大佛次郎『角兵衛獅子』
長編小説。時代小説『鞍馬天狗』シリーズの一編。タイトル読みは「かくべえじし」。
勤王の志士・鞍馬天狗と彼を慕う杉作少年との絆、そして鞍馬天狗と近藤勇との戦いを描く。
あらすじは以下のとおり(序盤のみ)。
「角兵衛獅子」とは、小さな獅子頭をかぶった子供が演じる曲芸である。
杉作は、その角兵衛獅子の演じ手だった。
京都の往来で芸を見せ、見物人の投げる銭を拾って日々を暮らす。
その日も、弟分の新吉とふたりであちこち回ったが、ふと気づくと稼ぎを入れた財布をなくしていた。
そのまま帰れば、親方にきつく折檻される。かといって、他に行くあてもない。
泣きじゃくる新吉を連れて途方にくれていた時、小さな寺の前で、見知らぬ侍に声をかけられる。
侍は事情を聞くと、杉作たちに金銭を与え、優しく励ました。
杉作は、いつかこの恩を返したいと思い、「倉田」と呼ばれた侍の名を心に刻む。
杉作は新吉とともに急ぎ帰ったが、財布をなくしたことが親方・長七に知れてしまう。
厳しく詰問され、やむなく事情を話した。
すると長七は、「倉田」とはお尋ね者の「鞍馬天狗」ではないか、と推測。
隠れ家を突き止め、新選組に知らせて褒美を得ようと画策する。
杉作は、図らずも「親切なおじさん」に仇を為すはめになってしまい、苦しむ。
倉田にこの事態を知らせたいと思い巡らすものの、良い方策は浮かばなかった。
翌日、杉作は長七に、倉田と出会った松月院へ案内させられる。
その途中、新選組の隊長・近藤勇に出会った。
近藤は、連日のように隊士を鞍馬天狗に斬殺されて、ただではおかぬと憤る。
長七の報告によって、隊士たち7~8人が松月院へ同行することとなる。
松月院には、果たして倉田がいた。
長七は、杉作を連れて感謝を述べにきたように装う。
しかし倉田は、長七の魂胆を早々に見破り、大胆にも自ら「鞍馬天狗」と名乗る。
そこを新選組隊士たちが取り囲み、激しい戦いとなった。
やがて、近藤勇が新たな手勢を率いて到着し、逃走しようとする倉田の背に短筒を向ける。
その刹那、杉作は無我夢中で近藤の腕に飛びついた――
主な登場人物は、下記のとおり。
杉作
本作の主人公。年齢は13~14歳(数え年か満年齢か不明)。
親方・長七の下で、角兵衛獅子として働いている。身軽で、高所へ上るのも得意。
肉親の所在や前歴について作中に記述がなく、孤児であるらしい。
恩人の鞍馬天狗になんとか報いたいと、子供ながらに東奔西走し、危険な目に遭いながらも力を尽くす。
鞍馬天狗(倉田典膳)
本作のもうひとりの主人公。勤王の志士。主家を持たず、素性も本名も一切が謎である。
一刀流皆伝の優れた剣士であり、馬術も得意。
目元涼しく、口元にそこはかとなく微笑をたたえ、きりりとした男前。
つねに冷静沈着、泰然自若として、時にはユーモアのセンスも見せる。
単独行動が多く、大胆不敵にもひとりで新選組屯所に斬り込んだり、大坂城に乗り込んだりする。
たとえ絶望的な状況に陥っても、諦めたり挫けたりはしない。
高き志を持ち、より良い国造りのため活動しつつ、弱者を労る細やかな人情も忘れない。
隼(はやぶさ)の長七
角兵衛獅子の親方。強い者に媚び弱い者を虐げる、因業な性格。
聖護院の近くに住み、杉作ら8人ほどの子供を手元に置き、角兵衛獅子をさせて稼ぐ。
厳しいノルマを課し、達成できない者に体罰を加えるので、子供たちから恐れられている。
お上から十手を預かる目明しでもあり、近藤勇に命じられて鞍馬天狗を追う。
黒姫の吉兵衛
鞍馬天狗の配下。痩身で、目のぎょろりとした、すばしこい男。
かつては泥棒だったが、鞍馬天狗に助けられて改心した、という過去の持ち主。
恩人のためには命を惜しまない。鞍馬天狗が危機にあると聞き、杉作とともに大坂へ向かう。
近藤勇
新選組の隊長。筋の通らないことや卑怯なことを嫌う、潔癖でまっすぐな気性の持ち主。
短気なところもあるが、寛容の精神も持ち合わせている。
猛者ぞろいの新選組を束ねるだけあって、強力な剣客であり、その腕は鞍馬天狗と互角。
