森満喜子『沖田総司抄』
短編小説集。沖田総司の生涯における様々な場面、様々な人との交流を描く8編を収録。
森満喜子の単著としては、以前紹介した『沖田総司哀歌』に次ぐ2冊目と把握している。
収録作品のタイトルと概要は以下のとおり。
「鳳仙花(ほうせんか)」
沖田総司が9歳の頃の思い出ばなし。
試衛館に内弟子として住み込んだばかりの宗次郎(総司の幼名)は、近所に住まう少女お千代と出会う。
活発で社交的なお千代と遊ぶ時間が、肉親と離れて暮らす寂しさを紛らわせてくれた。
ある日、長く不在だったお千代の父が、お千代と母のもとへ戻ってくる。
ホウセンカの赤い花は古来、その汁で女の子が爪を染めるのに使われてきた。
宗次郎とお千代との出会いを、その花びらが彩っている。
「花火」
19歳の沖田総司が過ごす夏の一日を描いた叙景的な短編。
試衛館では、毎年5月28日(旧暦)、隅田川の川開きへ出かけるのが恒例だった。
近藤勇や養父の周斎をはじめ、試衛館の門人食客たちは、川船を仕立てて花火見物に興じる。
その最中、芸妓を乗せた屋形船と行き会った。吸いつけ煙草を差し出された沖田は……
色恋よりも身内との時間を楽しみたい沖田の青春が、江戸の夏を背景に描き出されている。
沖田をことのほか可愛がっている近藤周斎の好々爺ぶりが、微笑ましい。
なお作中、打ち上げ花火の色に緑や青の描写が混じるが、実際に多彩な色が出せるようになったのは明治期以降で、それ以前は最初の赤色と安政期からの白色だけ、とされている。
「濤江之介正近(なみえのすけまさちか)」
ある刀工と沖田との数奇な関わりを描く。
日野の村鍛冶・濤江之介は、鋤や鍬などの農具作りを生業としていた。
ある日、5~6歳の頃の宗次郎(総司の幼名)との出会いを転機として、にわかに刀鍛冶を志す。
8年の修業を経て一人前となり、ついに良作を打つ腕前に至った。
ところが、刀剣商に言いくるめられニセモノを作ったことから、人の恨みを買うはめになってしまう。
沖田や近藤勇は、濤江之介の窮状を見かね、救いの手をさしのべるが……
実在の濤江之介正近は、履歴不明の謎多き刀工である。
本作は、わずかに伝わっている事実に作者の想像を交え、ひとりの男の浮沈多き人生と、沖田との長年にわたる関わりを描き出している。高い技術を獲得しながら精神修養を積むことなく、幕末の動乱に翻弄され身を滅ぼす濤江之介の姿に、いろいろと考えさせられる。
ちなみに、作者は濤江之介作の短刀を所有しており、それに沖田総司の名が刻まれていた、という。本作を書いたのも、その短刀がきっかけであろう。詳しくは、後日改めて取り上げたい。(→名和弓雄『間違いだらけの時代劇』を参照)
「三条橋畔」
池田屋事件の秘話。商家の女主人と沖田との、短い交流を描く掌編。
池田屋の向かいの葉茶屋では、その夜、女主人をはじめ家人たちが時ならぬ騒ぎに戦慄していた。
そこへ、新選組の負傷者2人が担ぎ込まれてくる。
女主人は、2人の若者を介抱するうち、1人が外傷でなく肺患のため倒れたことに気づく。
事件から10年後、女主人の一人称による回顧談として書かれている。
もう1人の負傷者は、作中では意識不明のまま言葉を発しないが、藤堂平助であろう。
幕末激動に命を散らしていく若者たちを、ただ見守り、見送るしかない女主人の視線が哀しい。
「残月」
池田屋事件から約1年後、沖田が体験した不可思議な出来事。
ある夜、屯所の自室で眠っていた沖田は、尺八の音で目を覚ます。
次いで剣術の掛け声を聞き、道場へ行ってみると、黒の稽古着に黒の防具を着けた隊士がいた。
彼は、沖田にぜひ稽古をつけてくれと懇願する。
応じて竹刀を取った沖田は、彼の太刀筋に確かに覚えがあるにもかかわらず、名前も顔も思い出せない。
沖田が黒ずくめの男と立ち会ったのは、夢か現実かはっきりしない。
井上源三郎や土方歳三は、沖田の話を訝しみ「だいぶ疲れているらしい」などと心配する始末。
この出来事は、死者の無念が引き起こしたというよりも、生き残った者(同志の死を防げなかった者)の悔恨や追悼がこのような形で現れたのでは、と感じた。
「雨龍(あまりょう)」
