新選組の本を読む ~誠の栞~

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 綱淵謙錠「狄」 

長編小説。タイトルの読みは「てき」。字義には「北方の異民族」の意味を含む。
新選組を脱走した隊士・池田俊太郎が、北辺の地・樺太にて日露間の紛争に直面し、数奇な運命を辿る。

慶応3年11月18日夜、京都七条油小路にて、新選組と高台寺党(御陵衛士)とが激闘に及ぶ。
新選組隊士・池田俊太郎は、討手に囲まれ獅子奮迅の戦いを繰り広げる服部武雄の姿を目撃し、彼がこの場を逃れるよう強く望んでいた。俊太郎にとって、服部はかつて最も尊敬する先輩であり、剣術の師匠でもあったからだ。
しかし、望みに反して自ら彼を討つことになってしまう。

その後、新選組を脱走した俊太郎は、江戸へ向かう。
ところが、新選組もまた江戸に現われた。やむなく会津、仙台、箱館へと逃げても、新選組は必ず追ってくる。
俊太郎は行き場に窮し、出稼ぎ人足に身をやつして樺太の函泊へ渡った。

函泊の漁場では、夏季にニシン漁と〆粕(肥料)生産が行われ、多くの日本人とアイヌ人が働いていた。
俊太郎は、同じ漁場で働く者のうち、釜焚きの桑吉という男に不審を覚える。
桑吉は、いつも蛸帽子(目出し帽)をかぶり、決して他人に素顔を見せない。そして、身のこなしはただの漁夫ではなく、武芸の嗜みがあることを窺わせた。さらに、煙管を扱う手振りに見覚えがあった。
新選組が差し向けた追っ手では?という疑念が、俊太郎の心を占めていく。

そのような明治2年6月、函泊沖にロシア軍艦が来航し、ロシア兵と開拓民が上陸してきた。
彼らは、ニシン干し場や釜場を破壊し、アイヌ人墓地を掘り返して、屋舎を建設。制止しようとした者に暴行を加えるなどの暴挙に出る。
日露間の摩擦は、文化の事変(北辺騒擾 1806-07)以来続いており、日本は口頭や文書で繰り返し抗議してきた。ロシアは、クリミア戦争のため樺太方面における版図拡大をいったんは見送ったが、日本の政権交代による内政混乱を見透かし、再び侵出してきたのである。武力を持たない箱館府には、抵抗の術がなかった。

箱館府権判事・岡本監輔は、直接政府の指示を仰ぐため、内地へ向けて出航していく。
それを見送る俊太郎は、つい数年前の自分も想像さえしていなかったこの北辺の危機が、現状を知らない内地の人々に理解されるものかどうか、甚だ心許なく思うのだった。そして、この懸念は現実のものとなる。


綱淵謙錠の小説の多くは、資料に基づいて事実を積み重ね、淡々と描き出すノンフィクション系である。読み手の感情を煽るような派手さはないが、リアリティの重みが深い感動を与えてくれる。
登場人物も、だいたい実在の人物であることが多い。
ただ、本作の池田俊太郎は、架空の人物である。また、「偽官軍」として追及されて逃れてきたという赤報隊の桑原信三郎も、同じく架空の人物だろう。

本作の要諦は、日本の外交政策がロシアの樺太蹂躙と実効支配を許してしまい、それによって現地の日本人やアイヌ人が困苦を強いられたという歴史を描くことにある。
だから、俊太郎がかつて新選組隊士だったことなどに、それほど大きな必然性があるわけではない。
にもかかわらず、作者が俊太郎のような架空人物を登場させ、歴史的事実とフィクションとを交互に織り交ぜて描いた理由は何だろうか。それは、作者の前半生にあるようだ。

本作解説(中公文庫版)によると、作者の綱淵謙錠は大正13年9月、樺太に生まれた。
父の兼吉は、終戦後の昭和21年、ソ連占領下の樺太で死亡し現地の墓地に埋葬された。母・姉夫婦・妹は、その遺骨の一部をもって函館に引き揚げた。その後、姉は函館で病死し、母もまた新潟で病歿する。
つまり、ソ連軍の樺太侵攻によって、一家は離散流氓を強いられたのである。
作者自身は、内地に進学しており、旭川で終戦を迎えたため、ソ連軍に直接遭遇してはいなかったが、この体験からくる「流民」意識が作品に大きく関わっている。
本作の俊太郎や信三郎の寄る辺ない身の上にも、作者のこの意識が反映されていると感じた。

そして、帰るべき故地を持たない「流民」が、過酷な境涯に踏み止まって苦闘を続けるうちに、新しい生き方、新しい居場所を獲得していく様は、深い感動を呼ぶ。
それなのに、俊太郎が新しい人生の始まりを自ら掴みとった瞬間、すべて打ち砕かれて、本作は終わるのだ。
運命の残酷さというか、個人の無力さというか、名状しがたい読後感が残る。

