新選組の本を読む ~誠の栞~

小説 史談 エッセイ マンガ 研究書など

 山田風太郎『警視庁草紙』 

明治初期の東京に起きる、数々の不可解な事件。
旧幕臣の千羽兵四郎らと、警視庁大警視の川路利良らとが、事件をめぐり対決するさまを描く、伝奇ミステリー。
タイトル読みは「けいしちょうぞうし」。形式としては短編連作集。ただ、各編の独立性より相互の関連が重視され、全編で1本のストーリーを成しているため、実質的には長編小説と言えよう。

各編の内容は以下のとおり。◯はゲスト的に登場する歴史上の人物。

明治牡丹灯籠
明治6年10月28日の朝、西郷隆盛が東京を去り、川路大警視らはそれを見送る。
その前夜、警視庁の巡査・油戸杖五郎は、不可解な出来事に遭遇していた。
美女の乗る人力車が去った後、路上に大量の血が溜まっていたのだ。
轍の跡を追って発見した粗末な家では、旧旗本・羽川金三郎が変死を遂げていた。
現場近くに住む三遊亭円朝は、当夜の状況を執拗に問い質され、とばっちりを恐れる。
千羽兵四郎、神田三河町の半七、冷酒かん八の3人は、円朝を助けようと真相究明に乗り出す。
そこへ訪れた不意の来客は、かつて羽川と婚約していたお雪であった――

◯西郷隆盛/三遊亭円朝

黒暗淵(やみわだ)の警視庁
料理屋で殺人事件が起きる。土佐訛りの壮士が、他の客と揉めたあげく、相手を斬殺したのだった。
捜査を開始した油戸巡査は、高知県士族・黒岩成存を容疑者として逮捕する。
その6日後、右大臣・岩倉具視は刺客の集団に襲われ、からくも危地を脱した。
警視庁が容疑者グループの検挙に乗り出す。この襲撃事件には、お雪の夫も関わっていた。
兵四郎たちは、お雪が苦境に立たされ、ひいては自らも追及される危機を案じて、対応策を練る――

◯黒岩成存/岩倉具視

人も獣も天地の虫
警視庁が密売春の大規模な摘発を行い、多数の売女が逮捕される。
その大半は、生活に窮した家族を救うため、身を堕とした旧幕臣の子女だった。
5人の知友が捕えられてしまい、お蝶は彼女らを伝馬町の牢屋から救出するよう、兵四郎に懇願する。
窮した兵四郎は、やむなく旧旗本・青木弥太郎に相談。
弥太郎は、かつて悪逆の限りを尽くした大悪党だったが、徳川の恩顧に報いるべく協力、策略を提示する――

◯小政(清水次郎長の子分)/青木弥太郎/お竜(坂本龍馬の妻)/おうの(高杉晋作の愛人)

幻談大名小路
ある夜、かん八は、盲目の按摩・宅市を偶然に暴漢から救う。
宅市は、何者かに大名小路の屋敷へ連行され、かつて自分の視力を奪った奥戸外記と引き合わされた後、郊外に置き去りにされ、そこへやって来た別の者に襲われた、と一連の不可解な体験を語る。
一方、小松川の癲狂院を訪れた油戸巡査は、院長から不審な事件を打ち明けられた。
昨夜、院の門前で奥戸外記が自害し、彼によって入院させられていた女性が何者かに連れ去られたという。
警視庁の捜査によると、外記は大聖寺藩の国家老の子息であり、戊辰戦争では日和見して藩政を惑わせ、維新後に政府の要職を得ていた――

◯夏目漱石/樋口一葉

開化写真鬼図
兵四郎は、横浜から帰途の新橋ステーションで、女と若者の揉め事を見かけてつい仲裁に入った。
若者は肥後熊本出身の桜井直成と名乗り、兵四郎に「決闘の介添人になって欲しい」と懇願する。
桜井は横浜・岩亀楼の小浪という遊女に執着し、決闘するのは彼女のためだと語る。
一方、油戸巡査は、剣術道場で知りあった南部藩出身の青年・東条英教から、やはり決闘の介添を依頼される。
そして決闘の当日。決闘場に赴いた兵四郎は、加治木警部に怪しまれ、危機に陥る。
隅老斎は、写真師・下岡蓮杖の力を借りて兵四郎を救うべく、策をめぐらす――

◯桜井直成/唐人お吉/東条英教/下岡蓮杖/種田政明

残月剣士伝
直心影流男谷派の榊原鍵吉は、かつて講武所教授を務めた幕臣だが、維新後は禄を失い活計に窮していた。
警視庁の剣術師範に迎えたいと旧知の今井巡査らに懇請されるも、新政府に仕える気はない。
そこで、弟子の勧めによって剣術の見世物をはじめる。
この「撃剣会」興行は、予想外の大人気を集め、他流からも似たような境遇の師範たちが集まる。
一方、腕の立つ師範を求める川路大警視は、彼らが奉職を厭い「撃剣会」に集まるのを快く思わない。
その意を忖度した加治木警部の命により、元新選組の平間重助が「撃剣会」潰しを実行する。
困り果てた榊原のもとに、からす組の隊長・細谷十太夫として勇名を馳せた鴉仙和尚が訪れる――

◯榊原鍵吉/上田馬之助/天田愚庵/島田一郎・長連豪・杉本乙菊・脇田巧一/平間重助/細谷十太夫/永倉新八

幻燈煉瓦街
戯作者の河竹黙阿弥と、元お坊主の幸田成延を交えて、銀座の煉瓦街を訪れた隅老斎と兵四郎。
そこで、一行はのぞきからくりの興行に目を留める。
興行師が語るストーリーは、尾去沢銅山事件をめぐる政府高官の汚職を告発する内容だった。
興行がはねて人通りも絶えた夜ふけ、路地を見回っていた油戸巡査は、三味線の音に気づく。
のぞきからくりが行なわれていた建物に突入すると、中では三味線を手にした男が死んでいた。
その男は、井上馨から尾去沢銅山の払い下げを受けた岡田平蔵であった――

◯河竹黙阿弥/幸田露伴/井上馨/由利公正/からくり儀右衛門/東条英教/村井茂兵衛/江藤新平/三千歳花魁

数寄屋橋門外の変
のぞきからくり事件から1ヶ月後、かん八は人捜しのため銀座を訪れる。
事件の現場となった建物は、なんと井上馨が買い取り、貿易商社「先収会社」を置いていた。
その建物において、またも事件が起きる。
先収会社の社員18人が、変死体となって発見されたのだ。被害者の全員が、なぜか旧彦根藩士であった。
岡田平蔵の殺害に続くこの事件に、井上馨は激昂し、川路大警視に対して早期解決を強く迫る。
そして巡査・菊池剛蔵に容疑がかかる。菊池は事件当時、現場で不可解な体験をしていた――

◯井上馨/板垣征徳/米内受政/徳川昭武/井伊直憲

最後の牢奉行
旧幕時代から伝馬町にあった牢屋敷は、新政府により「囚獄署」と名を変え、引き続き利用されていた。
明治8年、囚獄署は市ヶ谷へ移転することとなる。川路大警視は、移転準備の視察に訪れる。
当時、斬首刑の廃止が議論されていたため、執行の実情を検分するという目的もあった。
ところが、当日斬刑に処される予定の罪人が、独居房で絞殺されて見つかる。
犯人として疑われたのは、牢番の石出帯刀。彼は旧幕時代には牢奉行であったが、今では冷遇されていた。
石出の子であるお香也と柳之丞の姉弟は、隅老斎に父の無実を訴え、救出を懇願する―

◯山田浅右衛門吉亮/石出帯刀(十七代)

痴女の用心棒
参議・広沢真臣が何者かに暗殺されて4年。容疑者として逮捕された愛妾おかねが、無罪放免となった。
事件は未解決であり、真犯人が唯一の目撃者おかねに接近する可能性がある。
加治木警部は、油戸巡査に彼女の身辺を見張るよう命じた。
まもなく、おかねは旧会津藩士・千馬武雄と所帯を持つ。貧しいながら、夫婦の仲は濃密に睦まじい。
油戸巡査に代わって見張りに就いた紙屋巡査は、夫婦に執拗に接近し、監視を続ける。
千馬は、監視者を真犯人と思い込み「妻が狙われている」と佐川官兵衛や隅老斎に訴える――

