山崎巌『五稜郭へ六万両』
長編小説。奇妙な取り合わせの一行が、決死の覚悟で戊辰の戦火をくぐり抜け、箱館・五稜郭に立て籠もる旧幕軍のもとへ6万両相当の金を運んでゆく、スリルとユーモアあふれる冒険譚。
先日、作者の短編「勝海舟探索控 太陽暦騒動」を記事にした折、本作を思い出したので今回紹介したい。
明治2年5月10日。
箱館戦争は終局を迎え、旧幕軍はもはや五稜郭と弁天台場に立て籠もるのみとなっていた。
総裁・榎本武揚は、旧幕軍を率いて脱走、独自政権を樹立した経緯を振り返りつつ、こんなはずではなかったという悔恨と無念に歯噛みしていた。
そんなところへ、陸軍奉行並・土方歳三が声をかけた。奇妙な3人連れが訪ねてきたという。
役宅の座敷には、見たところ大身の武士、供侍、高貴な奥方が待たされていた。
彼らは、元御家人・脇田直次郎、芝居作者・竹柴金作、女形・中村菊之助とそれぞれ名乗る。
そして彰義隊頭取・天野八郎の手紙を見せ、なんと1年がかりで6万両を運んできたと言うのだ。
訝しんだ榎本と土方は、彼らに事情を話すよう促す。
3人は、代わる代わるこれまでの経緯を語り出した。
その前年、慶応4年5月。
江戸・深川の小さな芝居小屋で、直次郎は三味線を弾き、金作は台本を書き、菊之助は立女形を務めていた。
折しも、進駐してきた新政府軍と彰義隊をはじめとする旧幕勢力とが睨み合い、江戸の住民たちはいつ戦争が始まるかと気が気でない。
そんな時、直次郎が、彰義隊の軍資金を盗もうと金作・菊之助にもちかける。
曰く、彰義隊が新政府軍に勝てるはずがない、放っておけば莫大な金が新政府に没収されてしまう。それくらいなら自分たちがいただいてしまおう、というのだ。
薩摩藩の警備を騙し、新門辰五郎一家の火消しになりすまして、上野・寛永寺の寒松院に忍び込んだ3人は、ついに大量の千両箱を発見。中には金の延べ板がぎっしり詰まっていた。
歓喜したのも束の間、新政府軍の総攻撃が始まる――
個性の強い主人公らが騒動を繰り広げつつ目的地を目指すという、ロードムービーふうコメディ。
上野から運び出した金を、宇都宮・会津・仙台・青森を経て、箱館まで運ぶ顛末が描かれる。
途中で戦闘に巻き込まれたり、捕えられて殺されそうになったりするが、辛くも切り抜けていく。
また、これに並行して、榎本武揚ら旧幕脱走軍の戦いと挫折も描写される。
全体の構成は、下記のとおり。
第一章 敗軍の将 兵を語る
第二章 上野は 花の彰義隊
第三章 敗軍の将 兵を叱る
第四章 会津は いけにえ白虎隊
第五章 敗軍の将 兵と逃げる
第六章 悪夢は 蝦夷の共和国
第七章 敗軍の将 兵を捨てる
終 章 文明開化の大泥棒
主人公のうち、リーダー格の直次郎は、御家人・脇田家の養子となりながらも徳川への忠誠心などは欠片もなく、遊び人とも無頼漢ともつかない日々を送っている。
悪相で、特に笑うと(本人には何ら底意がなくても)ひどく凶悪な顔つきになり、誰もがたじろぐほど。
度胸があり、腕っ節も強いが、思慮は足りない。
怪しげな儲け話を聞き込んできては、金作と菊之助をそそのかして巻き添えにする、迷惑な兄貴分。
ただ、今回の金運びは金儲けのためではなく、秘めた目的があり、強く思い詰めている。
竹柴金作は、著名な芝居作者・河竹新七の弟子であり、普段は地道に芝居の台本を書いている。
慎重な性格で、直次郎の無謀な企みには耳を貸すまいとするのに、いつのまにか乗せられてしまう。
芝居の筋書きに慣れているため、具体的な実行計画を立案するのは彼の役目。
いつか自分の芝居小屋を持ちたいと願い、その資金を得るために直次郎を手伝う。
中村菊之助は、舞台だけでなく私生活でも女として振る舞っている女形。
役者としては、演技が大仰すぎるためか、場末の芝居小屋にしか縁がない。
横顔は美しいのに、正面顔はエラが見事に出っ張り、本人はそれを苦にしている。