慶応3年4月から翌年5月にかけて、沖田と乳兄弟・仙蔵との交流を描く。
沖田がまだ乳飲み子だった時、実母に代わって面倒見たのは、大工の女房お民だった。
そのお民が、息子の仙蔵と連れ立って、江戸から遙々と不動堂村の新選組屯所へやってくる。
久しぶりの再会を喜び、乳母と乳兄弟をもてなす沖田。
しかし、大工の仙蔵から「侍になりたい」「新選組に入隊したい」と頼み込まれてしまい、困惑する。
仙蔵は、新選組では「大森仙蔵」と名乗ったが、江戸帰還後は離隊して大工に戻る。
作者あとがきによると、金銀出入帳(新選組の会計史料)の「金二十両、大工払、沖田渡」の記載に着想を得た作品であるという。
それに加え、名簿史料に実在隊士として名が残る「大月藤三」がモデルなのでは、と思った。
(※大月藤三は、慶応3年秋頃に入隊して局長附人数となり、翌年に江戸で脱走もしくは死亡とされている。年齢や出身地など詳細は不明。)
また、本作は「沖田氏縁者」秘話でもあるようだ。
事情通にはよく知られるとおり、四条大宮・光縁寺の過去帳に「真明院照誉貞相大師」の記載がある。慶応3年4月26日に物故、「沖田氏縁者」の添え書きがあるものの、俗名・素性・沖田との具体的な関係は一切不明。恋人もしくは内妻という見方もされているが、確証はない。
作中に「沖田氏縁者」への言及はないが、作者はひとつの可能性を想像して本作を書いたように思われる。
ちなみに「雨龍」とは、中国の伝説上の龍に似た生物。日本では家紋の意匠にも用いられている。
本作では、水面に反射した日光が、ちらちら揺れて美しい模様を映し出す様を指しているらしい。
「千駄ヶ谷暮色」
沖田総司のいわゆる臨死体験を描く。
臨終の床にある彼の前に、地獄からやって来たという魔王が出現する。
魔王は、多くの人命を奪った彼の行いを厳しく責め、その結果を有無を言わさず見せつける。
吉田稔麿の許嫁お妙は、哀れにも心を病んでいる。もし稔麿が池田屋事件で沖田に斬られず生存していたなら、明治日本の総理大臣となり、お妙はその夫人となっていたはずだった。
そして、浅野薫の遺族たちの窮状。また、ある倒幕派志士の遺児の行く末。
彼らと同じ苦しみを一身に受けよと魔王が振り下ろす刃に、沖田はひたすら耐える。
超越的存在によって主人公が強制的に連れ回され、時空を超えて様々な光景を見せられるという展開から、なんとなくディケンズ作「クリスマス・キャロル」に似ている気がした。
仮に魔王が実在したとして、沖田の行為が一方的に裁かれる理由はないと思う。彼もまた自分の命を危険にさらして戦ったのだから。ただ、任務のためと自らに言い聞かせても、心は深く傷ついていた。その痛みがこのような幻想となって現れた、と感じられた。
責め苦を乗り越えて浄化されたのか、最後には懐かしい人によって救いがもたらされる。ほっとすると同時に、「人が人を殺さなくてもすむ時代がいつか来るのか」という問いかけには胸を衝かれた。
ちなみに、この「千駄ヶ谷暮色」の続きが、『沖田総司哀歌』収録の「五月闇」と考えられる。
「旅」
沖田総司の姉お光が、明治5年秋、亡き弟の恋人の消息を追って旅をする。
沖田は京都で、医師の娘お小夜と恋仲になった。しかし、近藤勇が先行きを憂い、懇々と説諭して手を切らせた。お小夜は、近藤の仲介によって大坂の商家へ嫁いだ、という。
――弟の死後にこれを知ったお光は、お小夜がどのような人か余所目ながらでも見てみたい、という思いを抑えきれなくなり、伊勢参りの一行に加わって旅立つ。
ようやく大坂船場の紙問屋・千束屋を探し当てて訪ねると、お小夜はすでに亡くなったという。そして、店主の母刀自から、さらに思いがけない真相を聞くのだった。
船場から河内へ、さらに京都へと、数々の思い出を道連れに、お光の旅路は続いてゆく。
作者自身もお光と同じように沖田総司という青年を愛してきた、と感じさせる珠玉作。
子母澤寛『新選組遺聞』の「勇の屍を掘る」において、近藤勇五郎が沖田と医師の娘との恋について語っており、共通性がうかがえる。
