木下昌輝『人魚ノ肉』
中短編の連作集。幕末維新期の実在人物たちに、人魚伝説をからめたオカルト伝奇小説、全8編を収録。
新撰組の面々のほか、坂本竜馬、中岡慎太郎、岡田以蔵も登場する。
「竜馬ノ夢」
慶応3年11月15日の近江屋事件を題材とした逸話。本書のプロローグ。
坂本竜馬と中岡慎太郎は、近江屋の二階で語りあっていた。話はいつしか、少年時代のある思い出に及ぶ。
その夏の日、岡田以蔵を交えた彼ら3人は、土佐の浜辺で人魚を発見したのだ。
人魚の血をすすり肉を食べた以蔵は、生き物を好んで殺すようになる。
強要され肉を口にした竜馬も、内気さが消え、別人のように快活で精力的になった。
ただし、伝説とは異なり、不老不死の効果はなかった。以蔵は2年前、打ち首に処され死んでいる。
その以蔵が生前、一部保存していた人魚の血と肉を「新撰組に奪われた」と語ったという。
竜馬の打ち明け話に慎太郎が聞き入っていた時、不意の来客が姿を現す。
少年時代の竜馬らは、人魚発見の直前、7人連れの巡礼者を目撃する。
作中に明記がないものの、四国・中国に伝わる「七人ミサキ」と思われ、不吉の予兆として面白い。
近江屋の招かれざる客たちも、一説に7人と言われている。
「妖ノ眼」
芹沢鴨暗殺事件に至る経緯と、平山五郎が体験する恐怖の数々を描く。
平山は、子供時代に左目の視力を失ったため、剣術では常に不利だった。
壬生の道場にて稽古中、芹沢に激しく叩きのめされ重傷を負い、痛みを堪えていた時、土佐訛りの浪士が現れる。「人魚の肉を食えば強くなれる」と奇妙な肉片を勧められ、つい口にしてしまった。
その結果、超常的な視覚を獲得し、剣も格段に上達して芹沢に認められる。
ところが、芹沢の情婦・お梅に誘惑されてしまい、いつ芹沢に知れて殺されるかと怯えるはめに。
追い詰められた平山は、なんとか死の運命を逃れようとするが……
平山五郎は、左目が見えないのに左側に隙がなく、むしろ右側のほうが弱い、と『新選組遺聞』にて八木為三郎が証言している。本作は、これを巧く取り入れている。
本作の芹沢鴨は、常軌を逸した暴君ぶりを発揮する。人魚の呪いよりも恐ろしい。
お梅が男を誘惑するのは、ある目的のためだった。新撰組に対する京都住民の反感が示される。
山崎烝の弟として登場する林五郎も、実在の人物。箱館まで戦い、釈放後に京都へ戻ったことはわかっているものの、詳しい経歴は不明。本書では、脇役ながらも頻繁に登場する。
「肉ノ人」
沖田総司の発病と池田屋事件、山南敬助の切腹に秘められた謎を描く。
安藤早太郎から「人魚の肉」を勧められた近藤勇、沖田総司、斎藤一の3人は、宴席の余興と思って口にした。
総司はそれ以来、妖「肉人」に取り憑かれてしまい、血肉を食みたいという激しい渇望に苦しむ。
自ら妖と化して永遠に苦しむよりは衰弱死しようと決意し、病を装って床に伏した。
ところが、近藤と永倉らとの間に不協和音を生じ、新撰組が分裂しかねない危機となる。
山南に請われ、危機回避のため戦列に復帰した総司は、戦いの中で理性を保つことが困難になっていった。
そんな時、山南が隊規違反を問われ、切腹する。
山南の着物に穴が開いていたという話は、やはり『新選組遺聞』が由来。
それに加え、池田屋事件、内山彦次郎の暗殺事件、遡って大塩平八郎の隠れ切支丹摘発(文政10年)、徳川家康の「肉人」遭遇(慶長14年)など、さまざまな出来事を組み合わせたストーリーの作り方が面白い。
総司が人外のものと化していく描写は暗澹としているが、最後に救いがもたらされて安堵した。
