新選組の本を読む ~誠の栞~

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 中村彰彦『明治無頼伝』 

長編小説。元新選組隊士・斎藤一こと藤田五郎が、国事犯として追われる旧会津藩士を救おうと奔走する活躍を、明治2年から11年にかけて描く。

明治2年7月12日、越後街道の束松峠にて、福井藩士・久保村文四郎が斬殺される。
久保村は、会津戦争後、新政府の民政局監察方兼断獄として若松に赴任していた。
そして在職中の傲慢・無慈悲な言動により、旧会津藩士らの恨みを買ったため、襲撃されたのだった。
襲撃犯4人は、それぞれ逃亡する。

翌年、襲撃犯のひとり高津仲三郎は、斗南に移住した家族を密かに訪ねようと旅をしていた。
しかし、途中で病に倒れ、黒羽藩・赤塚軍司率いる警備隊に捕えられてしまう。
護送中の高津が雪原で狼の群れに襲われかけた時、ひとりの男が駆けつけ、剣を振るって助ける。
その男こそ、斗南藩士・一戸伝八(=斎藤一)だった。
伝八は、降伏した会津藩士らと苦難を共にし、斗南に移り住んでいた。
旧知の佐川官兵衛の勧めもあって、高木家の長女・時尾を娶り、さらに旧藩主・松平容保から新たに「藤田五郎」の名を賜る。

そんな時、捕らわれていた高津が脱走し、親交のあった中根米七とともに行方をくらます。
高津を政府の追及から救いたいという官兵衛の意を受け、五郎は時尾を連れて東京へ出る。
ところが、赤塚もまた東京に現れる。
執拗に高津を追う赤塚は、五郎にも敵意を向け、旧幕時代の「悪行」を暴いて陥れようと画策する。
東京で、秋月悌次郎山川浩永岡久茂を訪ねるうち、高津が不穏な計画を抱いて西国へ向かったと察知した五郎は、大坂・京都を経て佐賀を目指す。

大坂から海路を辿って瀬戸内海を通過中、船が海賊の襲撃に遭った。
五郎は剣を執って戦うが、新式銃で武装した海賊たちに囲まれ、一味の本拠地・御五神島へ連行される。
やむなく島に留まるうち、政府海軍艦隊による海賊討伐に巻き込まれ、辛くも脱出。

ようやくたどり着いた佐賀では、不平士族の反乱が勃発する。
そして、この反乱軍には高津と永岡も加わっていた。


本作は16年前の作品であるためか、今日判明している事実や諸研究家の見解とは相違が見られる。

◯本作では、斎藤一が近藤勇と知りあったのは、京都で新選組に入隊した時。
→ 江戸ですでに出会っていた可能性が高いと指摘されている。

◯戊辰戦争勃発後、会津入りして名を「斎藤一」から「山口次郎」に改めた、と描かれている。
→ 山口次郎(二郎)への改名は、御陵衛士から新選組へ復帰した直後という説が有力。

◯降伏後の変名はかつて「一戸伝八」とされ、本作でもそれが採用されている。
→ 現在は「一瀬伝八」が正しいと判明している。「一戸」は史料が活字化される際の誤植だった。(※「一瀬伝八は斎藤一とは別人」という説も浮上している。)

◯高木時尾と斗南で結婚した。
→ 斗南では篠田やそと結婚しており、やそと別れ東京に出てから時尾と結ばれた、というのが真相らしい。本作には、やその存在は描かれない。(※やそとの関係については諸説ある。)

◯京都を訪れた際、新選組隊士の墓参りに壬生寺と新徳寺に立ち寄っている。
→ 新徳寺に隊士の墓はない。壬生寺にも明治初年にはなかった。壬生寺境内の壬生塚(隊士墓地)は、昭和期に壬生共同墓地から墓を移設して造られたもの。

◯本作の斎藤一の容貌は、例のミスター・スポック似の肖像画を元に描写されている模様。
→ この画は長男・勉をモデルに描かれたものと伝わる。

(※以下、煩雑さを避けるため、山口次郎・一瀬伝八・藤田五郎を名乗っていた時期についても「斎藤一」と表記する。)