鞍馬天狗を敵として追う一方、彼の技量や人格を認めてもいる。
くらやみのお兼
女密偵。若いながらも度胸のある女丈夫。機転が利き、抜け目ない。
土方歳三の依頼で、幕府要人の秘密会談における連絡・探索役を担う。
新選組や大坂城代と協力し、鞍馬天狗を追い詰めていく。
決して冷酷な性格ではないが、任務のためには杉作にも情け容赦しない、忠誠心と非情さを見せる。
西郷吉之助
薩摩藩士。藩士たちのリーダー的存在として、慕われている。
鞍馬天狗とは、勤王のために尽くす同志として肝胆相照らす仲。
長七に使われていた杉作たちを預かり、薩摩屋敷に置いて面倒を見てやる。
土方歳三
近藤勇と並び称される新選組の幹部。その強さは知れ渡っている。
登場は1場面のみだが、礼儀正しく、冷静で周到な人柄の様子。
幕府要人の秘密会談の警備にあたり、鞍馬天狗の妨害を警戒、くらやみのお兼に連絡・探索役を依頼する。
---
『鞍馬天狗』シリーズは、大佛次郎の代表作のひとつ。
大正13年(1924)の「鬼面の老女」から昭和40年(1965)の「地獄太平記」まで、長編短編あわせて全47作が発表されている。
本来は一般向け小説だが、少年向けに書かれたものも5作ほどある。
本作「角兵衛獅子」は、シリーズ11作目にして少年向けの嚆矢であり、昭和2~3年(1927-1928)『少年倶楽部』誌に連載された。
『鞍馬天狗』シリーズは、度々映像化されている。
映画は、原作小説第1作の発表と同じ年に始まり、主演・監督・配給会社を変えつつ60本近くが制作された。
中でも、アラカンこと嵐寛寿郎(1902-1980)が演じた鞍馬天狗は、大人気を博す。
フィクションにおける「素顔を隠した正義のヒーロー」像の成立も、アラカンの天狗がルーツとされる。
ただ、原作者の大佛次郎は「アラカンの天狗は人を斬りすぎる」との不満を訴えた、とか。
他にも業界の諸事情が絡んでいたようだが、結局、アラカン主演映画の制作は打ち切られる。
その後、別の俳優を使い原作者の意向に忠実な映画が作られたが、こちらは興業不振で長続きしなかった。
『鞍馬天狗』というタイトルに、個人的には「勧善懲悪ものの代名詞」というイメージを持っていた。
古い作品でもあるから、おそらく「徳川幕府は旧弊で打倒すべきもの、倒幕勢力こそが正しい」という史観に基づいて書かれ、中でも新選組などは「幕府に盲従する走狗」扱いなのでは?……などと思っていた。
(映像化作品では2008年のテレビドラマを見たが、現代ふうにアレンジされているように感じた。)
しかし、「人を斬りすぎる」映画がイヤだと言うからには、原作者は単なる痛快娯楽時代劇を書いたつもりはないのだろう。それでは何を書きたかったのか、確認すべく本作を読んでみた。
本作「角兵衛獅子」は、少年向けのため、「です・ます」調の文体で書かれている。
(※同じ『鞍馬天狗』シリーズでも、一般向け作品は「だ・である」調。)
なるべく平易な言葉を用い、漢字も少なめ。
にもかかわらず、疎漏なところはなく丁寧で、格調を感じさせる文章。
情景描写が視覚的で美しい。ちょっと古い言い回しにはレトロ感があって面白い。
ストーリーは波瀾万丈。手に汗握る攻防戦が繰り広げられる。
筋立てが明快でわかりやすいが、先が読めるようで読めない。主人公たちの危機がこれでもかと続き、飽きない。
さしもの鞍馬天狗も冒険が過ぎて捕われてしまい、杉作や吉兵衛が必死に試みても状況を打開できないあたり、どういう解決を見るのかとハラハラする。
勤王派と幕府方との対立構造について、善悪二元論で断じるような内容ではなかった。
新選組をことさら貶すような描写もない。土方歳三は常識をわきまえた人柄であるし、近藤勇はむしろ人格者として設定されている(※実在の隊士で登場するのはこの2人だけ)。
加えて、立場的に対立する同士であっても憎みあう以外の関係を結ぶことができる、という価値観が提示される。
相互理解や友情というものに期待してもよいと、希望を持てる気がした。
主人公の杉作は、不幸な境遇にもめげす、健気に生きている。
