新選組の本を読む ~誠の栞~

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 秋山香乃『近藤勇』 

長編小説。新選組局長・近藤勇の至誠一途な生涯を、池田屋事件から最期の時まで描く。

元治元年(1864)6月5日の夜。
新選組の壮士34人は、過激浪士らの御所放火・天皇略取計画を阻止するため出動した。
近藤勇は、沖田総司・永倉新八・藤堂平助を率いて、池田屋に踏み込む。
激闘の末、浪士らの中心人物とみられる宮部鼎蔵を追い詰め、投降を迫った。
ところが、宮部は不敵な言葉を残して自刃する。
「俺が死ねば、百の男たちがいきり起つ。やがてそれは倒幕の軍として、千となり万となって、この国に満ちるじゃろ。憎しみは何ものにも代え難い力となる。覚えておくがいい」
近藤は、負け犬の遠吠えと片づけた。
しかし、この言葉が呪いのように、彼の中に暗い影を落とすことになる。

京都の治安を守るのみならず、長州征討を成功させることが幕府のためと考え、近藤は力を尽くす。
それでも、新選組局長という立場には、おのずから限界があった。
また、盟友の山南敬助が世を去り、愛弟子でもある沖田総司が病に伏し、論客と見込んで迎え入れた伊東甲子太郎とは意見の相違が露呈するなど、隊の運営にも次第に困難が増していく。
やがて、幕権の凋落は覆うべくもなく、土方歳三の助力によって組織を保ってきた新選組からも分離脱退者を出すことになる。
宮部の遺した言葉が甦り、現実化するのを感じながらも、近藤は君恩に報いることこそ武士の道と信じ、己の本分をまっとうせんと奮闘するのだった。


秋山香乃の作品では『新選組藤堂平助』をすでに当ブログで紹介したが、別の作品も読んでみたいと思い、本作を手に取った。

全体として、近藤勇という人物とその生涯を至極真っ当に描いた作品、という印象。
史実を踏まえた上でストーリーを展開しており、作者なりの個性を強烈に打ち出したり、奇をてらったりしたようなところは窺えない。そのため、平凡で面白味がない、と感じる向きもあるかもしれない。
しかし、彼をこのように描いた小説は、他にもあるようでいて、実際はあまりなかったようにも思える。

本作の近藤勇は、栄達欲の強い俗物ではないし、時勢の変化を理解できない石頭でもない。
いったん忠誠を尽くすと誓った以上、たとえ自分の身が滅びてもそれを貫くべき、と考えているのだ。
それは、「愚直」などという言葉で表すべきではない、賢愚を超越した境地である。
また、周囲におだてられて得意になっている天狗でもない。
任せられるところは任せながらも隊内運営に目を配り、隊士らを思いやっている。
司馬遼太郎の人物造形に慣れてしまっている向きなどには、この近藤像を知ってもらいたいと感じた。

近藤らの慶応元年・翌2年と2度の広島行きが、かなり詳しく描かれている。
幕府と長州との関係、それぞれの内幕が描かれ、歴史的背景や新選組が置かれた状況の変化がわかりやすくなっていると思う。
また、そうした状況に近藤がどのように関わろうとしたのか、伊東との考え方の違いがどのように露わとなっていったのか、重要な経緯もわかりやすい。
こうした場面は、新選組と反幕志士との斬り合いなど活劇を期待していたら、あまり面白くないだろう。
しかし、どちらが正義でどちらが悪とは断定できない現実の中で、各人が正しいと思う道を模索していった結果が時代を形成したのであり、そのことを気づかせてくれる重要な場面と捉えたい。

歴史的な展開のあいまに描かれる近藤勇の女性関係も、なかなか面白い。
正妻のツネに対しては、江戸下りした際に訣別を言い渡す。
妻子への未練があっては国事のために働くことができないと思ったからだが、これを潔く受け入れるツネの覚悟もすごい。

