新選組の本を読む ~誠の栞~

小説 史談 エッセイ マンガ 研究書など

 大内美予子『沖田総司』 

長編小説。自らの命の限界を見つめつつ幕末動乱を生き抜いた、沖田総司の短くも鮮烈な青春像を描く。

いささか旧聞に属するが、文藝春秋『オール読物』2013年3月号の記事「この新選組小説がすごい!」にて、新旧の名作がいくつも紹介されていた。本作も、そのうちの1冊である。
約40年前に初版発行されたにもかかわらず、名作に数えられる作品はそう多くはないと思う。
当方の手元にある単行本は、初版第1刷から23年後の第31刷である。この後に新装版や文庫版も出ており、実に長く読み継がれていることがわかる。

作者・大内美予子は、本作執筆の経緯を次のように語っている。
1968年のこと、明治百年を記念する催しにて、沖田総司の書簡をたまたま目にした。その筆跡に心惹かれ、彼の人物像に興味を持ったという。ところが、当時は意外なほど、沖田に関する史料文献が見当たらなかった。

そんな時、司馬遼太郎の小説に「沖田総司研究家」と紹介されている森満喜子の存在を知り、問い合わせたところ、森から関連史料を提供された。(※森満喜子については『沖田総司哀歌』を参照。)

大内は、司馬作品の影響から、沖田総司像を自分なりに書いてみたいと考えてもいた。そこで、提供史料を参考として執筆を始める。書き上げた原稿を森に送ったところ、高く評価されたらしい。森の知己である沖田ファンたちにも、読まれることとなった。
当時はインターネットどころかワープロやコピー機もさして普及していなかったから、肉筆原稿を郵送で回覧する方式である。(読者の中には、回ってきた原稿を手で書き写した人々もいた模様。)
2年近くの間に1700枚近くが執筆され、書き上がった分から順次回覧され、次第に読者を増やしていった。
その評判が出版社の知るところとなり、ついに商業出版される運びとなった。分量を4割程度に減らしてまとめ直し、完成したのが本作である。

発表当時、沖田に関しては史料文献のみならず、小説もまだ少なかった。
司馬作品やそれを原作とするテレビドラマに触発されファンとなった女子たちは、もっと彼の人柄や活躍に触れたいと待ち望んでいた様子。そのニーズに応える形となったことも、本作が人気を博した理由と思われる。
とは言え、ただブームに乗っただけではなく、普遍性のある作品だからこそ、長く名作として読み継がれることとなったのであろう。

本作の章立てと大まかな内容は、以下のとおり。

京へ …総司、出稽古先で門人たちに敬遠されて憤慨する。浪士組結成と京都行き。新選組の誕生。
壬生浪人 …新選組の治安維持活動。総司、芹沢鴨の素顔を知りつつ、やむなく暗殺の刃を振るう。
池田屋 …谷喬太郎(周平)が近藤の養子となるも、武芸は未熟。総司、池田屋で喀血し昏倒する。
いのち …少女・小りん、医師の娘・環(たまき)、名刀・菊一文字則宗との出会い。余命宣告。
山南敬助 …総司、悍馬の初霜を手なずける。脱走した山南を連れ戻し、切腹の介錯を務める。
花影 …若き医師・石崎賢之助と知りあうも、それが環との別離につながっていく。
処刑者 …河合耆三郎、谷三十郎、浅野薫らの死。総司と藤堂平助との最後の語らい。
逆流 …油小路事件から鳥羽・伏見敗戦と時勢が激変するうちにも、総司の病は悪化していく。
隅田川 …新選組の江戸帰還。総司は松本良順の世話で医学所に入院。姉お光との再会。
水車 …千駄ヶ谷・植木屋平五郎方での療養生活。お光や土方歳三との別れ。臨終。


沖田総司の生涯が素直に描かれた、オーソドックスな小説と感じる。
ストーリーは、子母澤寛『新選組遺聞』『新選組物語』を元にしたエピソードも多いが、そのままなぞるのではなく、独自の脚色がされている。この手法は他の作家にも見られるが、作家なりの個性が表れて、着目すべきところと思う。
本作の場合は、こんなところが印象に残った。