総司と山南と近藤、試衛館一党が互いを思いやる心は、温かくも切ない。
「血ノ祭」
扇子商の当主・永兵衛が、子供の頃に出会った不思議な少年によって、怪異に直面する。
京都鉾町に生まれ育った永太は、6歳の時、幼馴染みの少女・千代を介して、不思議な少年と出会う。
少年は、八坂の女陰陽師の一団と同居し、ただひとり鳥辺野の墓地で怪しい儀式を稽古していた。
儀式は病の千代を救う唯一の手段であり、そのために不可欠な人魚の血を手に入れたい、という。
ところが、永太の小さな出来心が発端となって、女陰陽師たちは隠れ切支丹として摘発される。
少年は「人魚の血を探し出して必ず戻る」と言い残し、京を去った。
月日が流れ、成長し家業を継いだ永太こと永兵衛は、元治元年の夏、人魚を描いた扇子を売り出す。
その扇子を買いに、桝屋喜右衛門とともに訪れた岡田以蔵から「人魚を食べた」と聞いて驚愕。
さらに、あの不思議な少年が大人になり、永兵衛の前に姿を現した。
安藤早太郎は、実在の新撰組隊士。
諸記録からの推定では40歳を過ぎているのに、八木為三郎は20代半ばと証言を残している。このギャップを取り入れた描写が面白い。介錯の後に餅つきをしたという逸話も、『新選組遺聞』に記述されている。
京都の町衆が新撰組に向ける視線は、非常に厳しい。それは、伝統を粛々と守り続けてきた矜持と、穢れを忌む信仰心に根ざしている。粗暴な連中だから嫌い、という単純な理由で片づけていないところが興味深い。
不気味な怪異の連続から一転して、最後には哀惜と鎮魂が描かれる。
愛別離苦に囚われる人の心について、考えさせるストーリーでもある。
「不死ノ屍」
「不死身」と綽名された佐野七五三之助と、「人斬り」の異名をとる大石鍬次郎との対立。
強運の持ち主である佐野は、どのような危険も恐れることなく大胆に行動し、しかも決して傷つかない。そのため、周囲から称賛と羨望を込めて「不死身の佐野」と呼ばれる。
一方、同期入隊の大石は、人斬りを好み、隊規違反者の粛清にも積極的なことから忌み嫌われていた。
「本当に不死身なのか」と斬る機会を窺う大石に、佐野は恐怖こそ感じないものの、不快感を抑えがたい。
やがて、伊東甲子太郎が新撰組を離れ、御陵衛士を組織することに。
佐野は、茨木司らとともに御陵衛士への移籍が決まっていた。ところが、急に残留を命じられてしまう。
大石の不気味な圧力から逃れたい茨木は、新撰組脱退を画策。誘われた佐野も、同行を決意するが……
佐野や茨木のグループが脱退を試みた事件は、諸書に何度も取り上げられている。
死んだはずの佐野が……という逸話を知っていれば、本作の展開もおおよそ予測できよう。
ただ、これに人魚の肉がからんでくる独自の脚色が面白く、決して退屈ではない。
本作の大石は、人魚の呪いよりも不気味な性格異常者として描かれている。
多くの小説において、彼が良い扱いをされないのは、『史談会速記録』にて阿部隆明の語る人物評が厳しいせいだろうか。阿部は、怨恨ゆえに実際より悪く証言しているように思えるのだが。
「骸ノ切腹」
新撰組隊士・沼尻小文吾と、河合耆三郎の切腹、近藤勇の刑死をめぐる怪異。
農家出身の沼尻と、商家出身の河合は、新撰組の剣術稽古の厳しさについていけない。
他の隊士たちから見下され、意欲が持てず、ぼやき合う日々が続いていた。
そんなふたりに近藤は、真の武士の心得を説く。最も重要なのは、主君への忠義のため命を捧げる覚悟。だからこそ武士にのみ許された切腹という作法があり、それを助ける介錯がある。この心構えを持つ者は、出自に関係なく武士である、と。そして、自ら作法の稽古をして見せた。
