新選組の本を読む ~誠の栞~

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 子母澤寛『幕末奇談』 

エッセイ集。「幕末研究」「露宿洞雑筆」の2部で構成されている。

「幕末研究」
史伝ふう随筆。談話を速記したような文体で書かれている。
もとは「幕末物研究」のタイトルで、昭和8~13年(1933-38)、文藝春秋社刊『新文芸思想講座』(全10巻)に6回にわたり連載された。内容は下記の全28章。

序説/人物と事件/事変と人物/新撰組大活躍/池田屋事変/近藤勇
官軍東征/彰義隊の会合/官軍と彰義隊の衝突/上野の戦争
大政奉還/建白書草稿/坂本、後藤の奔走/廉前会議/岩倉具視の二策
幕末対外事件/生麦事件/殺害顛末/英国の要求/薩英問題
長藩外船砲撃/井上伊藤の奔走/長藩の苦境/高杉と井上
御前評議/和睦の失敗/和議の紛争/和議の成立


前回「池田屋襲撃」を紹介した後、子母澤寛による菊池寛への影響が気になって、いろいろと考えていた。そして、本書のページをめくるうち、以下の一節を発見した。

近藤勇といえば、芝居、映画、小説では、なんといっても幕末の寵児ですが、あつかわれている近藤勇は、大抵暴力団の団長以外に出ていないようですな。よくいって、まあ剣術が出来る。腕よりは度胸がよくって、技術以上に真剣勝負の時は強かった。というくらいのところで、それより好意をもって、旗本八万騎の意気地のなかったのに、身は三多摩の百姓でありながら、幕府のために身をつくしたというぐらいが、贔屓な観方ですが、ただこれだけで近藤勇というものを見るんじゃ近藤勇が気の毒じゃないですかな。(「事変と人物」)


前回引用した菊池寛の近藤勇評と比べてみると、明らかに似ている。
この「事変と人物」の発表は、おそらく連載1回目の昭和8年(1933)。掲載誌『新文芸思想講座』の出版元が文藝春秋社なのだから、菊池寛も当然目を通したろう。
そして、菊池寛「池田屋襲撃」の発表は、昭和12年(1937)。
つまり、子母澤が菊池に影響を及ぼしたことは実際にあったと考えてよさそうだ。「池田屋襲撃」を読んで抱いた印象は、的外れではなかったのだと納得できた。

念のため断っておくが、菊池が子母澤をパクったなどと言うつもりは毛頭ない。
上記引用のほかには、こうまで類似性を感じさせる表現はないからだ。
また、全体の構成が異なるのは、章立てや項目を比較するだけでも一目瞭然だろう。
かつ、歴史を語る姿勢も違う。菊池が旧幕側と新政府側を公平に扱っているのに対して、子母澤は不当に貶められてきた旧幕側の名誉回復に力を入れている。
特に、新撰組と近藤勇を弁護する文言は「序説」「近藤勇」の項にもあり、愛と熱意を感じさせる。

ただ、子母澤も、無闇やたらに旧幕側を賛美しているわけではない。たとえば、下関戦争の戦後処理では幕府の腐敗ぶりを指摘している。
さらに、新政府側についても、武力倒幕回避のための努力があったことなどを挙げている。
結局、子母澤が主張するのは「官軍が正しく賊軍は悪い」という旧来の先入的解釈が間違いということであって、事実を曲げてまで旧幕側の肩を持ちたいわけでは決してない。

本作中、池田屋事件の経緯説明は、昭和3年(1928)出版『新選組始末記』の当該箇所とよく似ている。ただ、表現が微妙に変わっていたり、史料引用があったりなかったりの違いはあり、比較してみるのも面白い。
また些細なことだが、三部作では「新選組」と表記した子母澤が、本作では「新撰組」を用いている。

新撰組関連のほかには、坂下門外の変と安藤信正、上野戦争と彰義隊の天野八郎について述べた部分も、興味深く読めた。

本作は前述のとおり『新文芸思想講座』に連載されたためであろう、歴史を小説化することについての提言が繰り返されている。たとえば――

  • 安藤対馬守の一生は、立派な小説であると申上げましたが、この近藤勇の一生も私は立派な小説であると見ています。(「近藤勇」)
  • 長門守ばかりでなく、この頃の人物が活躍したいろんな事件が小説に随分なるんじゃないかと思います。(「長藩の苦境」)
  • こうした歴史から、いろんな大衆小説が生まれて来ないんでしょうか。この下関戦争なんか、よく調べてみますといい大衆小説が生まれてもいいと思っております。(「和議の成立」)