会津戦争期の回想場面では、斎藤一と土方歳三との訣別が描かれる。
土方は「領内に侵攻された会津藩はもはや滅亡するほかないので、榎本武揚率いる旧幕海軍に合流してさらに戦おう」と提案。一方、斎藤は「新選組が京都守護職・松平容保から受けた恩義を忘れ、会津を見捨てることはできない」として会津に殉じるべく残留を主張する。
つまり、土方は会津藩を見捨てて去ったことになっている。
しかし、実際は違うだろう。なぜなら「庄内藩の意向を確かめてくる」と言い置いてそちらへ向かったものの、米沢藩領を通行できず、やむなく行き先を仙台へ変えているからだ。大鳥圭介の手記によると、会津藩を救うため仙台藩との連携も重視していたらしい。仙台藩が降伏したため、結果的に会津救援はかなわなかったが、見捨てたわけではない。
小説の技巧として、土方を悪者にすれば斎藤の義に篤い人柄が際立つだろうが、こういう対比にはかなり疑問を感じる。

本作に登場する新選組隊士は、ほかに近藤勇武田観柳斎篠原泰之進(武田謀殺の回想)、伊東甲子太郎(油小路事件の回想)、阿部隆明(東京で安富才助を殺害し、斎藤一にも刺客を差し向ける)、島田魁(京都で再会)、谷万太郎(大坂で再会)などがいる。

浅田次郎の小説や和月伸宏『るろうに剣心』のキャラクターが強烈なせいか、斎藤一は狷介孤高な変人というイメージが強い。
しかし本作の彼は、非凡な剣才を除けば、わりと普通の人。
時尾とは睦まじい夫婦関係を築き、時尾の母や弟妹にも心遣いを示す。東京で実の父母と再会すれば、素直に喜びあう。かつての同僚・島田魁を訪ねれば、新選組時代を懐かしみ旧交を温める。海賊の根城で不幸な女・加代に出会えば、哀れに思い優しく接する。
変人イメージを念頭に読むと、普通すぎて拍子抜けするかも。
ただ、こういう人柄のほうが、一般読者にとっては感情移入しやすいだろう。

旧会津藩家老の佐川官兵衛山川浩が、斎藤一と深く関わる。
「鬼官」の武名を謳われた佐川官兵衛は、維新後は市井に埋没するつもりでいたものの、請われて警視庁に奉職、大警部に就任し、やがて西南戦争に出征していく。
知将として鳴り響いた山川浩は、斗南藩権大参事を辞職後、陸軍裁判大主理として熊本鎮台に派遣され、佐賀の乱を果敢かつ冷静沈着に戦うも負傷。雪辱を期して西南戦争に参戦する。
ふたりとも単なる歴史上の存在でなく、時代を力強く生きる人として印象的に描かれている。

本作は、斎藤一の活躍が時代小説的エンターテイメントとして楽しめる一方、束松事件・佐賀の乱・思案橋事件・西南戦争など史実を元にした面で深く考えさせる作品でもある。
会津藩の人々は戦後、敗者として多大なる苦難の道を歩む。その苦しみ恨みのあまり、高津や永岡のように政府転覆を企てる者も出てきた。
一方、勝者の側にも不遇な人々がいる。長州奇兵隊くずれの海賊たちは、戦後の冷遇に耐えかねて反抗し、追われる身となった。
また、征韓論に敗れ下野した長州や佐賀などの不平士族は、反乱を起こして討伐あるいは処刑された。その中には、山川浩ら会津人と信頼関係にあった奥平謙輔前原一誠も含まれている。
これほど多くの犠牲を払わなければ近代日本は成立し得なかったのか、思いは尽きない。

2013年NHK大河ドラマ「八重の桜」は、この時代をどのように描くのかが見どころのひとつと思う。
なお作者自身も、山本八重の生涯を短編小説「残す月影」に描いている。→『修理さま 雪は』参照。

本作は、1996年に新人物往来社より単行本が、2000年に角川文庫版が出版された。
2015年、PHP文芸文庫版が刊行された。

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