感銘を受けたふたりは、切腹の稽古を日課とする。いつしか隊内で、自分なりの地位を確立することもできた。
ところがある日、河合の公金遣い込みが発覚し、処断されることに。
沼尻は、斬首ではなくせめて武士として切腹させてやって欲しい、と土方歳三に嘆願するが……
沼尻小文吾と河合耆三郎も、実在の隊士。
沼尻が「横向き小文吾」と呼ばれるようになった経緯や、河合の切腹を介錯した件については、『新選組物語』に詳述されている。本作はこれにアレンジを加え、独自のストーリーとしている。
作中、近藤の詩吟として使われる詩句は、新政府軍に囚われている間に作ったと伝わる漢詩(七言絶句2編)からの引用。この「絶命の漢詩」は、『新選組始末記』に載っている。
近藤が刑死した後の怪異は、恐怖よりも悲哀を感じさせる。
実際の近藤も、最後に武士の扱いを受けられなかったことは、やはり無念であったろう。
沼尻と河合との本当の別れも、心に染み入る。
「分身ノ鬼」
真剣勝負にすべてをかける斎藤一が、自分そっくりの分身に遭遇する怪異譚。
19歳の時、些細な争いから旗本を斬った山口一は「斎藤一」と名を変えて京へ上り、新撰組隊士となった。
やがて、御陵衛士に間諜として潜入し、「山口次郎」と改名。
ところが、新撰組には自分と瓜二つの「斎藤一」が存在していると知って、大きな衝撃を受ける。
その姿を遠目ながら見て、間違いなく己の分身と確信。いずれ対決することを予感し、どうすれば相手=自分自身を斬ることができるのか、工夫に没頭する。
それは、分身の斎藤もまた同じであったらしい。ついに両者が剣を交える日がやってくる。
斎藤一が生涯に何度か名前を変えたことは、周知のとおり。「斎藤一、山口次郎(二郎)、三・四がなくて藤田五郎」という感じだが、本作では三と四も交えて次々と分身が登場する。
これでいくと、さらに六・七と来て一瀬伝八へと続きそうに思えるものの、近年「一瀬伝八は斎藤一とは別人」という説が浮上しているせいか、本作にはそこまで描かれていない。
彼が自分の分身と戦う理由は、強い相手と真剣勝負することを何よりの生き甲斐としているから。
分身出現の怪異を収拾しようと悩むでもなく、唯一無二の本物の座を争うでもなく、強い相手と戦えるならそれが「自分」でもかまわない、という思考がすでに尋常ではない。まさに剣鬼。
「首ノ物語」
獄門台の番人が、恐怖の果てに破滅へと至る顛末。本書のエピローグ。
土佐へ送還された岡田以蔵は、慶応元年閏5月11日、打ち首に処される。首は三日晒しとなった。
首が置かれた獄門台を夜間見張るのが、信吾に負わされた役目であった。
以蔵の首は、なぜか一昨日と昨日とでは表情が変わり、まるで生きているかのよう。
恐怖を紛らわしたい信吾は、義理の娘が「人魚を見た」と話すのを聞き、馬鹿らしいと八つ当たりする。
その夜、再び見張りについた信吾。明日の朝には役目が終わると、ひたすら自分を励ますしかない。
獄門台の下、ふたりの仲間と始めた雑談の内容は、いつしか人魚の呪いに及ぶ……
岡田以蔵の刑死の陰では、人知れずおぞましい事態が起きていた。
これまで語られてきた人魚の呪いを解き明かす、最終章とも言える。
結局、不老不死を手に入れた者はひとりもおらず、京が永劫不滅の都となった、という結末はひねりが利いている。ただ、ひょっとすると京都は永遠に呪われてしまったのでは……?
