山崎巌「勝海舟探索控 太陽暦騒動」
短編小説。榎本武揚を主人公として、明治6年(1873)の改暦をめぐる騒動をユーモラスに描く。
予めお断りしておくが、この作品に新選組は登場しない。
にもかかわらず取り上げる理由は、2015年1月1日、NHK総合「タイムスクープハンター スペシャル」、題して「お正月パニック!改暦大騒動」の放送予定を知ったことである。
このタイトルを見て、本作を思い出した。
榎本武揚と勝海舟という、新選組とは因縁浅からぬ人物が登場することもあり、ご紹介を思い立った次第。
改暦について、念のため簡単に説明したい。
明治6年(1873)1月1日より、日本の暦を改めることとなった。
つまり、カレンダーは太陰太陽暦(旧暦)を廃止し、グレゴリオ暦(新暦)を導入。
一日の時刻も、十二時辰制から24時間定時制へと変更する。
ところが、政府がこれを発表したのは、明治5年11月9日のことだった。
しかも「明治5年12月3日(旧暦)をもって、明治6年1月1日(新暦)とする」という。
つまり、12月がたった2日しかない上、施行まで1箇月もないのだ。
これでは年越し準備は間に合わず、特に商売人は年末に予定していた売掛金の回収が困難になる。
人々の困惑・混乱はいかばかりだったろうか。
本作ストーリーは、以下のような内容。
明治5年11月初旬のある日、榎本武揚が勝海舟に呼ばれ、訪ねていく。
武揚は、4年前の戊辰戦争で新政府に抗戦した後、降伏。この年1月にようやく赦免された。
新政府のお情けで開拓使四等出仕として仕官するものの、給金はごくわずか。妻たつが仕立物をして得る収入で、どうにか飢えを凌いでいる。
海舟は、武揚に3通の封書を預け、それぞれ両国の米問屋「佐渡屋」、根岸の植木屋「植甚」、浅草のテキ屋の親分「鬼辰」に届けるよう命じる。
わけを尋ねる武揚に、海舟は目論見を語る。曰く、多くの旧幕臣が、今も生活費に不自由している。それを思うと、胸が痛んでならない。救済のため、かつて徳川家に出入りしていた大店の商人に金を出させる。
手紙の内容を知らぬまま使いに立った武揚は、訪問先で驚愕の事実を知る。
合計3千両もの献金を持って戻った武揚に問い詰められて、海舟は事情を話す。
岩倉使節団の外遊中、留守政府を預かる三条実美らが改暦を思いつき、即実行を決めた、というのだ。
世間が大混乱に陥る、と武揚が懸念を口にしても、海舟はどうせ困るのは借金取りや寺社だけ、と嘯く。
そして、武揚に手間賃10両をよこし、改暦の布告があるまで内密にするよう釘を刺す。
海舟の善意と手腕に感動した武揚は、自らもこれに乗じ余禄に預かろうと、種々画策するのだった。
ところが――
勝海舟と榎本武揚のやりとりが活き活きと描かれ、なかなか楽しい。
留守番内閣の三条実美、西郷隆盛、副島種臣、大隈重信、板垣退助、江藤新平といったお歴々の話し合いも、いかにもありそうな雰囲気で、思わず笑える。
終幕、女物の浴衣を着込んだ榎本武揚の悲痛な叫びが、忘れがたい印象を残す(笑)
読んでいて、少々気になったこと。
◆実際には、明治5年11月は29日までで、それに12月1日、2日が続くはずだった。
改暦にともない「12月1日を11月30日、12月2日を11月31日」とする案が出ていたことは事実のようだが、採用はされなかった。
◆作中「庶民の殆んどは商人を除き、文字とは無縁の暮らしをしていた」という一節がある。
識字率には地域や身分による格差があったが、幕末期の江戸では庶民層でも約90%に達したという。本作は明治初期の東京が舞台であるし、徳川家と多少でも関わりがあった人物なら字は読めてもおかしくない。
作者・山崎巌(やまざきがん)は、映画・テレビドラマ脚本家としての活躍歴が長い。
日活全盛期の人気作、小林旭主演「渡り鳥」シリーズや、テレビ時代劇「大江戸捜査網」など、500本以上のシナリオを手がけている。
1991年、初の時代長編『五稜郭へ六万両』(新潮社)を書き下ろしで上梓、小説家としてデビュー。
脚本家らしい技術を活かし、巧みな構成と視覚的表現、エンターテインメント性に富んだ作品を発表した。
(※『五稜郭へ六万両』は、戊辰戦争を題材にした冒険活劇であり、榎本武揚や土方歳三が登場する。)
本作「勝海舟探索控 太陽暦騒動」は、『週刊新潮』1996年5月23日号にて発表された。
同誌では1993年より4年間「読切時代小説」を連載、年間50人の人気作家を登場させた。本作も、その1編である。
1997年、新潮社のアンソロジー『市井図絵』が刊行。「読切時代小説」から16作品を載せており、本作もこれに収録されている。
また、この「勝海舟探索控」シリーズは、他に2編が「読切時代小説」にて発表され、いずれも新潮社刊アンソロジーに収録されている。
「勝海舟探索控 米欧回覧笑記」1994年6月23日号掲載