次々と襲い来る苦難に挫けそうになっても、そのたび勇気を奮い起こす。
杉作を支え続けたのは、鞍馬天狗が話したある言葉である。
それは、危険を顧みず闘い続ける鞍馬天狗に、杉作が「死なないでください」と願った時のこと。
鞍馬天狗は、次のように言い聞かせる。
「うむ、死ぬまい。めったに、またむだには死なない。
……おじさんは人間がすきなのだ。生きているのがよいことだとも、よく知っている。
だから、まず死ぬのはきらいだ。できるだけながくゆかいに生きていたいと思う。
……けれど、自分の命よりたいせつなものがあって、それをまもるためには命をなげださなければならないというときには、男はいさぎよく死ななければならない。
それと知っていて、知らぬ顔をして助かろうとするのは、ひきょうなのだ。わかるかい?
人間は、そういうときには命があぶないと知っていても、たたなければいけない」
(※「身がわり密使」の章 第一節より引用)
この言葉は、様々に解釈できるし、人によって異論もあるかもしれない。
ただ、「大きな事を成し遂げたかったら命と引き換えすべき」と煽るような意図では、決してないと思う。
人は、自分が生きていく上で大切なものは何か、知っておかなければならない。
それを守るために、いつか大きな決断を迫られる時が来るかもしれない。
だから、その覚悟をしておく必要がある、という意味かと感じられた。
作者の大佛次郎が読者の少年たちに伝えたかったことも、つまりこういうことだと思う。
とは言え、シリーズの1作だけを読んで、わかったようなつもりになるのは早計であろう。
いずれ、一般向けの作品も読んでみる必要があると思う。
まず本作を読んで、『鞍馬天狗』シリーズに好感が持てたこと、他の作品も読んでみようかという気持ちになれたことは、収穫だった。
本作「角兵衛獅子」は、昭和2~3年(1927-1928)『少年倶楽部』誌に連載された。
その後、下記の書籍として刊行されている。
『角兵衛獅子 前篇』 渾大防書房 1927
『角兵衛獅子』 先進社 1929
『角兵衛獅子 杉作の巻』 湘南書房 新日本少年少女選書 1948
『角兵衛獅子 鞍馬天狗』 湘南書房 新日本少年少女選書 1948
『鞍馬天狗 第12巻(角兵衛獅子)』 中央公論社 1951
『鞍馬天狗 角兵衛獅子』 湘南書房 1951
『鞍馬天狗・角兵衛獅子・山岳党奇談 日本少年少女名作全集 1』 河出書房 1954
『現代国民文学全集 第12巻(大仏次郎集 続)』 角川書店 1957
『鞍馬天狗 角兵衛獅子』 光風社書店 1967
『大仏次郎 少年少女のための作品集 1』 講談社 1967
『鞍馬天狗 第1巻(角兵衛獅子・雪の雲母坂)』 光風社書店 1969
『角兵衛獅子』 講談社 少年倶楽部文庫 1975 ← 本項の参考書
『大仏次郎時代小説全集 第2巻(鞍馬天狗 2)』 朝日新聞社 1975
『鞍馬天狗 4(角兵衛獅子)』 朝日新聞社 1981
『角兵衛獅子 鞍馬天狗 1』 小学館文庫 2000
『鞍馬天狗 2 大佛次郎時代小説全集 第2巻』 朝日新聞社 2005 1975年刊を原本とするオンデマンド版
『角兵衛獅子 鞍馬天狗傑作選 1』 大佛次郎 文藝春秋 2007
『鞍馬天狗 鶴見俊輔セレクション 1』 小学館 P+D BOOKS 2017 小学館文庫2000年刊の再刊

勤王の志士・鞍馬天狗と彼を慕う杉作少年との絆、そして鞍馬天狗と近藤勇との戦いを描く。
あらすじは以下のとおり(序盤のみ)。
「角兵衛獅子」とは、小さな獅子頭をかぶった子供が演じる曲芸である。
杉作は、その角兵衛獅子の演じ手だった。
京都の往来で芸を見せ、見物人の投げる銭を拾って日々を暮らす。
その日も、弟分の新吉とふたりであちこち回ったが、ふと気づくと稼ぎを入れた財布をなくしていた。
そのまま帰れば、親方にきつく折檻される。かといって、他に行くあてもない。
泣きじゃくる新吉を連れて途方にくれていた時、小さな寺の前で、見知らぬ侍に声をかけられる。
侍は事情を聞くと、杉作たちに金銭を与え、優しく励ました。