◯佐川官兵衛/永岡敬次郎/長連豪

春愁 雁のゆくえ
前回の事件にて殺人の疑いをかけられた兵四郎を救うため、隅老斎は警視庁に匿名で投書する。
これを怪しんだ加治木警部は、紙屋巡査に兵四郎の身元を探るよう密命を下した。
紙屋は、調査のため、柳橋の売れっ子芸者・お千に接近。
目的を忘れて彼女に迫ったあげく、情人の永岡敬次郎によって手ひどく撃退される。
これを恨んだ紙屋は、永岡が書いた密書を奪い去り、お千を脅迫する――

◯黒田清隆/大久保利通/森鴎外/賀古鶴所/永岡敬次郎/玉木真人/乃木希典/野村靖

天皇お庭番
兵四郎たちは浅草に出かけた折、手裏剣打ちの大道芸に目を留める。
飛んでくる手裏剣を避けながら舞う盲目の男は、旧幕時代に徳川のお庭番を務めた針買将馬。
彼に向けて手裏剣を打つのは、妻お志乃であった。
針買は現役時代、薩摩のお庭方によって視力を奪われていた。
手を下したお庭方の頭は今の川路大警視であり、その部下たちも警視庁の密偵となっている。
しかし、針買は過去を捨て去り、虚心坦懐の境地に生きていた。
そんな針買に、かつての徳川お庭番の同僚・杉目万之助らが接近し、報復するよう勧める――


妖恋高橋お伝
山田浅右衛門は、市ヶ谷囚獄署にて首斬り役を務めていたが、近頃は剣技が衰えたと感じる。
そんな時、たまたま出会った街娼のお伝に迷ったあげく、大金を持ち逃げされてしまう。
お伝は、近所に引っ越してきた4人の士族のうち、若く美貌の長連豪に強く惹かれていた。
経済的に逼迫している彼らを、何くれとなく面倒見るお伝。しかし、連豪の態度は冷たい。
その連豪から急に借金を頼まれて、有頂天になったお伝は、金を工面するため殺人を犯す。
ところが、連豪に金を渡した翌日、彼ら4人の姿は寓居から消えていた――

◯山田浅右衛門吉亮/高橋お伝/小川市太郎/島田一郎・長連豪・杉本乙菊・脇田巧一/熊坂長庵

東京神風連
明治9年の夏、兵四郎たちは、横浜の根岸競馬場で軽気球の飛行実験を見物した。
その帰途、島田一郎たちと同じ汽車に偶然乗り合わせる。
隅老斎は、彼らにも、また自分たちにも、警視庁の監視がついていると気づく。
しかし、なぜ拘引されず泳がされているのか、理由はわからない。
一方、川路大警視らの宴席に侍ったお蝶は、永岡敬次郎の同志2人が警視庁に狙われていると知る。
お蝶の懇願を受けて、兵四郎はこの2人を助けようとするも、自身が窮地に陥ってしまう――

◯からくり儀右衛門/谷干城/島田一郎・長連豪・杉本乙菊・脇田巧一/山県有朋/山岡鉄舟/静寛院宮/根津親徳・平山直一/前原一誠/永岡敬次郎

吉五郎流恨録
掏摸の名人・むささびの吉五郎が、兵四郎たちの協力者になる以前のこと。
安政6年、捕えられ伝馬町の牢屋敷にいた吉五郎は、三宅島への遠島に処される。
島の暮らしは非常に過酷であり、赦免される望みもほとんどない。
生きのびたのは、牢内で酔いどれ絵師から手に入れた「笑い絵」を隠し持ち、巧みに利用したためだった。
明治5年、吉五郎は赦免され本土へ戻り、すっかり変わった世の中に戸惑いつつ、吉田松陰の知る辺を捜す――

◯吉田松陰/河鍋暁斎/山城屋和助/山県有朋/野村靖

皇女の駅馬車
思案橋事件において永岡敬次郎と同志らが逮捕された後、残された家族たちは生活に窮していた。
その境遇を案じたお千の依頼を受け、兵四郎たちが消息を尋ねてまわる。
旧会津藩士の子・柴五郎が協力して、家族の子供たち30人がお千の隠棲先へ預けられた。
兵四郎は「永岡を助けて仇を討つ」というお千の願いをかなえたいが、それには多額の費用がかかる。
そこで、費用を工面するため、熊坂長庵から持ちかけられた密謀に乗ろうと思い立つ。
折しも静寛院宮が、十四代将軍家茂の木像を京都から東京へ馬車で運ばせようとしていた――

◯柴五郎/熊坂長庵/山岡鉄舟

川路大警視
前編の続き。兵四郎ら一行は「静寛院宮御用」の馬車を駆り、家茂像と秘密の荷を運んでゆく。
加治木警部の命を受けた4人の巡査が追うも、荷の中身を究明することはできない。
駿河に入ると、どこからか渡世人たちが現われ、次第に人数を増やしつつ馬車の護衛に加わって走る。
ついに安倍川のほとりで、4人の巡査は渡世人の頭目を捕えようと挑みかかった。
一方、川路大警視は、鹿児島へ密偵を送り込むべく部下たちに指示を与えていた――

◯清水の次郎長/大政/天田愚庵/山岡鉄舟

泣く子も黙る抜刀隊
明治10年2月7日、築地の海軍操練所にて、軽気球の2度目の実験が行なわれる。
兵四郎は、隅老斎に同行し見物する予定だったが、永岡敬次郎が処刑されるという知らせに市ヶ谷監獄へ向かう。
しかし、それは兵四郎を捕えようとする警視庁の罠だった。
一方の実験場では、川路大警視が隅老斎と対決した末、逮捕しようとする。
ところが、隅老斎についてきたお蝶が兵四郎の危機を知って逆上し、思わぬ行動に出た――

◯からくり儀右衛門/清水定吉

レギュラーの登場人物は、以下のとおり。

千羽兵四郎
26~27歳。旧幕時代は町奉行の同心。伊庭道場で心形刀流の免許皆伝を受けた、剣の遣い手。
幕府瓦解後、愛人お蝶のヒモ同然となって暮らしている。
新政府に対して反感を抱いているが、かといって転覆させようなどという物騒な考えはない。
不遇な者を放っておけない義侠心、警視庁を翻弄して楽しむ遊び心ゆえに、事件に関わることとなる。

隅老斎(駒井相模守信興)
旧幕時代、江戸南町奉行を務めた。
瓦解後、奉行所跡地の小さな家にひっそりと住まう。何事にも動じない、鷹揚で上品なご隠居。
推理力に長け、兵四郎に何かと知恵を貸す、頼もしいアドバイザー。新政府側の有力者にも顔が利く。
通称の「隅老斎」は、バロネス・オルツィ作「隅の老人」シリーズが由来と思われる。

冷酒かん八
30歳くらい。旧幕時代、神田三河町の半七親分の下で働いていた目明し。
冷や酒を飲みながら仕事をするので、この渾名がついた。
瓦解後、三河町で昔ながらの髪結床を営業する。近代的な床屋もザンギリ頭も大嫌い。
少々お調子者だが、面倒見が好い。兵四郎や隅老斎のため、骨身を惜しまず働く。

お蝶
柳橋の芸者。芸名は「小蝶」。御家人の娘だったが、幕府瓦解によって芸者となる。気っ風が良い。
新政府の要人や役人を嫌い、そうした客の座敷に出ても口をきかないが、その美貌ゆえに容認されている。
ヒモ同然の兵四郎を養いつつ、いつか大事を成し遂げる男と期待をかける。
同輩や似たような境遇の女たちが困っていると放っておけず、兵四郎に救援を依頼することも度々ある。

川路利良
薩摩出身、司法省警視庁の大警視。頭脳明晰で冷静沈着、時に非情な決断も辞さない。
西郷隆盛によって抜擢されたため、深く恩義を感じ、心服している。
薩摩藩士時代すでに御庭番を使いこなしていたため、警視庁でも密偵を使うのが巧み。

加治木直武
警部。川路の腹心。薩摩出身で、やはり西郷隆盛を信奉している。職務に忠実。性格はわりと直情径行。

油戸杖五郎
巡査。長身で体格が良い。生真面目で職務に忠実。優れた棒術の遣い手で、巡査の六尺棒を見事に扱う。
維新後は生活苦に追われ、ようやく警視庁に職を得たものの、旧仙台藩士の前歴ゆえに出世の見込みはない。
家庭では、しっかり者の妻おてねに頭が上がらない。