→『時代小説最前線〈3〉』(1994)、『士魂の光芒 時代小説最前線』(1997)収録
「勝海舟探索控 華魁小紫」1995年6月15日号掲載
→『時代小説五十人集〈下〉』(1995)、『勝者の死にざま 時代小説選手権』(1998)収録
本作「太陽暦騒動」は、上記2作に続く3作目であったらしい。
しかし、本作発表の翌年(1997)3月8日、作者は67歳にて世を去った。
小説家としての活躍を、もっと見せていただきたかったと思う。
余談ながら、実際の改暦をめぐる騒動について。
明治5年出版の『太陽暦講釈』という冊子を、博物館で見かけたことがある。
一般大衆向けの啓蒙書で、グレゴリオ暦の成り立ち、太陰太陽暦との違い、四季の生じるしくみ(太陽の運動変化)を図入りで解説。体裁は木版刷り、和綴じである。
ほかにも類書が多数出版されたらしい。
このような出版物は、改暦のあおりを食った頒暦業者が、苦肉の策で考え売り出したのでは、と思った。
また、武州の上層農民が記述した『鈴木藤助日記』には、「いよいよ12月3日より1月1日と相成る。是迄の正月の通り三日の間賑々しく致し候様お触れ御座候」とあり、政府が改暦を徹底させるため「新年を賑やかに祝え」とわざわざ布告していたことがわかる。
しかし実生活では、年末のすす払い・餅つき・歳暮の贈答、年始の挨拶回り・年玉の交換といった、長年習慣とされてきた行事をする余裕はなかった。日記にも、しばらくは旧暦の日付が並記されている。
さらに、明治12年の記述によると、近郷近在では2月1日を正月として祝い、1月下旬に餅つきや歳暮のやりとりを行なっている。改暦から5年余を経ても、人々の生活には新暦がなじまなかったらしい。
もしも現代にこのような改暦が行なわれるとすれば、どのような事態になるだろうか。
当事者にとっては、本作のような笑いぐさではすむまい。
NHK「タイムスクープハンター」2015年 年始の放送予定
●スペシャル「お正月パニック!改暦大騒動」
1月1日(木・祝)22:15~23:05
1月2日(金)10:15~11:05(一部地域を除く)
●第6シーズン傑作選……人気投票第1~3位のエピソードを放送
1月1日早朝(12月31日深夜)
02:35~03:05「激流!ふんどし男の渡し」
03:05~03:35「リベンジ 敵を討て!」(前編)
03:35~04:05「リベンジ 敵を討て!」(後編)

予めお断りしておくが、この作品に新選組は登場しない。
にもかかわらず取り上げる理由は、2015年1月1日、NHK総合「タイムスクープハンター スペシャル」、題して「お正月パニック!改暦大騒動」の放送予定を知ったことである。
このタイトルを見て、本作を思い出した。
榎本武揚と勝海舟という、新選組とは因縁浅からぬ人物が登場することもあり、ご紹介を思い立った次第。
改暦について、念のため簡単に説明したい。
明治6年(1873)1月1日より、日本の暦を改めることとなった。
つまり、カレンダーは太陰太陽暦(旧暦)を廃止し、グレゴリオ暦(新暦)を導入。
一日の時刻も、十二時辰制から24時間定時制へと変更する。
ところが、政府がこれを発表したのは、明治5年11月9日のことだった。
しかも「明治5年12月3日(旧暦)をもって、明治6年1月1日(新暦)とする」という。
つまり、12月がたった2日しかない上、施行まで1箇月もないのだ。
これでは年越し準備は間に合わず、特に商売人は年末に予定していた売掛金の回収が困難になる。
人々の困惑・混乱はいかばかりだったろうか。
本作ストーリーは、以下のような内容。
明治5年11月初旬のある日、榎本武揚が勝海舟に呼ばれ、訪ねていく。
武揚は、4年前の戊辰戦争で新政府に抗戦した後、降伏。この年1月にようやく赦免された。
新政府のお情けで開拓使四等出仕として仕官するものの、給金はごくわずか。妻たつが仕立物をして得る収入で、どうにか飢えを凌いでいる。
海舟は、武揚に3通の封書を預け、それぞれ両国の米問屋「佐渡屋」、根岸の植木屋「植甚」、浅草のテキ屋の親分「鬼辰」に届けるよう命じる。
わけを尋ねる武揚に、海舟は目論見を語る。曰く、多くの旧幕臣が、今も生活費に不自由している。それを思うと、胸が痛んでならない。救済のため、かつて徳川家に出入りしていた大店の商人に金を出させる。
手紙の内容を知らぬまま使いに立った武揚は、訪問先で驚愕の事実を知る。
合計3千両もの献金を持って戻った武揚に問い詰められて、海舟は事情を話す。
岩倉使節団の外遊中、留守政府を預かる三条実美らが改暦を思いつき、即実行を決めた、というのだ。
世間が大混乱に陥る、と武揚が懸念を口にしても、海舟はどうせ困るのは借金取りや寺社だけ、と嘯く。
そして、武揚に手間賃10両をよこし、改暦の布告があるまで内密にするよう釘を刺す。