---
以上の収録作は、それぞれ独立した物語として読むこともできる。
ただし、全作品が相関するよう伏線が張り巡らされているので、全容を知るにはやはり通読が必須となる。
登場人物たちを襲う人魚の呪いは一様でなく、それぞれ異なる怪奇現象を引き起こす。
誰のこうむった呪いが最も忌まわしいか、あれこれ比べてみても結論はなかなか出ない。
グロテスクな描写も多いが、先の展開が気になり、つい引き込まれてしまう。
歴史や民俗に関する小ネタの仕込みも、面白い。
怪奇表現にばかり力を入れているわけではなく、人間の欲望、悲哀、苦悩、愛憎などといった心理を巧く描き出してもいる。作者の観察眼の確かさが感じられた。
2015年、文藝春秋より単行本(四六判ソフトカバー)が刊行された。書き下ろし作品である。
『週刊朝日』2016年1月1-8日号の「2015年 歴史・時代小説ベスト10」にて第7位に入った。
2018年、文春文庫版が刊行された。


新撰組の面々のほか、坂本竜馬、中岡慎太郎、岡田以蔵も登場する。
「竜馬ノ夢」
慶応3年11月15日の近江屋事件を題材とした逸話。本書のプロローグ。
坂本竜馬と中岡慎太郎は、近江屋の二階で語りあっていた。話はいつしか、少年時代のある思い出に及ぶ。
その夏の日、岡田以蔵を交えた彼ら3人は、土佐の浜辺で人魚を発見したのだ。
人魚の血をすすり肉を食べた以蔵は、生き物を好んで殺すようになる。
強要され肉を口にした竜馬も、内気さが消え、別人のように快活で精力的になった。
ただし、伝説とは異なり、不老不死の効果はなかった。以蔵は2年前、打ち首に処され死んでいる。
その以蔵が生前、一部保存していた人魚の血と肉を「新撰組に奪われた」と語ったという。
竜馬の打ち明け話に慎太郎が聞き入っていた時、不意の来客が姿を現す。
少年時代の竜馬らは、人魚発見の直前、7人連れの巡礼者を目撃する。
作中に明記がないものの、四国・中国に伝わる「七人ミサキ」と思われ、不吉の予兆として面白い。
近江屋の招かれざる客たちも、一説に7人と言われている。
「妖ノ眼」
芹沢鴨暗殺事件に至る経緯と、平山五郎が体験する恐怖の数々を描く。
平山は、子供時代に左目の視力を失ったため、剣術では常に不利だった。
壬生の道場にて稽古中、芹沢に激しく叩きのめされ重傷を負い、痛みを堪えていた時、土佐訛りの浪士が現れる。「人魚の肉を食えば強くなれる」と奇妙な肉片を勧められ、つい口にしてしまった。
その結果、超常的な視覚を獲得し、剣も格段に上達して芹沢に認められる。
ところが、芹沢の情婦・お梅に誘惑されてしまい、いつ芹沢に知れて殺されるかと怯えるはめに。
追い詰められた平山は、なんとか死の運命を逃れようとするが……
平山五郎は、左目が見えないのに左側に隙がなく、むしろ右側のほうが弱い、と『新選組遺聞』にて八木為三郎が証言している。本作は、これを巧く取り入れている。
本作の芹沢鴨は、常軌を逸した暴君ぶりを発揮する。人魚の呪いよりも恐ろしい。
お梅が男を誘惑するのは、ある目的のためだった。新撰組に対する京都住民の反感が示される。
山崎烝の弟として登場する林五郎も、実在の人物。箱館まで戦い、釈放後に京都へ戻ったことはわかっているものの、詳しい経歴は不明。本書では、脇役ながらも頻繁に登場する。
「肉ノ人」
沖田総司の発病と池田屋事件、山南敬助の切腹に秘められた謎を描く。
安藤早太郎から「人魚の肉」を勧められた近藤勇、沖田総司、斎藤一の3人は、宴席の余興と思って口にした。
総司はそれ以来、妖「肉人」に取り憑かれてしまい、血肉を食みたいという激しい渇望に苦しむ。
自ら妖と化して永遠に苦しむよりは衰弱死しようと決意し、病を装って床に伏した。
ところが、近藤と永倉らとの間に不協和音を生じ、新撰組が分裂しかねない危機となる。
山南に請われ、危機回避のため戦列に復帰した総司は、戦いの中で理性を保つことが困難になっていった。
そんな時、山南が隊規違反を問われ、切腹する。
山南の着物に穴が開いていたという話は、やはり『新選組遺聞』が由来。
それに加え、池田屋事件、内山彦次郎の暗殺事件、遡って大塩平八郎の隠れ切支丹摘発(文政10年)、徳川家康の「肉人」遭遇(慶長14年)など、さまざまな出来事を組み合わせたストーリーの作り方が面白い。