菊池剛蔵
巡査。油戸の同僚。元は水戸浪士、前名は海後嵯磯之助。
万延元年3月3日、桜田門外の変で井伊直弼を要撃したグループの一員だった。

藤田五郎
巡査。油戸の同僚。元新選組の斎藤一。
外見について「のんきそうな、平べったい容貌」と形容される。

今井信郎
巡査。油戸の同僚。元見廻組の組士。
旧幕時代の話はほとんどしない。キリスト教に傾倒している。

---
ストーリーは創作であるが、歴史上の事件を背景として歴史上の人物が多く登場する。
虚実ない交ぜの、ある種贅沢な群像劇に仕上がっている。
伏線の張りかたも面白い。登場人物をめぐる因縁が複雑で、なおかつ意外性に富む。

あまり重要でない脇役などは、てっきり架空の人物だと思ったら、モデルが実在することも多い。
人物や背景となった出来事へを調べていくと、なかなか勉強になる。
あっさり読み流しても楽しめるが、歴史好きならこだわってみるのも妙味だろう。
史実をどれだけ承知しているか、創作との境界をどこまで見極めることができるか、作家と勝負しているような気分にもなってくる。

本作を読んでみた理由のひとつは、藤田五郎が登場すること。
警視庁の巡査として度々活躍し、新選組隊士だったという前歴も語られる。
ただ、ストーリー全体から見ると、重きを成すほどの役回りではない。
永倉新八佐川官兵衛も登場するのに、藤田との関わりはまったく描かれない。
新選組に関心を寄せる者として、この点は残念と言えば残念である。

どちらかというと新政府方の人物よりも、旧幕方の人物へのシンパシーを感じさせる描写が多い。
その一方で、ストーリー全体は川路大警視の深慮遠謀に貫かれている。
川路がこれほどに大きな敵役であればこそ、千羽兵四郎や隅老斎たちの活躍が際立つのかも。

最後に、作家らしい奇想天外なスペクタクルがある。
そのカタルシスのまま完結するかと思ったら、さらに予想外のオチがついて終わった。
千羽兵四郎と川路大警視との3~4年にわたる対決は、果たしてどちらが勝ったのだろう。
どちらとも解釈できる可能性を残して終わるところが、心憎い。

幕末から明治へと激しく時代が変わる時、人々の運命も大きく変わった。
混乱に乗じて成功を得た者もいれば、かつての地位から転落した者もいる。
ただ、その立場はいつ逆転するかもしれない危うさもはらんでいる。
そうした人々の波乱に満ちた人生を、アイロニーやペーソスを交え巧みに描き出しているところも秀逸。

---
本作は2001年、NHK金曜時代劇としてドラマ化された。
タイトルは「山田風太郎 からくり事件帖 ―警視庁草紙より―」、全9話。

本作の初出誌は、文藝春秋刊『オール讀物』。
1973年7月号から1974年12月号まで、全18回にわたり連載された。

これまでに出版された書籍は、おおよそ以下のとおり。
『警視庁草紙』上・下 文芸春秋 1975
『警視庁草紙』上・下 文春文庫 1978
『山田風太郎コレクション 警視庁草紙』上・下 河出文庫 1994
『山田風太郎明治小説全集 1 警視庁草紙』 筑摩書房 1997
『山田風太郎明治小説全集 1 警視庁草紙 上』 ちくま文庫 1997
『山田風太郎明治小説全集 2 警視庁草紙 下』 ちくま文庫 1997
『山田風太郎ベストコレクション 警視庁草紙』上・下 角川文庫 2010
電子書籍も各種出版されている。

警視庁草紙 上
山田風太郎ベストコレクション
(角川文庫)



警視庁草紙 下
山田風太郎ベストコレクション
(角川文庫)




 大佛次郎『角兵衛獅子』 

長編小説。時代小説『鞍馬天狗』シリーズの一編。タイトル読みは「かくべえじし」。
勤王の志士・鞍馬天狗と彼を慕う杉作少年との絆、そして鞍馬天狗と近藤勇との戦いを描く。

あらすじは以下のとおり(序盤のみ)。

「角兵衛獅子」とは、小さな獅子頭をかぶった子供が演じる曲芸である。
杉作は、その角兵衛獅子の演じ手だった。
京都の往来で芸を見せ、見物人の投げる銭を拾って日々を暮らす。

その日も、弟分の新吉とふたりであちこち回ったが、ふと気づくと稼ぎを入れた財布をなくしていた。
そのまま帰れば、親方にきつく折檻される。かといって、他に行くあてもない。
泣きじゃくる新吉を連れて途方にくれていた時、小さな寺の前で、見知らぬ侍に声をかけられる。
侍は事情を聞くと、杉作たちに金銭を与え、優しく励ました。
杉作は、いつかこの恩を返したいと思い、「倉田」と呼ばれた侍の名を心に刻む。

杉作は新吉とともに急ぎ帰ったが、財布をなくしたことが親方・長七に知れてしまう。
厳しく詰問され、やむなく事情を話した。
すると長七は、「倉田」とはお尋ね者の「鞍馬天狗」ではないか、と推測。
隠れ家を突き止め、新選組に知らせて褒美を得ようと画策する。
杉作は、図らずも「親切なおじさん」に仇を為すはめになってしまい、苦しむ。
倉田にこの事態を知らせたいと思い巡らすものの、良い方策は浮かばなかった。

翌日、杉作は長七に、倉田と出会った松月院へ案内させられる。
その途中、新選組の隊長・近藤勇に出会った。
近藤は、連日のように隊士を鞍馬天狗に斬殺されて、ただではおかぬと憤る。
長七の報告によって、隊士たち7~8人が松月院へ同行することとなる。

松月院には、果たして倉田がいた。
長七は、杉作を連れて感謝を述べにきたように装う。
しかし倉田は、長七の魂胆を早々に見破り、大胆にも自ら「鞍馬天狗」と名乗る。
そこを新選組隊士たちが取り囲み、激しい戦いとなった。
やがて、近藤勇が新たな手勢を率いて到着し、逃走しようとする倉田の背に短筒を向ける。
その刹那、杉作は無我夢中で近藤の腕に飛びついた――


主な登場人物は、下記のとおり。

杉作
本作の主人公。年齢は13~14歳(数え年か満年齢か不明)。
親方・長七の下で、角兵衛獅子として働いている。身軽で、高所へ上るのも得意。
肉親の所在や前歴について作中に記述がなく、孤児であるらしい。
恩人の鞍馬天狗になんとか報いたいと、子供ながらに東奔西走し、危険な目に遭いながらも力を尽くす。

鞍馬天狗(倉田典膳)
本作のもうひとりの主人公。勤王の志士。主家を持たず、素性も本名も一切が謎である。
一刀流皆伝の優れた剣士であり、馬術も得意。
目元涼しく、口元にそこはかとなく微笑をたたえ、きりりとした男前。
つねに冷静沈着、泰然自若として、時にはユーモアのセンスも見せる。
単独行動が多く、大胆不敵にもひとりで新選組屯所に斬り込んだり、大坂城に乗り込んだりする。
たとえ絶望的な状況に陥っても、諦めたり挫けたりはしない。
高き志を持ち、より良い国造りのため活動しつつ、弱者を労る細やかな人情も忘れない。

隼(はやぶさ)の長七
角兵衛獅子の親方。強い者に媚び弱い者を虐げる、因業な性格。
聖護院の近くに住み、杉作ら8人ほどの子供を手元に置き、角兵衛獅子をさせて稼ぐ。
厳しいノルマを課し、達成できない者に体罰を加えるので、子供たちから恐れられている。
お上から十手を預かる目明しでもあり、近藤勇に命じられて鞍馬天狗を追う。

黒姫の吉兵衛
鞍馬天狗の配下。痩身で、目のぎょろりとした、すばしこい男。
かつては泥棒だったが、鞍馬天狗に助けられて改心した、という過去の持ち主。
恩人のためには命を惜しまない。鞍馬天狗が危機にあると聞き、杉作とともに大坂へ向かう。

近藤勇
新選組の隊長。筋の通らないことや卑怯なことを嫌う、潔癖でまっすぐな気性の持ち主。
短気なところもあるが、寛容の精神も持ち合わせている。
猛者ぞろいの新選組を束ねるだけあって、強力な剣客であり、その腕は鞍馬天狗と互角。
鞍馬天狗を敵として追う一方、彼の技量や人格を認めてもいる。

