新選組の本を読む ~誠の栞~

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 中村彰彦『いつの日か還る』 

長編小説。新選組随一の巨漢・島田魁の生涯を、江戸での修業時代から維新後の晩年にかけて描く。
新選組の在京時代に重きが置かれている。

島田魁は、一般的な知名度は高くないが、新選組ファンにはよく知られた隊士である。
維新後も存命で、後裔が存続したため、経歴や遺品などが比較的よく伝わっている。
今日判明していることを大まかにまとめると、以下のとおり。

◆「魁」の読みは「かい」。同時代史料に「甲斐」と表記した例があることからわかる。維新後「さきがけ」と読ませたと言われる。(※本作中では当初から「さきがけ」を用いている)

◆身長182cm・体重150kgの大男。力士になぞらえ「力(りき)さん」と渾名されたという説がある。体格相応に力も強く、五斗俵を3俵持てたという。(※大雑把に計算して225kgほどか)

◆文政11年(1828)美濃国の郷士・近藤伊右衛門の次男として出生。幼少期に両親を失い、親戚の永縄家や川島家に寄宿する。やがて大垣藩・島田才の養子となった模様。

◆安政3年(1856)江戸へ出て心形刀流・坪内主馬に入門。坪内道場で、永倉新八と出会ったと思われる。

◆文久元年(1861)京へ上り、丹波屋定七の世話になる。この頃、谷万太郎に入門、種田流槍術を学ぶ。

◆文久3年(1863)4月頃、新選組(当時は壬生浪士組)に加盟。以後、諸士調役や伍長として活躍。

◆慶応元年(1865)丹波屋の娘さとを娶る。その後、明治17年(1884)までに五男一女をもうける。

◆慶応4年(1868)新選組とともに各地を転戦し、蝦夷地へ渡る。軍監・軍目・新選組頭取を歴任。明治2年(1869)5月、箱館・弁天台場にて降伏。

◆明治5年(1872)赦免されて京都へ戻る。雑貨商や剣術道場を営む。明治19年(1886)より西本願寺の守衛として勤務。明治33年(1900)の退職後、西本願寺境内にて急病を発し、73歳にて死去。「島田魁日記」「英名録」など貴重な記録を残した。

◆現存する肖像写真は、子息の柳太郎が明治33年、長圓寺に納めたもの。戊辰戦争で奥羽を転戦中、フランス人によって撮影された、との由来書がついていたとか。


こうして見ると、なかなか個性的で興味深い人物なのだが、彼を主人公とする作品は少ない。
商業出版された長編小説では、本作が唯一ではなかろうか。
本作の章立てと概要は、以下のとおり。

第一章 好敵手 …坪内道場への入門。永倉(当初は長倉)新八との出会い。
第二章 蜆橋まで …大坂・谷道場に入門。谷三十郎に誘われ新選組へ。永倉との再会。力士乱闘事件。
第三章 新選組誕生 …芹沢派と近藤派との確執。8月18日の政変に出動。
第四章 恋の力さん …調役並監察に任じられ、丹波屋に寄宿。おさととの出会い。芹沢・平山の葬儀。
第五章 与力謀殺 …大坂西町奉行与力・内山彦次郎の暗殺事件。
第六章 敵は三条小橋 …古高俊太郎の逮捕。池田屋事件の勃発。
第七章 竹田の暴れ牛 …池田屋事件の収束。京に迫る長州軍に備え、竹田街道・九条河原へ出動。
第八章 報賞十七両 …禁門の変。池田屋事件の報賞。おさととの婚約が具体化。
第九章 亀裂変 …近藤勇の横暴を永倉らとともに会津藩へ直訴。伊東甲子太郎らの入隊。おさととの婚礼。
第十章 身内の敵 …組織拡大により西本願寺へ屯所移転。規律違反や脱走、その粛清など問題多発。
第十一章 土佐の長刀 …第二次長州征討の不調。長男・魁太郎の誕生。三条制札事件。
第十二章 脱退騒動 …伊東派の分離脱退。茨木司佐野七五三之助らの脱走事件。
第十三章 狂風油小路 …不動堂村へ屯所移転。大政奉還。油小路事件。
第十四章 いつの日か還る …幕府勢力の京都退去。おさと、魁太郎との別れ。墨染狙撃事件。鳥羽・伏見戦争。
第十五章 巨体倒るとも …箱館降伏後の謹慎と赦免。家族との再会。在隊時代を振り返りつつ送る晩年生活。

上記のとおり、基本的な史実を踏まえた上で創作を交えたストーリーが展開する。
島田の大力を示す有名な逸話、伏見の戦いでフル装備の永倉を小銃に捕まらせ塀の上に引っ張り上げたことも、ちゃんと盛り込まれている。

本作の島田魁は、実直な人柄。考えはあるのに、タイミング良く言い出すことができない訥弁家。
剣と槍で身を立てたいと願って修業し、永倉新八との縁をきっかけに、たまたま新選組に加盟した。
立身出世や政治的主張には、あまり興味がない。血腥い闘争も好まない。
むしろ、体面や隊内掌握にこだわる近藤、攘夷を熱く語る永倉に、ついていけないものを感じてしまう。任務のため人を斬った後は、気が滅入り、神仏に祈ったりする。

そういう彼が、おさとと結ばれ、肉親の縁が薄かった自分も家族の情愛を知る機会に恵まれたと喜ぶ。
与えられた任務を一所懸命に遂げようとするのも、生来の真面目さに加え、このささやかな幸せを守りたいという動機からだ。
気宇壮大な夢の実現を目指すタイプではないが、地に足をつけて努力することも大切だと示してくれる、リアリティあふれるタイプの主人公と言えよう。

