新選組の本を読む ~誠の栞~

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 国枝史郎「甲州鎮撫隊」 

短編小説。戦列を離れ病床に伏す沖田総司と、彼をめぐる愛憎・陰謀劇を描き出す。

国枝史郎(1888~1943)は、主に伝奇・怪奇幻想小説で人気を博した作家。
長編『蔦葛木曽桟』『八ヶ嶽の魔神』『神州纐纈城』が、国枝三大伝奇としてよく知られている。
新選組を題材とした著作は、どうやら本作だけらしい。短編ながら印象的な秀作なので、今回紹介する。
以下あらすじ(前半のみ)。

千駄ヶ谷の植木屋「植甚」の親方は、自宅の庭に大きな池と滝を設えていた。
そして、住み込んだばかりの職人・留吉に「この水がうちの植木を良く育てる」と自慢する。

その「植甚」の離れ座敷に、沖田総司が療養していた。
ある夜のこと、すぐ近くの往来で、複数の浪人者が斬り合いを始める。
通りすがりの女がひとり、巻き添えを恐れ、庭へ逃げ込んできた。
匿って欲しいと懇願された総司は、騒ぎが収まるまでと女を離れ座敷に入れてやる。
総司の病篤い様子を見て、女は介抱の手をさしのべるのだった。

お力と名乗った女は、それから毎日のように、総司のもとへ通ってきて世話をする。
総司は何か悩みを抱えているらしく、うなされつつ「お千代」「細木永之丞」という名前を寝言に漏らす。

それからまもない日、近藤勇が総司を訪ねてきた。
甲府城防衛の任を受け、近く出陣することになったものの、総司を連れていくことはできない、と告げる。
なんとしても従軍したい総司だが、勇に説き伏せられて断念するしかなかった。

その後、お力は総司の面倒を見ながら、何気ない口ぶりで寝言のわけを尋ねる。
「お千代」とは、深く慕いあいながらも、故あって泣く泣く別れた恋人だった。
そして「細木永之丞」は、親友ともいうべき同志であった。しかし……と総司は語る。

総司の話を聞いたお力は、やがてお千代その人と思いがけず出会う。


タイトルから、甲陽鎮撫隊(作中では「甲州鎮撫隊」)が勝沼柏尾で戦う話を想像した。
しかし読んでみると、柏尾戦争は背景にすぎず、主題は病臥に残された沖田総司と、彼に関わる人物たちとの因縁話である。
子母澤寛『新選組遺聞』あたりを参考にした節が窺えるが、独自の展開を描いている。

人物の言葉遣いが、所々でクラシカル。
特に、総司が「左様じゃ」「わしは思う」などと言う場面はちょっと笑える。
これがサムライらしい話し方、ということか。

説明的な会話がやや多い。
特に、お力に問われるまま過去を語る総司は、幼い子供のように警戒心が薄くて素直。
聞き出し方が巧いにしても、これほど何でも打ち明けてしまうのは、病気で心が弱っているせいなのか。

お力は、実に強かな女。その抜け目なさ、大胆さには舌を巻く。
彼女が陰の主人公であり、その心情や行動が活き活きと描かれるからこそ、本作は面白いとも言える。

作中の植木屋「植甚」は屋号だけで、主人(親方)の名前は出てこない。
『新選組遺聞』に、屋号だけ書かれているせいかもしれない。)
この「植甚」が千駄ヶ谷に実在したことは、ほぼ間違いないようだ。主人の名は「平五郎」、姓は「柴田」だったということも判明している。

この「植甚」の親方は、本作では総司を匿うのみならず、ほかにも重要な役目を密かに負う。
冒頭の何気ない滝の自慢話にも、その秘密が隠されていた。
実在の平五郎も、こういう気っ風の好い親方だったのでは、という気がする。

何気なく読み流してしまうと気づきにくいが、出来事の順番は史実に沿っていない。
ストーリー展開を整理すると、以下のような経緯となっている。(※年次は慶応4年)

2月   沖田総司、植甚の離れ座敷に療養する(横浜の病院から浅草今戸を経て移転)
     近藤勇、甲州出陣について総司を説得する
3月 6日 甲州鎮撫隊、勝沼で敗退する
4月 3日 流山の近藤勇、新政府軍の出頭要請に応じる
4月11日 沖田総司、病没する 江戸城、明け渡しとなる(近藤勇はすでに死去)
5月15日 上野戦争が勃発 彰義隊が敗退する


一方、実際の流れは以下のとおり。(※参考『新選組日誌』ほか)

1月18日 沖田総司、神田和泉橋の医学所に入院する(2~3月に浅草今戸へ転院か)
2月28日 新選組、甲府鎮撫を命じられる
2月30日 甲陽鎮撫隊、江戸より出陣する
3月 2日 甲陽鎮撫隊、日野の佐藤彦五郎方に立ち寄る(総司も同行、翌日に離脱か)
3月 6日 甲陽鎮撫隊、柏尾の戦いに敗れ退却する(この直後に総司は千駄ヶ谷へ移転か)
4月 3日 流山の近藤勇、新政府軍の出頭要請に応じる
4月11日 江戸城明け渡し
4月25日 近藤勇、板橋で処刑される
5月15日 上野戦争が勃発 彰義隊が敗退する
5月30日 沖田総司、病没する(グレゴリオ暦では1868年7月19日、ユリウス暦では同年7月7日)


最大の違いは、作中の総司が実際より約1ヶ月半も早く没したことである。
作者は何故そのように設定したのだろうか。
江戸城が新政府軍に明け渡された日、すなわち徳川幕府が終焉を迎えた日に、総司もその命を終えた……
あくまで想像だが、両者を重ね合わせて意味を持たせたように思える。

作中に描かれる総司の臨終は、心安らかなものではない。
望みが達せられた悦びの一方で、怨嗟と憎悪を吐き出すさまは痛ましく衝撃的。
これが最後の最後に、彼の無念を晴らそうとする者たちの、精一杯の一撃へとつながっていく。

「植甚」の(何も彼(か)も是(これ)で片がついた)という感慨込めた呟きが、物語を締めくくる。
この言葉には、二重の意味がある。
ひとつは、総司の鎮魂のために、残された者たちが報復を遂げたこと。
もうひとつは、彰義隊が敗北し、徳川時代が完全に終わったと江戸の民衆が実感したこと。
旧幕方と新政府方の戦いは翌年まで続いたけれども、上野戦争がひとつの節目となったことは間違いないだろう。

沖田総司への、そして去りゆく江戸への名残を惜しむ心情が、本作の底流に感じられた。

本作「甲州鎮撫隊」の初出は、1938年の『講談倶楽部』(大日本雄弁会講談社)。
下記の書籍に収録されている。

『国枝史郎名作選』 新正堂刊 1942
『新選組傑作コレクション 興亡の巻』 司馬遼太郎ほか著 縄田一男編 河出書房新社 1990 ←本項の参考書
『新選組興亡録』 司馬遼太郎ほか著 縄田一男編 角川文庫 2003
『国枝史郎歴史小説傑作選』 末國善己編 作品社 2006

このほかにもありそうだが、生憎とデータを見出せなかった。
なお、青空文庫でも読むことかできる。

新選組興亡録
(角川文庫)



国枝史郎
歴史小説傑作選




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