草森紳一『歳三の写真』
表題作「歳三の写真」は中編小説。そのほか、史論やエッセイ4編を収録する。
歳三の写真
中編小説。箱館戦争を背景に、土方歳三が写真師・田本研造と出会い、肖像写真を撮らせる顛末を描く。
明治元年11月15日、旧幕脱走軍の旗艦開陽が、江差沖で座礁する。
脱出の努力もむなしく沈没していく様子に、人見勝太郎や松岡四郎次郎らは嘆きを禁じえない。
しかし歳三は、自分でも意外なほど冷静に事実を受けとめていた。
蝦夷へ渡る前、歳三は幕医・松本良順から肖像写真を撮るよう、強く勧められる。
良順から聞いた話を頼りに、箱館で写真師・田本研造を探すと、彼は同業の木津幸吉のもとにいた。
そこには先客として榎本武揚もおり、田本を従軍写真師として雇いたいと持ちかけたという。
歳三は、木津の写場を何度も訪ね、田本と語らったり、仕事ぶりを見物したりする。
しかし、自身の肖像撮影にはなかなか踏み切れないまま、箱館の冬を過ごす。
そして日を重ねるうち、新政府軍の侵攻は目前に迫るのだった。
著者が本作を描いたきっかけは、歳三の写真を見て「ある種の近代性の匂い」を感じとったこと、だとか。
これについては、巻末の著者あとがき、もしくは解説に詳しいので、ぜひ一読されたい。
写真に撮られるという行為は、現代においても、単に見られるのとは違った意味合いがある。
写真の黎明期・幕末にはなおさら、人は様々な思いを抱きつつ被写体となったことだろう。
本作は、歳三の写真がどのように撮られたか、当人の心理、田本研造との関係に焦点を当てて描いている。
歳三の生き方や、肖像写真を残すという行為の解釈は哲学的で、何か深淵を覗き込むような感覚すらおぼえる。
もっとも、そこまで深く考えず、単純にストーリーを楽しんでもよいと思う。
本作の歳三像は、生身の人間らしい親しみやリアリティを感じさせる。
写場(撮影スタジオ)で撮影の様子を見物したり写真機(カメラ)を覗いたり、宮古湾海戦の失敗を悔やんだり、二股台場山でクマに追いかけられたりといった場面には、特によく表われている。
最期は、馬上で督戦中に遂げるのではなく、まったく別の状況が描かれる。筆致は抑制的で、ヒーロー的な華々しさや感動を煽る要素はないにもかかわらず、妙に印象的で忘れがたい。
田本研造は、頑固で無愛想な職人気質の男として造形されている。
同時代の写真師たちも、木津幸吉のほか、紺野治重、横山松三郎、武林盛一が登場して、興味深い。
旧幕軍諸士では、榎本武揚の登場が多い。ただし、周囲の反発を買うなど、あまり良い扱いをされない。
ほかにも、林董三郎、中島三郎助、伊庭八郎、甲賀源吾、大鳥圭介などが出てくる。
新選組隊士は、市村鉄之助、立川主税、野村利三郎らが登場。
朝涼や人より先へ渡りふね
エッセイ。副題「伊庭八郎の『征西日記』の韜晦について」。
日記史料に窺える八郎の心理と、その生涯を考察する。
伊庭八郎は、言わずと知れた心形刀流・伊庭秀業の嫡子であり幕臣。
戊辰戦争では、箱根山崎の戦いで左手を失いながらも蝦夷地へ渡り、木古内の戦いで被弾、箱館で亡くなった。
本作のタイトルは、八郎が同日記に書き留めた発句を転用している。
『征西日記』は、正確には「御上洛御共之節旅中並在京在坂中萬事覚留帳面」と称する。
元治元年、上洛する将軍家茂を八郎が奥詰(親衛隊)として警護した、約半年間の記録史料である。
この日記は、友人かつ同僚の中根香亭により明治期に出版され、世に知られている。
日記の内容は京坂滞在中の出来事だが、政情や任務にはあまり触れず、食事や名所見物、買い物の記述が多い。
そのため「危機感に欠ける」などと批判されることもある。
しかし著者は、八郎が幕臣としての忠信や覚悟を意図的に記さなかったと捉える。
