童門冬二『明日は維新だ』
短編小説集。実在人物をモデルとして、己の道を貫く姿と激動の幕末維新を描く10編を収録。
全10編を通して、弘化元年(1844)の水戸藩処分から明治2年(1869)の箱館戦争終結まで、時代の移り変わりを描き出す連作集となっている。
新撰組の人物が登場するのは、以下4編。
「海に降る雪」
奇兵隊総管・赤根武人とともに長州へ潜入した斎藤一と、桂小五郎との対決を描く。
長州征討の折、幕府問罪使の護衛として安芸へやってきた近藤勇、伊東甲子太郎、武田観柳斎、尾形俊太郎、そして斎藤一。
近藤の意を受けた赤根は、長州藩内の旧知を相手に恭順工作を展開するが、不調のまま捕えられてしまう。
監視役として同行していた斎藤は、単身脱出を試みる。
しかし、国境で待ち受けていた桂に、自分の価値観を否定され、言いようのない敗北感を覚えるのだった。
斎藤の長州行きは作者の創作と思われ、潜入工作が得意というイメージからの着想だろう。
本作の斎藤は、敵を斬る時「男だろ?」という掛け声を放つ。
その意味を問われて「男なら、したいことに命を賭けるはずだ。その仕事をする機会は、必ず一度はあるはずだ。しかしその機会が去ったら、たとえ為残しがあろうと、潔く命は支払うべきだ」と語る。
一剣に命を賭ける新撰組なればこそ、このような審判を下すということか。
斬られる側にしてみたら、支払う相手がなぜ斎藤なのか、納得がいかないだろう(笑)
ただ、彼は一方的に他者を裁くわけでなく、自分自身にも「男だろ?」と問いかけるのだ。
「江戸最後の日」
新政府軍に対し徹底抗戦の構えを取る江戸で、新門辰五郎は勝海舟から焦土作戦への協力を要請され、徳川への忠誠のため尽力。しかし、やがて真相を知るに至って憤激する。
近藤勇と土方歳三が、甲州出陣の前に辰五郎を訪ねる場面がある。
(新撰組と辰五郎との間に面識はあったかもしれないが、親しかったというのは作者の創作と思われる。)
彼らは、出陣を命じた勝の真意が「抗戦派を江戸から追い払うこと」と気づいていた様子。
土方は辰五郎に、勝に気をつけろと忠告する。
甲陽鎮撫隊の出陣や江戸町兵の解散を決定したのは、実は大久保一翁(忠寛)という説がある。
ただ、この人は維新後に敢えて語らず、記録も残さず亡くなったため、後世にはすべて勝の画策であるかのように伝わったようだ。
いくら和戦両様の構えといえ、単独の画策としては不可解なところがあるが、大久保と勝が役割分担をしたと考えれば理解しやすくなる。このあたりの事実関係が、さらに研究解明されて欲しいところだ。
「天なお寒し」
新政府軍に捕われた近藤勇と、その処分をめぐる新政府軍内部の軋轢。
土佐藩・谷干城は、鳥羽・伏見戦争に出遅れた自藩の面目を回復すべく、敵を求めて奮戦する。
流山で投降した近藤勇を厳しく訊問したのも、薩摩藩が勝海舟と結んだ密約を暴くためだった。
寛大な処分を採ろうとする薩摩に対し、谷は極刑を強く主張し、議論は紛糾。
その時、近藤が「斬れ」と言い放つのだった。
谷干城が近藤処刑にこだわったのは、中岡慎太郎と坂本竜馬を新撰組に殺害された(と思い込んだ)私怨という説がある。
本作でも、平田九十郎ら薩摩藩士、同じ土佐の板垣退助、そして近藤勇も、私怨ゆえと捉える。
だからこそ近藤は「坂本も中岡も新撰組は斬らぬ。犯人は別にいる。意外なところにな」と謎の言葉を残す。
ただ、谷は私怨のためでなく、心に秘めた忠誠のために敢えて「暴将」を演じていた。
その思いが、作品タイトルに反映されている。
ちなみに、同じ題材を近藤勇の視点から描いたのが、長編小説『新撰組 近藤勇』だと感じた。
「北の果ての陽炎」
箱館戦争の中、旧幕陸軍・大鳥圭介が、砲術の教え子だった薩摩藩・黒田清隆との対決を目前にして、覚悟を決める経緯。
江川太郎左衛門の砲術塾に在籍していた頃、佐久間象山の英語尊重主義を受け、大鳥は英語を交えて講義をした。
英語を理解できない黒田少年は、置いてけぼりをくわされる。
