新選組の本を読む ~誠の栞~

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 井上友一郎「武田観柳斎」 

短編小説。新選組の幹部隊士・武田観柳斎が、非業の死を遂げる経緯を描く。

◆作者・井上友一郎
井上友一郎(1909~1997)は、大阪出身。都新聞の記者を経て、作家となる。
特に風俗小説で人気を集めた。幕末維新史を題材とした作品も手がけている。下記はその一部。
『清河八郎』 大觀堂出版 1944
『近藤勇』 新潮社/1953 鱒書房/1955/1990 六興出版部/1958 双葉社/1964
『幕末刺客伝』 鱒書房 1955
『幕末長恨歌』 光風社出版 1985

◆「武田観柳斎」(前半あらすじ)
武田観柳斎は、副長助勤や文学師範を務める新選組の幹部である。
長沼流兵法を修め、隊士の調練の指揮を任されてもいる。
その立場をよいことに、若い隊士たちを些細な理由でネチネチいびり、己の機嫌を取る者だけを贔屓した。

観柳斎に追従する者の中に、梅崎実之助という若者がいた。観柳斎も彼に何かと目をかけてやる。
やがて、新選組に西洋式調練が導入されると、長沼流兵法とともに観柳斎の存在感は薄くなっていく。
威勢の衰えを感じた観柳斎は、むしろ己のほうが梅崎を頼りにするような言葉も洩らすのだった。

その頃、梅崎は菓子屋の若後家おらくと懇ろになり、それを観柳斎に打ち明けた。
町屋の女房との私通など、本来は切腹に値する隊規違反である。しかし観柳斎は、大目に見てやった。
ところが、梅崎とおらくの逢引を、土方歳三が知ってしまう。
詰問された梅崎は、しらを切り通す。観柳斎も、事実を隠して梅崎を庇った。
彼らの言い分を信じたのかどうか、土方は観柳斎に意外なことを告げる――


◆作品と観柳斎の人物像
子母澤寛『新選組始末記』「隊士ぞくぞく斃る」に、観柳斎の逸話がある。
本作「武田観柳斎」は、この逸話をベースに、架空の隊士を登場させて独自のストーリーとした作品。
土方の観柳斎に対する態度は、本意とも罠ともつかず、なかなかスリリングな展開となる。
「隊士ぞくぞく斃る」ではいささか唐突な伏見の薩摩屋敷のことも、本作は巧く関連づけてある。

子母澤描くところの観柳斎は、西村兼文『新撰組始末記(一名壬生浪士始末記)』が元ネタとなっている。
西村の書く人物像もかなりユニークだが、子母澤はいっそう特異なキャラクターに潤色した。
『新選組物語』「隊中美男五人衆」にも再登場させ、強烈な印象を残している。
おかげで以後、観柳斎という隊士は、多くの作家によって多数の作品に描かれることとなった。

観柳斎が実在の隊士であることは、複数の史料により裏づけられており、間違いない。
ただし、本当に西村や子母澤が書くとおりの人物であったかどうかは、不明である。
「隊中美男五人衆」の、馬越三郎に言い寄ったというくだりは、おそらく子母澤の創作であろう。

◆観柳斎の死
観柳斎の死亡状況もまた、西村の記述に詳しく、子母澤がドラマチックに盛った。
要するに、慶応2年9月28日の夜、近藤勇の意を受けた斎藤一と篠原泰之進が、観柳斎を伏見へ送っていく途中、銭取橋で斬り殺したのだという。本作「武田観柳斎」にも反映されている。
ただ、この説は、現在では疑問視されている。

【疑問その壱 日時】
研究家諸氏の指摘によると、尾張藩士が書き残した『世態志』に以下の記述がある。
(慶応3年)六月二十二日、油小路竹田街道にて元新選組武田某、肩先より大ケサに切害におよびあい果て候。右仕業人は新選組仲間とのよし」(『新選組大人名事典』より引用)
西村の記述は明治22年の出版物なので、それより同時代史料『世態志』に信憑性がある、と判断される。
ちなみに、別の同時代史料『新選組金談一件』から、「慶応2年9月28日」はどうやら観柳斎が新選組を脱走した時期(死亡したのはその8ヶ月余後)と推測可能である。

【疑問その弐 実行犯】
斎藤一と篠原泰之進が斬ったとする点も、事実ではないと指摘されている。
なぜなら、両人とも伊東甲子太郎の分離脱盟に加わり、慶応3年3月、新選組を離れている。新選組隊士ではなくなった彼らが、近藤や土方の命令によって観柳斎を斬る、という道理はない。
もっとも、葉室麟『影踏み鬼』では、両人が伊東配下の御陵衛士でありながら観柳斎粛清に関わる経緯を、巧みに処理している。フィクションとはいえ、そのような可能性も捨てきれないと考えさせる好例。

【疑問その参 場所】
現場を銭取橋とする点も、『ふぃーるどわーく京都 南』(歳月堂/2001)によると疑わしい。
そもそもは「油小路通を南に向かい(中略)、銭取橋にさしかかったが、本街道に出ると人通りが多くなるので、橋を渡ったとたん背後から斬った」との旨を西村が記し、そのとおりに信じられてきた。
しかし、『世態志』に信憑性があるとすれば、現場は「油小路竹田街道」のどこかである。
この「油小路竹田街道」は、銭取橋を通らないのだ。

京都と伏見とを結ぶ竹田街道は、二通りの道筋がある。
  (1)東洞院通を南下し、勧進橋(=銭取橋)で鴨川を渡り、竹田村領の東端を通り、伏見に入る本街道
  (2)油小路通を南下し、竹田橋で鴨川を渡り、竹田村の集落を通り、竹田村の南で(1)に合流する

「竹田街道」とは、狭義には(1)を指し、広義には(1)(2)の両方を指す。
そして、「油小路竹田街道」は(2)を意味する表現、と捉えるのが順当であろう。(1)と区別するため「油小路」を補ったと思われるからだ。

つまり、現場が銭取橋(もしくは(1)上のどこか)であったならば、わざわざ「油小路竹田街道」と表現するのは不自然であり、そのような必然性がない。

ひょっとすると、現場は「油小路竹田街道」が通る竹田橋だったのではないだろうか。
西村の記述には矛盾があるものの、「銭取橋」を「竹田橋」に置き換えさえすれば意味が通るのだ。
本願寺の寺侍であった彼が、京都の地理に疎いはずはないと思えるが、何か勘違いした可能性もあろう。
よしんば場所を特定できないとしても、銭取橋とする説は根拠薄弱と言わざるをえない。

◆出版情報
本作「武田観柳斎」は、井上友一郎の短編集『新選組外伝』(久保書店/1965)に収録されている。
『新選組外伝』の収録作品は「武田観柳斎」のほか、「壬生の風雲児」「高台寺党」「無法の剣」「祇園心中」「深雪太夫」「人斬り以蔵」の全7編。
久保書店が2017年より、オンデマンド版(ペーパーバック)を取り扱っている。
全7作をまとめたもののほか、1作品ずつの分冊版もある様子。

このほか、短編「武田観柳斎」を収録した書籍は、下記のとおり。
『武田観柳斎』 河出書房/新書 1956 …井上友一郎の短編集、表題作を含む全6編を収録。
『新選組傑作コレクション 烈士の巻』 河出書房新社 1990 …縄田一男編のアンソロジー、本項の参考書。

新選組外伝






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