門井慶喜『新選組颯爽録』
短編小説集。タイトル読みは「しんせんぐみさっそうろく」。
新選組隊士たちの等身大の人物像と、その生き方、心の内を描き出す全6編。
「馬術師範」
安富才助は、大坪流馬術を修めていたため、入隊7ヶ月にして馬術師範に任命された。
それを嫉んだ阿部十郎は、剣術試合で恥をかかせたり、陰で嫌がらせをしたり、何かと才助に絡んでくる。
ある時、才助は近藤勇に請われて馬術を教えることに。
しかし、その稽古の日々も、土方歳三から勘定方を命じられたことで終わりを告げた。
かつて隊を脱けて赦された阿部は、伊東甲子太郎の分離脱退に従い、またも新選組を出ていくが……
本作の安富才助は、地道な努力家で、決して驕らず腐らない好人物。
それに対して阿部十郎は、信念がなく損得勘定に囚われる小人物、と設定されている。
才助が近藤に馬術を教えたのは短期間であったけれども、このことが後に近藤の危機を救った、という展開は巧みで、感動的と言える。伏見戦争で才助が阿部と対決する場面も、手に汗握る展開で面白い。
安富才助は維新後、東京で阿部に殺されたという通説が専らだったが、実際は郷里の備中足守へ帰って亡くなった。このことは、本作にも反映されている。
ちなみに馬術は、江戸期には武士の出世に無関係のため、まったく人気のない武芸であったという。
また、身分的に騎馬を許されたのは、旗本や隊の指揮者など上級武士のみ。
新選組の場合、組頭(副長助勤)以上の幹部だけが資格を有したと考えられる。
本書を楽しむのとは別に、こうした歴史的背景も知っておくとよいかもしれない。
瑣末なことながら、「四斤山砲」に「よんきんさんぽう」と読みがなをふってある。
実際は「しきんさんぽう」が正しい。(※参考:大森洋平『考証要集』)
「芹沢鴨の暗殺」
何かと世を騒がせる有名人の芹沢鴨と、まったく無名の近藤勇ら試衛館一党が、浪士組をきっかけに出会い、ともに京都で壬生浪士組を発足させる。
やがて、芹沢の素行の悪さを会津藩が問題視するようになり、排除の内意を示す。
しかし近藤は、芹沢を「天下の国士」と信頼し、庇うのだった。
土方歳三は、新選組という組織を維持していくため、そして試衛館派が組織を掌握するために芹沢を除きたいと思うが、近藤の意向を無視してまで手を出すわけにいかず、時機を待つ。
その時は意外に早く訪れた。8月18日の政変をきっかけに、近藤はそれまでの気持ちを大きく変える……
ずっと芹沢を重んじてきた近藤が、排除を推進する側へと豹変する。
動機がいかにも近藤らしく、また、人の心の移ろいやすさがリアルに描かれている。
沖田総司は、芹沢の剣技に注目し、自分も負けまいと対抗心を燃やす。
隊内政治にはまったく関心が無く、ただ強者と戦い制することに夢中なのは、やはり彼らしい。
「密偵の天才」
長州の陪臣だった村山謙吉は、藩内抗争のため命を狙われて脱藩し、新選組に入隊する。
そこで命じられたのは、間者として、中岡慎太郎率いる土佐陸援隊に潜入することだった。
陸援隊には、御陵衛士から送り込まれた水野八郎(前名は橋本皆助)がいた。
小心者の村山は、度胸があり有能な水野にはとても敵わない、と感じる。
そんなある夜、新選組の伍長・久万山要人が斬殺された。犯人が陸援隊の高落喜三郎であることを、ダブルスパイの水野から聞いた山崎烝は、水野に命じて高落を誘い出させる。
久万山が殺された場所で、高落を待ち構えていたのは沖田総司だった。
作中、人相書(手配書)に似顔絵が描かれている。
実際の人相書には、対象人物の特徴を言葉で説明してあるだけで、似顔絵はない。
作者はそうと知った上で、ストーリー展開の確実を期すためこのように書いたのだろうか。
村山謙吉が陸援隊に潜入したこと、間者とばれないよう新選組に別件逮捕されたこと、水野八郎が御陵衛士から陸援隊に送り込まれたことなどは、ほぼ事実。
本作は、それらを活かし、虚々実々の諜報合戦を描いている。