少年の悔し涙を目撃して、胸の痛みを覚えた大鳥は、その後も罪悪感を引きずることに。
かつての教師と教え子は、今や敵味方に分かれ戦場に対峙する。
新政府軍きっての砲術家に成長した黒田が、あの日の屈辱を晴らすべく奮戦するだろうことを予想して、大鳥は気が重い。
しかし、榎本武揚と黒田とが塩を贈りあうのを見た時、その気持ちが大きく変わるのだった。
かつてない戦意に奮い立ち、決戦に望んだ彼だったが、皮肉な形で敗北を喫する。
土方歳三が、成立直後の蝦夷共和国に対して、長続きしまいと予見を語る場面がある。
大鳥もまたそれを実感する頃、土方は戦死を遂げる。
「真の武士道は、あの男の中にこそ生きていたのだろう」と洩らす大鳥の言葉が印象に残った。
本作は「学問エリート」の心理を描いており、理論家と実践派との間にあるギャップを主題にしているようにも思えるのだが、大鳥と土方との間にはそんなわだかまりなどまったくない。
ほか6編は、以下のとおり。
「瓢よわれ汝を愛す」 水戸藩・藤田東湖が、苛酷な幽閉の中で著作に憂国の思いを込める。
「鷺知らず」 彦根藩・長野主膳が、反幕志士らから受けた屈辱と、それを晴らそうとする経緯。
「密謀の里」 蟄居中の岩倉具視を殺害しようと企てた長州藩・伊藤俊輔と山尾庸三が、玉松操によって岩倉の真意を知らされる顛末。
「血で消えた野火」 文久2年の寺田屋事件を、薩摩藩士・有馬新七の視点で描く。
「蛍よ死ぬな」 長州軍の京都進発を阻止できなかった久坂玄瑞は、直前まで戦闘を思い留まるよう同志らの説得に努めるものの聞き入れられず、禁門の変に落命する。
「戦いの美学」 武力倒幕のため薩長同盟締結に尽くす土佐陸援隊・中岡慎太郎が、穏便策を採ろうとする坂本竜馬と対立する。
1967年、人物往来社(のち新人物往来社)より単行本が出版された。
1992年、集英社文庫として刊行された。巻末解説に主要登場人物の略歴が付いているのが親切。

全10編を通して、弘化元年(1844)の水戸藩処分から明治2年(1869)の箱館戦争終結まで、時代の移り変わりを描き出す連作集となっている。
新撰組の人物が登場するのは、以下4編。
「海に降る雪」
奇兵隊総管・赤根武人とともに長州へ潜入した斎藤一と、桂小五郎との対決を描く。
長州征討の折、幕府問罪使の護衛として安芸へやってきた近藤勇、伊東甲子太郎、武田観柳斎、尾形俊太郎、そして斎藤一。
近藤の意を受けた赤根は、長州藩内の旧知を相手に恭順工作を展開するが、不調のまま捕えられてしまう。
監視役として同行していた斎藤は、単身脱出を試みる。
しかし、国境で待ち受けていた桂に、自分の価値観を否定され、言いようのない敗北感を覚えるのだった。
斎藤の長州行きは作者の創作と思われ、潜入工作が得意というイメージからの着想だろう。
本作の斎藤は、敵を斬る時「男だろ?」という掛け声を放つ。
その意味を問われて「男なら、したいことに命を賭けるはずだ。その仕事をする機会は、必ず一度はあるはずだ。しかしその機会が去ったら、たとえ為残しがあろうと、潔く命は支払うべきだ」と語る。
一剣に命を賭ける新撰組なればこそ、このような審判を下すということか。
斬られる側にしてみたら、支払う相手がなぜ斎藤なのか、納得がいかないだろう(笑)
ただ、彼は一方的に他者を裁くわけでなく、自分自身にも「男だろ?」と問いかけるのだ。
「江戸最後の日」
新政府軍に対し徹底抗戦の構えを取る江戸で、新門辰五郎は勝海舟から焦土作戦への協力を要請され、徳川への忠誠のため尽力。しかし、やがて真相を知るに至って憤激する。
近藤勇と土方歳三が、甲州出陣の前に辰五郎を訪ねる場面がある。
(新撰組と辰五郎との間に面識はあったかもしれないが、親しかったというのは作者の創作と思われる。)
彼らは、出陣を命じた勝の真意が「抗戦派を江戸から追い払うこと」と気づいていた様子。
土方は辰五郎に、勝に気をつけろと忠告する。