杉作は、いつかこの恩を返したいと思い、「倉田」と呼ばれた侍の名を心に刻む。
杉作は新吉とともに急ぎ帰ったが、財布をなくしたことが親方・長七に知れてしまう。
厳しく詰問され、やむなく事情を話した。
すると長七は、「倉田」とはお尋ね者の「鞍馬天狗」ではないか、と推測。
隠れ家を突き止め、新選組に知らせて褒美を得ようと画策する。
杉作は、図らずも「親切なおじさん」に仇を為すはめになってしまい、苦しむ。
倉田にこの事態を知らせたいと思い巡らすものの、良い方策は浮かばなかった。
翌日、杉作は長七に、倉田と出会った松月院へ案内させられる。
その途中、新選組の隊長・近藤勇に出会った。
近藤は、連日のように隊士を鞍馬天狗に斬殺されて、ただではおかぬと憤る。
長七の報告によって、隊士たち7~8人が松月院へ同行することとなる。
松月院には、果たして倉田がいた。
長七は、杉作を連れて感謝を述べにきたように装う。
しかし倉田は、長七の魂胆を早々に見破り、大胆にも自ら「鞍馬天狗」と名乗る。
そこを新選組隊士たちが取り囲み、激しい戦いとなった。
やがて、近藤勇が新たな手勢を率いて到着し、逃走しようとする倉田の背に短筒を向ける。
その刹那、杉作は無我夢中で近藤の腕に飛びついた――
主な登場人物は、下記のとおり。
杉作
本作の主人公。年齢は13~14歳(数え年か満年齢か不明)。
親方・長七の下で、角兵衛獅子として働いている。身軽で、高所へ上るのも得意。
肉親の所在や前歴について作中に記述がなく、孤児であるらしい。
恩人の鞍馬天狗になんとか報いたいと、子供ながらに東奔西走し、危険な目に遭いながらも力を尽くす。
鞍馬天狗(倉田典膳)
本作のもうひとりの主人公。勤王の志士。主家を持たず、素性も本名も一切が謎である。
一刀流皆伝の優れた剣士であり、馬術も得意。
目元涼しく、口元にそこはかとなく微笑をたたえ、きりりとした男前。
つねに冷静沈着、泰然自若として、時にはユーモアのセンスも見せる。
単独行動が多く、大胆不敵にもひとりで新選組屯所に斬り込んだり、大坂城に乗り込んだりする。
たとえ絶望的な状況に陥っても、諦めたり挫けたりはしない。
高き志を持ち、より良い国造りのため活動しつつ、弱者を労る細やかな人情も忘れない。
隼(はやぶさ)の長七
角兵衛獅子の親方。強い者に媚び弱い者を虐げる、因業な性格。
聖護院の近くに住み、杉作ら8人ほどの子供を手元に置き、角兵衛獅子をさせて稼ぐ。
厳しいノルマを課し、達成できない者に体罰を加えるので、子供たちから恐れられている。
お上から十手を預かる目明しでもあり、近藤勇に命じられて鞍馬天狗を追う。
黒姫の吉兵衛
鞍馬天狗の配下。痩身で、目のぎょろりとした、すばしこい男。
かつては泥棒だったが、鞍馬天狗に助けられて改心した、という過去の持ち主。
恩人のためには命を惜しまない。鞍馬天狗が危機にあると聞き、杉作とともに大坂へ向かう。
近藤勇
新選組の隊長。筋の通らないことや卑怯なことを嫌う、潔癖でまっすぐな気性の持ち主。
短気なところもあるが、寛容の精神も持ち合わせている。
猛者ぞろいの新選組を束ねるだけあって、強力な剣客であり、その腕は鞍馬天狗と互角。
鞍馬天狗を敵として追う一方、彼の技量や人格を認めてもいる。
くらやみのお兼
女密偵。若いながらも度胸のある女丈夫。機転が利き、抜け目ない。
土方歳三の依頼で、幕府要人の秘密会談における連絡・探索役を担う。
新選組や大坂城代と協力し、鞍馬天狗を追い詰めていく。
決して冷酷な性格ではないが、任務のためには杉作にも情け容赦しない、忠誠心と非情さを見せる。
西郷吉之助
薩摩藩士。藩士たちのリーダー的存在として、慕われている。
鞍馬天狗とは、勤王のために尽くす同志として肝胆相照らす仲。
長七に使われていた杉作たちを預かり、薩摩屋敷に置いて面倒を見てやる。
土方歳三
近藤勇と並び称される新選組の幹部。その強さは知れ渡っている。
登場は1場面のみだが、礼儀正しく、冷静で周到な人柄の様子。
