新選組の本を読む ~誠の栞~

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 江宮隆之『歳三奔る』 

長編小説。タイトル読みは「としぞうはしる」。副題は「新選組最後の戦い」。
土方歳三近藤勇との関係を軸に、鳥羽伏見戦争の前夜から勝沼柏尾戦争の終結にかけて、新選組の転戦・苦闘の道程を描く。

慶応3年12月、王政復古のクーデターにより、新選組は伏見に転陣していた。
狙撃され重傷を負った近藤勇に代わって、土方歳三が指揮を執ることに。
いよいよ年明けの開戦。新選組は会津藩の砲撃に支援され、敵陣へ斬り込みをかける。
しかし、錦旗の出現に幕府軍は士気を挫かれ後退し、新選組と会津藩もやむなく大坂へ退却、さらに江戸へ引き揚げた。

混乱する江戸城内で、甲府城代・佐藤駿河守は、近藤に甲府城の重要性を説く。
興味をそそられた近藤は、土方の義兄に当たる日野宿名主・佐藤彦五郎を招き、甲府城の話を乞う。
彦五郎の説明を聞くうち、徳川存亡危急の今、甲府城を押さえることが急務であり、それこそ新選組の役目と思い至った。そこで、甲府城接収を幕閣に願い出て、許可を取り付ける。
近藤の心中では、慶喜を甲府城に迎えて幕府を立て直すことが、最大の目標となった。
一方、土方は不安を感じていた。慶喜が恭順を表明した今、旧幕府が新選組の甲府行きを許すのは何故か。
土方から説明を求められた勝安房は、和戦両用の案を語る。それは、近藤の夢よりも現実味のある構想だった。

その頃、中山道を進んできた新政府・東山道軍は、本山宿にて評議した結果、別働隊が甲府をめざすことに。
新選組も、隊名を「甲陽鎮撫隊」と改め、甲府へ向けて進発する。


甲州の勝沼柏尾戦争は、戦闘が短時間に終わり、甲陽鎮撫隊こと新選組は呆気なく敗北した。
しかも、のんびり行軍して新政府軍に後れを取ったとか、土方歳三が参戦しなかったとか、せっかく運んでいった大砲がまともに撃てなかったとかいう、冴えない逸話が目立つ。
そのせいか、新選組史上の出来事として、注目されることは少ない。
その勝沼柏尾戦争を、敢えてクローズアップした本作は、希有な小説と言えよう。
作者は山梨県出身であり、郷土の歴史を扱った著作を他にも多数発表している。

その作者が描いただけあって、甲府城にまつわる話が興味深い。
  • 甲府城は、豊臣秀吉が徳川家康を監視・威圧するために完成させた城である。
  • 徳川政権下、天守閣は破却されたが、万一の時は江戸城に代わる拠点と想定された。甲州街道が整備され、街道筋が幕府直轄領とされたのも、そのためである。
  • 一橋家に仕える渋沢成一郎が、過激な攘夷運動を画策した時、その拠点として甲府城を乗っ取ろうと考えたことがある。
  • 薩摩藩も、甲府城の重要性を認識していた。慶応3年12月、薩摩藩士・井上慎一郎らが甲府城乗っ取りを企て、江戸を出発した。その動きは、会津藩の間者によって江川代官所に通報され、代官手代・増山健次郎が佐藤彦五郎に協力を要請。彦五郎は日野の天然理心流門人を集め、八王子に宿泊中の一味を鎮圧した。「壺伊勢屋事件」として知られる出来事である。
他にも、甲府城や甲州に関連して興味深い話がいくつも出てくる。
いずれもノンフィクション系の文献には従前から書かれている事柄だが、小説に採り入れられた例はそう多くないと思う。ストーリーを楽しみつつ、平易な文章でわかりやすくこれらを読めるのが、本作の利点だろう。