本作において、新選組の内部粛清は徹底的であり、脱走者は必ず処断する、とある。
茨木司や佐野七五三之助らの死亡も、新選組が殺害したものとして描かれる。
俊太郎は、戊辰戦争が終結したことも、新選組という組織が存在しなくなったこともストーリー中盤までは知らないまま、いつ追っ手が来るかと警戒し続けていた。
作者は、そのような俊太郎の心情を理解しやすくするため、新選組を悪者としたのだろうか。あるいは、新選組は実際にこのような組織だと考えていたのだろうか。
仮に後者だとするならば、作者はおそらく新選組を好きではなかったろう、と感じた。

作中、近藤勇の愛妾のひとり駒野が登場し、俊太郎と関わりを持つ。
三本木の芸妓であり、近藤との間に男児が生まれもしたが、やがて手切れ同然の扱いになった。
このあたりの描写にも、作者が近藤という人物をあまり好きではなさそうな雰囲気を感じる。

綱淵作品の中で、新選組を比較的大きく扱った小説は、本作が唯一だったように思う。
ただ、幕末維新を題材として、不遇に陥ったり、悲運に倒れたりした人々を扱ったものは多数ある。

「怯」 短編。文化4年の択捉島事件で、ロシア兵の攻撃に単身立ち向かった南部藩士・大村治五平。
「乱」 長編。連載時の副題『侠血の仏人士官ブリュネ』のとおり、ブリュネを通して幕末日本の外交や戊辰の内戦を描く。作者の死去(平成8=1996)により未完となった。
「航 榎本武揚と軍艦開陽丸の生涯」 長編。榎本のオランダ留学から、軍艦開陽の最後まで。
「戊辰落日」 長編。鳥羽伏見戦争から鶴ヶ城開城まで、会津藩の苦難の戦い。
「冤」 短編。相楽総三ら赤報隊が、偽官軍の汚名を着せられ処断される顛末。
「朔」 中編。樺太の詰所に派遣され、対ロシア交渉に苦闘する大野藩士・早川弥五右衛門。
「龍」 短編。坂本龍馬暗殺事件の顛末。
「斃」 短編。遣米使節団の一員、能吏として活躍しながら、新政府に処刑された吉岡艮太夫(勇平)。
「憎」 短編。旧会津藩士・伴百悦と高津仲三郎を主軸として、明治2年の束松事件を描く。
「苔」 長編。明治9年に思案橋事件を起こした永岡久茂らの墓を、作者が訪ね歩く掃苔録。
「妍」 短編。永岡久茂の妻せんが、夫を喪った状況と、その後に送った生涯の大いなる謎。

以上は思いついたものをざっと挙げただけで、他にもまだある。
また、小説以外の著作にも、興味深いものが多い。
例えば、評伝集『幕臣列伝』、エッセイ集『幕末に生きる』『夜明けを駆ける』『歴史の海 四季の風』『幕末風塵録』『歴史と人生と』などを読むと、幕末維新に関する多くを学ぶことができる。

余談だが、榎本武揚が旧幕脱走軍を率いて蝦夷地へ渡った時、朝廷に「蝦夷地殖民認可の嘆願書」を提出した。失業した旧幕臣を北方の防備と開拓にあたらせたい、という趣旨が記されている。
榎本は、19歳の時、箱館奉行・堀利煕の従者として蝦夷地へ渡って現地を見聞し、後のオランダ留学では国際情勢を具に知った。つまり、嘆願書は単に旧幕脱走軍の正当化だけを意図したのではなく、北方領土を守らねばという危機意識に基づいてもいたのだろう。
しかし、箱館戦争のどさくさがロシアの侵出を招き入れた側面もあるようで、皮肉としか言いようがない。

本作は「過去の話」であって、現在の国際情勢は違うと思いたい。
しかし、いっこうに解決しない北方領土問題、クリミア危機を背景とする日ロ関係を思うと、問題の本質は何も変わらないまま、今も在り続けているような気がする。
本作を読んで、このような状況に至った原因はロシア側だけでなく、明治新政府の外交姿勢にもあったと知った。過去に何があったか知っておくことは重要だと、改めて感じる。

本作の初出は、『別冊文藝春秋』第121号(昭和47年9月)~第125号(昭和48年9月)。
昭和49年(1974)、文藝春秋より単行本。
昭和54年(1979)、中公文庫版。短編小説「夷」を併録。
「夷」は、明治37年、樺太で起きたアイヌ人とロシア人の紛争において、誇りを守り仲間を救うため命を落とした義人・畠山松之助(実在人物)を描く。

狄



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