海舟の善意と手腕に感動した武揚は、自らもこれに乗じ余禄に預かろうと、種々画策するのだった。
ところが――
勝海舟と榎本武揚のやりとりが活き活きと描かれ、なかなか楽しい。
留守番内閣の三条実美、西郷隆盛、副島種臣、大隈重信、板垣退助、江藤新平といったお歴々の話し合いも、いかにもありそうな雰囲気で、思わず笑える。
終幕、女物の浴衣を着込んだ榎本武揚の悲痛な叫びが、忘れがたい印象を残す(笑)
読んでいて、少々気になったこと。
◆実際には、明治5年11月は29日までで、それに12月1日、2日が続くはずだった。
改暦にともない「12月1日を11月30日、12月2日を11月31日」とする案が出ていたことは事実のようだが、採用はされなかった。
◆作中「庶民の殆んどは商人を除き、文字とは無縁の暮らしをしていた」という一節がある。
識字率には地域や身分による格差があったが、幕末期の江戸では庶民層でも約90%に達したという。本作は明治初期の東京が舞台であるし、徳川家と多少でも関わりがあった人物なら字は読めてもおかしくない。
作者・山崎巌(やまざきがん)は、映画・テレビドラマ脚本家としての活躍歴が長い。
日活全盛期の人気作、小林旭主演「渡り鳥」シリーズや、テレビ時代劇「大江戸捜査網」など、500本以上のシナリオを手がけている。
1991年、初の時代長編『五稜郭へ六万両』(新潮社)を書き下ろしで上梓、小説家としてデビュー。
脚本家らしい技術を活かし、巧みな構成と視覚的表現、エンターテインメント性に富んだ作品を発表した。
(※『五稜郭へ六万両』は、戊辰戦争を題材にした冒険活劇であり、榎本武揚や土方歳三が登場する。)
本作「勝海舟探索控 太陽暦騒動」は、『週刊新潮』1996年5月23日号にて発表された。
同誌では1993年より4年間「読切時代小説」を連載、年間50人の人気作家を登場させた。本作も、その1編である。
1997年、新潮社のアンソロジー『市井図絵』が刊行。「読切時代小説」から16作品を載せており、本作もこれに収録されている。
また、この「勝海舟探索控」シリーズは、他に2編が「読切時代小説」にて発表され、いずれも新潮社刊アンソロジーに収録されている。
「勝海舟探索控 米欧回覧笑記」1994年6月23日号掲載
→『時代小説最前線〈3〉』(1994)、『士魂の光芒 時代小説最前線』(1997)収録
「勝海舟探索控 華魁小紫」1995年6月15日号掲載
→『時代小説五十人集〈下〉』(1995)、『勝者の死にざま 時代小説選手権』(1998)収録
本作「太陽暦騒動」は、上記2作に続く3作目であったらしい。
しかし、本作発表の翌年(1997)3月8日、作者は67歳にて世を去った。
小説家としての活躍を、もっと見せていただきたかったと思う。
余談ながら、実際の改暦をめぐる騒動について。
明治5年出版の『太陽暦講釈』という冊子を、博物館で見かけたことがある。
一般大衆向けの啓蒙書で、グレゴリオ暦の成り立ち、太陰太陽暦との違い、四季の生じるしくみ(太陽の運動変化)を図入りで解説。体裁は木版刷り、和綴じである。
ほかにも類書が多数出版されたらしい。
このような出版物は、改暦のあおりを食った頒暦業者が、苦肉の策で考え売り出したのでは、と思った。
また、武州の上層農民が記述した『鈴木藤助日記』には、「いよいよ12月3日より1月1日と相成る。是迄の正月の通り三日の間賑々しく致し候様お触れ御座候」とあり、政府が改暦を徹底させるため「新年を賑やかに祝え」とわざわざ布告していたことがわかる。
しかし実生活では、年末のすす払い・餅つき・歳暮の贈答、年始の挨拶回り・年玉の交換といった、長年習慣とされてきた行事をする余裕はなかった。日記にも、しばらくは旧暦の日付が並記されている。
さらに、明治12年の記述によると、近郷近在では2月1日を正月として祝い、1月下旬に餅つきや歳暮のやりとりを行なっている。改暦から5年余を経ても、人々の生活には新暦がなじまなかったらしい。
もしも現代にこのような改暦が行なわれるとすれば、どのような事態になるだろうか。
当事者にとっては、本作のような笑いぐさではすむまい。
NHK「タイムスクープハンター」2015年 年始の放送予定
●スペシャル「お正月パニック!改暦大騒動」
1月1日(木・祝)22:15~23:05
1月2日(金)10:15~11:05(一部地域を除く)
●第6シーズン傑作選……人気投票第1~3位のエピソードを放送
1月1日早朝(12月31日深夜)
02:35~03:05「激流!ふんどし男の渡し」
03:05~03:35「リベンジ 敵を討て!」(前編)
03:35~04:05「リベンジ 敵を討て!」(後編)
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