村山謙吉と水野八郎、それぞれがたどった運命の違いが興味深い。
「よわむし歳三」
土方歳三が、天然理心流三代目宗家の近藤周助に入門を願い出たのは、安政6年のことだった。
周助の跡継ぎ勝太(後の近藤勇)も沖田総司も、歳三には素質が乏しいとみなして賛成しない。
しかし、後援者・佐藤彦五郎の口添えがあるため、周助は断り切れず、入門を許した。
これを快く思わない原田左之助は、出稽古についていき、歳三を試合で叩きのめそうとして、勝太に叱られる。
惨敗した歳三は、左之助を石田村に呼び、牛革草の収穫作業を見せる。
歳三の合理的な人使いには、左之助も感心せざるをえない。
その用兵術は、やがて新選組に大きく役立つことになる。
左之助が歳三よりも半年早く試衛館に入門した兄弟子、ということになっている。
実際には、左之助は食客であって、門人ではない。
郷里松山を出奔したのは安政5年で、遅くとも文久2年には江戸の試衛館にいたようだが、当時の諸記録における存在感は歳三に比べるとだいぶ薄い。多摩へ出稽古に行った、という史料も見当たらない。
左之助は郷里の「松山」で谷万太郎に槍術を学んだ、というくだりもある。
しかし、左之助は「伊予松山」、谷万太郎は「備中松山」と出身地が違うので、ありえない話だ。
実際のところ、万太郎に槍術を学んだのは、試衛館に来る前、大坂の谷道場においてであろう。
槍術の修得にはそれなりの年月を要するはずで、歳三の入門よりも早く試衛館に来ていた可能性はさらに低い、と言わざるをえない。
歳三に剣才がない、という設定にも疑問を感じた。
もし本当にそうだとすれば、万延元年「武術英名録」に名前が載ることはなかろうし、文久3年4月16日に松平容保の前で武技を披露した顔ぶれに加わることもなかったろう。
天然理心流の稽古では特別に太い木刀を使用する、と作中に述べられている。
巷間に広く流布している説でもあるが、事実とは言い難いようだ。
真剣での戦いを想定して稽古する以上、木刀も真剣に近い重さ、柄の太さでなければならない。
特別に太い木刀は、筋力を鍛えるための素振りに使ったもの、とする説が順当であろう。
「石田散薬」の原料となる牛革草(ミゾソバ)の収穫作業について、さまざまに工夫されているのは面白い。
また、人はたとえ欠点があっても得意分野で才能を発揮できればよい、というテーマには深く共感できる。
「新選組の事務官」
尾形俊太郎は、武芸は苦手だが国学の教養があったため、草創直後の壬生浪士組に加盟した。
しかし入隊後、「学問だけの臆病者」という理由で近藤勇に粛清された殿内義雄の存在を知り、震え上がる。
事務方にもっと有能な者が入れば、自分も粛清されてしまうのでは…と怯えつつ、できるだけの仕事はしようと、隊士名簿や隊務日誌の作成に励むのだった。
そんな時、軍学者の武田観柳斎が入隊し、池田屋事件で手柄をあげる。
いよいよ取って代わられるかと覚悟する俊太郎だったが……
本作の尾形俊太郎は、もともと生活のために新選組に入隊したが、仕事ぶりは至って真面目。
それなのに、武芸が不得手なためにまったく評価されず蔑視されるという、不遇な役回り。
しかし、その地道な仕事が役立つ日が来るのだった。
対する武田観柳斎は、宣伝と保身が巧いだけで、武芸も学問も大した実力はない人物、と設定されている。
そういう観柳斎にのせられてしまう井上源三郎、決して許さない沖田総司、といった対応の違いが面白い。
最後に、観柳斎は『新選組始末記』と同様、斎藤一と篠原泰之進に斬られる。
日時は、作中には明示されないが、諸研究家の間では慶応3年6月22日説が有力。
その約3ヶ月前、斎藤も篠原も御陵衛士に移籍しており、新選組隊士としてこの暗殺を実行するはずはない。
あるいは作者は、観柳斎死亡が慶応2年9月28日という説を採ったのだろうか。
尾形俊太郎について、会津で新選組を離れて以降の消息がはっきりしなかったが、郷里の熊本に帰っていたことが近年判明した。それを反映させた本作の締めくくりは、余韻を感じさせる。