美容整形手術に長けた西洋医の噂を聞き、エラを削れば一流の舞台に立てるだろうと望みを抱く。
その費用を獲得したい一念で、直次郎についていく。
彼らの旅には、深川の女郎、おみつ・おせん・おとよの3人も同行する。
旅芝居の一座と偽装するための人数合わせに、金作が連れ出した。
彼女らが会津藩領の金堀村出身で、土地の事情に明るいことも役に立つという考えだった。
多額の報酬をもらって故郷に帰れると夢見ていた彼女らだが、予想外の事態に翻弄されることに。
本作の榎本武揚は、見栄っ張りの浅はかな男。
行き場を失った旧幕臣たちを「約束の地」に導くなどと高邁な理想を掲げて脱走したわりに、すべてにおいて見通しが甘い。苦境に陥ると、心の中で他人に責任をなすりつけたり、自分の体面を取り繕おうと画策したり。
戦局がいよいよ行き詰まって、味方から「裏切り者」と責められないよう降伏するにはどうすればいいか、四苦八苦したあげく、思わぬ助け船を得るのだった。
読み進むにつれ、この本性に気づかず従っている旧幕脱走諸士が、気の毒に思えてくる(笑)
本作の土方歳三は、死に場所を求めて戦い続けるため、榎本率いる脱走軍に合流した。
脱走軍の向後について「対馬を足がかりに、朝鮮を攻め取ろう」などと非現実的な提案をする。
榎本に負けず劣らず見栄っ張りで、「新選組副長、土方歳三」と聞けば新政府軍の奴らは震え上がるだろう、などと自惚れている。
実際にこんな人柄だったとは思わないが、身近にいそうで親しみやすいとは言えるかも(笑)
ほかに、大鳥圭介、星恂太郎、ジュール・ブリュネなど旧幕軍の面々や、松平容保、伊達慶邦、玉虫左太夫、白虎隊(士中二番隊)、楢山佐渡など奥羽諸藩の大名や家臣も登場。
また、勝海舟と榎本武揚のやりとりは「勝海舟探索控 太陽暦騒動」のそれに通じる。
勝の食えない性格を忌々しく思いながら、どうしても頭が上がらない榎本の心理が面白い。
箱館戦争がとうとう市街戦に突入した時、直次郎の真の目的が明かされ、意外な展開となる。
金をはるばる運んでいって報酬を受け取るよりも、全部着服してしまったほうが楽なのに、そうしなかった理由がようやくわかる。
その真相は、新選組のある隊士(実在人物)と、在京時代のある事件に深く関わっていたのだ。
ここでネタバレしてしまうと興醒めなので、本作を読んで確かめていただきたい。
全体的に史実とフィクションとが入り交じったストーリーで、時代考証は重視されていない。
たとえば、旧幕軍や奥羽諸藩軍が装備している小銃は、火縄銃とヤーゲル銃ばかりとされる。
宮古湾海戦では、旧幕軍は「回天」「高雄」の2艦だけが出撃し、「蟠竜」はまったく関わらない。
直次郎の真の目的に関わる設定には、年齢的な矛盾がある。(作者は、ある隊士を実際より年長と思ったか。)
最後に出てくる、新選組が弱者に虐待を加えたという話も、まるでヤクザか愚連隊の如きで、実際にそんなことをしていたとは考えにくい。仮に心得違いの者がいたとしても、幹部が許すまい。
しかし、面白さを優先した娯楽作品であるから、いちいちあげつらうのも無意味だろう。
戦後、主人公たちはそれぞれの落ち着きどころを得て終わるので、読後感は悪くない。
歌舞伎に関連した設定があり、その方面に興味があればまた別の楽しみ方もできそう。
作者が本作を通して訴えたかったことは、何だろうかと考えてみた。
当事者にとっては真剣なことも、傍から見れば滑稽だったりする。
また、権威・権力・声望があるものも内実は大したことがない、という例も多々ある。
本当はそれをどう評価すべきなのか、己の価値観をよく見つめなおせ、ということなのかもしれない。
『五稜郭へ六万両』は、1991年、新潮社より「新潮書下ろし時代小説」シリーズの1冊として刊行された。
体裁は四六判ハードカバー。文庫本化された形跡は見られない。
なお、「新潮書下ろし時代小説」シリーズは、1990~96年、複数の人気作家の作品が19点ほど出版された模様。


