伊東潤『池田屋乱刃』
池田屋事件に関わった尊攘志士たちの生と死を描く短編連作集、全5編。
新選組隊士も登場する。
「二心なし」
福岡祐次郞は、よんどころない事情で伊予松山から京へ出てきた中間あがり。
食い詰めて、立君(たちぎみ=夜鷹)お吟に拾われ、生活のため壬生の浪士組に入隊志願、密偵に採用される。
土方歳三から授けられた作戦のとおり、尊攘志士らの信用を得て宮部鼎蔵に近づき、蜂起計画をつかんだ。
祐次郞の働きもあって、8月18日の政変により尊攘派は京を追われる。
ところが、巻き返しを図る尊攘派と接触を続けるうち、祐次郞の心にある変化が芽生えていく。
本作の祐次郞は、取り立てて見識も目標も持たない無為の青年だった。
しかし、お吟と出会い、彼女とふたりでささやかな幸せをつかみたいと願う。
また、新選組の密偵となって危険にさらされるも、高額な報酬にはつい釣られてしまう。
さらに、宮部鼎蔵と知り合い、志士たちの熱情に引き込まれていく。
いずれも、本人にとっては偽りのない正直な気持ちなのだ。その三つ巴のせめぎ合いの中、どの道を選ぶのか。
平凡な若者の心理的変貌が、リアルに描かれる。
新選組では土方歳三のほか原田左之助、奥沢栄助、また谷万太郎と新田革左衛門と思われる隊士も登場する。
土方は、怜悧な戦術家ながら「大義とやらがあれば何をやっても許されると思っている奴らが許せない」と、ストレートな感情を吐露する場面もある。
奥沢の戦死に至る経緯が、虚実を交えて巧く造形されている。
「士は死なり」
北添佶摩は、土佐勤王党の一員となり、海防の重要性に目覚め、4人の仲間とともに蝦夷地へわたった。
その見聞により、挙国一致でロシアの侵略に備えるべきと実感し、全国諸藩に危機を訴えようと決意する。
しかし、天誅組の変と8月18日の政変により、尊攘派の活動は困難となっていた。
失地回復のため、宮部鼎蔵や大高又次郎の蜂起計画に加わった佶摩は、武器弾薬の調達に携わる。
ところが、同志の桝屋こと古高俊太郎が捕えられてしまった。
善後策を協議するため、会合に呼ばれた佶摩は、池田屋へ向かう。
仲間たちの遺志を受け継ぎ、蝦夷地の守りに尽くしたいと願う佶摩。
にもかかわらず、テロ行為に手を染めていくもどかしさ、不自由な時代の哀しさが浮き彫りにされる。
「二心なし」の福岡祐次郞と佶摩との関係が、ここでは視点を変えて描かれており、面白い。
佶摩と親しい能勢達太郎、坂本龍馬、望月亀弥太らのほか、龍馬の妻お龍、千葉重太郎、勝海舟なども登場。
新選組では近藤勇、沖田総司、藤堂平助らしき隊士が認められる。
「及ばざる人」
肥後熊本藩の兵学師範・宮部鼎蔵は、海外の文明に触れ、日本全体の国防の向上が必要不可欠と気づく。
一介の熊本藩士という立場の壁を破ったのは、長州藩の兵学師範・吉田松陰との出会いだった。
松陰の己を顧みない情熱と行動力に触れ、いつしか江戸遊学、東北遊歴の旅を共にすることに。
時には意見が対立、喧嘩しながらも、国に尽くすことを誓いあうのだった。
松陰の死後、鼎蔵はひたすら国事に奔走するが、8月18日の政変によって地下活動するほかなくなる。
無謀な手段を用いても、志を貫き行動するのみだった。しかし、同志・古高俊太郎が新選組に捕縛される。
鼎蔵は、桂小五郎の提案する寄合に出席すべく、池田屋へ出かけていく。
宮部鼎蔵が、志士活動に命を捧げた年下の盟友と自身を比べ、指導者としていかに行動すべきか自問自答しながら苦闘する姿が描かれる。
本作の松陰は「夷狄との交易は日本を滅ぼす」と、極端な鎖国攘夷を主張する。
もしアメリカ渡航に成功し外国人と交流できたなら、そういう考えも変わったのではなかろうか。
鼎蔵は「日本だけが世界で孤立して生きてはいけない」と語る現実派。
ただ、近藤勇を「野心に囚われた餓狼」と憎悪するあたり、相手を知らないゆえの誤解と感じた。