幕府要人の秘密会談の警備にあたり、鞍馬天狗の妨害を警戒、くらやみのお兼に連絡・探索役を依頼する。
---
『鞍馬天狗』シリーズは、大佛次郎の代表作のひとつ。
大正13年(1924)の「鬼面の老女」から昭和40年(1965)の「地獄太平記」まで、長編短編あわせて全47作が発表されている。
本来は一般向け小説だが、少年向けに書かれたものも5作ほどある。
本作「角兵衛獅子」は、シリーズ11作目にして少年向けの嚆矢であり、昭和2~3年(1927-1928)『少年倶楽部』誌に連載された。
『鞍馬天狗』シリーズは、度々映像化されている。
映画は、原作小説第1作の発表と同じ年に始まり、主演・監督・配給会社を変えつつ60本近くが制作された。
中でも、アラカンこと嵐寛寿郎(1902-1980)が演じた鞍馬天狗は、大人気を博す。
フィクションにおける「素顔を隠した正義のヒーロー」像の成立も、アラカンの天狗がルーツとされる。
ただ、原作者の大佛次郎は「アラカンの天狗は人を斬りすぎる」との不満を訴えた、とか。
他にも業界の諸事情が絡んでいたようだが、結局、アラカン主演映画の制作は打ち切られる。
その後、別の俳優を使い原作者の意向に忠実な映画が作られたが、こちらは興業不振で長続きしなかった。
『鞍馬天狗』というタイトルに、個人的には「勧善懲悪ものの代名詞」というイメージを持っていた。
古い作品でもあるから、おそらく「徳川幕府は旧弊で打倒すべきもの、倒幕勢力こそが正しい」という史観に基づいて書かれ、中でも新選組などは「幕府に盲従する走狗」扱いなのでは?……などと思っていた。
(映像化作品では2008年のテレビドラマを見たが、現代ふうにアレンジされているように感じた。)
しかし、「人を斬りすぎる」映画がイヤだと言うからには、原作者は単なる痛快娯楽時代劇を書いたつもりはないのだろう。それでは何を書きたかったのか、確認すべく本作を読んでみた。
本作「角兵衛獅子」は、少年向けのため、「です・ます」調の文体で書かれている。
(※同じ『鞍馬天狗』シリーズでも、一般向け作品は「だ・である」調。)
なるべく平易な言葉を用い、漢字も少なめ。
にもかかわらず、疎漏なところはなく丁寧で、格調を感じさせる文章。
情景描写が視覚的で美しい。ちょっと古い言い回しにはレトロ感があって面白い。
ストーリーは波瀾万丈。手に汗握る攻防戦が繰り広げられる。
筋立てが明快でわかりやすいが、先が読めるようで読めない。主人公たちの危機がこれでもかと続き、飽きない。
さしもの鞍馬天狗も冒険が過ぎて捕われてしまい、杉作や吉兵衛が必死に試みても状況を打開できないあたり、どういう解決を見るのかとハラハラする。
勤王派と幕府方との対立構造について、善悪二元論で断じるような内容ではなかった。
新選組をことさら貶すような描写もない。土方歳三は常識をわきまえた人柄であるし、近藤勇はむしろ人格者として設定されている(※実在の隊士で登場するのはこの2人だけ)。
加えて、立場的に対立する同士であっても憎みあう以外の関係を結ぶことができる、という価値観が提示される。
相互理解や友情というものに期待してもよいと、希望を持てる気がした。
主人公の杉作は、不幸な境遇にもめげす、健気に生きている。
次々と襲い来る苦難に挫けそうになっても、そのたび勇気を奮い起こす。
杉作を支え続けたのは、鞍馬天狗が話したある言葉である。
それは、危険を顧みず闘い続ける鞍馬天狗に、杉作が「死なないでください」と願った時のこと。
鞍馬天狗は、次のように言い聞かせる。
「うむ、死ぬまい。めったに、またむだには死なない。
……おじさんは人間がすきなのだ。生きているのがよいことだとも、よく知っている。
だから、まず死ぬのはきらいだ。できるだけながくゆかいに生きていたいと思う。
……けれど、自分の命よりたいせつなものがあって、それをまもるためには命をなげださなければならないというときには、男はいさぎよく死ななければならない。
それと知っていて、知らぬ顔をして助かろうとするのは、ひきょうなのだ。わかるかい?