先日、作者の短編「勝海舟探索控 太陽暦騒動」を記事にした折、本作を思い出したので今回紹介したい。
明治2年5月10日。
箱館戦争は終局を迎え、旧幕軍はもはや五稜郭と弁天台場に立て籠もるのみとなっていた。
総裁・榎本武揚は、旧幕軍を率いて脱走、独自政権を樹立した経緯を振り返りつつ、こんなはずではなかったという悔恨と無念に歯噛みしていた。
そんなところへ、陸軍奉行並・土方歳三が声をかけた。奇妙な3人連れが訪ねてきたという。
役宅の座敷には、見たところ大身の武士、供侍、高貴な奥方が待たされていた。
彼らは、元御家人・脇田直次郎、芝居作者・竹柴金作、女形・中村菊之助とそれぞれ名乗る。
そして彰義隊頭取・天野八郎の手紙を見せ、なんと1年がかりで6万両を運んできたと言うのだ。
訝しんだ榎本と土方は、彼らに事情を話すよう促す。
3人は、代わる代わるこれまでの経緯を語り出した。
その前年、慶応4年5月。
江戸・深川の小さな芝居小屋で、直次郎は三味線を弾き、金作は台本を書き、菊之助は立女形を務めていた。
折しも、進駐してきた新政府軍と彰義隊をはじめとする旧幕勢力とが睨み合い、江戸の住民たちはいつ戦争が始まるかと気が気でない。
そんな時、直次郎が、彰義隊の軍資金を盗もうと金作・菊之助にもちかける。
曰く、彰義隊が新政府軍に勝てるはずがない、放っておけば莫大な金が新政府に没収されてしまう。それくらいなら自分たちがいただいてしまおう、というのだ。
薩摩藩の警備を騙し、新門辰五郎一家の火消しになりすまして、上野・寛永寺の寒松院に忍び込んだ3人は、ついに大量の千両箱を発見。中には金の延べ板がぎっしり詰まっていた。
歓喜したのも束の間、新政府軍の総攻撃が始まる――
個性の強い主人公らが騒動を繰り広げつつ目的地を目指すという、ロードムービーふうコメディ。
上野から運び出した金を、宇都宮・会津・仙台・青森を経て、箱館まで運ぶ顛末が描かれる。
途中で戦闘に巻き込まれたり、捕えられて殺されそうになったりするが、辛くも切り抜けていく。
また、これに並行して、榎本武揚ら旧幕脱走軍の戦いと挫折も描写される。
全体の構成は、下記のとおり。
第一章 敗軍の将 兵を語る
第二章 上野は 花の彰義隊
第三章 敗軍の将 兵を叱る
第四章 会津は いけにえ白虎隊
第五章 敗軍の将 兵と逃げる
第六章 悪夢は 蝦夷の共和国
第七章 敗軍の将 兵を捨てる
終 章 文明開化の大泥棒
主人公のうち、リーダー格の直次郎は、御家人・脇田家の養子となりながらも徳川への忠誠心などは欠片もなく、遊び人とも無頼漢ともつかない日々を送っている。
悪相で、特に笑うと(本人には何ら底意がなくても)ひどく凶悪な顔つきになり、誰もがたじろぐほど。
度胸があり、腕っ節も強いが、思慮は足りない。
怪しげな儲け話を聞き込んできては、金作と菊之助をそそのかして巻き添えにする、迷惑な兄貴分。
ただ、今回の金運びは金儲けのためではなく、秘めた目的があり、強く思い詰めている。
竹柴金作は、著名な芝居作者・河竹新七の弟子であり、普段は地道に芝居の台本を書いている。
慎重な性格で、直次郎の無謀な企みには耳を貸すまいとするのに、いつのまにか乗せられてしまう。
芝居の筋書きに慣れているため、具体的な実行計画を立案するのは彼の役目。
いつか自分の芝居小屋を持ちたいと願い、その資金を得るために直次郎を手伝う。
中村菊之助は、舞台だけでなく私生活でも女として振る舞っている女形。
役者としては、演技が大仰すぎるためか、場末の芝居小屋にしか縁がない。
横顔は美しいのに、正面顔はエラが見事に出っ張り、本人はそれを苦にしている。
美容整形手術に長けた西洋医の噂を聞き、エラを削れば一流の舞台に立てるだろうと望みを抱く。
その費用を獲得したい一念で、直次郎についていく。