くらやみのお兼
女密偵。若いながらも度胸のある女丈夫。機転が利き、抜け目ない。
土方歳三の依頼で、幕府要人の秘密会談における連絡・探索役を担う。
新選組や大坂城代と協力し、鞍馬天狗を追い詰めていく。
決して冷酷な性格ではないが、任務のためには杉作にも情け容赦しない、忠誠心と非情さを見せる。

西郷吉之助
薩摩藩士。藩士たちのリーダー的存在として、慕われている。
鞍馬天狗とは、勤王のために尽くす同志として肝胆相照らす仲。
長七に使われていた杉作たちを預かり、薩摩屋敷に置いて面倒を見てやる。

土方歳三
近藤勇と並び称される新選組の幹部。その強さは知れ渡っている。
登場は1場面のみだが、礼儀正しく、冷静で周到な人柄の様子。
幕府要人の秘密会談の警備にあたり、鞍馬天狗の妨害を警戒、くらやみのお兼に連絡・探索役を依頼する。

---
『鞍馬天狗』シリーズは、大佛次郎の代表作のひとつ。
大正13年(1924)の「鬼面の老女」から昭和40年(1965)の「地獄太平記」まで、長編短編あわせて全47作が発表されている。
本来は一般向け小説だが、少年向けに書かれたものも5作ほどある。
本作「角兵衛獅子」は、シリーズ11作目にして少年向けの嚆矢であり、昭和2~3年(1927-1928)『少年倶楽部』誌に連載された。

『鞍馬天狗』シリーズは、度々映像化されている。
映画は、原作小説第1作の発表と同じ年に始まり、主演・監督・配給会社を変えつつ60本近くが制作された。
中でも、アラカンこと嵐寛寿郎(1902-1980)が演じた鞍馬天狗は、大人気を博す。
フィクションにおける「素顔を隠した正義のヒーロー」像の成立も、アラカンの天狗がルーツとされる。

ただ、原作者の大佛次郎は「アラカンの天狗は人を斬りすぎる」との不満を訴えた、とか。
他にも業界の諸事情が絡んでいたようだが、結局、アラカン主演映画の制作は打ち切られる。
その後、別の俳優を使い原作者の意向に忠実な映画が作られたが、こちらは興業不振で長続きしなかった。

『鞍馬天狗』というタイトルに、個人的には「勧善懲悪ものの代名詞」というイメージを持っていた。
古い作品でもあるから、おそらく「徳川幕府は旧弊で打倒すべきもの、倒幕勢力こそが正しい」という史観に基づいて書かれ、中でも新選組などは「幕府に盲従する走狗」扱いなのでは?……などと思っていた。
(映像化作品では2008年のテレビドラマを見たが、現代ふうにアレンジされているように感じた。)

しかし、「人を斬りすぎる」映画がイヤだと言うからには、原作者は単なる痛快娯楽時代劇を書いたつもりはないのだろう。それでは何を書きたかったのか、確認すべく本作を読んでみた。

本作「角兵衛獅子」は、少年向けのため、「です・ます」調の文体で書かれている。
(※同じ『鞍馬天狗』シリーズでも、一般向け作品は「だ・である」調。)
なるべく平易な言葉を用い、漢字も少なめ。
にもかかわらず、疎漏なところはなく丁寧で、格調を感じさせる文章。
情景描写が視覚的で美しい。ちょっと古い言い回しにはレトロ感があって面白い。

ストーリーは波瀾万丈。手に汗握る攻防戦が繰り広げられる。
筋立てが明快でわかりやすいが、先が読めるようで読めない。主人公たちの危機がこれでもかと続き、飽きない。
さしもの鞍馬天狗も冒険が過ぎて捕われてしまい、杉作や吉兵衛が必死に試みても状況を打開できないあたり、どういう解決を見るのかとハラハラする。

勤王派と幕府方との対立構造について、善悪二元論で断じるような内容ではなかった。
新選組をことさら貶すような描写もない。土方歳三は常識をわきまえた人柄であるし、近藤勇はむしろ人格者として設定されている(※実在の隊士で登場するのはこの2人だけ)。

加えて、立場的に対立する同士であっても憎みあう以外の関係を結ぶことができる、という価値観が提示される。
相互理解や友情というものに期待してもよいと、希望を持てる気がした。

主人公の杉作は、不幸な境遇にもめげす、健気に生きている。
次々と襲い来る苦難に挫けそうになっても、そのたび勇気を奮い起こす。
杉作を支え続けたのは、鞍馬天狗が話したある言葉である。
それは、危険を顧みず闘い続ける鞍馬天狗に、杉作が「死なないでください」と願った時のこと。
鞍馬天狗は、次のように言い聞かせる。

「うむ、死ぬまい。めったに、またむだには死なない。
……おじさんは人間がすきなのだ。生きているのがよいことだとも、よく知っている。
だから、まず死ぬのはきらいだ。できるだけながくゆかいに生きていたいと思う。
……けれど、自分の命よりたいせつなものがあって、それをまもるためには命をなげださなければならないというときには、男はいさぎよく死ななければならない。
それと知っていて、知らぬ顔をして助かろうとするのは、ひきょうなのだ。わかるかい?
人間は、そういうときには命があぶないと知っていても、たたなければいけない」
(※「身がわり密使」の章 第一節より引用)


この言葉は、様々に解釈できるし、人によって異論もあるかもしれない。
ただ、「大きな事を成し遂げたかったら命と引き換えすべき」と煽るような意図では、決してないと思う。
人は、自分が生きていく上で大切なものは何か、知っておかなければならない。
それを守るために、いつか大きな決断を迫られる時が来るかもしれない。
だから、その覚悟をしておく必要がある、という意味かと感じられた。
作者の大佛次郎が読者の少年たちに伝えたかったことも、つまりこういうことだと思う。

とは言え、シリーズの1作だけを読んで、わかったようなつもりになるのは早計であろう。
いずれ、一般向けの作品も読んでみる必要があると思う。
まず本作を読んで、『鞍馬天狗』シリーズに好感が持てたこと、他の作品も読んでみようかという気持ちになれたことは、収穫だった。

本作「角兵衛獅子」は、昭和2~3年(1927-1928)『少年倶楽部』誌に連載された。
その後、下記の書籍として刊行されている。

『角兵衛獅子 前篇』 渾大防書房 1927
『角兵衛獅子』 先進社 1929
『角兵衛獅子 杉作の巻』 湘南書房 新日本少年少女選書 1948
『角兵衛獅子 鞍馬天狗』 湘南書房 新日本少年少女選書 1948
『鞍馬天狗 第12巻(角兵衛獅子)』 中央公論社 1951
『鞍馬天狗 角兵衛獅子』 湘南書房 1951
『鞍馬天狗・角兵衛獅子・山岳党奇談 日本少年少女名作全集 1』 河出書房  1954
『現代国民文学全集 第12巻(大仏次郎集 続)』 角川書店 1957
『鞍馬天狗 角兵衛獅子』 光風社書店 1967
『大仏次郎 少年少女のための作品集 1』 講談社 1967
『鞍馬天狗 第1巻(角兵衛獅子・雪の雲母坂)』 光風社書店 1969
『角兵衛獅子』 講談社 少年倶楽部文庫 1975  ← 本項の参考書
『大仏次郎時代小説全集 第2巻(鞍馬天狗 2)』 朝日新聞社 1975
『鞍馬天狗 4(角兵衛獅子)』 朝日新聞社 1981
『角兵衛獅子 鞍馬天狗 1』 小学館文庫 2000
『鞍馬天狗 2 大佛次郎時代小説全集 第2巻』 朝日新聞社 2005 1975年刊を原本とするオンデマンド版
『角兵衛獅子 鞍馬天狗傑作選 1』 大佛次郎 文藝春秋 2007
『鞍馬天狗 鶴見俊輔セレクション 1』 小学館 P+D BOOKS 2017 小学館文庫2000年刊の再刊

鞍馬天狗 1 角兵衛獅子
鶴見俊輔セレクション
(P D BOOKS)