八郎に対する著者の評は、ごく客観的なようでいて、好意がそこはかとなく伝わってくる。
重い羽織
エッセイ。副題「新選組の「誠」」。
新選組の隊服「ダンダラ羽織」の成立過程と意義を、歴史的・社会学的・心理学的な見地から解き明かす。
隊旗、すなわち「誠の旗」にも言及している。
「誠」という言葉は、決して新選組の専売特許ではなく、当時多くの人々が使っている。
ただ、新選組の場合は「誠」を旗印や隊服にあしらい視覚化、これでもかと見せつけた。
それが、他者とは大きく異なる点であり、近代的宣伝術の走りであると、著者は指摘する。
批判的ともとれる表現もあるが、全体としてはごく客観的な考察として読める。
高台寺残党
史論。油小路事件の後、御陵衛士の面々がどのように行動したか、全9章にわたって考察する。
油小路事件で死亡した伊東甲子太郎らの遺骸は、後に光縁寺から戒光寺へ改葬された。
その葬列に200人もの「供卒」が従ったことが、記録に残っている。
本編は、この改葬がタイミング的にいつ行なわれたか、「供卒」とは何者なのか、なぜこのような人数を仕立てることが可能であり、その必要があったのか、を探る。
同時に、鈴木三樹三郎や篠原泰之進が赤報隊の成立・活動とどのように関わっていたか、相楽総三の言動と比較しながら、かなり克明に追っている。
中盤では、油小路事件や墨染狙撃事件にも言及する。
阿部十郎、加納道之助、富山弥兵衛たちの言動、その裏にある心理や薩摩藩との関係を子細に探っていく。
御陵衛士の研究書というと市居浩一『高台寺党の人びと』を思い出すが、本編もかなり詳しく勉強になる。
彼らに関心のある向きにとって必読、と言ってもよさそう。
「斜」の視線
エッセイ。副題「新選組副長土方歳三の「書体」」。
発句(俳句)や書簡の内容と、そこに残された筆跡を手がかりに、土方歳三の生き方を探る。
俳句には兵法に通じる側面がある、という。
俳人の祖父や兄を持つ歳三は、自身も句作に親しむ機会に恵まれていた。
彼の人格形成には、俳句と剣術に出会ったことが大きく影響している。
歳三のスタイリッシュな筆跡は、単に文字を書くというだけでなく、デザイン的な意図をうかがわせる。
著者の考察は、適確かつ奥深いと思えた。
---
本書の初版は1978年。小説は別として、エッセイや史論は歴史研究として最新でない部分もある。
しかし、全体としては古さを感じさせず、むしろ高い普遍性がうかがえる。
著者の見解は、かなり真相に肉迫しているのでは、と思えた。
また、幅広い知識に裏づけられたユニークな視点は、参考になるところが多い。
文体には「品格」ともいうべき魅力があり、文章書きとして見習いたいほど感銘を受けた。
本書は、下記のとおり初版と増補版とが出版されている。
『歳三の写真』
1978年刊行。「歳三の写真」「朝涼や人より先へ渡りふね」「重い羽織」「高台寺残党」の4編と、著者あとがき「『歳三の写真』ノート 自跋をかねて」を収録。
『歳三の写真〔増補版〕』
2004年刊行。「歳三の写真」「朝涼や人より先へ渡りふね」「重い羽織」「高台寺残党」「「斜」の視線」の5編と、縄田一男の解説「エスプリと諧謔にみちた土方歳三像」を収録。
いずれも版元は新人物往来社、体裁は四六判ハードカバー。カバーデザインが異なる。
(※本項は『歳三の写真〔増補版〕』を参考として記述した。)
ちなみに、中編小説「歳三の写真」は下記アンソロジーにも収録されている。
『新選組傑作コレクション 興亡の巻』 司馬遼太郎ほか著 縄田一男編 河出書房新社 1990
『新選組興亡録』 司馬遼太郎ほか著 縄田一男編 角川文庫 2003

歳三の写真