甲陽鎮撫隊の出陣や江戸町兵の解散を決定したのは、実は大久保一翁(忠寛)という説がある。
ただ、この人は維新後に敢えて語らず、記録も残さず亡くなったため、後世にはすべて勝の画策であるかのように伝わったようだ。
いくら和戦両様の構えといえ、単独の画策としては不可解なところがあるが、大久保と勝が役割分担をしたと考えれば理解しやすくなる。このあたりの事実関係が、さらに研究解明されて欲しいところだ。
「天なお寒し」
新政府軍に捕われた近藤勇と、その処分をめぐる新政府軍内部の軋轢。
土佐藩・谷干城は、鳥羽・伏見戦争に出遅れた自藩の面目を回復すべく、敵を求めて奮戦する。
流山で投降した近藤勇を厳しく訊問したのも、薩摩藩が勝海舟と結んだ密約を暴くためだった。
寛大な処分を採ろうとする薩摩に対し、谷は極刑を強く主張し、議論は紛糾。
その時、近藤が「斬れ」と言い放つのだった。
谷干城が近藤処刑にこだわったのは、中岡慎太郎と坂本竜馬を新撰組に殺害された(と思い込んだ)私怨という説がある。
本作でも、平田九十郎ら薩摩藩士、同じ土佐の板垣退助、そして近藤勇も、私怨ゆえと捉える。
だからこそ近藤は「坂本も中岡も新撰組は斬らぬ。犯人は別にいる。意外なところにな」と謎の言葉を残す。
ただ、谷は私怨のためでなく、心に秘めた忠誠のために敢えて「暴将」を演じていた。
その思いが、作品タイトルに反映されている。
ちなみに、同じ題材を近藤勇の視点から描いたのが、長編小説『新撰組 近藤勇』だと感じた。
「北の果ての陽炎」
箱館戦争の中、旧幕陸軍・大鳥圭介が、砲術の教え子だった薩摩藩・黒田清隆との対決を目前にして、覚悟を決める経緯。
江川太郎左衛門の砲術塾に在籍していた頃、佐久間象山の英語尊重主義を受け、大鳥は英語を交えて講義をした。
英語を理解できない黒田少年は、置いてけぼりをくわされる。
少年の悔し涙を目撃して、胸の痛みを覚えた大鳥は、その後も罪悪感を引きずることに。
かつての教師と教え子は、今や敵味方に分かれ戦場に対峙する。
新政府軍きっての砲術家に成長した黒田が、あの日の屈辱を晴らすべく奮戦するだろうことを予想して、大鳥は気が重い。
しかし、榎本武揚と黒田とが塩を贈りあうのを見た時、その気持ちが大きく変わるのだった。
かつてない戦意に奮い立ち、決戦に望んだ彼だったが、皮肉な形で敗北を喫する。
土方歳三が、成立直後の蝦夷共和国に対して、長続きしまいと予見を語る場面がある。
大鳥もまたそれを実感する頃、土方は戦死を遂げる。
「真の武士道は、あの男の中にこそ生きていたのだろう」と洩らす大鳥の言葉が印象に残った。
本作は「学問エリート」の心理を描いており、理論家と実践派との間にあるギャップを主題にしているようにも思えるのだが、大鳥と土方との間にはそんなわだかまりなどまったくない。
ほか6編は、以下のとおり。
「瓢よわれ汝を愛す」 水戸藩・藤田東湖が、苛酷な幽閉の中で著作に憂国の思いを込める。
「鷺知らず」 彦根藩・長野主膳が、反幕志士らから受けた屈辱と、それを晴らそうとする経緯。
「密謀の里」 蟄居中の岩倉具視を殺害しようと企てた長州藩・伊藤俊輔と山尾庸三が、玉松操によって岩倉の真意を知らされる顛末。
「血で消えた野火」 文久2年の寺田屋事件を、薩摩藩士・有馬新七の視点で描く。
「蛍よ死ぬな」 長州軍の京都進発を阻止できなかった久坂玄瑞は、直前まで戦闘を思い留まるよう同志らの説得に努めるものの聞き入れられず、禁門の変に落命する。
「戦いの美学」 武力倒幕のため薩長同盟締結に尽くす土佐陸援隊・中岡慎太郎が、穏便策を採ろうとする坂本竜馬と対立する。
1967年、人物往来社(のち新人物往来社)より単行本が出版された。
1992年、集英社文庫として刊行された。巻末解説に主要登場人物の略歴が付いているのが親切。
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