 逢坂剛『果てしなき追跡』 

長編小説。負傷し記憶を失った土方歳三が、図らずも箱館を脱出してアメリカへ渡り、異国で生き抜くために闘い続けるアクション西部劇。

ストーリーの舞台は、箱館と航海中の船内が前半1/3を占め、残りはアメリカ西部の町々と荒野。
箱館戦争の描写などに史実を採り入れているが、大半はオリジナルのストーリーが展開する。全49章。
冒頭のあらすじは、以下のとおり。

明治2年5月10日、箱館。
戦争は、いよいよ末期にさしかかっていた。
旧幕方の時枝新一郎は、妹ゆらと話し合う。
数日前、土方歳三から新一郎にある命令が下された。それは、単身で箱館を脱出し、アメリカへ渡って見聞を広め、いずれ故国の発展に尽くせ、というものだった。
しかも、アメリカの商船で密航できるよう、すでに手筈が整えられている。
歳三の下を離れるなど不本意に思う新一郎だが、背くわけにゆかず、従う決心を固めた。
ゆらは、その時が来たら兄を送り出そうと覚悟を決める。

翌11日。いよいよ新政府軍の箱館総攻撃が開始される。
土方歳三は一隊を率い、一本木関門へ向かう。新一郎は、その麾下に加わった。
ゆらは、離れた場所から戦況を窺う。
関門を死守する歳三は、馬上から「進め、引く者は斬り捨てる」と隊士らを叱咤激励していた。
その時、ひときわ大きな銃声が響き、歳三の体が地に落ちる。
ゆらも新一郎も、我を忘れて駆け寄った――


主な登場人物は、以下のとおり。

隼人(ハヤト)=土方歳三
箱館戦争で負傷し、記憶喪失となってしまう。
時枝新一郎の計らいで、アメリカ商船セント・ポール号に乗せられる。
身元を隠すため、「内藤隼人」通称「ハヤト」と名乗ることに。
過去の出来事は思い出せないものの、言葉や一般常識、習慣的行動や技能は失っていない。
冷静沈着でストイックな性格もそのまま。
剣技の冴えも衰えず、和泉守兼定の一振りを常に持ち歩く。
加えて、敵の機先を制するための、ある特殊なわざを身につけている。
なかなか記憶を取り戻せないうち、過去にこだわらず、現在の環境に順応して生きていこうと心に決める。

時枝新一郎(ときえだしんいちろう)
武州日野の豪農に生まれる。28歳。努力家で行動力がある。義理堅い。
同郷のよしみで、子供時代から歳三に懐いていた。
新選組入隊を希望するも却下され、勉学に励めと勧められて、長崎へ留学し英語を習う。
慶応4年、旧幕軍に合流し、通詞や英語教師として協力。
歳三から渡米するよう命じられるも、歳三こそが「失われてはならない有為の人」と信じて行動する。
戦後、アメリカ貿易会社の日本支店に雇われ、横浜で通弁として働く。

時枝ゆら
新一郎の妹。18歳。兄と同じく勉強家で行動力がある。機転が利き、物怖じしない。
過酷な境遇にあっても挫けない芯の強さがある。
幼い頃から、歳三を慕っていた。兄といっしょに、長崎で英語を学び、旧幕軍に従軍する。
歳三を助けてともにアメリカへ渡るが、離ればなれになってしまう。

ジム・ケイン
商船セント・ポール号の船長。大男。40歳くらい。思慮深く、頼りがいのある人物。
隼人とゆらをアメリカへ密航させる。当初は報酬のためだったが、やがて好意から援助することに。

ピンキー(ヘンリー・トマス・ピンクマン)
黒人青年、19歳。明るく、働き者で、知恵がまわる。
テキサス州の牧場で奴隷の家系に生まれ、南北戦争のため家族と離れて以来、自力で生計を立てている。
セント・ポール号には、船長付の給仕兼雑用係として乗り組んだ。
さまざまな局面で隼人やゆらを助けるうち、強い絆で結ばれていく。

アレクス・ワイリー
セント・ポール号の甲板長。頼りになる男。
日本語が片言ながら話せる(ジョセフ・ヒコから教わった様子)。

ビル・マーフィ
セント・ポール号の甲板員。女好き。金銭に汚い。

エドガー・ノートン
セント・ポール号の船医。31~32歳くらい。長身で痩せ形。誠実な人柄。
隼人の傷を治療する。

クレア・シモンズ
セント・ポール号の看護婦。30代半ば。長身。有能。勝ち気で、プライドが高い。
南北戦争に出征して行方不明になった弟を探している。

マット・ティルマン
粗野で無愛想なガンマン。巨漢。40代半ば。尊大で威圧的。執念深い。
若い頃はアリゾナで保安官を務めるかたわら、酒場や賭博場を経営していた。
その後、船舶会社に雇われ、セント・ポール号に警備責任者として乗務。
賞金欲しさに、密航・密入国する者を捕えて入国管理局に引き渡そうと画策する。
やがて船を下り、連邦保安官を称して、個人的な怨恨から隼人やゆらをつけ狙う。

グロリア・テンプル
下宿屋グロリアズ・ロッジの女主人。50代半ばくらい。体格が良い。
昔気質。夫を亡くした後、自力で下宿屋を経営してきた女丈夫。
ジム・ケイン船長と旧知の間柄。隼人とゆらを匿い、何かと便宜を図る。

バーバラ・ロウ
グロリアに仕えるメイド。雇い主と同じくらい体格が良い。
料理や雑用もこなす律儀な働き者。

エリック・バートン
カースン・シティ・ホテルに勤務するフロントマン。小柄な男。30代半ばくらい。
事務的なようで、実は人情味のある男。

リグビー
オースティン・グランド・ホテルに勤めるフロントマン。老人。
日本からの外交使節団を自分の孫娘が世話したことから、日本びいきになった。

ロリー・サマーズ
リーノウ(ネヴァダ州の町)在住、厩舎のオーナー。女カウボーイ。

ポカリ
インディアン(ネイティブアメリカン)、ショショニ族の戦士。英語が少し話せる。
隼人やピンキーと偶然に出会い、浅からぬ因縁で結ばれることに。

トマス・フィンチ
ビーティの町にあるサルーン「ネヴァダ・パレス」のバーテンダー。口髭を整えた洒落者。
愛想はないが人情を知る男。

高脇正作(たかわきしょうさく)
もとは伊勢奥松家の下士。慶応4年、藩内抗争により恭順派の重役を斬った。
箱館で新選組に加わり、新一郎に英語を習う。戦後、旧主家の恭順派に狙われ、各地を転々。
新一郎の世話で、貿易会社に雇われ、研修を名目に渡米する。
隼人とゆらの安否確認を依頼されており、その消息をあちこち尋ねてまわる。
ゆらに対して一方的な好意を持っているが、隼人が土方歳三その人だとは知らない。

---
ページ数が多いものの、ストーリーに引き込まれて予想より早く読了した。
敵と味方が追いつ追われつ、はぐれたり行き違ったり再会したり、スリルに富んだ逃亡&追跡劇が展開する。

隼人とゆらにとって、当面の目標は、異国の地アメリカで生きていくことである。
官憲に捕えられ日本へ強制送還されないよう、身元を隠したまま、平穏な日常生活を手に入れたい。
何事か起きても公に訴え出ることはできないから、自分の身は自分で守らなければならない。
長期的、具体的な目標は、さしあたって持たない。

このような主人公たちを能動的に動かすのは、けっこう難しいのではないだろうか。
具体的な最終目標(敵のラスボスを倒すとか、古代の秘宝を手に入れるとか)を持つ者の話に比べると、受動的で地味になりがちのような気がする。
しかし本作では、主人公たちが次々と難局に直面する。降りかかる火の粉を払うため、大人しくしてなどいられない。必然的に、波瀾万丈の冒険をくりひろげることになる。
そうした展開に持っていく筋運びは、リアルで無理がなく、巧いと感じた。

隼人が記憶を失う設定は、「いつどのようにして回復するのか」「回復したらどうなるのか」という読者の興味をそそるためと思うが、それだけではなさそうな気がする。
幕末維新史になじみのない読者に対して時代背景を説明しやすい、という側面もあるのではなかろうか。

巻頭に、以下の図表類が載っている。
  • 主な登場人物の一覧
  • 作中世界の地図(当時のカリフォルニア州、ネヴァダ州、ユタ州などアメリカ西部)
  • 関連年表(1860~78年、作中の出来事、アメリカと日本それぞれの大きな出来事を併記)
  • 距離の換算表(尺貫法とヤードポンド法の長さを、それぞれメートル法に概算したもの)
特に地図は、ストーリーを把握するため必須なので、助かった。
贅沢を言えば、箱館の地図もあればもっと良かったかも(笑)

