井伏鱒二「山を見て老人の語る」
短編小説。慶応4年3月の勝沼柏尾戦争を、幼少期に目撃した老人が、当時を回想し語る物語。
井伏鱒二については、『山椒魚』『屋根の上のサワン』『黒い雨』など数々の名作を著わした作家と認識していたが、新選組に関連する作品を書いていたとは最近まで知らなかった。
調べたところ、彼は渓流釣りが趣味で、山梨県をよく訪れては釣りを楽しみ、当地の文人たちと交流したという。
そこから、山梨県を題材とする作品を、多く手がけることとなったようだ。
ストーリーは、主人公「私」の一人称で展開する。
「あれが柏尾山で御坐います」と、現場を遠望しつつ聞き手に語り始める。
慶応4年3月。新選組を中核とする甲陽鎮撫隊は、甲府へ向けて進軍する。
道すがら、何人もの博徒たちを軍夫として雇った。
「私」の父・勘四郎は、武州玉川の博徒の子分であり、数えで7歳の「私」を連れて参加した。
そして、鎮撫隊の有馬之助が率いる大砲組の手下に加わった。
道々、大塩の博徒の子分・熊五郎と父のふたりが、斥候として情報を集める。
甲府方面から来る旅人たちは、「私」を背負った父に出会うと、心配して甲府の情勢を詳しく教えてくれた。
しかし、日野で近藤・土方の郷党に歓待を受けたり、与瀬で悪天候に見舞われたりして進軍が遅れた結果、甲府城は官軍に占領されてしまう。
やむなく鎮撫隊は、勝沼の手前の駒飼宿に宿陣。有馬之助が、柏尾に陣地を構築し、大砲を据えつけた。
ところが、大砲の操作を熟知する有馬之助が不在の間に、官軍が攻め寄せてきたのだった。
多数の敵が迫る中、大砲組は何発も打ちまくるが――
登場人物の大半が実在する中で、主人公「私」と父の勘四郎だけが架空の存在である。
この父子の従軍体験が、過酷さと同時にそこはかとない長閑さやユーモアを交えながら、不思議なリアリティをもって描かれている。
作者は地元民から勝沼柏尾戦争の話を聞き、それにヒントを得て本作を書いたものか、と想像した。
「私」がこの昔語りをしているのはいつごろか、明記はない。
当時の子供が老人となった頃なら、昭和初期あたりかと思える。
本作の発表は昭和14年(1939)であるから、作者はおそらくその頃のつもりで書いたのだろう。
作中、鎮撫隊の「総大将は近藤氏」「副将は土方氏」とあるものの、ふたりの言動はさほど描かれない。
活躍するのは主に、有馬之助である。
この有馬之助とは、実在隊士の結城無二三がモデル。「無二三」は維新後の名乗りで、その前は「有無之助」を名乗っていた。本作では、なぜか名前を1文字変えてある。
結城無二三の戦争体験は、『旧幕府』第3巻第7号(1899)掲載「柏尾の戦」や、長男・禮一郎の著作『お前達のおぢい様(旧幕新撰組の結城無二三)』(1924)に、詳しく書かれている。
(※結城禮一郎『旧幕新撰組の結城無二三』の記事も、併せて参照されたい。)
作者も、これらを主な参考として用いたようで、本作と読み比べると影響がよくわかる。
鎮撫隊の進軍について、当初の予定より大幅に遅れたため新政府軍に先を越された、と伝わっている。
本作でも「柏尾の戦」『お前達のおぢい様』に倣い、そのように描かれている。
ところが、八王子の旧家に残る甲州道中の御先触控によると、そうとは言えないようだ。
鎮撫隊が出発前日の2月30日、次のような行程を予定していたことが、この史料からわかる。
3月1日 新宿休 府中泊
3月2日 八王子休 与瀬泊
3月3日 上野原休 さる(猿橋)泊
3月4日 花咲休 駒飼泊
3月5日 駒飼休 勝沼泊
3月6日 石和 甲府
(※「休」は昼食休憩らしい。)そして実際、ほぼこの予定どおりに進軍している。