沖田の忘れ形見が存在していたという、ある意味では衝撃的な展開だけれども、可能性として考え得る話でもある。(作者あとがきによると、子孫筋から聞いた話を参考にしたとか。)関係者による回顧談の形をとり、生々しくならないよう工夫しているのは、巧いと思った。
また本作も、光縁寺「沖田氏縁者」の秘話である。「沖田氏縁者」は恋人のお小夜だった、と設定を明示している点が「雨龍」とは異なる。
作中、お光がお小夜の墓に手を合わせている。ただ、現在の「沖田氏縁者」墓碑は1976年、有志によって建立されたもので、それ以前に墓碑はなかったと聞く。もしあったとすれば、かなり前に失われたのであろう。
---
全体として、沖田総司の生涯にいろいろな角度から光を当て、そこに見える物語をひとつずつ描いた、という感じの一冊である。
とても読みやすく、あまり時間がかからず読了した。
収録作品の設定と、現在判明している史実には多少の差違が見られる。例えば――
◯沖田総司の母親は、総司が幼い頃に死没した。
→総司が19歳の頃まで存命だった、という説が有力視されている。
◯沖田総司の実姉は、光(みつ)ひとりだけ。それ以外の存在は一切言及されない。
→長姉みつのほかに、次姉きんが存在した。
◯池田屋事件で、吉田稔麿を倒したのは沖田総司とされている。
→吉田稔麿は、池田屋近くの路上で、新選組以外の守護職勢に斬られた可能性が高い。
本書の刊行は40年以上前であり、これらのことは執筆後に判明したようだ。
本書は1973年、新人物往来社より単行本(四六判ハードカバー)として刊行された。
その後、再版もしくは文庫化された形跡がうかがえない。各話がアンソロジーに収録されていないか探してもみたが、そうした情報は見当たらなかった。
「旅」のような感動作もあるのに、埋もれさせてしまうのは惜しい気がする。


ちなみに、森満喜子の著作にはタイトルが似た別のものもあるため、混同しないよう要注意。
『定本 沖田総司 おもかげ抄』 … 1975年の論考集
『沖田総司落花抄』 … 1977年の短編小説集
いずれも出版元は新人物往来社である。
森満喜子の単著としては、以前紹介した『沖田総司哀歌』に次ぐ2冊目と把握している。
収録作品のタイトルと概要は以下のとおり。
「鳳仙花(ほうせんか)」
沖田総司が9歳の頃の思い出ばなし。
試衛館に内弟子として住み込んだばかりの宗次郎(総司の幼名)は、近所に住まう少女お千代と出会う。
活発で社交的なお千代と遊ぶ時間が、肉親と離れて暮らす寂しさを紛らわせてくれた。
ある日、長く不在だったお千代の父が、お千代と母のもとへ戻ってくる。
ホウセンカの赤い花は古来、その汁で女の子が爪を染めるのに使われてきた。
宗次郎とお千代との出会いを、その花びらが彩っている。
「花火」
19歳の沖田総司が過ごす夏の一日を描いた叙景的な短編。
試衛館では、毎年5月28日(旧暦)、隅田川の川開きへ出かけるのが恒例だった。
近藤勇や養父の周斎をはじめ、試衛館の門人食客たちは、川船を仕立てて花火見物に興じる。
その最中、芸妓を乗せた屋形船と行き会った。吸いつけ煙草を差し出された沖田は……
色恋よりも身内との時間を楽しみたい沖田の青春が、江戸の夏を背景に描き出されている。
沖田をことのほか可愛がっている近藤周斎の好々爺ぶりが、微笑ましい。
なお作中、打ち上げ花火の色に緑や青の描写が混じるが、実際に多彩な色が出せるようになったのは明治期以降で、それ以前は最初の赤色と安政期からの白色だけ、とされている。
「濤江之介正近(なみえのすけまさちか)」
ある刀工と沖田との数奇な関わりを描く。
日野の村鍛冶・濤江之介は、鋤や鍬などの農具作りを生業としていた。
ある日、5~6歳の頃の宗次郎(総司の幼名)との出会いを転機として、にわかに刀鍛冶を志す。
8年の修業を経て一人前となり、ついに良作を打つ腕前に至った。
ところが、刀剣商に言いくるめられニセモノを作ったことから、人の恨みを買うはめになってしまう。
沖田や近藤勇は、濤江之介の窮状を見かね、救いの手をさしのべるが……
実在の濤江之介正近は、履歴不明の謎多き刀工である。