船舶のしくみやアメリカ史についても、よく考証されている。
セント・ポール号の船内構造と、そこで過ごす乗組員たちの生活ぶりが、面白い。
アメリカ西部の町や自然、人々の暮らしといった描写にも、リアリティを感じる。
当時の世相、例えばゴールドラッシュ、南北戦争の後遺症、人種間の差別と軋轢、大陸横断鉄道の開通など文明化の加速ぶりといった要素が、ストーリーに反映されているのも興味深い。

日米の文化の違いと、それをめぐる人物たちの心理や反応も、見どころと言える。
「袖留め(女子の成人式)を終えた自分はもう大人」と主張するゆらと、「アメリカでは十代の男女を成人扱いしない」と困惑するケイン船長のやりとりは、どちらの主張も理解できる。
アメリカに上陸し、ガス灯や鉄道などを初めて目にするゆらと隼人の戸惑いは、さもありなんといった感じ。

逆に、国が異なろうと似たような制度や習俗もある。
ポリスマンを「捕り手の役人」、ホテルのフロントマンを「宿屋の番頭」とする隼人の言い換えが、面白い。

南北戦争のために家族を失ったり、平穏な日常を奪われたりした者たちが登場する。
彼らが戦争の傷跡に苦しみながらも日々の生活を取り戻し、社会を復興することによって、アメリカは新しい国に生まれ変わっていく、という歴史が窺える。
戊辰戦争後の日本も同じような過程を経て近代国家となっていったことが、想起された。

本作のストーリーは、この1巻のみでは完結していない。
最後の場面に、続編への引きを盛大に残して、「第一部 完」としてある。
続編の有無について調べてみたら、本作は下記のとおりシリーズものであることがわかった――

作者はかつて、長編『アリゾナ無宿』と、その続編『逆襲の地平線』を発表した。
舞台は、本作から6年後のアメリカ西部。「サグワロ(大型サボテンの一種)」と名乗るサムライが登場する。
彼は剣の達人で、日本のハコダテからやってきたというが、過去の記憶を失っている。
この「サグワロ」が土方歳三、という設定は当初からあった。ただ、その正体が明かされる前にシリーズが中断してしまい、本作でようやく再開に至ったと、作者は語る。
本作の続編となる第2部は、『中央公論』誌上にて今夏から連載を始める予定だとか。
(参考:YOMIURI ONLINE「土方歳三、アメリカ西部を駆ける」2017年2月3日)

――というわけで、既刊『アリゾナ無宿』『逆襲の地平線』を未読にしている読者は、続編の発表・完結を待つあいだに読んでおくとよいかもしれない。

2017年、中央公論社より、単行本が刊行された。四六判ハードカバー。
読売新聞の会員制ウェブサイト「読売プレミアム」に2015年8月から2016年10月まで連載された『果てしなき追跡』を加筆・修正したものと、巻末にある。

同じ「賞金稼ぎ(バウンティハンター)」シリーズの既刊は、下記のとおり出版されている。
『アリゾナ無宿』… 新潮社2002/新潮文庫2005/中公文庫2016
『逆襲の地平線』… 新潮社2005/新潮文庫2008/中公文庫2016

果てしなき追跡



アリゾナ無宿
(中公文庫)



逆襲の地平線
(中公文庫)




 吉川永青『闘鬼 斎藤一』 

長編小説。生と死のはざまに立って闘うことを、無上の悦びとする新選組隊士・斎藤一。
その闘いの日々と、特に親しい同志である沖田総司との交流を描く。

ストーリーは、試衛館に通っていた頃から会津戦争の末期までを主に、全14章で構成。
その後に終節(エピローグ)があり、晩年の「藤田五郎」が登場する。
序盤のあらすじは、以下のとおり。

御家人・山口祐助の次男として生まれた山口一。
少年時代のある日、蜘蛛と網にかかった羽虫との闘いを目撃し、生命の放つ眩しさに強く魅せられる。
以来、その輝きを己のものとすべく、強さを求め、ひたすら武芸の稽古に打ち込んだ。
様々な流派を学び、やがて天然理心流・試衛館に通うようになる。

成長した一は、父の監督下に置かれて暮らす毎日に倦んでいた。
世間で流行りの攘夷論にも、さっぱり興味が持てない。
ただ、試衛館随一の俊英・沖田総司と立ち合い稽古をする時だけは、夢中になれるのだった。

そんな時、浪士組募集の報がもたらされる。
退屈な日々から逃れたいという単純な理由で、試衛館一党とともに参加しようと決める一。
しかしその直後、行きずりの相手と口論になり、斬り合いに及ぶ。
初めての真剣勝負に恐怖しながらも、持てる力と技のすべてを尽くす命懸けの闘いに興奮、陶酔する。
そこには、あの日の蜘蛛と羽虫が見せた生命の輝きがあった。

相手を殺害したことで江戸にいられなくなった一は、「斎藤一」と変名し、父の旧知を頼り京へ旅立つ。
まもなく、浪士組として京へ上ってきた試衛館の面々と合流。
「剣とは人を斬るための道具」と割り切り、数々の修羅場に身を投じていくのだった。


主要な登場人物は、以下のとおり。

斎藤一
本作の主人公。初名は「山口一」、御陵衛士から復帰後は「山口二郎」、晩年は「藤田五郎」を称す。
気の荒いところもあるが、筋の通らないことは嫌いな正義漢。
人づきあいはあまり好きでないわりに、他人の心理を読んだり欺くため演技したりは上手い。
ストーリー序盤では、腹痛を起こしやすい体質。途中からそれがなくなるのは、石田散薬のおかげかも。
遊里通いはけっこう盛ん。御陵衛士に潜入してからは、ことさらそのように行動する。
最大の関心事は、剣術で強い相手と闘って制すること。
理由は、人命を奪うのが好きだからではなく、生死の瀬戸際にこそ命を強く実感できるから。
刀でなく銃砲類を用いる近代戦には、何ら魅力を感じない。

沖田総司
普段は物腰柔らかなのに、剣を執ると乱暴になり、稽古でも相手が降参しようと容赦なく打ちのめす。
闘いの中に生き甲斐を求めるところは、一と似た者同士。
天才ゆえか何をも恐れず、たとえ相手が目上だろうと遠慮せず、ずけずけものを言う。
同年代の一に気安く「一君」と呼びかけ、当初は嫌がっていた一に「総ちゃん」と呼ばせる仲になる。
労咳にかかり、先が長くないことを自覚しながら、闘いとは命を最後まで生き尽くすことだと示した。
来たる近代戦に乗り気でなかった一も、その心構えに共鳴して闘い続ける。

土方歳三
試衛館への正式入門は遅く、一党の中では新参だが、近藤の補佐役として頭角を現す。
新選組の実質的な運営を担い、さまざまな策を編み出す、怜悧な知恵者。
近藤とほかの同志たちとの間に立っていざこざを収めるなど、調整役としても有能。
新選組を洋式の軍隊に改革し攘夷戦争に参戦したい、と考えてもいた。
そういう近代戦にまったく興味が持てない一も、土方の頭脳や人柄は信頼して従う。

近藤勇
筋の通らないことは決して認めない、「義」を重んじる硬骨の士。
ただ、新選組を掌握した後、自らを大名になぞらえ同志を手駒扱いしたり、政情が面白くないと新米隊士を稽古で滅多打ちしたり、容疑者を取り逃がした隊士を斬ろうとしたり、横暴な言動が目立つようになる。
ストーリー展開の都合上、永倉新八や原田左之助との不協和音の原因が必要としても、かなりひどい。
一も、何度か反発するものの、節を曲げない一徹さは好き。

山南敬助
土方と力を合わせて近藤を支える副長であったが、岩城升屋事件で負傷し、剣を持てなくなってしまう。
以後、頭脳で役立とうと努めたものの、西本願寺への屯所移転問題で近藤・土方と対立。
伊東の「挙国一致の攘夷」論に共感したゆえに移転を強く反対した、という節も窺える。
脱走したのち切腹して果てる。一としても惜しまれる死だった。