「新選組の事務官はみな早死にしている」という作者の主張も面白い。
ただ、これを定説として確立するには、「事務官」の定義をさらに明確にしていく必要があるだろう。
「ざんこく総司」
文久2年の暮れ、試衛館一党に浪士組加盟の話がもたらされた時、沖田総司は不参加を表明した。
彼には沖田家を継ぐ可能性が残されていたため、江戸へ残らざるをえなかったのだ。
しかし、山南敬助は総司の本心を見抜き、加盟の理由が立つよう、八百長試合を仕組んだ。
総司は、その八百長にはのらなかったものの、山南の厚意に応えて加盟を決意する。
上京後、豪商・岩城升屋を強請ろうとした不逞浪士らとの戦いで、山南は左肘に重傷を負う。
傷が癒えても、その剣の威力は大幅に低下していた。以来、山南が剣を執ることはなくなり……
導入部、テキ屋の路上賭博に総司が興じる場面は、時代の空気を感じさせて面白い。
総司と山南との関係は、多くの作家に取り上げられてきた題材である。
本作では、健康を失った(もしくは失っていく)者同士の共感に主眼が置かれている。
脱走した山南を連れ戻し、切腹の介錯をした総司は、涙を流さなかった。
それは、決して酷薄な心情の持ち主だからではない。
自身もやがて戦えなくなることを予感し、山南の姿が自らの行く末と重なって思えたからであり、そういう己の運命を嘆いて泣く気になれなかったからであろう。
作中、壬生で近隣の子供たちと遊んでやったのは、総司ではなく、山南だった。
子供たちは山南を慕って「しんせつ者は山南、さんなん」と歌う。
これは、『新選組物語』所収「壬生心中」の「親切者は山南松原」というくだりをアレンジしたのだろう。
---
全体として、「歴史上の英雄」ではなく身近にいそうな人物たちが、弱みや欠点を抱えながらも、激動の時代を前向きに生きていく様子が描かれており、読後感は良い。
人物と人物との対比によってそれぞれの特徴が際立つところも、印象的でわかりやすい。
気になるのは、人物や出来事や当時の制度・慣習について、よく調査・反映されている箇所とそうでない箇所とがあること。その落差が大きく、アンバランスな印象を免れない。
ストーリーは面白いのに惜しいと思い、この記事もつい辛めになってしまった。
そもそも本書を読んでみようと思ったきっかけは、『週刊朝日』2016年1月1-8日号の「決定2015年歴史・時代小説ベスト10」である。記事中、評論家・縄田一男が下記のとおり解説していた。
言われてみると『新選組血風録』にも史実に沿っていないところはある。それなのに、なんとなく納得させられてしまう。歴史・時代小説のリアリティとは、不思議なものだ。
本作が今後もシリーズとして続くのなら、ぜひ新しい定番を確立して欲しい。
いっそうのレベルアップを期待する。
それぞれの収録作は、『小説宝石』の各号を初出とする。
「馬術師範」 2013年10月号
「芹沢鴨の暗殺」 2013年12月号
「密偵の天才」 2014年3月号
「よわむし歳三」 2014年6月号
「新選組の事務官」 2014年9月号
「ざんこく総司」 2015年1月号
2015年、光文社より単行本(四六判ソフトカバー)が刊行された。
2018年、光文社文庫版が刊行された。
単行本6編のほか、「戦いを避ける」を加え、全7編を収録している。「戦いを避ける」は、アンソロジー『決戦!新選組』から転載された短編。
ごく一部に加筆・修正がある様子。


新選組隊士たちの等身大の人物像と、その生き方、心の内を描き出す全6編。
「馬術師範」
安富才助は、大坪流馬術を修めていたため、入隊7ヶ月にして馬術師範に任命された。
それを嫉んだ阿部十郎は、剣術試合で恥をかかせたり、陰で嫌がらせをしたり、何かと才助に絡んでくる。
ある時、才助は近藤勇に請われて馬術を教えることに。