また、土方と近藤との意識の違いが詳しく描写されているところも、興味深い。
例えば、鳥羽伏見戦争で近代火器の重要性を思い知った土方と、今ひとつ理解していない近藤。
新政府軍との交渉に臨むつもりと言いながら、戦いは避けられまいと予見する土方と、力ずくで一国一城を切り取ると意気込みながら、交渉の糸口を期待する近藤。
できるだけ進軍を急ぎたい土方と、後から追ってくるはずの援軍を当てにして待とうとする近藤。
信頼しあう同志にもかかわらず、こうした相違を埋められないことが、やがて綻びを生む。

独自の登場人物として、池田七之助(16歳)が活躍する。
会津藩の砲兵隊長・林権助が、この少年を自分の縁者と説明し、土方に身柄を託した。
年若いながら、剣術はなかなか遣う。その清々しい風情に、土方は沖田総司の少年時代を想起する。
「池田七三郎」の役割を負った人物、と言えば、予備知識のある向きにはイメージしやすいだろう。
(※新選組隊士・池田七三郎こと稗田利八とは別人。)

「池田七三郎」と同じような扱いで、会津藩士「柴田八郎」についても独自の設定がなされている。
これらは、巧い工夫だと感じた。

反面、疑問を感じた点も多少ある。例えば――

◯壺伊勢屋事件で死亡した山崎兼助が、関東取締出役とされている。
『聞きがき新選組』には、彦五郎の長屋に住まう岡っ引きで、彦五郎が亡骸を日野大昌寺に葬ったとある。この墓は、昭和期に山崎の子孫が移転させるまで、同地に存在していたという。

◯壺伊勢屋事件で、現場から逃走した首謀者・井上慎一郎は、その後「上田務」と名乗り、さらに「内海忠勝」と改め、明治政権下で神奈川県令や内務大臣を務めた、とある。
→多くの文献に書かれている説らしいが、事実ではない。上田は、伊牟田尚平と共に近江長浜の商家を襲った容疑で捕われ、明治2年7月に処刑された。つまり、内海忠勝とは別人である。

◯医師の松本良順を、「土方歳三の兄」としている。
→もちろん事実ではない。歳三の兄で医者になったのは「糟谷良循」である。「良順」と表記する例もあるため、作者が混同したと思われる。

◯土方は、江戸にいる菜っ葉隊に援軍要請しようと、引き返していく。
→過去記事『歴史と視点』にも書いたとおり、菜っ葉隊は慶応2年5月に解体され、すでに存在しなかった。

◯甲州からの退却後、永倉新八・原田左之助・斎藤一が新選組からの脱退を宣言し、新しく「靖共隊」を組織すると主張。近藤・土方と訣別することになった。
→永倉・原田が脱退したのは事実だが、斎藤はそれに加わっていない。また、永倉らが靖共隊を発足させたのは脱退後であり、初めからそれが目的だったわけではなかろう。作者の誤解か。あるいは創作だとしても、必然性が伺えない。

いずれも本筋を揺るがすほどのことではないかもしれないが、つい気になってしまった。

永倉や原田は、「これは脱退ではなく新選組の解体」「新選組の最後の戦いは甲州で終わった」と告げて去る。
近藤も、胆力と剣槍に命を賭ける新選組らしい戦いが、たとえ一局面でも実現できたのは、甲州が最後と感じていた。そして、甲府城を奪いそこねた喪失感を抱え、戦陣を去った。
また土方も、甲州で思いどおりに戦えていたら、その後の展開も違っていたろうと無念を噛みしめる。もしもそれが叶っていたら、新選組も従前と同じように在り続けられたのでは、という思いがあったようだ。
これらが、本作の副題「新選組最後の戦い」の所以である。

つまるところ、勝沼柏尾戦争は新選組にとってターニングポイントであり、その舞台となった甲州と合わせ、もっと注目されていい、というのが作者の主張なのだろう。大いに同感である。

本作は、文庫書き下ろし作品。2001年、祥伝社文庫から刊行された。

なお、作者の新選組を主題とする著作は、他に『女たちの新選組 花期花会』(河出書房新社/2003)がある。

歳三奔る
新選組最後の戦い
(祥伝社文庫)
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