立場が違う以上、必ず相互理解できると限らないにしても、いろいろと残念に思える。
近藤勇と宮部鼎蔵との息詰まる対決が、迫力たっぷりに描写されている。
「凛として」
長州の吉田稔麿は、軽輩の出ながら、吉田松陰の松下村塾に学び頭角を現す。
やがて老中暗殺を企て入牢した松陰とは、両親の言いつけによって交誼を断ったものの、恩師への敬愛は止まなかった。松陰の最後の励ましを心に、国事のため身を捧げようと決意する。
偽装脱藩し、江戸で旗本の妻木田宮に仕え、長幕の融和を説く妻木の論に感銘を受けた。
のち朝暘丸事件を収拾、士族に取り立てられた稔麿は、妻木の力を借り、老中首座の板倉勝静と会談。
8月18日の政変以来、長州藩のこうむっていた罪が赦される手筈をようやくつけた。
ところが、京では参与会議が決裂し、長州では「会薩討伐」の過激論が勢いを増す。
幕府への「御願書」を世子定弘から急ぎ受け取った稔麿は、江戸への途次、京に立ち寄った。
そこで桂小五郎から、緊急会合の連絡役を命じられたことが、稔麿の運命を思わぬ方向へと変えていく。
吉田稔麿は、過激な倒幕論を唱えるのでなく、幕府と長州との協力によって外圧から日本を守りたいと考えた。
そのために尽力した彼が、池田屋事件に巻き込まれ命を落とす。運命の皮肉と無念が、迫真の筆致で描かれる。
妻木田宮の娘・千世(ちせ)と稔麿との恋が、切ない。
寺島忠三郎、入江九一、時山直八、杉山松介、伊藤利助(博文)など、松陰門下の人物が多く登場する。
本作に、新選組の描写はほとんどない。
ただ、長幕融和を目指す志士の存在を京都守護職や新選組が気づいたなら、その後の展開も変わっていたかも、と感じた。「及ばざる人」と同じく、互いに知る機会なく敵対したことが残念に思える。
重箱の隅をつつかせていただくと、元治元年6月5日(=1864年7月8日)の月齢は4.1日なので、たとえ「月が雲間から顔を出し」ても「街路を昼のように照ら」すほど明るくはなさそうだ。
また、月出は8時36分、月没は21時28分なので、稔麿が囲まれた時刻には月が沈んでいる可能性も高い。
「英雄児」
池田屋事件の当時、長州藩・京都留守居役を務めていた乃美織江。
藩命遵守に汲汲として働く年長の織江に対して、相役の桂小五郎は敬意を払うどころか、指図したり叱責したり。
留守居役としての勤務の一方で志士活動にも耽り、織江にとってはつきあいきれない男だった。
明治10年のある日、山口県庁の一役人として過ごす織江のもとに、桂から「早急に会いたい」と連絡が届く。
明治政府の元勲となり「木戸孝允」と名を改めた桂が、今になって自分に会いたがる理由を測りかねたが、彼が死の床にあると聞き、京都の邸へと訪ねていった。
病み衰えた桂の姿を見て、織江は過去を水に流そうと思いながらも、つい恨み言を口にしてしまう。
ところが桂は、本音で語り合おうと喜び、事件当時に自分がいかにふるまったかを告白する。
前4作にもれなく登場する乃美織江と桂小五郎が、主人公となって過去を振り返る。
桂が事件当時、池田屋にいたのかいなかったのか説が分かれるが、本作はその謎を解く一編。
「凛として」で、対馬屋敷へ向かった杉山松介の行動も、本作で明かされる。
本作でも、近藤勇と沖田総司らしき新選組隊士が、少しばかり姿を見せる。
ほかの収録作と同様、近藤らしき人物が「えらの張った男」と繰り返し形容され、尊攘派のほうでは何者か知らないのだからやむをえないとはいえ、少々笑えた。
最後に、多くの長州人のためを考え、個人的な恩讐を超えた判断をくだす乃美織江。
英雄的活躍をすることだけが立派な生き方ではない、と考えさせる物語である。
