新選組の本を読む ~誠の栞~

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 丹波元『芹澤鴨・死出の鐔』 

中編小説集。芹澤鴨暗殺事件を平間重助らの視点から描く表題作「芹澤鴨・死出の鐔」(せりざわかも・しでのつば)と、事件後の重助を描く「繭の重助」(まゆのじゅうすけ)の2編を収録。

平間重助は、言うまでもなく実在の新選組隊士である。芹澤鴨の腹心であったこと、刺客の襲撃を免れ逃走したことはよく知られるが、前歴や晩年については不明の点が多かった。
近年の研究により指摘されている事柄は、おおよそ以下のとおり。
  • 文政7年(1824)生まれ。芹澤鴨より6歳年上である。
  • 出身地は、芹澤鴨と同じく常陸国行方郡芹沢村。生家は代々、芹澤家の家来筋であった。
  • 剣術は芹澤鴨に師事し、目録を受けた。
  • 妻子があったが、郷里に残して浪士組に加盟・上京した。
  • 逃走後は行方不明とされる一方、故郷に帰って明治7年に51歳で没したともいう。
  • 養蚕技手となって岩手県を巡回し、明治23年に同県で没したという説もあるが、疑問視されている。
本書2作の平間重助は、芹澤鴨とほぼ同じ年頃と設定されている。
芹澤に出会ったのは水戸の剣術道場であり、師事して以来兄のように慕ってきた。芹澤が酔いつぶれるたび介抱する役目。現代ふうに言えば、部活や職場の先輩に対する後輩のような雰囲気である。
また、新選組在隊まで独身であり、故郷に妻子を残してきたということもない。

「芹澤鴨・死出の鐔」
芹澤暗殺事件の生き証人による回顧談の形式で、その真相を描く。
生き証人とは、平間重助と、八木家の女中つね。この2人が8年後の明治4年、当時を振り返り交互に語る。文体はそれぞれの視点による一人称。

つねは、文久3年当時18歳と若いが、しっかり者。芹澤を本質的には誠実で優しい人柄と捉え、酒乱ぶりに辟易しながらも、衣類の洗濯を引き受けるなど世話を焼いていた。また、芹澤の愛妾となった阿梅(おうめ)の境遇に同情し、親しく語らったり用事を手伝ったりもする。
つねの回想は、芹澤・平山の盛大な葬儀の様子から始まり、芹澤と阿梅が関わり合い同居するようになった事情に言及する。
一方の重助は、芹澤と自身との出会いから共に京へ上った経緯、禁門の政変で出動した折の芹澤の堂々たる振る舞い、新見錦の死後に芹澤の覇気が失われた様子、水戸への里心がつき京土産の鐔を買い求めたことなどを語る。
そして、2人の回想は共に暗殺当夜の状況に及ぶ。その夜、島原角屋の宴席で、芹澤に呼ばれた娼妓が奇妙な申し出をした。

つねは架空の人物だが、京言葉の語り口調など語り手としてリアリティがある。
重助とつねとは、壬生では特に親しかったわけではないが、後に思わぬ巡り逢いをする。ちょっと意外性があって面白いと思った。

つねと重助から話を聞いている人物が何者か、作中では明かされていない。各章の題が「つねの独白」「平間の独白」なので、相手は存在せず、独り言に過ぎないのかもしれない。
ただ、それにしては聞き手を意識した語り口調なので、相手は誰かとつい想像させられてしまう。(ちなみに子母澤寛はまだ生まれていない。)

本書あとがきによると、作者は、芹澤鴨ほどの遣い手がむざむざと殺されたことに疑問を抱いた。
そして、暗殺当夜に芹澤の刀が抜けないように縛られていたという説を、島原の古老から聞いた。納得のいく内容であったので、素材として時代小説を書きたいと考え、20年近くを経て作品化したという。
芹澤の刀が縛られていたという説は、大坂新町に伝わる話として聞いた覚えがある。当時、京坂の花街に広く流布した話なのだろうか。
土方歳三に一服盛られたという説とどちらがあり得るだろう、などとも考えたくなる。

「繭の重助」
平間重助と輪違屋の抱え妓糸里、ふたりの哀歓を描く物語。
刺客の襲撃を辛くも逃れた重助は、同じく八木邸外へ脱出した糸里と吉栄を連れて、急ぎ壬生を離れた。女達が島原へ戻ると新選組に殺害されると懸念して、山陰方面への逃避行に同行させる。
吉栄は、愛し合う重助と糸里をふたりきりにさせようと思ったものか、途中で別れていった。
丹波亀山の城下町にたどり着いた重助と糸里は、運良く落ち着き先を見つけ、夫婦のような暮らしを始める。しかし、糸里の心には暗く重い秘密があった。

文体は、「芹澤鴨・死出の鐔」とは異なり、三人称で書かれている。
ただし設定は同じであり、それを別の切り口で描いたストーリー。
芹澤達が水戸を出た経緯、土方の計略にはまった新見錦の切腹など、「芹澤鴨・死出の鐔」では簡単に触れただけの事柄が詳述されている。
それぞれ独立した作品として読んでも面白いが、双方併せて読むと全体像が見えてくる。

在りし日の芹澤が酔った勢いでとった行動が、結果的に重助と糸里の関係を損なうことになる。そして、重助は最後までそれを知らない。もし知ったとすれば、かなり混乱し傷ついたろう。糸里もそれを予測したからこそ、このようにするしかなかったと思われる。
やりきれない哀しさが漂う結末。

あとがきによると、作者は「芹澤鴨・死出の鐔」に着手した頃から、もっと膨らませて続編を書きたいと思い、半ば並行してこの「繭の重助」を執筆したという。
ただ、題名がなかなか考えつかず、藤本義一に相談して決めてもらったそうだ。
「繭の重助」という題名は、糸里の何気ない言葉を重助が回想する場面に由来する。この場面は重助の「養蚕技手」説に結びつくものでもあり、わかる読者にはわかる、心憎い工夫と感じた。

2作とも、着想が面白く、視覚や触覚など五感に訴える臨場感がある。
同じく芹澤暗殺や平間重助と糸里を描いた小説としては、浅田次郎『輪違屋糸里』が印象深いが、本書2作はそれより約10年早く発表され、当時としては稀な題材を扱ったと言える。両書を読み比べてみるのも一興だろう。

「芹澤鴨・死出の鐔」の初出は、1994年8月、読売新聞紙上の6回にわたる連載。
「繭の重助」は、本書書き下ろし。
本書は1995年、PHP研究所より刊行された単行本(四六判ハードカバー)。文庫版は出ていない。

芹沢鴨・死出の鐔




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