良かったような気がした。

「竜虎邂逅 (りゅうこかいこう)―― 近藤勇」 岳真也
慶応3年11月、若年寄格・永井玄蕃頭尚志を訪ねた近藤勇は、偶然やって来た坂本龍馬と引き合わされた。
互いに変名を名乗りながらも相手の正体に気づいた上で、今後の政局について語りあう。
しかし、それからまもなく龍馬も近藤も世を去った。
永井は、蝦夷地へ渡り箱館戦争に参戦するも、終戦後の明治を生きて天寿を全うする。


永井尚志の視点から見た近藤勇と坂本龍馬、という捉え方は面白い。
ただ、本作の近藤は龍馬の発言に驚いてばかりで、いささか物足りない。
たとえ能弁でなくても、一言くらい鋭く切り返して、龍馬を感心させるところが見たかった。

全体として、もっと永井尚志の生き方に踏み込んでも良かったような気がするが、そうすると新選組の話ではなく「永井尚志伝」になってしまいかねないので難しいだろうか。

「最後に明かされた謎 ―― 土方歳三」 塚本青史
江戸帰還から甲州、北関東、会津、蝦夷地と、土方歳三は戦い続ける。
折々、郷里多摩時代のこと、新撰組結成以降の在京時代のことなど、過去の出来事が思い出された。
箱館で、見廻組・今井信郎と話すうち、話題は坂本龍馬の暗殺に及ぶ。
会津藩家老・西郷頼母や、元若年寄・永井尚志も加わって話すうち、事件の真相が見えてくる。


新撰組の歴史を振り返る描写が、やや冗長に感じられた。
詳しくない読者に対しては親切と思う。ただ、他の収録作は予備知識のある読者に向けて書かれているのに、なぜ……。ひょっとして、本作が他の作品の分まで解説を引き受けているのだろうか?

細かいながら、多少引っかかる点がいくつかあった。
例えば、歳三の郷里が「武州多摩郡桑田村石田」と書かれている。明治22年に石田村と近隣村々が合併し「神奈川県南多摩郡桑田村」が発足した事実はあるものの、幕末に桑田村は存在していない。
また、松前藩士・桜井某らを使者として派遣したくだりには、彼らを峠下で捕虜にしたとある。しかし実際、桜井長三郎たちは藩内抗争処理のため本州へ渡り箱館へ戻ってきただけで、戦闘の捕虜ではない。

坂本龍馬の暗殺は、直接関与したわけではない新撰組にも多大な影響を及ぼした、重要事件だとは思う。
ただ、「龍馬が存命なら戊辰戦争は起きなかった」とまで言えるのかどうか、考えてしまった。

「時読みの女(ひと) ―― 永倉新八」 鈴木英治
剣術修業のため諸国を廻り、江戸へ戻ってきた永倉新八は、本所亀沢町の百合元昇三道場に寄宿していた。
ある日の外出中、水路に転落しおぼれかけた女を救う。
お夕那と名乗った女は、新八に好意を寄せてくる。ふたりはやがてわりない仲となった。
しかし新八は、坪内主馬道場・師範代の座をかけた叢雨郷兵衛との試合を間近に控えており、色恋に迷っている余裕などはない。
そんな時、同門の片桐真之丞が、新八の命を狙う者がいるので用心するよう忠告にきた。
大坂で新八に斬られた強盗一味の頭目が、死の間際に刺客を雇ったのだという。
新八は、刺客の気配に気づきながら、お夕那への思いや試合への迷いも抱え、心を悩ませる。


文久元年頃の永倉新八を主人公とする、ミステリータッチの物語。
迷い悩みながら剣に情熱を注ぐ青春の日々が、活写されている。
親友の市川宇八郎も登場。沖田宗次郎(総司)は、時々訪ねてきて試合稽古をする仲。
お夕那に卜占の才能があり、その予言のとおりに新八が生きていくことを示唆して終わるのが面白い。

「天孤の剣 ―― 沖田総司」 大久保智弘
小野路の小島家へ出稽古に訪れた沖田総司は、同家屋敷の大屋根に上り、遠くを見渡していた。
「私たちの行く末を見たい」と言った彼が、そこで何を見たのかはわからない。
しかし、それを目撃した増吉少年(後の小島守政)は、夕陽に照らされた姿を心に深く刻む。
剣にかけては天才ながら、門人たちにつける稽古が荒っぽく、怖れられる総司。
山南敬助の優しく丁寧な指導とは、対照的だった。
そんな若い総司が、やがて試衛館の面々とともに京へ上り、目覚ましい活躍を見せる。
新選組の動向は、多摩にも手紙によって報告された。


沖田総司の生涯を、主に小島鹿之助と増吉父子の視点から描く。
近藤周斎、佐藤彦五郎、井上松五郎なども登場。近藤勇や土方歳三の前歴にも触れている。

多摩の剣法・天然理心流の興起と、それを支えた豪農層のつながりが、なかなか興味深い。
郷党の人々が、激動の時代における総司の生き方をどのように見ていたか、彼にどのような期待を抱いていたか、それらに焦点を当てたところがユニークと言えよう。
多摩の地理や風土も、現地取材の成果によってリアルで魅力的に描写されている。

タイトルを最初は「天狐の剣」と思ったが、よく見たら「天孤の剣」だった。
天に向かってひとり立つ、という意味らしい。
短い生涯の中で、彼は見たかった景色を見ることができたのだろうか、と思った。