人間は、そういうときには命があぶないと知っていても、たたなければいけない」
(※「身がわり密使」の章 第一節より引用)
この言葉は、様々に解釈できるし、人によって異論もあるかもしれない。
ただ、「大きな事を成し遂げたかったら命と引き換えすべき」と煽るような意図では、決してないと思う。
人は、自分が生きていく上で大切なものは何か、知っておかなければならない。
それを守るために、いつか大きな決断を迫られる時が来るかもしれない。
だから、その覚悟をしておく必要がある、という意味かと感じられた。
作者の大佛次郎が読者の少年たちに伝えたかったことも、つまりこういうことだと思う。
とは言え、シリーズの1作だけを読んで、わかったようなつもりになるのは早計であろう。
いずれ、一般向けの作品も読んでみる必要があると思う。
まず本作を読んで、『鞍馬天狗』シリーズに好感が持てたこと、他の作品も読んでみようかという気持ちになれたことは、収穫だった。
本作「角兵衛獅子」は、昭和2~3年(1927-1928)『少年倶楽部』誌に連載された。
その後、下記の書籍として刊行されている。
『角兵衛獅子 前篇』 渾大防書房 1927
『角兵衛獅子』 先進社 1929
『角兵衛獅子 杉作の巻』 湘南書房 新日本少年少女選書 1948
『角兵衛獅子 鞍馬天狗』 湘南書房 新日本少年少女選書 1948
『鞍馬天狗 第12巻(角兵衛獅子)』 中央公論社 1951
『鞍馬天狗 角兵衛獅子』 湘南書房 1951
『鞍馬天狗・角兵衛獅子・山岳党奇談 日本少年少女名作全集 1』 河出書房 1954
『現代国民文学全集 第12巻(大仏次郎集 続)』 角川書店 1957
『鞍馬天狗 角兵衛獅子』 光風社書店 1967
『大仏次郎 少年少女のための作品集 1』 講談社 1967
『鞍馬天狗 第1巻(角兵衛獅子・雪の雲母坂)』 光風社書店 1969
『角兵衛獅子』 講談社 少年倶楽部文庫 1975 ← 本項の参考書
『大仏次郎時代小説全集 第2巻(鞍馬天狗 2)』 朝日新聞社 1975
『鞍馬天狗 4(角兵衛獅子)』 朝日新聞社 1981
『角兵衛獅子 鞍馬天狗 1』 小学館文庫 2000
『鞍馬天狗 2 大佛次郎時代小説全集 第2巻』 朝日新聞社 2005 1975年刊を原本とするオンデマンド版
『角兵衛獅子 鞍馬天狗傑作選 1』 大佛次郎 文藝春秋 2007
『鞍馬天狗 鶴見俊輔セレクション 1』 小学館 P+D BOOKS 2017 小学館文庫2000年刊の再刊
![]() |

- 長編小説の関連記事
-
- 秋山香乃『近藤勇』 (2015/01/19)
- 大佛次郎『角兵衛獅子』 «
- 大内美予子『沖田総司』 (2015/08/12)