総司が人外のものと化していく描写は暗澹としているが、最後に救いがもたらされて安堵した。
総司と山南と近藤、試衛館一党が互いを思いやる心は、温かくも切ない。
「血ノ祭」
扇子商の当主・永兵衛が、子供の頃に出会った不思議な少年によって、怪異に直面する。
京都鉾町に生まれ育った永太は、6歳の時、幼馴染みの少女・千代を介して、不思議な少年と出会う。
少年は、八坂の女陰陽師の一団と同居し、ただひとり鳥辺野の墓地で怪しい儀式を稽古していた。
儀式は病の千代を救う唯一の手段であり、そのために不可欠な人魚の血を手に入れたい、という。
ところが、永太の小さな出来心が発端となって、女陰陽師たちは隠れ切支丹として摘発される。
少年は「人魚の血を探し出して必ず戻る」と言い残し、京を去った。
月日が流れ、成長し家業を継いだ永太こと永兵衛は、元治元年の夏、人魚を描いた扇子を売り出す。
その扇子を買いに、桝屋喜右衛門とともに訪れた岡田以蔵から「人魚を食べた」と聞いて驚愕。
さらに、あの不思議な少年が大人になり、永兵衛の前に姿を現した。
安藤早太郎は、実在の新撰組隊士。
諸記録からの推定では40歳を過ぎているのに、八木為三郎は20代半ばと証言を残している。このギャップを取り入れた描写が面白い。介錯の後に餅つきをしたという逸話も、『新選組遺聞』に記述されている。
京都の町衆が新撰組に向ける視線は、非常に厳しい。それは、伝統を粛々と守り続けてきた矜持と、穢れを忌む信仰心に根ざしている。粗暴な連中だから嫌い、という単純な理由で片づけていないところが興味深い。
不気味な怪異の連続から一転して、最後には哀惜と鎮魂が描かれる。
愛別離苦に囚われる人の心について、考えさせるストーリーでもある。
「不死ノ屍」
「不死身」と綽名された佐野七五三之助と、「人斬り」の異名をとる大石鍬次郎との対立。
強運の持ち主である佐野は、どのような危険も恐れることなく大胆に行動し、しかも決して傷つかない。そのため、周囲から称賛と羨望を込めて「不死身の佐野」と呼ばれる。
一方、同期入隊の大石は、人斬りを好み、隊規違反者の粛清にも積極的なことから忌み嫌われていた。
「本当に不死身なのか」と斬る機会を窺う大石に、佐野は恐怖こそ感じないものの、不快感を抑えがたい。
やがて、伊東甲子太郎が新撰組を離れ、御陵衛士を組織することに。
佐野は、茨木司らとともに御陵衛士への移籍が決まっていた。ところが、急に残留を命じられてしまう。
大石の不気味な圧力から逃れたい茨木は、新撰組脱退を画策。誘われた佐野も、同行を決意するが……
佐野や茨木のグループが脱退を試みた事件は、諸書に何度も取り上げられている。
死んだはずの佐野が……という逸話を知っていれば、本作の展開もおおよそ予測できよう。
ただ、これに人魚の肉がからんでくる独自の脚色が面白く、決して退屈ではない。
本作の大石は、人魚の呪いよりも不気味な性格異常者として描かれている。
多くの小説において、彼が良い扱いをされないのは、『史談会速記録』にて阿部隆明の語る人物評が厳しいせいだろうか。阿部は、怨恨ゆえに実際より悪く証言しているように思えるのだが。
「骸ノ切腹」
新撰組隊士・沼尻小文吾と、河合耆三郎の切腹、近藤勇の刑死をめぐる怪異。
農家出身の沼尻と、商家出身の河合は、新撰組の剣術稽古の厳しさについていけない。
他の隊士たちから見下され、意欲が持てず、ぼやき合う日々が続いていた。
そんなふたりに近藤は、真の武士の心得を説く。最も重要なのは、主君への忠義のため命を捧げる覚悟。だからこそ武士にのみ許された切腹という作法があり、それを助ける介錯がある。この心構えを持つ者は、出自に関係なく武士である、と。そして、自ら作法の稽古をして見せた。
感銘を受けたふたりは、切腹の稽古を日課とする。いつしか隊内で、自分なりの地位を確立することもできた。
ところがある日、河合の公金遣い込みが発覚し、処断されることに。
沼尻は、斬首ではなくせめて武士として切腹させてやって欲しい、と土方歳三に嘆願するが……
沼尻小文吾と河合耆三郎も、実在の隊士。