中編小説。箱館戦争を背景に、土方歳三が写真師・田本研造と出会い、肖像写真を撮らせる顛末を描く。
明治元年11月15日、旧幕脱走軍の旗艦開陽が、江差沖で座礁する。
脱出の努力もむなしく沈没していく様子に、人見勝太郎や松岡四郎次郎らは嘆きを禁じえない。
しかし歳三は、自分でも意外なほど冷静に事実を受けとめていた。
蝦夷へ渡る前、歳三は幕医・松本良順から肖像写真を撮るよう、強く勧められる。
良順から聞いた話を頼りに、箱館で写真師・田本研造を探すと、彼は同業の木津幸吉のもとにいた。
そこには先客として榎本武揚もおり、田本を従軍写真師として雇いたいと持ちかけたという。
歳三は、木津の写場を何度も訪ね、田本と語らったり、仕事ぶりを見物したりする。
しかし、自身の肖像撮影にはなかなか踏み切れないまま、箱館の冬を過ごす。
そして日を重ねるうち、新政府軍の侵攻は目前に迫るのだった。
著者が本作を描いたきっかけは、歳三の写真を見て「ある種の近代性の匂い」を感じとったこと、だとか。
これについては、巻末の著者あとがき、もしくは解説に詳しいので、ぜひ一読されたい。
写真に撮られるという行為は、現代においても、単に見られるのとは違った意味合いがある。
写真の黎明期・幕末にはなおさら、人は様々な思いを抱きつつ被写体となったことだろう。
本作は、歳三の写真がどのように撮られたか、当人の心理、田本研造との関係に焦点を当てて描いている。
歳三の生き方や、肖像写真を残すという行為の解釈は哲学的で、何か深淵を覗き込むような感覚すらおぼえる。
もっとも、そこまで深く考えず、単純にストーリーを楽しんでもよいと思う。
本作の歳三像は、生身の人間らしい親しみやリアリティを感じさせる。
写場(撮影スタジオ)で撮影の様子を見物したり写真機(カメラ)を覗いたり、宮古湾海戦の失敗を悔やんだり、二股台場山でクマに追いかけられたりといった場面には、特によく表われている。
最期は、馬上で督戦中に遂げるのではなく、まったく別の状況が描かれる。筆致は抑制的で、ヒーロー的な華々しさや感動を煽る要素はないにもかかわらず、妙に印象的で忘れがたい。
田本研造は、頑固で無愛想な職人気質の男として造形されている。
同時代の写真師たちも、木津幸吉のほか、紺野治重、横山松三郎、武林盛一が登場して、興味深い。
旧幕軍諸士では、榎本武揚の登場が多い。ただし、周囲の反発を買うなど、あまり良い扱いをされない。
ほかにも、林董三郎、中島三郎助、伊庭八郎、甲賀源吾、大鳥圭介などが出てくる。
新選組隊士は、市村鉄之助、立川主税、野村利三郎らが登場。
朝涼や人より先へ渡りふね
エッセイ。副題「伊庭八郎の『征西日記』の韜晦について」。
日記史料に窺える八郎の心理と、その生涯を考察する。
伊庭八郎は、言わずと知れた心形刀流・伊庭秀業の嫡子であり幕臣。
戊辰戦争では、箱根山崎の戦いで左手を失いながらも蝦夷地へ渡り、木古内の戦いで被弾、箱館で亡くなった。
本作のタイトルは、八郎が同日記に書き留めた発句を転用している。
『征西日記』は、正確には「御上洛御共之節旅中並在京在坂中萬事覚留帳面」と称する。
元治元年、上洛する将軍家茂を八郎が奥詰(親衛隊)として警護した、約半年間の記録史料である。
この日記は、友人かつ同僚の中根香亭により明治期に出版され、世に知られている。
日記の内容は京坂滞在中の出来事だが、政情や任務にはあまり触れず、食事や名所見物、買い物の記述が多い。
そのため「危機感に欠ける」などと批判されることもある。
しかし著者は、八郎が幕臣としての忠信や覚悟を意図的に記さなかったと捉える。
八郎に対する著者の評は、ごく客観的なようでいて、好意がそこはかとなく伝わってくる。
重い羽織
エッセイ。副題「新選組の「誠」」。