ただ、西から来た新政府軍のほうがさらに早く、4日に甲府到着、5日に甲府城占領を果たしたのだった。
何故もっと速いペースの予定を組まなかったのか、というのはまた別の問題であろう。
作中、「柏尾の戦」『お前達のおぢい様』に沿わない描写も散見される。
例えば、現地を流れる日川が、なぜか「日野川」と書かれている。
柏尾の大善寺を、「山麓に近く清盛の造営になるといふ薬師様の祠がありましたが、現在はどうなってゐるので御座いませう。私はちつとも存じません」と、ごく小規模なもののように描写している。
有馬之助が陣地を離れたのは、勝沼の百姓たちに協力を求めたためとされ、実際の有無之助が出かけていった粟生野(勝沼宿の中心部から北東へ直線で約6km)には触れていない。
作者は、実情をそれほど細かく承知していなかったのか、それとも意図的に設定を変えたのだろうか。
瑣末なことながら、作中に出てくる菓子が美味しそう。
「葡萄を白砂糖で固く包んだ」もので、甲州方面からの旅人たちが「私」にくれた、とある。
これは、おそらく「月の雫」のことだろう。(※生ブドウを使うため、原則的に秋季限定品とも聞く。)
このようなブドウ加工品は、甲州では江戸時代から製造販売されていて、他にも「干ぶどう」「ぶどう漬」「ぶどう膏」「ぶどう醢」といったものがあったらしい。
実際の甲州勝沼戦争に、臨時雇いの庶民や博徒は、どのくらい関わっていたのだろうか。
大塩の熊五郎は「柏尾の戦」『お前達のおぢい様』にも出てくるので、おそらく実在人物だろう。
また、地元民が宿泊場所を貸したり、荷運びなど労働力を提供したりは、事実だったようだ。
谷干城「東征私記」など土佐藩の記録には、新政府軍に協力を申し出た玉井新助ほか、地元民の存在が見られる。
一方、鎮撫隊に加勢した青年たちもいて、会津までも従軍し数年後に帰ってきた、との伝承が残っている。
それらを考えると、「私」や勘四郎のような体験をした人物が実在しても不思議ではないと思う。
父・勘四郎が危険な戦場に幼子を連れていった理由は、「私」にもよくわからない。
頭数が多いとその分もらえる報酬が増えるから、欲に釣られたのだろう、という人がいる。
一方、「私」の母がすでに亡く、置いていくことができなかった、と考えられる。
あるいは、戦争の混乱で子供と離ればなれになってはいけないと懸念した、という見方もある。
ただ、父として「私」を愛していたことは間違いないようだ。
可愛い子を連れてでも従軍せざるをえなかった勘四郎の事情を、あれこれ想像すると切なくなる。
作中に、戦争を批判する直接的な文言はない。
発表当時の時代背景を考えると、そのようなことはとても書けなかったであろう。
それでも、戦争が人々に及ぼす影響について、さまざまに考えさせる物語である。
原稿用紙なら20枚程度の掌編で、さらりと読むこともできるが、よく味わうことも可能な奥深さを感じさせる。
本作は昭和14年(1939)、『文芸』第7巻第1号(1月号)に発表された。
主な収録書として、下記タイトルがある。
『禁札』 井伏鱒二 竹村書房 1939
『まげもの 現代文学選20』 井伏鱒二 鎌倉文庫 1946
『円心の行状 井伏鱒二選集 第4巻』 筑摩書房 1948
『井伏鱒二集』 新潮社 1950
『井伏鱒二作品集 第3巻』 創元社 1953
『井伏鱒二全集 第2巻』 筑摩書房 1964
『井伏鱒二全集 第2巻 増補版』 筑摩書房 1974
『井伏鱒二自選全集 第1巻』 新潮社 1985 ※改題「山を見て老人は語る」
『井伏鱒二全集 第7巻』 筑摩書房 1997
『歴史に遊ぶ 井伏鱒二文集4』 東郷克美・寺横武夫編 ちくま文庫 2004