本作は、わずかに伝わっている事実に作者の想像を交え、ひとりの男の浮沈多き人生と、沖田との長年にわたる関わりを描き出している。高い技術を獲得しながら精神修養を積むことなく、幕末の動乱に翻弄され身を滅ぼす濤江之介の姿に、いろいろと考えさせられる。
ちなみに、作者は濤江之介作の短刀を所有しており、それに沖田総司の名が刻まれていた、という。本作を書いたのも、その短刀がきっかけであろう。詳しくは、後日改めて取り上げたい。(→名和弓雄『間違いだらけの時代劇』を参照)
「三条橋畔」
池田屋事件の秘話。商家の女主人と沖田との、短い交流を描く掌編。
池田屋の向かいの葉茶屋では、その夜、女主人をはじめ家人たちが時ならぬ騒ぎに戦慄していた。
そこへ、新選組の負傷者2人が担ぎ込まれてくる。
女主人は、2人の若者を介抱するうち、1人が外傷でなく肺患のため倒れたことに気づく。
事件から10年後、女主人の一人称による回顧談として書かれている。
もう1人の負傷者は、作中では意識不明のまま言葉を発しないが、藤堂平助であろう。
幕末激動に命を散らしていく若者たちを、ただ見守り、見送るしかない女主人の視線が哀しい。
「残月」
池田屋事件から約1年後、沖田が体験した不可思議な出来事。
ある夜、屯所の自室で眠っていた沖田は、尺八の音で目を覚ます。
次いで剣術の掛け声を聞き、道場へ行ってみると、黒の稽古着に黒の防具を着けた隊士がいた。
彼は、沖田にぜひ稽古をつけてくれと懇願する。
応じて竹刀を取った沖田は、彼の太刀筋に確かに覚えがあるにもかかわらず、名前も顔も思い出せない。
沖田が黒ずくめの男と立ち会ったのは、夢か現実かはっきりしない。
井上源三郎や土方歳三は、沖田の話を訝しみ「だいぶ疲れているらしい」などと心配する始末。
この出来事は、死者の無念が引き起こしたというよりも、生き残った者(同志の死を防げなかった者)の悔恨や追悼がこのような形で現れたのでは、と感じた。
「雨龍(あまりょう)」
慶応3年4月から翌年5月にかけて、沖田と乳兄弟・仙蔵との交流を描く。
沖田がまだ乳飲み子だった時、実母に代わって面倒見たのは、大工の女房お民だった。
そのお民が、息子の仙蔵と連れ立って、江戸から遙々と不動堂村の新選組屯所へやってくる。
久しぶりの再会を喜び、乳母と乳兄弟をもてなす沖田。
しかし、大工の仙蔵から「侍になりたい」「新選組に入隊したい」と頼み込まれてしまい、困惑する。
仙蔵は、新選組では「大森仙蔵」と名乗ったが、江戸帰還後は離隊して大工に戻る。
作者あとがきによると、金銀出入帳(新選組の会計史料)の「金二十両、大工払、沖田渡」の記載に着想を得た作品であるという。
それに加え、名簿史料に実在隊士として名が残る「大月藤三」がモデルなのでは、と思った。
(※大月藤三は、慶応3年秋頃に入隊して局長附人数となり、翌年に江戸で脱走もしくは死亡とされている。年齢や出身地など詳細は不明。)
また、本作は「沖田氏縁者」秘話でもあるようだ。
事情通にはよく知られるとおり、四条大宮・光縁寺の過去帳に「真明院照誉貞相大師」の記載がある。慶応3年4月26日に物故、「沖田氏縁者」の添え書きがあるものの、俗名・素性・沖田との具体的な関係は一切不明。恋人もしくは内妻という見方もされているが、確証はない。
作中に「沖田氏縁者」への言及はないが、作者はひとつの可能性を想像して本作を書いたように思われる。
ちなみに「雨龍」とは、中国の伝説上の龍に似た生物。日本では家紋の意匠にも用いられている。
本作では、水面に反射した日光が、ちらちら揺れて美しい模様を映し出す様を指しているらしい。
「千駄ヶ谷暮色」
沖田総司のいわゆる臨死体験を描く。
臨終の床にある彼の前に、地獄からやって来たという魔王が出現する。
魔王は、多くの人命を奪った彼の行いを厳しく責め、その結果を有無を言わさず見せつける。
吉田稔麿の許嫁お妙は、哀れにも心を病んでいる。もし稔麿が池田屋事件で沖田に斬られず生存していたなら、明治日本の総理大臣となり、お妙はその夫人となっていたはずだった。
そして、浅野薫の遺族たちの窮状。また、ある倒幕派志士の遺児の行く末。