沼尻が「横向き小文吾」と呼ばれるようになった経緯や、河合の切腹を介錯した件については、『新選組物語』に詳述されている。本作はこれにアレンジを加え、独自のストーリーとしている。
作中、近藤の詩吟として使われる詩句は、新政府軍に囚われている間に作ったと伝わる漢詩(七言絶句2編)からの引用。この「絶命の漢詩」は、『新選組始末記』に載っている。
近藤が刑死した後の怪異は、恐怖よりも悲哀を感じさせる。
実際の近藤も、最後に武士の扱いを受けられなかったことは、やはり無念であったろう。
沼尻と河合との本当の別れも、心に染み入る。
「分身ノ鬼」
真剣勝負にすべてをかける斎藤一が、自分そっくりの分身に遭遇する怪異譚。
19歳の時、些細な争いから旗本を斬った山口一は「斎藤一」と名を変えて京へ上り、新撰組隊士となった。
やがて、御陵衛士に間諜として潜入し、「山口次郎」と改名。
ところが、新撰組には自分と瓜二つの「斎藤一」が存在していると知って、大きな衝撃を受ける。
その姿を遠目ながら見て、間違いなく己の分身と確信。いずれ対決することを予感し、どうすれば相手=自分自身を斬ることができるのか、工夫に没頭する。
それは、分身の斎藤もまた同じであったらしい。ついに両者が剣を交える日がやってくる。
斎藤一が生涯に何度か名前を変えたことは、周知のとおり。「斎藤一、山口次郎(二郎)、三・四がなくて藤田五郎」という感じだが、本作では三と四も交えて次々と分身が登場する。
これでいくと、さらに六・七と来て一瀬伝八へと続きそうに思えるものの、近年「一瀬伝八は斎藤一とは別人」という説が浮上しているせいか、本作にはそこまで描かれていない。
彼が自分の分身と戦う理由は、強い相手と真剣勝負することを何よりの生き甲斐としているから。
分身出現の怪異を収拾しようと悩むでもなく、唯一無二の本物の座を争うでもなく、強い相手と戦えるならそれが「自分」でもかまわない、という思考がすでに尋常ではない。まさに剣鬼。
「首ノ物語」
獄門台の番人が、恐怖の果てに破滅へと至る顛末。本書のエピローグ。
土佐へ送還された岡田以蔵は、慶応元年閏5月11日、打ち首に処される。首は三日晒しとなった。
首が置かれた獄門台を夜間見張るのが、信吾に負わされた役目であった。
以蔵の首は、なぜか一昨日と昨日とでは表情が変わり、まるで生きているかのよう。
恐怖を紛らわしたい信吾は、義理の娘が「人魚を見た」と話すのを聞き、馬鹿らしいと八つ当たりする。
その夜、再び見張りについた信吾。明日の朝には役目が終わると、ひたすら自分を励ますしかない。
獄門台の下、ふたりの仲間と始めた雑談の内容は、いつしか人魚の呪いに及ぶ……
岡田以蔵の刑死の陰では、人知れずおぞましい事態が起きていた。
これまで語られてきた人魚の呪いを解き明かす、最終章とも言える。
結局、不老不死を手に入れた者はひとりもおらず、京が永劫不滅の都となった、という結末はひねりが利いている。ただ、ひょっとすると京都は永遠に呪われてしまったのでは……?
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以上の収録作は、それぞれ独立した物語として読むこともできる。
ただし、全作品が相関するよう伏線が張り巡らされているので、全容を知るにはやはり通読が必須となる。
登場人物たちを襲う人魚の呪いは一様でなく、それぞれ異なる怪奇現象を引き起こす。
誰のこうむった呪いが最も忌まわしいか、あれこれ比べてみても結論はなかなか出ない。
グロテスクな描写も多いが、先の展開が気になり、つい引き込まれてしまう。
歴史や民俗に関する小ネタの仕込みも、面白い。
怪奇表現にばかり力を入れているわけではなく、人間の欲望、悲哀、苦悩、愛憎などといった心理を巧く描き出してもいる。作者の観察眼の確かさが感じられた。
2015年、文藝春秋より単行本(四六判ソフトカバー)が刊行された。書き下ろし作品である。
『週刊朝日』2016年1月1-8日号の「2015年 歴史・時代小説ベスト10」にて第7位に入った。
2018年、文春文庫版が刊行された。
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