しかし、その稽古の日々も、土方歳三から勘定方を命じられたことで終わりを告げた。
かつて隊を脱けて赦された阿部は、伊東甲子太郎の分離脱退に従い、またも新選組を出ていくが……
本作の安富才助は、地道な努力家で、決して驕らず腐らない好人物。
それに対して阿部十郎は、信念がなく損得勘定に囚われる小人物、と設定されている。
才助が近藤に馬術を教えたのは短期間であったけれども、このことが後に近藤の危機を救った、という展開は巧みで、感動的と言える。伏見戦争で才助が阿部と対決する場面も、手に汗握る展開で面白い。
安富才助は維新後、東京で阿部に殺されたという通説が専らだったが、実際は郷里の備中足守へ帰って亡くなった。このことは、本作にも反映されている。
ちなみに馬術は、江戸期には武士の出世に無関係のため、まったく人気のない武芸であったという。
また、身分的に騎馬を許されたのは、旗本や隊の指揮者など上級武士のみ。
新選組の場合、組頭(副長助勤)以上の幹部だけが資格を有したと考えられる。
本書を楽しむのとは別に、こうした歴史的背景も知っておくとよいかもしれない。
瑣末なことながら、「四斤山砲」に「よんきんさんぽう」と読みがなをふってある。
実際は「しきんさんぽう」が正しい。(※参考:大森洋平『考証要集』)
「芹沢鴨の暗殺」
何かと世を騒がせる有名人の芹沢鴨と、まったく無名の近藤勇ら試衛館一党が、浪士組をきっかけに出会い、ともに京都で壬生浪士組を発足させる。
やがて、芹沢の素行の悪さを会津藩が問題視するようになり、排除の内意を示す。
しかし近藤は、芹沢を「天下の国士」と信頼し、庇うのだった。
土方歳三は、新選組という組織を維持していくため、そして試衛館派が組織を掌握するために芹沢を除きたいと思うが、近藤の意向を無視してまで手を出すわけにいかず、時機を待つ。
その時は意外に早く訪れた。8月18日の政変をきっかけに、近藤はそれまでの気持ちを大きく変える……
ずっと芹沢を重んじてきた近藤が、排除を推進する側へと豹変する。
動機がいかにも近藤らしく、また、人の心の移ろいやすさがリアルに描かれている。
沖田総司は、芹沢の剣技に注目し、自分も負けまいと対抗心を燃やす。
隊内政治にはまったく関心が無く、ただ強者と戦い制することに夢中なのは、やはり彼らしい。
「密偵の天才」
長州の陪臣だった村山謙吉は、藩内抗争のため命を狙われて脱藩し、新選組に入隊する。
そこで命じられたのは、間者として、中岡慎太郎率いる土佐陸援隊に潜入することだった。
陸援隊には、御陵衛士から送り込まれた水野八郎(前名は橋本皆助)がいた。
小心者の村山は、度胸があり有能な水野にはとても敵わない、と感じる。
そんなある夜、新選組の伍長・久万山要人が斬殺された。犯人が陸援隊の高落喜三郎であることを、ダブルスパイの水野から聞いた山崎烝は、水野に命じて高落を誘い出させる。
久万山が殺された場所で、高落を待ち構えていたのは沖田総司だった。
作中、人相書(手配書)に似顔絵が描かれている。
実際の人相書には、対象人物の特徴を言葉で説明してあるだけで、似顔絵はない。
作者はそうと知った上で、ストーリー展開の確実を期すためこのように書いたのだろうか。
村山謙吉が陸援隊に潜入したこと、間者とばれないよう新選組に別件逮捕されたこと、水野八郎が御陵衛士から陸援隊に送り込まれたことなどは、ほぼ事実。
本作は、それらを活かし、虚々実々の諜報合戦を描いている。
村山謙吉と水野八郎、それぞれがたどった運命の違いが興味深い。
「よわむし歳三」
土方歳三が、天然理心流三代目宗家の近藤周助に入門を願い出たのは、安政6年のことだった。
周助の跡継ぎ勝太(後の近藤勇)も沖田総司も、歳三には素質が乏しいとみなして賛成しない。
しかし、後援者・佐藤彦五郎の口添えがあるため、周助は断り切れず、入門を許した。
これを快く思わない原田左之助は、出稽古についていき、歳三を試合で叩きのめそうとして、勝太に叱られる。