永倉新八
試衛館時代は、近藤の人柄に惚れ込んでいた。
しかし、次第に増長する近藤への批判を強め、ついに6人の連名で松平容保に建白書を提出、弾劾する。
ただ、伊東甲子太郎に指嗾されても、近藤を力ずくで排除したいとまでは望まなかった。
一も、建白に加わったひとりであり、共感するところが多い。

芹沢鴨
剣技に優れ、局長としてリーダーシップはあるが、短気で酒癖の悪い乱暴者。
多少の愛嬌もあって、自分のデザインした隊服が皆にウケないと落胆、慰められて安心する場面も。
一や沖田には甘く、彼らが生意気な口をきいても許す。「強い相手と闘いたい」という欲求の強い者同士、親近感を抱いているらしい。
会津藩の意向を知ってなお蛮行を改めようとせず、粛清される。
一としては、真剣で闘ってみたかった相手。

伊東甲子太郎
「挙国一致の攘夷」を主張する理論家。
その主張を実現するため新選組を手中に握ろうと、当初から企図して入隊した模様。
非常に弁が立ち、相手の心理的弱点につけ込んで揺さぶりをかけ、自分のペースに引き込むのが巧い。
隊内に自己勢力を着々と扶植し、御陵衛士として分派するのみならず、新選組を吸収合併しようと画策。
ただ、理論が先に立ち、現実を軽んじる傾向がある。
一にとっては、共感できない相手。策士タイプでも、土方とは異質な人柄として捉えている。

小野川秀五郎
大坂相撲を統率する親方。
誠忠浪士組と力士との乱闘事件を和解によっておさめた後、近藤と昵懇になり、協力関係を結ぶ。
現役力士だった頃はかなり活躍した様子で、些細なことには動じない胆力の持ち主。
芹沢に面目をつぶされる事態にも、近藤たちに軽挙妄動を慎むよう忠告するなど、人格的に優れている。
登場するのは第3~6章のみだが、一も敬意を払う印象的な存在。

---
本作を読んで、気になったことがいくつかある。例えば↓

◆近藤・土方・山南が大坂へ出向く際、一が近藤の大荷物を担がされている。
近藤の傲慢を示す演出だろうが、浪士でもれっきとした侍が、庶民のように大荷物を背負って歩くのは不自然。
臨時にでも小者を雇ったほうがよさそうに思えた。

◆上記の一行は、終日歩き通して大坂へ行く。
また、撃たれた近藤と重病の沖田を伏見から大坂へ送る時は、荷車と馬が使われている。
周知のとおり、伏見~大坂間は淀川水運が発達していたのに、なぜそれを利用しないのか不可解。
出張なら三十石船を使い、傷病者の搬送なら貸し切りの舟を雇えばよい。
陸路より快適だし、途中で襲撃される危険も少ないのでは。

一方、興味深く感じられたところもある。例を挙げると↓

◆斎藤一が考える「闘い」と「争い」との違い。
彼にとって、重要なのは「闘い」である。
そして、戦争は「ただの争いごと」であり、「闘い」ではない。
禁門の変では、銃砲による殲滅戦を目の当たりにして「殺せばいいってもんじゃ、ないんだよ」と言う。
また、収束後に下記のようなくだりがある。

闘いとは、明確な意思を持った者だけがそこに望むものを言う。だからこそ斬り合って勝つことに意味があり、己が生を讃じられるのだ。戦争は違う。鉄砲という利器は、言ってしまえば「その意思」がなくとも扱える。そして否応なしに多くを巻き込む。
(※本作中「八 闘と争」より抜粋)

斎藤一という人物に仮託されたひとつの哲学であり、本作のタイトル「闘鬼」の所以も理解できる。

◆誠忠浪士組(壬生浪士組)の発足時、芹沢・近藤派と殿内・家里派との内訌が、新しい視点から描写される。
本作の殿内義雄は、学歴を誇る教養人ゆえに芹沢や近藤を見下し、自らの統率権を主張する。
その傲慢さと油断から、命を落とすことに。
(※殿内が昌平坂学問所で学んだことがある、というのは創作でなく事実とか。)

◆永倉たちが松平容保に提出した建白書に、近藤の非行5ヶ条が具体的に書かれている。
この建白は、永倉の遺談によると実際にあった出来事。ただ、非行5ヶ条の内容は伝わっていない。
本作の5ヶ条は作者のアイディアであろうが、いかにもありそうで面白い。

◆松原忠司は、本作では伊東派に引き込まれたのが原因となって、命を落とす。
「壬生心中」に独自のアレンジを加え、異なる展開としたところが新鮮。

◆河合耆三郎が切腹することになった経過も、独自の脚色がされている。
隊費紛失の責任をとらされたのは表向きで、本当は派閥争いのとばっちりだった。
一は真相を知っていても助けられなかったので、後日ささやかな仇を報ずる。
(かつて河合に八つ当たりしたので、その罪滅ぼしの意味もあったかも。)

◆三条制札事件は、表向きは制札損壊犯の逮捕だが、これにも裏の筋書きがあった、として描かれる。
ユニークな着想と思えた。

◆戊辰戦争の勃発後、伏見や八幡山、白河や母成峠における一の闘いぶりが、かなり克明に描かれる。
これらの戦闘が一の視点で描かれたことは、従前の新選組小説にはあまりなかった気がする。
戦争は自分の求める「闘い」ではないと考える一が、近代戦をいかに闘うのか、興味深く読めた。

---
本筋は、山口二郎こと一が寡勢を率いて如来堂村に布陣し、敵軍を迎え撃とうとする場面で終わる。
ここで、彼の生きる目的としてきた「闘い」が完遂され、沖田との誓いが果たせたから、なのだろう。
その彼が、西南戦争ではどのような心構えで「闘い」に望むのか、いつか読んでみたい気もした。

終節(エピローグ)だけは、山本忠次郎という若者の一人称で書かれている(本筋は三人称)。
忠次郎は、子供の頃から北辰一刀流を学び、有信館に入門していた。
明治から昭和に実在した剣道家がモデルであり、作中の藤田五郎との出会いも実話として伝わっている模様。

作品全体の印象として、登場人物の言葉遣いや価値観が現代的。
出来事や人物の心理がストレートに描かれており、わかりやすい。

また、血腥い斬り合いの場面はけっこう多いものの、心が打ちのめされるほど衝撃的な描写はない。
『一刀斎夢録』のストーリーが重すぎて辛いと感じる向きは、本作のほうが楽しめるかも。

本作は、第4回野村胡堂文学賞(2016)を受賞した。
また、『本の雑誌』2016年12月号の記事「最新新選組小説事情」(大矢博子)では、2014年以降に刊行された新選組小説のうち印象的な作品として、小松エメル『夢の燈影』『総司の夢』、木下昌輝『人魚ノ肉』、門田慶喜『新選組颯爽録』などと並び、本作も挙がっていた。

2015年、NHK出版より単行本『闘鬼 斎藤一』が出版された。四六判ハードカバー。
2021年、集英社文庫版『闘鬼 斎藤一』が刊行された。

闘鬼 斎藤一



闘鬼 斎藤一
(集英社文庫)




 高橋由太『新選組ござる』 

長編小説。武士になりたい一心で新選組に入隊した少年、市村鉄之助。
奮闘のうちに不可解な事件に巻き込まれていく、オカルトファンタジー。

市村鉄之助は、言うまでもなく実在の新選組隊士である。諸研究家の報告によると↓

父親は美濃大垣藩士だったが、安政5年に追放処分となって近江国国友村に住まい、文久3年に他界した。
鉄之助は、慶応3年秋頃、兄の辰之助とともに入隊する。
14歳という若年のため両長召抱人(小姓のような役目)となり、辰之助は局長附人数(仮同志)となった。
戊辰戦争勃発後、辰之助は綾瀬付近で離隊するも、鉄之助は箱館まで従軍。
明治2年4月、土方歳三の命令により箱館を脱出し、日野の佐藤彦五郎家へ歳三の遺品を届ける。
しばらく佐藤家に留まり、明治4年3月に大垣の親戚宅へと帰っていった。


本作は、上記の事柄が多少反映されるものの、大半はオリジナル設定で、創作性の高いストーリーが展開する。
序盤のあらすじは、以下のとおり。

鉄之助は、武士になりたいと切望し、郷里の美濃を出て京に上り、新選組に入った。
勝手についてきた飼い犬のモモも、なりゆきで入隊(?)する。

噂に聞く新選組一の天才剣士・沖田総司は、とても人斬りとは思えない、優しげな外見の持ち主。
人柄も穏やかで、冗談好きだった。
ところが秋の頃、その総司が隊を離れて、姿を見せなくなる。
「労咳のため」と言われたが、直前まで元気な姿を見ていた鉄之助には、とても信じられない。