愛妾ワカとは、池田屋事件の直後、不審な場所を捜索中に出会った。
禁門の変によって妾奉公を続けられなくなり、苦界に戻り「深雪太夫」となった彼女を、放っておけない気持ちから馴染みとなり、やがて身請けして休息所に迎える。
その後、ワカの妹コウとも関係をもってしまい、それがワカに知れるという大波乱もあるが、このあたりは女たちのほうが勇より一枚上手をいっている雰囲気。

本作の伊東甲子太郎は、近藤と対立するようになっていくけれども、一廉の人物として描かれている。
彼もまた忠節を重んじているのだが、幕府の相次ぐ失策を目の当たりにするうち、「自らが忠節を捧げるべき対象は幕府ではない」と考えるようになっていく。
現代人にとっては、このような伊東の考えのほうが、近藤のそれよりも理解しやすいかもしれないと感じた。

油小路の変の直前、伊東が新選組の招きに応じた理由は、新選組を侮ったからではない。
また、拒否して「臆病者」と誹られるのを恐れたからでもない。
彼には、命を賭けても近藤に伝えたいことがあった。それは、今後の幕府の存続に関わる重大事だった。
そして、自らの言葉を信用させるためにも、ただひとりで出向くべきと考えたのだ。
しかし、実際に出向いた席上では、どれほど言葉を尽くそうと真意は伝わらなかった。
その無念を噛みしめつつ、彼は命を落とすことになる。

『新選組藤堂平助』で感じたようなBL的要素は、本作にはほとんどなかった。
その代わりというべきかどうか、妻や愛妾とのプライベートな時間がけっこう濃厚に描かれている。
本作の読者は女性より男性が多いと、作者が想定したのかもしれない。

そのほか印象に残った設定や展開を、以下に挙げる。(とても全部は書けないので、ほんの一部に過ぎないことをお断りしておく。)

◆明保野亭事件で自裁した会津藩士・柴司が、沖田にメッセージを遺し、それが後に判明する。思いやりの心が残る場面。

◆葛山武八郎の切腹について、なかなか興味深く、かつ無理のない理由付けがされている。

◆山南の死に関して、『新選組藤堂平助』と異なる点がある。多くの作家はこういう設定を複数の作品で使い回すが、秋山香乃がそうしなかった理由は何だろうか、想像すると面白い。

◆伊東が藤堂を御陵衛士に勧誘する際、無理強いしたかのような描写があるものの、後にそうではなく実は…と種明かしへもっていく展開が上手い。

◆土方歳三は、近藤にとって最も信頼できる腹心であるけれども、感情的な行き違いから気まずくなってしまう時期がある。人間関係のリアリティを感じさせる。

◆御陵衛士の分離脱退の日、壬生で出会った沖田と藤堂が、連れだって前川邸へ立ち寄り、ある思い出の品(実際に現存するもの)を見る。温かくも切ない場面。

◆年少の田村銀之助が、月真院へ使いに行き、伊東にからかわれる。健気。

◆藤堂が新選組を出る時も、永倉や原田が訣別を告げる時も、近藤との間には様々な葛藤がある。ただ、最終的に後味の悪い別れ方にはなっていないので、救われる気がする。

少々残念に感じたのは、芹沢鴨の暗殺について、あまり触れられていないこと。
近藤勇の生涯の中で、決して小さい事件ではないはずだ。にもかかわらず詳しく描かれなかったのは、紙幅の都合か、あるいは何か他に理由があったのだろうか。
暗殺という卑怯な手段を用いても芹沢を排除しなければならなかったことについて、近藤は心の中でどのように折り合いを付けたのか、それを作者はどのように描くのか、読んでみたかった気がする。

流山での投降に際して、勇が口には出さないまま歳三に向けた言葉が熱い。
彼は生きることを諦めたわけではなく、歳三と隊士らを助けるために出頭を決めたのだった。
最後、ただひとり死に赴く彼の胸中があまりにも澄み切っていて、それがより哀しみを誘う。

本作は、文庫本書き下ろし作品。
2004年、角川春樹寺務所よりハルキ文庫(時代小説文庫)として刊行された。

近藤勇
(時代小説文庫)




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