彼らと同じ苦しみを一身に受けよと魔王が振り下ろす刃に、沖田はひたすら耐える。
超越的存在によって主人公が強制的に連れ回され、時空を超えて様々な光景を見せられるという展開から、なんとなくディケンズ作「クリスマス・キャロル」に似ている気がした。
仮に魔王が実在したとして、沖田の行為が一方的に裁かれる理由はないと思う。彼もまた自分の命を危険にさらして戦ったのだから。ただ、任務のためと自らに言い聞かせても、心は深く傷ついていた。その痛みがこのような幻想となって現れた、と感じられた。
責め苦を乗り越えて浄化されたのか、最後には懐かしい人によって救いがもたらされる。ほっとすると同時に、「人が人を殺さなくてもすむ時代がいつか来るのか」という問いかけには胸を衝かれた。
ちなみに、この「千駄ヶ谷暮色」の続きが、『沖田総司哀歌』収録の「五月闇」と考えられる。
「旅」
沖田総司の姉お光が、明治5年秋、亡き弟の恋人の消息を追って旅をする。
沖田は京都で、医師の娘お小夜と恋仲になった。しかし、近藤勇が先行きを憂い、懇々と説諭して手を切らせた。お小夜は、近藤の仲介によって大坂の商家へ嫁いだ、という。
――弟の死後にこれを知ったお光は、お小夜がどのような人か余所目ながらでも見てみたい、という思いを抑えきれなくなり、伊勢参りの一行に加わって旅立つ。
ようやく大坂船場の紙問屋・千束屋を探し当てて訪ねると、お小夜はすでに亡くなったという。そして、店主の母刀自から、さらに思いがけない真相を聞くのだった。
船場から河内へ、さらに京都へと、数々の思い出を道連れに、お光の旅路は続いてゆく。
作者自身もお光と同じように沖田総司という青年を愛してきた、と感じさせる珠玉作。
子母澤寛『新選組遺聞』の「勇の屍を掘る」において、近藤勇五郎が沖田と医師の娘との恋について語っており、共通性がうかがえる。
沖田の忘れ形見が存在していたという、ある意味では衝撃的な展開だけれども、可能性として考え得る話でもある。(作者あとがきによると、子孫筋から聞いた話を参考にしたとか。)関係者による回顧談の形をとり、生々しくならないよう工夫しているのは、巧いと思った。
また本作も、光縁寺「沖田氏縁者」の秘話である。「沖田氏縁者」は恋人のお小夜だった、と設定を明示している点が「雨龍」とは異なる。
作中、お光がお小夜の墓に手を合わせている。ただ、現在の「沖田氏縁者」墓碑は1976年、有志によって建立されたもので、それ以前に墓碑はなかったと聞く。もしあったとすれば、かなり前に失われたのであろう。
---
全体として、沖田総司の生涯にいろいろな角度から光を当て、そこに見える物語をひとつずつ描いた、という感じの一冊である。
とても読みやすく、あまり時間がかからず読了した。
収録作品の設定と、現在判明している史実には多少の差違が見られる。例えば――
◯沖田総司の母親は、総司が幼い頃に死没した。
→総司が19歳の頃まで存命だった、という説が有力視されている。
◯沖田総司の実姉は、光(みつ)ひとりだけ。それ以外の存在は一切言及されない。
→長姉みつのほかに、次姉きんが存在した。
◯池田屋事件で、吉田稔麿を倒したのは沖田総司とされている。
→吉田稔麿は、池田屋近くの路上で、新選組以外の守護職勢に斬られた可能性が高い。
本書の刊行は40年以上前であり、これらのことは執筆後に判明したようだ。
本書は1973年、新人物往来社より単行本(四六判ハードカバー)として刊行された。
その後、再版もしくは文庫化された形跡がうかがえない。各話がアンソロジーに収録されていないか探してもみたが、そうした情報は見当たらなかった。
「旅」のような感動作もあるのに、埋もれさせてしまうのは惜しい気がする。


ちなみに、森満喜子の著作にはタイトルが似た別のものもあるため、混同しないよう要注意。
『定本 沖田総司 おもかげ抄』 … 1975年の論考集
『沖田総司落花抄』 … 1977年の短編小説集
いずれも出版元は新人物往来社である。
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