井伏鱒二については、『山椒魚』『屋根の上のサワン』『黒い雨』など数々の名作を著わした作家と認識していたが、新選組に関連する作品を書いていたとは最近まで知らなかった。
調べたところ、彼は渓流釣りが趣味で、山梨県をよく訪れては釣りを楽しみ、当地の文人たちと交流したという。
そこから、山梨県を題材とする作品を、多く手がけることとなったようだ。
ストーリーは、主人公「私」の一人称で展開する。
「あれが柏尾山で御坐います」と、現場を遠望しつつ聞き手に語り始める。
慶応4年3月。新選組を中核とする甲陽鎮撫隊は、甲府へ向けて進軍する。
道すがら、何人もの博徒たちを軍夫として雇った。
「私」の父・勘四郎は、武州玉川の博徒の子分であり、数えで7歳の「私」を連れて参加した。
そして、鎮撫隊の有馬之助が率いる大砲組の手下に加わった。
道々、大塩の博徒の子分・熊五郎と父のふたりが、斥候として情報を集める。
甲府方面から来る旅人たちは、「私」を背負った父に出会うと、心配して甲府の情勢を詳しく教えてくれた。
しかし、日野で近藤・土方の郷党に歓待を受けたり、与瀬で悪天候に見舞われたりして進軍が遅れた結果、甲府城は官軍に占領されてしまう。
やむなく鎮撫隊は、勝沼の手前の駒飼宿に宿陣。有馬之助が、柏尾に陣地を構築し、大砲を据えつけた。
ところが、大砲の操作を熟知する有馬之助が不在の間に、官軍が攻め寄せてきたのだった。
多数の敵が迫る中、大砲組は何発も打ちまくるが――
登場人物の大半が実在する中で、主人公「私」と父の勘四郎だけが架空の存在である。
この父子の従軍体験が、過酷さと同時にそこはかとない長閑さやユーモアを交えながら、不思議なリアリティをもって描かれている。
作者は地元民から勝沼柏尾戦争の話を聞き、それにヒントを得て本作を書いたものか、と想像した。
「私」がこの昔語りをしているのはいつごろか、明記はない。
当時の子供が老人となった頃なら、昭和初期あたりかと思える。
本作の発表は昭和14年(1939)であるから、作者はおそらくその頃のつもりで書いたのだろう。
作中、鎮撫隊の「総大将は近藤氏」「副将は土方氏」とあるものの、ふたりの言動はさほど描かれない。
活躍するのは主に、有馬之助である。
この有馬之助とは、実在隊士の結城無二三がモデル。「無二三」は維新後の名乗りで、その前は「有無之助」を名乗っていた。本作では、なぜか名前を1文字変えてある。
結城無二三の戦争体験は、『旧幕府』第3巻第7号(1899)掲載「柏尾の戦」や、長男・禮一郎の著作『お前達のおぢい様(旧幕新撰組の結城無二三)』(1924)に、詳しく書かれている。
(※結城禮一郎『旧幕新撰組の結城無二三』の記事も、併せて参照されたい。)
作者も、これらを主な参考として用いたようで、本作と読み比べると影響がよくわかる。
鎮撫隊の進軍について、当初の予定より大幅に遅れたため新政府軍に先を越された、と伝わっている。
本作でも「柏尾の戦」『お前達のおぢい様』に倣い、そのように描かれている。
ところが、八王子の旧家に残る甲州道中の御先触控によると、そうとは言えないようだ。
鎮撫隊が出発前日の2月30日、次のような行程を予定していたことが、この史料からわかる。
3月1日 新宿休 府中泊
3月2日 八王子休 与瀬泊
3月3日 上野原休 さる(猿橋)泊
3月4日 花咲休 駒飼泊
3月5日 駒飼休 勝沼泊
3月6日 石和 甲府
(※「休」は昼食休憩らしい。)そして実際、ほぼこの予定どおりに進軍している。
ただ、西から来た新政府軍のほうがさらに早く、4日に甲府到着、5日に甲府城占領を果たしたのだった。