――といった具合だ。
これらを、「歴史を作り話のネタにしろ」という意味に読むべきではないと思う。
他人の史観を鵜呑みにせず自分なりに調べることで、事実の中にドラマを見出せる、あるいは新しい価値観が拓ける、という趣旨と捉えたいところだ。
これは、小説など文芸の世界に限ったことではないのではなかろうか。
研究分野において、定説が覆されて新説が次々登場してくるのも、既成概念にとらわれることなく歴史に取り組む人達の努力に拠るのだと思う。

「露宿洞雑筆」
江戸期から明治にかけての歴史物・回顧物の随筆集。
作者が折々に書いた掌編の集成であり、昭和9年(1934)、岡倉書房から単行本として刊行された。
内容は、有名な剣客や大名の人物像・逸話、侠客や妓夫(妓楼で働く男)の世界、忠臣蔵・四谷怪談・番町皿屋敷の裏話、幽霊や妖怪などの怪異・因縁譚など幅広い。全30編、各タイトルは以下のとおり。

小金井小次郎の臨終/十四歳の介錯人/桜下に人を斬る/名君/小便
旅人/小笠原壱岐守/妓夫仁義/戸ヶ崎熊太郎/大石進とちんばの孝吉
近藤周助邦武/あたけ丸事件/皿屋舗弁疑録/権助、女中、行水/のっぺらぼう
小平次因果噺/小豆ばかり屋敷/貞女お岩/池田候分家/甲斐屋敷の血糊餅
武兵衛家出/宇治の間/女中自害/武林唯七と蝦/頻霞荘雑記 
古老ばなし/新徴組雑記/佐久間象山の倅/南窓閑話/逃げる旗本の記


このうち、新選組に関連があるものは下記の5編。
「十四歳の介錯人」 沖田総司の甥・芳次郎の話。『剣客物語』所収「おじ様お手が」と同じ題材。
「戸ヶ崎熊太郎」 神道無念流初代の事蹟と逸話。二代、三代についても言及あり。
「近藤周助邦武」 近藤勇の養父、天然理心流三代目・近藤周助の人物像と生涯。
「新徴組雑記」 江戸へ帰還した浪士組が新徴組となった後の、さまざまな逸話。
「佐久間象山の倅」 三浦啓之助の入隊と脱走。『新選組遺聞』収録「象山の倅」とほぼ同じ内容。

また、佐倉藩士・依田学海や心形刀流剣客・伊庭八郎が登場する「南窓閑話」、徳川海軍士官・山田静五郎と美嘉保丸の座礁を描く「逃げる旗本の記」も、興味深く読めた。

「露宿洞雑筆」の多くは、往時を知る古老から聞いた回顧談が元になっている。また、「幕末研究」にも同じような聞き書きが散見される。
聞き書きには、話し手や聞き手の錯誤あるいは創作が混ざっている可能性もあり、必ずしも正確な史実を反映しているとは限らない。
しかしそれでも、往時を知る手がかりとしては貴重である。すべてを事実と受け止めるのは危ないけれども、傍証を固められさえすれば、研究に活かすことも充分可能と考える。

本書の最初は、作者没後の昭和47年(1972)、別々に書かれた「幕末研究」「露宿洞雑筆」を桃源社が一冊にまとめ『幕末奇談』と題し刊行したものである。書名は、作者の侠客ものを集成した『游侠奇談』と対にする意図で、同社が銘打ったという。
また、同社の編集により「露宿洞雑筆」の中の「刺青」「竹居の吃安」2編が『游侠奇談』に移され、代わりに『幕末奇談』には他の随筆から「南窓閑話」「逃げる旗本の記」が追加された。

昭和47年(1972)の単行本の後、昭和51年(1976)に同じ桃源社から判型がやや小さいもの(新書サイズか)が出版された。
昭和56年(1981)、旺文社文庫版が刊行。
平成元年(1989)、文春文庫版が刊行。
平成26年(2014)、中公文庫版が刊行された。

ちなみに「刺青」「竹居の吃安」を収録した『游侠奇談』は、2012年にちくま文庫版が出ている。

幕末奇談
(中公文庫)



游侠奇談
(ちくま文庫)




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