新選組の隊服「ダンダラ羽織」の成立過程と意義を、歴史的・社会学的・心理学的な見地から解き明かす。
隊旗、すなわち「誠の旗」にも言及している。
「誠」という言葉は、決して新選組の専売特許ではなく、当時多くの人々が使っている。
ただ、新選組の場合は「誠」を旗印や隊服にあしらい視覚化、これでもかと見せつけた。
それが、他者とは大きく異なる点であり、近代的宣伝術の走りであると、著者は指摘する。
批判的ともとれる表現もあるが、全体としてはごく客観的な考察として読める。
高台寺残党
史論。油小路事件の後、御陵衛士の面々がどのように行動したか、全9章にわたって考察する。
油小路事件で死亡した伊東甲子太郎らの遺骸は、後に光縁寺から戒光寺へ改葬された。
その葬列に200人もの「供卒」が従ったことが、記録に残っている。
本編は、この改葬がタイミング的にいつ行なわれたか、「供卒」とは何者なのか、なぜこのような人数を仕立てることが可能であり、その必要があったのか、を探る。
同時に、鈴木三樹三郎や篠原泰之進が赤報隊の成立・活動とどのように関わっていたか、相楽総三の言動と比較しながら、かなり克明に追っている。
中盤では、油小路事件や墨染狙撃事件にも言及する。
阿部十郎、加納道之助、富山弥兵衛たちの言動、その裏にある心理や薩摩藩との関係を子細に探っていく。
御陵衛士の研究書というと市居浩一『高台寺党の人びと』を思い出すが、本編もかなり詳しく勉強になる。
彼らに関心のある向きにとって必読、と言ってもよさそう。
「斜」の視線
エッセイ。副題「新選組副長土方歳三の「書体」」。
発句(俳句)や書簡の内容と、そこに残された筆跡を手がかりに、土方歳三の生き方を探る。
俳句には兵法に通じる側面がある、という。
俳人の祖父や兄を持つ歳三は、自身も句作に親しむ機会に恵まれていた。
彼の人格形成には、俳句と剣術に出会ったことが大きく影響している。
歳三のスタイリッシュな筆跡は、単に文字を書くというだけでなく、デザイン的な意図をうかがわせる。
著者の考察は、適確かつ奥深いと思えた。
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本書の初版は1978年。小説は別として、エッセイや史論は歴史研究として最新でない部分もある。
しかし、全体としては古さを感じさせず、むしろ高い普遍性がうかがえる。
著者の見解は、かなり真相に肉迫しているのでは、と思えた。
また、幅広い知識に裏づけられたユニークな視点は、参考になるところが多い。
文体には「品格」ともいうべき魅力があり、文章書きとして見習いたいほど感銘を受けた。
本書は、下記のとおり初版と増補版とが出版されている。
『歳三の写真』
1978年刊行。「歳三の写真」「朝涼や人より先へ渡りふね」「重い羽織」「高台寺残党」の4編と、著者あとがき「『歳三の写真』ノート 自跋をかねて」を収録。
『歳三の写真〔増補版〕』
2004年刊行。「歳三の写真」「朝涼や人より先へ渡りふね」「重い羽織」「高台寺残党」「「斜」の視線」の5編と、縄田一男の解説「エスプリと諧謔にみちた土方歳三像」を収録。
いずれも版元は新人物往来社、体裁は四六判ハードカバー。カバーデザインが異なる。
(※本項は『歳三の写真〔増補版〕』を参考として記述した。)
ちなみに、中編小説「歳三の写真」は下記アンソロジーにも収録されている。
『新選組傑作コレクション 興亡の巻』 司馬遼太郎ほか著 縄田一男編 河出書房新社 1990
『新選組興亡録』 司馬遼太郎ほか著 縄田一男編 角川文庫 2003
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