彼らの旅には、深川の女郎、おみつ・おせん・おとよの3人も同行する。
旅芝居の一座と偽装するための人数合わせに、金作が連れ出した。
彼女らが会津藩領の金堀村出身で、土地の事情に明るいことも役に立つという考えだった。
多額の報酬をもらって故郷に帰れると夢見ていた彼女らだが、予想外の事態に翻弄されることに。
本作の榎本武揚は、見栄っ張りの浅はかな男。
行き場を失った旧幕臣たちを「約束の地」に導くなどと高邁な理想を掲げて脱走したわりに、すべてにおいて見通しが甘い。苦境に陥ると、心の中で他人に責任をなすりつけたり、自分の体面を取り繕おうと画策したり。
戦局がいよいよ行き詰まって、味方から「裏切り者」と責められないよう降伏するにはどうすればいいか、四苦八苦したあげく、思わぬ助け船を得るのだった。
読み進むにつれ、この本性に気づかず従っている旧幕脱走諸士が、気の毒に思えてくる(笑)
本作の土方歳三は、死に場所を求めて戦い続けるため、榎本率いる脱走軍に合流した。
脱走軍の向後について「対馬を足がかりに、朝鮮を攻め取ろう」などと非現実的な提案をする。
榎本に負けず劣らず見栄っ張りで、「新選組副長、土方歳三」と聞けば新政府軍の奴らは震え上がるだろう、などと自惚れている。
実際にこんな人柄だったとは思わないが、身近にいそうで親しみやすいとは言えるかも(笑)
ほかに、大鳥圭介、星恂太郎、ジュール・ブリュネなど旧幕軍の面々や、松平容保、伊達慶邦、玉虫左太夫、白虎隊(士中二番隊)、楢山佐渡など奥羽諸藩の大名や家臣も登場。
また、勝海舟と榎本武揚のやりとりは「勝海舟探索控 太陽暦騒動」のそれに通じる。
勝の食えない性格を忌々しく思いながら、どうしても頭が上がらない榎本の心理が面白い。
箱館戦争がとうとう市街戦に突入した時、直次郎の真の目的が明かされ、意外な展開となる。
金をはるばる運んでいって報酬を受け取るよりも、全部着服してしまったほうが楽なのに、そうしなかった理由がようやくわかる。
その真相は、新選組のある隊士(実在人物)と、在京時代のある事件に深く関わっていたのだ。
ここでネタバレしてしまうと興醒めなので、本作を読んで確かめていただきたい。
全体的に史実とフィクションとが入り交じったストーリーで、時代考証は重視されていない。
たとえば、旧幕軍や奥羽諸藩軍が装備している小銃は、火縄銃とヤーゲル銃ばかりとされる。
宮古湾海戦では、旧幕軍は「回天」「高雄」の2艦だけが出撃し、「蟠竜」はまったく関わらない。
直次郎の真の目的に関わる設定には、年齢的な矛盾がある。(作者は、ある隊士を実際より年長と思ったか。)
最後に出てくる、新選組が弱者に虐待を加えたという話も、まるでヤクザか愚連隊の如きで、実際にそんなことをしていたとは考えにくい。仮に心得違いの者がいたとしても、幹部が許すまい。
しかし、面白さを優先した娯楽作品であるから、いちいちあげつらうのも無意味だろう。
戦後、主人公たちはそれぞれの落ち着きどころを得て終わるので、読後感は悪くない。
歌舞伎に関連した設定があり、その方面に興味があればまた別の楽しみ方もできそう。
作者が本作を通して訴えたかったことは、何だろうかと考えてみた。
当事者にとっては真剣なことも、傍から見れば滑稽だったりする。
また、権威・権力・声望があるものも内実は大したことがない、という例も多々ある。
本当はそれをどう評価すべきなのか、己の価値観をよく見つめなおせ、ということなのかもしれない。
『五稜郭へ六万両』は、1991年、新潮社より「新潮書下ろし時代小説」シリーズの1冊として刊行された。
体裁は四六判ハードカバー。文庫本化された形跡は見られない。
なお、「新潮書下ろし時代小説」シリーズは、1990~96年、複数の人気作家の作品が19点ほど出版された模様。


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