何故もっと速いペースの予定を組まなかったのか、というのはまた別の問題であろう。
作中、「柏尾の戦」『お前達のおぢい様』に沿わない描写も散見される。
例えば、現地を流れる日川が、なぜか「日野川」と書かれている。
柏尾の大善寺を、「山麓に近く清盛の造営になるといふ薬師様の祠がありましたが、現在はどうなってゐるので御座いませう。私はちつとも存じません」と、ごく小規模なもののように描写している。
有馬之助が陣地を離れたのは、勝沼の百姓たちに協力を求めたためとされ、実際の有無之助が出かけていった粟生野(勝沼宿の中心部から北東へ直線で約6km)には触れていない。
作者は、実情をそれほど細かく承知していなかったのか、それとも意図的に設定を変えたのだろうか。
瑣末なことながら、作中に出てくる菓子が美味しそう。
「葡萄を白砂糖で固く包んだ」もので、甲州方面からの旅人たちが「私」にくれた、とある。
これは、おそらく「月の雫」のことだろう。(※生ブドウを使うため、原則的に秋季限定品とも聞く。)
このようなブドウ加工品は、甲州では江戸時代から製造販売されていて、他にも「干ぶどう」「ぶどう漬」「ぶどう膏」「ぶどう醢」といったものがあったらしい。
実際の甲州勝沼戦争に、臨時雇いの庶民や博徒は、どのくらい関わっていたのだろうか。
大塩の熊五郎は「柏尾の戦」『お前達のおぢい様』にも出てくるので、おそらく実在人物だろう。
また、地元民が宿泊場所を貸したり、荷運びなど労働力を提供したりは、事実だったようだ。
谷干城「東征私記」など土佐藩の記録には、新政府軍に協力を申し出た玉井新助ほか、地元民の存在が見られる。
一方、鎮撫隊に加勢した青年たちもいて、会津までも従軍し数年後に帰ってきた、との伝承が残っている。
それらを考えると、「私」や勘四郎のような体験をした人物が実在しても不思議ではないと思う。
父・勘四郎が危険な戦場に幼子を連れていった理由は、「私」にもよくわからない。
頭数が多いとその分もらえる報酬が増えるから、欲に釣られたのだろう、という人がいる。
一方、「私」の母がすでに亡く、置いていくことができなかった、と考えられる。
あるいは、戦争の混乱で子供と離ればなれになってはいけないと懸念した、という見方もある。
ただ、父として「私」を愛していたことは間違いないようだ。
可愛い子を連れてでも従軍せざるをえなかった勘四郎の事情を、あれこれ想像すると切なくなる。
作中に、戦争を批判する直接的な文言はない。
発表当時の時代背景を考えると、そのようなことはとても書けなかったであろう。
それでも、戦争が人々に及ぼす影響について、さまざまに考えさせる物語である。
原稿用紙なら20枚程度の掌編で、さらりと読むこともできるが、よく味わうことも可能な奥深さを感じさせる。
本作は昭和14年(1939)、『文芸』第7巻第1号(1月号)に発表された。
主な収録書として、下記タイトルがある。
『禁札』 井伏鱒二 竹村書房 1939
『まげもの 現代文学選20』 井伏鱒二 鎌倉文庫 1946
『円心の行状 井伏鱒二選集 第4巻』 筑摩書房 1948
『井伏鱒二集』 新潮社 1950
『井伏鱒二作品集 第3巻』 創元社 1953
『井伏鱒二全集 第2巻』 筑摩書房 1964
『井伏鱒二全集 第2巻 増補版』 筑摩書房 1974
『井伏鱒二自選全集 第1巻』 新潮社 1985 ※改題「山を見て老人は語る」
『井伏鱒二全集 第7巻』 筑摩書房 1997
『歴史に遊ぶ 井伏鱒二文集4』 東郷克美・寺横武夫編 ちくま文庫 2004
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