「誠の旗の下で ―― 藤堂平助」 秋山香乃
藤堂平助は、尊皇の志を貫くため、伊東派の分離脱退に同行しようと決意する。
永倉新八は、そんな平助を呼び出して真意を糺し、苛立ちと無念を吐露する。
平助もまた、脱退は盟友らへの裏切りと感じていたが、かといって留まり続ければ自らの志を裏切ることになってしまう、という二律背反に苦しんでいた。
それでも、平助の決意は揺るがない。もし互いの組織が武力をかけて衝突する日が来たら、その時は新八に斬られて死ぬと、半ば冗談、半ば本気で言い置くのみだった。


伊東派の分離画策から油小路事件に至るまで、藤堂平助の生涯と苦悩を描く。
作者の初期長編『新選組藤堂平助』との共通項も多い。
ただ、前作にあった粗削りな面やそこはかとないBL風味は見られず、いっそう読みやすくなっている。
短編ながら、平助が新撰組を去り盟友らと戦うことになる心境はきっちり書かれており、深く共感できる。
永倉新八との友情が強調されているところも、興味深い。

新撰組を去ってもなお「誠の旗の下で」誓った志のために生き、「誠の旗の下で」戦い命を散らした平助の姿が、鮮烈な印象を残す。

【特別企画】「新選組誕生と清河八郎」展を観に行く 座談会 ―― 鳥羽亮・秋山香乃他
2013年、日野市立新選組のふるさと歴史館にて開催された特別展を見学しての座談会。
参加者は、本書執筆陣から鳥羽亮・秋山香乃・鈴木英治の3人と、清河八郎の直系子孫と、同館の学芸員。
特別展の感想、史実と創作との兼ね合い、作家9人が競作した本書の意義などを語りあう。

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各作品に、主人公隊士の人物紹介が付いている。
150字程度の簡単な解説だが、読者に対する配慮として親切と思う。

「新選組」「新撰組」の表記は、収録作ごとに異なっている。
作家それぞれの方針を尊重し、本書全体で統一することは敢えて控えたのだろう。

2014年、単行本が廣済堂出版より刊行された。責任表示は、執筆作家9名すべてが列記されている。
2015年、徳間文庫版が出版された。責任表示は「歴史時代作家クラブ」のみ。文庫版解説は菊池仁が担当。

新選組出陣



新選組出陣
(徳間文庫)




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 池波正太郎、森村誠一ほか『血闘!新選組』 

アンソロジー。10人の著名作家による、新選組を主題とした短編小説の傑作選。
収録作品は、当ブログではすでに紹介済みのため、以下のとおりまとめ記事とする。

池波正太郎「色」
新選組の興亡を背景に、土方歳三と経師屋の女主人お房との、出会いと別れを描く。
詳しくは、池波正太郎「色」を参照。

大内美予子「おしの」
沖田総司と武家娘おしの、ふたりの衝撃的な出会いと再会、そこから始まる苦しい恋。
詳しくは、大内美予子『沖田総司拾遺』を参照。

藤本義一「赤い風に舞う」
但馬出石の豪商宅に奉公する娘お鈴と、桂小五郎を追ってきた山崎烝との出会いと別れを描く。
詳細は、藤本義一『壬生の女たち』を参照。

宇能鴻一郎「群狼相い食む」
床伝の娘おみの、彼女を狙う不逞浪士たち、そして危機を救おうとする斎藤一の活躍。
(※「軍狼相い食む」と表記しているサイトを見受けるが、おそらく変換ミスであろう。)
詳しくは、宇能鴻一郎『斬殺集団』を参照。

南原幹雄「女間者おつな」
山南敬助を愛し、そのために自ら進んで密偵となった女の悲劇的な末路。
詳しくは、南原幹雄『新選組情婦伝』を参照。

火坂雅志「石段下の闇」
幽霊の見張りに立たされた新選組隊士・九戸市蔵が、情婦と家族との板挟みになって悩む。
詳しくは、火坂雅志『新選組魔道剣』を参照。

津本陽「祇園石段下の血闘」
薩摩藩士・指宿藤次郎が新選組に潜入し、身元が割れる前に脱走するも、見廻組と闘うことになる顛末。
詳しくは、津本陽『明治撃剣会』を参照。

新宮正春「近藤勇の首」
芹沢派の生き残り・平間重助と、刑死を免れた近藤勇との、知られざる対決を描く。
詳しくは、 新宮正春『勝敗一瞬記』を参照。

中村彰彦「五稜郭の夕日」
箱館を落ち延びた少年隊士・市村鉄之助を、土方歳三の義兄・佐藤彦五郎が庇護する物語。
詳しくは、中村彰彦『新選組秘帖』を参照。

森村誠一「剣菓」
明治半ば、東京の裏街に住む老人・入布新(永倉新八)と、内気な少年・留吉との、友情と師弟愛を描く。
詳しくは、 森村誠一『士魂の音色』を参照。

収録作一覧を見て、なかなか面白いラインアップと思った。
編集と解説は、末國善己が担当している。
2016年、実業之日本社文庫より刊行された。

血闘! 新選組
(実業之日本社文庫)




ちなみに、さいとうたかをのマンガ(劇画)にも『血闘!新選組』と題する作品があり、リイド社から単行本が出ている。間違う人はそういないと思うが、念のため要注意。

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