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以上のとおり、新選組の本とはあまり言えない内容だけれども、尊攘派の側から見た池田屋事件や新選組が描かれているので、それなりに興味深く読めた。
本書を知ったきっかけは、山口市立図書館の「山口発!幕末小説人気番付」である。
好きな幕末小説への投票を全国から募った企画で、投票期間は2014年12月~2015年2月、結果発表は2015年3月だった。
番付には、当ブログでも紹介した『燃えよ剣』『壬生義士伝』『輪違屋糸里』『新選組血風録』『黒龍の柩』『草莽枯れ行く』を含め多くの幕末小説が並び、その中に本書も挙がっている。
調べてみると尊攘派の視点で描かれたものとわかり、新選組は悪者扱いされているのでは?と敬遠していた。
しかし、たまたま作者の『江戸を造った男』を拾い読みしたら面白かったので、本書も手に取ってみた次第。
実際に読んでみると、どちらが正義でどちらが悪、という単純な二元論で断ずるような内容ではなかった。
激動の時代の中で、それぞれの人物は、それぞれの立場で取るべき行動をとった。それが本人も予測しえない結果となって世を動かし、次の時代を形成していった、ということだろう。
人物の主観に入り込みすぎるでもなく、突き放して客観に終始するでもなく、双方の視点をバランスよく交えた描き方は巧いと感じた。
収録作の初出は『小説現代』の各号。
「二心なし」 …2014年5月号
「士は死なり」 …2014年2月号
「及ばざる人」 …2013年10月号
「凛として」 …2013年7月号
「英雄児」 …2013年4月号
2014年、単行本(四六判ハードカバー)が講談社より出版された。
巻末の【主要参考文献】中に『池田屋事件の研究』『池田屋事変始末記』『新撰組顛末記』が挙がっている。
2018年、講談社文庫版が刊行された。
収録作品は単行本と同じ。ただし、加筆・修正されているという。


新選組隊士も登場する。
「二心なし」
福岡祐次郞は、よんどころない事情で伊予松山から京へ出てきた中間あがり。
食い詰めて、立君(たちぎみ=夜鷹)お吟に拾われ、生活のため壬生の浪士組に入隊志願、密偵に採用される。
土方歳三から授けられた作戦のとおり、尊攘志士らの信用を得て宮部鼎蔵に近づき、蜂起計画をつかんだ。
祐次郞の働きもあって、8月18日の政変により尊攘派は京を追われる。
ところが、巻き返しを図る尊攘派と接触を続けるうち、祐次郞の心にある変化が芽生えていく。
本作の祐次郞は、取り立てて見識も目標も持たない無為の青年だった。
しかし、お吟と出会い、彼女とふたりでささやかな幸せをつかみたいと願う。
また、新選組の密偵となって危険にさらされるも、高額な報酬にはつい釣られてしまう。
さらに、宮部鼎蔵と知り合い、志士たちの熱情に引き込まれていく。
いずれも、本人にとっては偽りのない正直な気持ちなのだ。その三つ巴のせめぎ合いの中、どの道を選ぶのか。
平凡な若者の心理的変貌が、リアルに描かれる。
新選組では土方歳三のほか原田左之助、奥沢栄助、また谷万太郎と新田革左衛門と思われる隊士も登場する。
土方は、怜悧な戦術家ながら「大義とやらがあれば何をやっても許されると思っている奴らが許せない」と、ストレートな感情を吐露する場面もある。
奥沢の戦死に至る経緯が、虚実を交えて巧く造形されている。
「士は死なり」
北添佶摩は、土佐勤王党の一員となり、海防の重要性に目覚め、4人の仲間とともに蝦夷地へわたった。
その見聞により、挙国一致でロシアの侵略に備えるべきと実感し、全国諸藩に危機を訴えようと決意する。
しかし、天誅組の変と8月18日の政変により、尊攘派の活動は困難となっていた。
失地回復のため、宮部鼎蔵や大高又次郎の蜂起計画に加わった佶摩は、武器弾薬の調達に携わる。
ところが、同志の桝屋こと古高俊太郎が捕えられてしまった。