惨敗した歳三は、左之助を石田村に呼び、牛革草の収穫作業を見せる。
歳三の合理的な人使いには、左之助も感心せざるをえない。
その用兵術は、やがて新選組に大きく役立つことになる。
左之助が歳三よりも半年早く試衛館に入門した兄弟子、ということになっている。
実際には、左之助は食客であって、門人ではない。
郷里松山を出奔したのは安政5年で、遅くとも文久2年には江戸の試衛館にいたようだが、当時の諸記録における存在感は歳三に比べるとだいぶ薄い。多摩へ出稽古に行った、という史料も見当たらない。
左之助は郷里の「松山」で谷万太郎に槍術を学んだ、というくだりもある。
しかし、左之助は「伊予松山」、谷万太郎は「備中松山」と出身地が違うので、ありえない話だ。
実際のところ、万太郎に槍術を学んだのは、試衛館に来る前、大坂の谷道場においてであろう。
槍術の修得にはそれなりの年月を要するはずで、歳三の入門よりも早く試衛館に来ていた可能性はさらに低い、と言わざるをえない。
歳三に剣才がない、という設定にも疑問を感じた。
もし本当にそうだとすれば、万延元年「武術英名録」に名前が載ることはなかろうし、文久3年4月16日に松平容保の前で武技を披露した顔ぶれに加わることもなかったろう。
天然理心流の稽古では特別に太い木刀を使用する、と作中に述べられている。
巷間に広く流布している説でもあるが、事実とは言い難いようだ。
真剣での戦いを想定して稽古する以上、木刀も真剣に近い重さ、柄の太さでなければならない。
特別に太い木刀は、筋力を鍛えるための素振りに使ったもの、とする説が順当であろう。
「石田散薬」の原料となる牛革草(ミゾソバ)の収穫作業について、さまざまに工夫されているのは面白い。
また、人はたとえ欠点があっても得意分野で才能を発揮できればよい、というテーマには深く共感できる。
「新選組の事務官」
尾形俊太郎は、武芸は苦手だが国学の教養があったため、草創直後の壬生浪士組に加盟した。
しかし入隊後、「学問だけの臆病者」という理由で近藤勇に粛清された殿内義雄の存在を知り、震え上がる。
事務方にもっと有能な者が入れば、自分も粛清されてしまうのでは…と怯えつつ、できるだけの仕事はしようと、隊士名簿や隊務日誌の作成に励むのだった。
そんな時、軍学者の武田観柳斎が入隊し、池田屋事件で手柄をあげる。
いよいよ取って代わられるかと覚悟する俊太郎だったが……
本作の尾形俊太郎は、もともと生活のために新選組に入隊したが、仕事ぶりは至って真面目。
それなのに、武芸が不得手なためにまったく評価されず蔑視されるという、不遇な役回り。
しかし、その地道な仕事が役立つ日が来るのだった。
対する武田観柳斎は、宣伝と保身が巧いだけで、武芸も学問も大した実力はない人物、と設定されている。
そういう観柳斎にのせられてしまう井上源三郎、決して許さない沖田総司、といった対応の違いが面白い。
最後に、観柳斎は『新選組始末記』と同様、斎藤一と篠原泰之進に斬られる。
日時は、作中には明示されないが、諸研究家の間では慶応3年6月22日説が有力。
その約3ヶ月前、斎藤も篠原も御陵衛士に移籍しており、新選組隊士としてこの暗殺を実行するはずはない。
あるいは作者は、観柳斎死亡が慶応2年9月28日という説を採ったのだろうか。
尾形俊太郎について、会津で新選組を離れて以降の消息がはっきりしなかったが、郷里の熊本に帰っていたことが近年判明した。それを反映させた本作の締めくくりは、余韻を感じさせる。
「新選組の事務官はみな早死にしている」という作者の主張も面白い。
ただ、これを定説として確立するには、「事務官」の定義をさらに明確にしていく必要があるだろう。
「ざんこく総司」
文久2年の暮れ、試衛館一党に浪士組加盟の話がもたらされた時、沖田総司は不参加を表明した。
彼には沖田家を継ぐ可能性が残されていたため、江戸へ残らざるをえなかったのだ。