やがて戊辰戦争が始まり、新選組は多くの同志を失いながら転戦、ついに箱館で終焉を迎える。
味方を救援すべく五稜郭を出撃する土方歳三に、鉄之助は強引に付き従う。
彼らの前に出現したのは、正体不明の不気味な敵だった――
そして、負傷した鉄之助が新政府軍に囲まれ、死を覚悟した時、思わぬ味方が出現する。


この後、ストーリーは明治の東京に舞台を移し、展開していく。
主な登場人物は、以下のとおり。

市村鉄之助
本作の主人公。直情径行型の熱血少年。
生家は美濃の山奥にあり、家業はインチキくさい拝み屋(祈祷師・霊媒師)だった。
しかも、「先祖は妖怪ぬらりひょん」という、由来不明の怪しい看板を掲げていた。
10歳の時、両親が病没し、隣家の老婆に引き取られる。
村人たちに愚弄された悔しさから、武士となり堂々と生きたいと望み、14歳にして新選組に入った。
奇しくも箱館戦争から生還し、明治の東京で新選組を再興しようと決意する。

モモ
大きな白い犬。鉄之助が美濃にいた時、どこからともなくやってきて鉄之助の家に居着いた。
京へ上る時にもついてきてしまい、以来どこへ行くのも一緒。
性格は温順だが、頼りない。あまり賢くもなく、鉄之助に「アホ犬」呼ばわりされる。
しかし人の言葉を理解しており、幽霊や妖怪とも意思を通じるなど、侮れない面もある。

九郎
700年前の鎌倉時代に死んだ、九郎判官こと源義経の幽霊。
名刀「薄緑」に宿っており、鉄之助に解放されて以来、ずっとついてくる。
烏帽子に狩衣姿の美男子だが、一般人には感知されない存在。
鉄之助やモモとは会話できて、なぜか語尾に必ず「ござる」を付ける。(本作タイトルは、この口癖が由来と思われる。)のんびりマイペース、いざとなると無敵の剣士に変貌するところも含めて、『るろ剣』の緋村剣心を連想させるキャラ。
モモとは良いコンビ。両者であれこれ余計なことまで喋り、鉄之助をイラつかせる場面が多い。

沖田総司
天然理心流・試衛館の門弟時代から名を馳せた、新選組随一の遣い手。
女と見間違うほどの優男だが、長大な振棒を軽々と降ってみせるなど、剣の実力は本物。
鉄之助をからかっては面白がり、モモをなぜか「辰之助」と呼ぶ。
「労咳のため死んだ」というのは意図的な情報操作で、維新後も生きのび東京に潜伏していた。
新政府の追及をかわすためだけでなく、何やら複雑な事情がある様子。
鉄之助が新選組の再結成を訴えても、「もう終わったこと」とまったく乗り気でない。
その重大な秘密は、本書の終盤近くで明かされる。

土方歳三
新選組の鬼副長。目つきの鋭い悪人顔の二枚目。
感情をあまり出さず、威圧感を漂わす。鉄之助も初めは怖れていたが、次第に慕うようになった。
佩刀は和泉守兼定、通称「ノサダ」。(※「之定」こと二代関兼定の作、ということらしい)
箱館戦争で命を落とす。敵の正体を鉄之助は知らなかったが、歳三にはわかっていた。

相馬主計
新選組の最後の隊長。
箱館で歳三が亡くなった後、隊長として投降。すべての責任を一身に負い、新島に流罪となった。
その後、東京に現れ、鉄之助に郷里へ帰るよう諭す。
総司の秘密を知っている様子。

(ふき)
東京深川の牛鍋屋もず亭で働く少女。15歳。
母を早くに亡くす。父は彰義隊に加わり、上野で戦死した。
そうした境遇にも挫けず、健気に日々を生きている。思いやり深く、鉄之助やモモにも親切。
深川十万坪に密葬された彰義隊の墓に、朝な夕な参るのが習慣となっている。

お芳
牛鍋屋もず亭の女主人。煙管のよく似合う、色っぽい美女。
実は新門辰五郎の娘であり、親譲りの侠気の持ち主。
ただ、父親のことも自身のこともほとんど語りたがらず、過去は謎めいている。
行く当てのない鉄之助とモモを、もず亭に置いてやる。

ぬらりひょん
鉄之助が出会った妖怪。見た目は、頭がやけに大きい禿げた爺さん。
鷹揚で太っ腹な物腰のとおり、江戸妖怪の総大将であったが、一時期その地位を退いていた。
理由は人間の娘と恋仲になったためで、両者の間に生まれた子が鉄之助の祖先だという(マジか)。
やがて明治の東京に舞い戻り、妖怪たちを相手になぜか西洋料理屋を営む。
料理の腕は確かで、「らいすかれい」「アイスクリン」など最先端のメニューも出す。
つかみどころのない存在だが、さりげなく鉄之助の力になる。

お歯黒べったり
鉄之助が出会った妖怪。
見かけは役者のような二枚目の男だが、派手な女の着物を着て、お歯黒を塗ったオカマ。
オネエ言葉を話し、何かにつけ鉄之助に迫り、邪険にされ罵られてもまったく堪えない。
ぬらりひょんとは長いつきあいらしい。

近藤勇
天然理心流・試衛館の道場主。文久元年、先代の周助から道場を引き継いだ。のち新選組局長。
剣は強いが不器用。若い頃は力加減ができず、稽古で道場をぶち壊すのでは、と懸念された。
ウソかまことか、三刀流が使えるという(『るろ剣』のみならず『ONE PIECE』もネタにされたか)。

近藤周助周斎
試衛館の先代道場主。道場経営に何かと苦労してきた。
総司の剣才に目をつけ、内弟子として入門させる。これが、思わぬ運命を呼び寄せることに。

勝麟太郎海舟
言わずと知れた、その才覚で幕府を支える旗本。
文久元年11月のある日、試衛館を訪ねてきて頼み事をする。その内容は驚くべきものだった。

山田吉亮(よしふさ)
山田流居合術の遣い手。
年齢は鉄之助と同じだが、外見は子供。12歳の時から身体が成長しなくなったという。

以上紹介のとおり、本作は奇想天外な時代ファンタジーである。
史実との違いを云々してもあまり意味がないので、やめておく。
ただ、それを抜きにしても、合理性を欠いたところがあって気になった。例えば――

◆鉄之助が箱館の戦場で気を失い、目覚めた時にはすべてが終わっていた、とある。
 その間どこに寝かされていたのか、降伏人として扱われたのか、だとすればいつ釈放され日野へ行かれたのか。
 具体的な状況がまったく示されない。

◆新選組結成の目的が設定のとおりだとすると、京都に上り留まる必然性がない。
 新徴組(しんちょうぐみ)と同様、江戸に本拠を置いたほうがずっと目的にかなうと思われる。

とは言え、勢いで読ませる作品なので、そこまで深く考えずに楽しむべきなのだろう。

この話をもしもシリアスに書いたら、不気味で残酷な怪奇譚になりそう。
コミカルな要素を多くして、あまり深刻にならず読める娯楽作に仕上げたのは良かったと思う。

本作のストーリーは、本書だけでは完結していない。
ひとまず危機が去ったものの解決には至らず、末尾は「事件は、まだ始まったばかりだった」と結ばれている。
この後に回収されるべき伏線と思われるものも、多く残る。
続きが気になるなら、続編『新選組はやる』『新選組おじゃる』の2作も読む必要があろう。

本作は、書き下ろし作品。
2015年、新潮文庫『新選組ござる』が出版された。
同年中に続編『新選組はやる』『新選組おじゃる』も刊行されている。

本作に関する余談を「深川十万坪/新門辰五郎と彰義隊/山田吉亮」にまとめた。
併せてご一読いただきたい。

作者の新選組関連著作には『斬られて、ちょんまげ 新選組!!!幕末ぞんび』(双葉文庫/2014)もある。
2015年公開の映画「新選組オブ・ザ・デッド」の原作かと思ったら、特に関係なかった(笑)

新選組ござる
(新潮文庫)



新選組はやる
(新潮文庫)



新選組おじゃる
(新潮文庫)






back to TOP