◯稽古ぶりが荒っぽく、多摩の門人たちに敬遠された総司。佐藤彦五郎から窘められ、納得できず小島鹿之助のもとへ訴えにいく場面は、微笑ましい。
山南敬助の切腹の際、『新選組物語』では土方歳三が面罵されるが、本作では公用で留守。しかし、介錯を遂げた総司の耳に、不在のはずの土方の声が聞こえる。
『新選組遺聞』に総司と恋仲になった「医師の娘」の記述がわずかにある。本作には医師・箕輪田道庵の娘で女医の環が登場する。男勝りの環が抱く恋心、彼女の幸福を祈る総司の思いやりが、哀しくも美しい。
谷三十郎が介錯をしくじって面目をつぶす以前、本作では沼尻小文吾の失敗をひどく責めて周囲の顰蹙を買う場面がある。おそらく谷の死に必然性を持たせるためだろう。
◯総司が黒猫を斬ろうとする逸話に、小鳥が関係しており、臨終の場面につながっていく。

千駄ヶ谷での療養生活についても、そこそこの紙幅が割かれている。
地元の子供たちと出会ったり、姉や土方の前で茶を点てたり、京都で助けた松次郎の訪問を受けたり、中野の成願寺へ近藤勇の妻おつねと娘おたまを訪ねていったりなど、多くの出来事がある。
床に伏せるだけの空寂な日々ではないところに、何か救われるような気持ちがした。

読んでいると、時に胸を衝かれるような表現もある。
例を挙げるなら、山南の介錯を務めた総司が、その場を逃れるように庭へ出る場面。

松の木の粗い木肌が手に触れ、思わずそれに身を支えた時、驚くほど総司の近くで、
「済んだのか……」
という土方の声がした。

大坂にいる者の声が壬生に届くはずもなく、超常現象というわけでもない。土方がこの場にいなくてよかった、という総司の思いの表れでは、と感じた。
また、伊東派脱隊の場面では、斎藤一藤堂平助がそれぞれ総司に「体を大事にしろよ」と言い置いていく。

その言葉を、総司は、心の別々な場所へ蔵(しま)った。

総司にとって「斎藤との別れ」と「藤堂との別れ」とは性質の違うものだ、ということがこの一文だけで適確に伝わってくる。
これら心に残る表現の数々も、多くの読者を惹きつけてきた理由であろう。

苦悩を秘めつつ明るく振る舞い、親しい相手には冗談を言ってばかりの本作の総司は、司馬遼太郎『燃えよ剣』の影響を窺わせる。また、森満喜子の描く総司像との共通性も感じられた。
しかしながら、まったく同じというわけでもない。言葉で表現しにくい感じだけれども、敢えて言うなら、本作の彼は物事を客観的に見る傾向がやや強く、ほんの少し大人びているかもしれない。

40年前の作品であるため、今日判明している史実とは食い違う事柄もある。
例えば、浪士組残留者が会津藩お預りになってすぐ「新選組」を称したり(実際は8月18日の政変後)、屯所を不動堂村へ移転したのが慶応元年の暮れであったり(実際は慶応3年6月)、大石兄弟の兄は造酒蔵で弟は鍬次郎と設定されていたり(実際はこの逆)、などである。
しかし、当時はこれらが史実として認識されていた、と思っておけばよいだろう。

現在、沖田総司を描いた創作物は、数え切れないほど多く世に出ている。その一方で「今でも本作の沖田総司が自分にとって最も理想」と語る人々がいる。
昨今の作品に見かける、天才ゆえの狂気を秘めて危険な香りを漂わす総司像や、オリジナリティをかなり多めに盛ったストーリーに慣れた向きには、本作はやや物足りなく思えるかもしれない。
ただ時には、沖田人気が高まっていく初期の作品に触れてみるのも、悪くないのではなかろうか。

1972年、単行本(四六判ハードカバー)が刊行された。カバー折り返しに、森満喜子の賛辞がある。
1999年、単行本の新装版が刊行。カバーや扉のデザインが変更、作者あとがきが改稿されている。本文活字がやや大きくなる(7ポ→9ポ)。本文内容は変わらないが、送り仮名など表記が一部改められている(例:「危い」→「危ない」)。
2009年、文庫版が刊行。作者あとがきが再び改稿され、北山章之助の解説が追加された。
以上、いずれも新人物往来社より。

なお、本作の続編に位置づけられる短編集『沖田総司拾遺』が、1973年に初版発行されている。

沖田総司
(新人物文庫)
>>詳細を見る



にほんブログ村 歴史ブログ 新選組へ
にほんブログ村 ←クリック応援ありがとうございます

長編小説の関連記事


back to TOP