善後策を協議するため、会合に呼ばれた佶摩は、池田屋へ向かう。
仲間たちの遺志を受け継ぎ、蝦夷地の守りに尽くしたいと願う佶摩。
にもかかわらず、テロ行為に手を染めていくもどかしさ、不自由な時代の哀しさが浮き彫りにされる。
「二心なし」の福岡祐次郞と佶摩との関係が、ここでは視点を変えて描かれており、面白い。
佶摩と親しい能勢達太郎、坂本龍馬、望月亀弥太らのほか、龍馬の妻お龍、千葉重太郎、勝海舟なども登場。
新選組では近藤勇、沖田総司、藤堂平助らしき隊士が認められる。
「及ばざる人」
肥後熊本藩の兵学師範・宮部鼎蔵は、海外の文明に触れ、日本全体の国防の向上が必要不可欠と気づく。
一介の熊本藩士という立場の壁を破ったのは、長州藩の兵学師範・吉田松陰との出会いだった。
松陰の己を顧みない情熱と行動力に触れ、いつしか江戸遊学、東北遊歴の旅を共にすることに。
時には意見が対立、喧嘩しながらも、国に尽くすことを誓いあうのだった。
松陰の死後、鼎蔵はひたすら国事に奔走するが、8月18日の政変によって地下活動するほかなくなる。
無謀な手段を用いても、志を貫き行動するのみだった。しかし、同志・古高俊太郎が新選組に捕縛される。
鼎蔵は、桂小五郎の提案する寄合に出席すべく、池田屋へ出かけていく。
宮部鼎蔵が、志士活動に命を捧げた年下の盟友と自身を比べ、指導者としていかに行動すべきか自問自答しながら苦闘する姿が描かれる。
本作の松陰は「夷狄との交易は日本を滅ぼす」と、極端な鎖国攘夷を主張する。
もしアメリカ渡航に成功し外国人と交流できたなら、そういう考えも変わったのではなかろうか。
鼎蔵は「日本だけが世界で孤立して生きてはいけない」と語る現実派。
ただ、近藤勇を「野心に囚われた餓狼」と憎悪するあたり、相手を知らないゆえの誤解と感じた。
立場が違う以上、必ず相互理解できると限らないにしても、いろいろと残念に思える。
近藤勇と宮部鼎蔵との息詰まる対決が、迫力たっぷりに描写されている。
「凛として」
長州の吉田稔麿は、軽輩の出ながら、吉田松陰の松下村塾に学び頭角を現す。
やがて老中暗殺を企て入牢した松陰とは、両親の言いつけによって交誼を断ったものの、恩師への敬愛は止まなかった。松陰の最後の励ましを心に、国事のため身を捧げようと決意する。
偽装脱藩し、江戸で旗本の妻木田宮に仕え、長幕の融和を説く妻木の論に感銘を受けた。
のち朝暘丸事件を収拾、士族に取り立てられた稔麿は、妻木の力を借り、老中首座の板倉勝静と会談。
8月18日の政変以来、長州藩のこうむっていた罪が赦される手筈をようやくつけた。
ところが、京では参与会議が決裂し、長州では「会薩討伐」の過激論が勢いを増す。
幕府への「御願書」を世子定弘から急ぎ受け取った稔麿は、江戸への途次、京に立ち寄った。
そこで桂小五郎から、緊急会合の連絡役を命じられたことが、稔麿の運命を思わぬ方向へと変えていく。
吉田稔麿は、過激な倒幕論を唱えるのでなく、幕府と長州との協力によって外圧から日本を守りたいと考えた。
そのために尽力した彼が、池田屋事件に巻き込まれ命を落とす。運命の皮肉と無念が、迫真の筆致で描かれる。
妻木田宮の娘・千世(ちせ)と稔麿との恋が、切ない。
寺島忠三郎、入江九一、時山直八、杉山松介、伊藤利助(博文)など、松陰門下の人物が多く登場する。
本作に、新選組の描写はほとんどない。
ただ、長幕融和を目指す志士の存在を京都守護職や新選組が気づいたなら、その後の展開も変わっていたかも、と感じた。「及ばざる人」と同じく、互いに知る機会なく敵対したことが残念に思える。
重箱の隅をつつかせていただくと、元治元年6月5日(=1864年7月8日)の月齢は4.1日なので、たとえ「月が雲間から顔を出し」ても「街路を昼のように照ら」すほど明るくはなさそうだ。