しかし、山南敬助は総司の本心を見抜き、加盟の理由が立つよう、八百長試合を仕組んだ。
総司は、その八百長にはのらなかったものの、山南の厚意に応えて加盟を決意する。
上京後、豪商・岩城升屋を強請ろうとした不逞浪士らとの戦いで、山南は左肘に重傷を負う。
傷が癒えても、その剣の威力は大幅に低下していた。以来、山南が剣を執ることはなくなり……
導入部、テキ屋の路上賭博に総司が興じる場面は、時代の空気を感じさせて面白い。
総司と山南との関係は、多くの作家に取り上げられてきた題材である。
本作では、健康を失った(もしくは失っていく)者同士の共感に主眼が置かれている。
脱走した山南を連れ戻し、切腹の介錯をした総司は、涙を流さなかった。
それは、決して酷薄な心情の持ち主だからではない。
自身もやがて戦えなくなることを予感し、山南の姿が自らの行く末と重なって思えたからであり、そういう己の運命を嘆いて泣く気になれなかったからであろう。
作中、壬生で近隣の子供たちと遊んでやったのは、総司ではなく、山南だった。
子供たちは山南を慕って「しんせつ者は山南、さんなん」と歌う。
これは、『新選組物語』所収「壬生心中」の「親切者は山南松原」というくだりをアレンジしたのだろう。
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全体として、「歴史上の英雄」ではなく身近にいそうな人物たちが、弱みや欠点を抱えながらも、激動の時代を前向きに生きていく様子が描かれており、読後感は良い。
人物と人物との対比によってそれぞれの特徴が際立つところも、印象的でわかりやすい。
気になるのは、人物や出来事や当時の制度・慣習について、よく調査・反映されている箇所とそうでない箇所とがあること。その落差が大きく、アンバランスな印象を免れない。
ストーリーは面白いのに惜しいと思い、この記事もつい辛めになってしまった。
そもそも本書を読んでみようと思ったきっかけは、『週刊朝日』2016年1月1-8日号の「決定2015年歴史・時代小説ベスト10」である。記事中、評論家・縄田一男が下記のとおり解説していた。
2015年は司馬遼太郎を意識した野心作がかなりあったんですね。
この『新選組颯爽録』の仮想敵は『新選組血風録』です。
人を操ることにはすぐれていても剣にコンプレックスをもった土方歳三とか。
人間の負の側面が作品に出てくるのです。
それでも彼らは颯爽と生きている。新選組ものの新しい定番になるのではないでしょうか。
この『新選組颯爽録』の仮想敵は『新選組血風録』です。
人を操ることにはすぐれていても剣にコンプレックスをもった土方歳三とか。
人間の負の側面が作品に出てくるのです。
それでも彼らは颯爽と生きている。新選組ものの新しい定番になるのではないでしょうか。
言われてみると『新選組血風録』にも史実に沿っていないところはある。それなのに、なんとなく納得させられてしまう。歴史・時代小説のリアリティとは、不思議なものだ。
本作が今後もシリーズとして続くのなら、ぜひ新しい定番を確立して欲しい。
いっそうのレベルアップを期待する。
それぞれの収録作は、『小説宝石』の各号を初出とする。
「馬術師範」 2013年10月号
「芹沢鴨の暗殺」 2013年12月号
「密偵の天才」 2014年3月号
「よわむし歳三」 2014年6月号
「新選組の事務官」 2014年9月号
「ざんこく総司」 2015年1月号
2015年、光文社より単行本(四六判ソフトカバー)が刊行された。
2018年、光文社文庫版が刊行された。
単行本6編のほか、「戦いを避ける」を加え、全7編を収録している。「戦いを避ける」は、アンソロジー『決戦!新選組』から転載された短編。
ごく一部に加筆・修正がある様子。
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