本作中、特に興味深いのは、島田と近藤・土方との心理的距離の変化にまつわる描写である。

この距離が顕在化するのは、局長批判がきっかけだった。
これは、永倉の回顧談(『新撰組顛末記』『新選組奮戦記』)にもある、実際に起きた出来事らしい。

元治元年8月末頃、近藤に専横な言動が目立つようになり、それに不満・反発を抱く隊士が増えて、このままでは新選組の運営に支障を来たしかねない状況となった。
そこで、永倉新八・斎藤一・原田左之助・尾関雅次郎・島田魁・葛山武八郎の6人が連名し、会津候・松平容保に宛てて建白書を提出。切腹を覚悟で、近藤の非行を告発した。
しかし、会津候が彼らと近藤との間を取り持って和解させ、この件はひとまず落着した。
その直後の9月6日、葛山武八郎が切腹した。理由は不明ながら、局長批判メンバーの中で最も軽格だったために処分されたのでは、とも言われている。
また、永倉も謹慎や「行軍録」からの除外、といった処分を受けた模様。

本作中でも、ほぼこのとおりに展開する。
島田は、親友の永倉を放っておけない気持ちから、この批判に加わった。
近藤が謝罪した形を取り、江戸出張に永倉を連れて行くというので、解決したと安堵する。
ところが、葛山が切腹。理由は、近藤にあらぬ疑いをかけられたからだという。
さらに、長州出陣のため作成された「行軍録」では、永倉の名前がなく、原田や島田自身も不釣り合いな役職に配される。続いて、隊士の増加に伴う新編成では、新参の平隊士からも師範に取り立てられた者がいるのに、剣槍とも免許皆伝の島田は漏れている。
しかも近藤は、初稽古を名目に、島田と新入隊士・服部武雄とを局中一同の前で対戦させる。そして、予想に反して島田が勝つと、不愉快そうな態度をとる。その後も何かにつけ、嫌味な言動を繰り返す始末。

このように近藤勇が横暴で狭量な上司の役回りを負わされているのは気の毒だが、小説としては面白い。いつの時代にも、組織に属して働く立場には起こりうること、と感じられる。

また、当初は近藤と一枚岩と思われていた土方歳三が、近藤のこうした傲慢さに実は困惑しており、なんとか丸く収めようと気を遣っていることがわかってくる。すると、島田も土方を見直すようになる。
伏見~淀の撤退後、江戸から甲州~北関東~会津~蝦夷地への転戦は、作中に詳しく描写されない。
ただ、土方が新選組と別行動をとった時も、島田は傍らに付き従うことが多く、その事実は史料から判明している。
つまり、こうした信頼関係が築かれたのは、本作では近藤の専横の思わぬ副産物、という流れなのだ。作者ならではの目の付けどころと感じた。

どうでもいいほど瑣末なことだが、新選組が屯所とした西本願寺・北集会所について、本作には「600畳」以上の広さとある。(※出所は西村兼文『新撰組始末記(一名壬生浪士始末記)』と思われる)
しかし、昨年11月に築地本願寺で開催された公開講座「新選組 土方歳三のゆ・う・う・つ ―新発見史料から―」によると、そこまでの規模はなかった模様。
当初に借りた外陣が200畳。人数が増えて窮屈なところに夏の暑さも加わり、とても耐えられないと土方歳三が本願寺に申し入れた結果、内陣その他の約50畳も追加で使用できるようになった、という話だった。
もし実際に600畳もあったなら、こんな交渉もありえなかったろうな~、などと思えて可笑しい。

最終章、島田が家族と暮らすささやかな幸せを取り戻したこと、永倉との友情が終生変わらなかったことは、本当に良かったと感じた。
文庫版の解説にて、解説者の山内昌之は、本作の島田魁を「一言でいえば、足るを知っている男」「知足の人」と述べている。「吾唯足ることを知る」、あまりに欲張り過ぎて自分を不幸にするよりも、身の丈にあった生き方を心がける、ということの大切さを考えさせられた。

ちなみに、作者は本作執筆より前に、短編小説「巨体倒るとも」を発表している。
初出は『問題小説』平成6年(1994)7月号。これが一部改稿されて、本作の最終章となった。
短編小説「巨体倒るとも」は、作者の短編集『名剣士と照姫様』『新選組秘帖』、またアンソロジー『誠の旗がゆく』に収録されている。

本作『いつの日か還る』は、2000年、実業之日本社より単行本が出版された。
また2003年、副題『新選組伍長 島田魁伝』が付いて、文春文庫版が刊行された。
文庫版のカバー表紙には、島田魁の肖像写真が使われている。

いつの日か還る
新選組伍長島田魁伝
(文春文庫)




島田魁の回想録「島田魁日記」は、『新選組史料集』『新選組史料大全』に収録。また、『新選組日誌』に多数引用されている。(※『新選組日誌』は、本作『いつの日か還る』の巻末に参考資料として記載されている)
島田魁の遺品である隊士名簿「英名録」も、『新選組史料集』の「隊士名簿に見る新選組の変遷」、『新選組史料大全』の「新選組隊士名簿(編)」にて主要部分を見ることができる。
そのほか、ご子孫による人物伝が、「島田魁日記」とともに『続・新選組隊士列伝』(新人物往来社編発行/1974)に掲載されている。

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