また、月出は8時36分、月没は21時28分なので、稔麿が囲まれた時刻には月が沈んでいる可能性も高い。
「英雄児」
池田屋事件の当時、長州藩・京都留守居役を務めていた乃美織江。
藩命遵守に汲汲として働く年長の織江に対して、相役の桂小五郎は敬意を払うどころか、指図したり叱責したり。
留守居役としての勤務の一方で志士活動にも耽り、織江にとってはつきあいきれない男だった。
明治10年のある日、山口県庁の一役人として過ごす織江のもとに、桂から「早急に会いたい」と連絡が届く。
明治政府の元勲となり「木戸孝允」と名を改めた桂が、今になって自分に会いたがる理由を測りかねたが、彼が死の床にあると聞き、京都の邸へと訪ねていった。
病み衰えた桂の姿を見て、織江は過去を水に流そうと思いながらも、つい恨み言を口にしてしまう。
ところが桂は、本音で語り合おうと喜び、事件当時に自分がいかにふるまったかを告白する。
前4作にもれなく登場する乃美織江と桂小五郎が、主人公となって過去を振り返る。
桂が事件当時、池田屋にいたのかいなかったのか説が分かれるが、本作はその謎を解く一編。
「凛として」で、対馬屋敷へ向かった杉山松介の行動も、本作で明かされる。
本作でも、近藤勇と沖田総司らしき新選組隊士が、少しばかり姿を見せる。
ほかの収録作と同様、近藤らしき人物が「えらの張った男」と繰り返し形容され、尊攘派のほうでは何者か知らないのだからやむをえないとはいえ、少々笑えた。
最後に、多くの長州人のためを考え、個人的な恩讐を超えた判断をくだす乃美織江。
英雄的活躍をすることだけが立派な生き方ではない、と考えさせる物語である。
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以上のとおり、新選組の本とはあまり言えない内容だけれども、尊攘派の側から見た池田屋事件や新選組が描かれているので、それなりに興味深く読めた。
本書を知ったきっかけは、山口市立図書館の「山口発!幕末小説人気番付」である。
好きな幕末小説への投票を全国から募った企画で、投票期間は2014年12月~2015年2月、結果発表は2015年3月だった。
番付には、当ブログでも紹介した『燃えよ剣』『壬生義士伝』『輪違屋糸里』『新選組血風録』『黒龍の柩』『草莽枯れ行く』を含め多くの幕末小説が並び、その中に本書も挙がっている。
調べてみると尊攘派の視点で描かれたものとわかり、新選組は悪者扱いされているのでは?と敬遠していた。
しかし、たまたま作者の『江戸を造った男』を拾い読みしたら面白かったので、本書も手に取ってみた次第。
実際に読んでみると、どちらが正義でどちらが悪、という単純な二元論で断ずるような内容ではなかった。
激動の時代の中で、それぞれの人物は、それぞれの立場で取るべき行動をとった。それが本人も予測しえない結果となって世を動かし、次の時代を形成していった、ということだろう。
人物の主観に入り込みすぎるでもなく、突き放して客観に終始するでもなく、双方の視点をバランスよく交えた描き方は巧いと感じた。
収録作の初出は『小説現代』の各号。
「二心なし」 …2014年5月号
「士は死なり」 …2014年2月号
「及ばざる人」 …2013年10月号
「凛として」 …2013年7月号
「英雄児」 …2013年4月号
2014年、単行本(四六判ハードカバー)が講談社より出版された。
巻末の【主要参考文献】中に『池田屋事件の研究』『池田屋事変始末記』『新撰組顛末記』が挙がっている。
2018年、講談社文庫版が刊行された。
収録作品は単行本と同じ。ただし、加筆・修正されているという。
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