描かれた井上源三郎
日野市立新選組のふるさと歴史館にて、企画展「没後150年 新選組 井上源三郎 ―八王子千人同心と新選組の幕末維新―」が、2017年12月12日から2018年2月18日まで開催された。
井上源三郎が、新選組草創以来の中核メンバーであり、日野出身であったことは、周知のとおりである。
この企画展は、源三郎の兄・井上松五郎も取り上げつつ、新選組と幕末動乱期を検証する内容だった。
展示構成は、以下のとおり。
1.幕末の日野宿と天然理心流
2.井上松五郎・源三郎兄弟
3.浪士組上洛
4.京都での新選組
5.鳥羽・伏見の戦い
6.八王子千人同心と井上松五郎
7.描かれた井上源三郎
全般に興味深い展示だったが、当ブログ的には最後の「描かれた井上源三郎」に着目した。
小説・映画・マンガなどフィクションにおける、源三郎の人物造形とその変遷が面白い。
要点をまとめると、次のようだった。
(1)創作に登場する新選組と井上源三郎
大正時代から昭和20年代頃のフィクションでは、新選組は「近藤勇とその他一同」扱い。
近藤の脇に土方歳三や沖田総司が配される例はあるが、源三郎を含む他の隊士はあまり重視されない。
登場したとしても、年齢や性格などは作品によってまちまちで、決まったイメージはなかった。
(2)『新選組血風録』と井上源三郎
源三郎の人物像を決定づけたのは、司馬遼太郎の小説『新選組血風録』。
作中、源三郎は「老齢凡骨」と形容され、剣才のない老人として描かれる。
史実に創作を混入しリアリティを出す司馬の絶妙なテクニックにより、これが実像と誤解されてしまった。
(3)大河ドラマと新しい井上源三郎像
平成16年のNHK大河ドラマ「新選組!」の頃、マンガやゲームなどの創作もピークに。
当時は、まだ従来作品の設定を流用したものが少なくなかった。
しかしその後、新しいイメージを打ち出す作品が増え、バリエーション豊かになっている。
源三郎についても、実際は年寄りでもなければ弱くもない、ということが知られつつある。
ただ、長年醸成されたイメージが完全に払拭されるには、未だ至っていない。
というわけで、今更ながらに司馬遼太郎の影響力の大きさを思い知った。
土方歳三も沖田総司も、今日のようなイメージが形成され人気者になった流れを遡れば、司馬作品に行き着く。
源三郎もまた同様、とは指摘されるまで意識しなかったが、別にありえない話ではなかったのだ。
ただ、源三郎の場合は土方・沖田と扱いが異なり、いささか残念な感じになってしまった。
小説など創作においては、登場人物が全員カッコよくてもつまらない。
剣客集団・新選組の中に、幹部にもかかわらず強くない人物がいる。お荷物扱いされていたのに、あるとき意外な奮闘を見せる、というエピソードがあれば面白くなる。
作家によってそういう役回りを負わされた結果であろう。
短編集『新選組血風録』のうち、源三郎を主人公とするのは「三条磧乱刃」である。
この1編だけでキャラクターイメージが出来上がってしまったというのは、やはり凄い。
読み返してみて、改めて気づいたことがいくつかある。
【源三郎の外見と年齢】
作中、源三郎は「六十くらい」に見えるが、本当の高齢者ではない。沖田は、43~44歳くらいだと言う。
実のところ、「三条磧乱刃」の慶応元年頃には、37歳である。
これは、作家が事実を知らなかったというより、身内同然の沖田にさえ実際より年嵩に見られているというユーモアなのでは?とも思える。
【源三郎の剣歴】
府中における近藤勇襲名披露の野試合では、源三郎が鉦役を務めたと説明されている。
これは佐藤彦五郎の書簡が伝える事実。ただし、「安政5年」ではなく文久元年のことだ。
また、源三郎が天然理心流の「目録止まり」とあるのは、事実でない。
実際には、嘉永元年(1848)に「切紙」「目録」を受けた後、安政2年(1855)に「中極意目録」、万延元年(1860)に「免許」を授かっている。
【同郷同流出身の絆】
源三郎と近藤・土方・沖田の強い心理的結束が、描かれている。
多摩の郷党と深く結びつき、天然理心流を修業した4人の信頼関係は、江戸以来の同志の中でも別格。
明確な根拠を挙げづらいものの、ほぼ事実ではなかろうか。
例えば、池田屋事件の時、土方が自分の手勢を分け指揮を任せたのは、源三郎である。深い信頼あってこそできたことだろう。そして源三郎の隊は、土方隊よりも早く池田屋に駆けつけ、近藤隊を支援して戦ったという。
また、慶応3年の江戸での隊士募集には、源三郎が土方に同行、補佐している。
フィクションの人物造形に利用される材料は、ほかにもいくつかあると思う。
主要なものを挙げると、こんなところだろうか↓
◆八木為三郎の証言(子母澤寛『新選組遺聞』)
(壬生寺で子供と遊んでいる沖田のところへ)井上源三郎というのがやって来ると、「井上さんまた稽古ですか」という。井上は「そう知っているなら黙っていてもやって来たらよかりそうなもんだ」と、忌(い)やな顔をしたものです。井上は、その時分もう四十位で、ひどく無口な、それで非常に人の好い人でした。
証言者は、新選組が最初に屯所を置いた壬生、八木家の子息。
『新選組遺聞』は、昭和4年に単行本が出版され、研究にもフィクションにも多くの影響を与えた。
「三条磧乱刃」にも、この証言は引用されている。
◆井上泰助の証言(井上家の伝承)
おじさん(源三郎)は、ふだんは無口でおとなしい人だったが、一度こうと思い込んだらテコでもうごかないようなところがあった。鳥羽、伏見の戦の時も、味方が不利になったので大坂へ引揚げるため、引けという命令がでたが、戦いを続けてすこしも引かず、ついに弾丸にあたってたおれてしまった。
証言者は、井上松五郎の次男、源三郎にとっては甥。12歳にして新選組に入隊、源三郎の戦死を目撃した。
井上家の伝承は、ご子孫や研究家の谷春雄によって関連出版物に発表されるなどしている。
司馬遼太郎は、取材に日野を訪れ、地元住民から聞き取りをしたことがある。
◆川村三郎の書簡
井上源三郎 同(戊辰正月)三十七、八歳。武州八王子同心ノ弟ニテ、近藤土方等ト倶ニ新撰組ヲ組織セシ人ナリ。依テ副長助勤ト名称シ局長会議ニ参与スル務ナリ。併シ乍ラ文武共劣等ノ人ナリ。
証言者は元新選組隊士、在隊時は近藤芳助と名乗る。元治元年の入隊時には22歳。
明治39年頃、高橋正意からの問い合わせに回答した。その返書が、京都府立総合資料館所蔵『新撰組往事実戦譚書』として現存する。存在が広く知られたのは、昭和47年、研究家の石田孝喜によって紹介されて以来。
司馬遼太郎が先んじて読んでいたどうか不明だが、可能性は否定できまい。
記述された年齢は、実際の40歳よりやや若い。前歴は、そこそこ正確。
しかし、「文武共劣等」のくだりは「三条磧乱刃」を裏づけるかのよう。
あんまりな評価と思うが、このように見られる場合もあった、とは言えるのかもしれない。
フィクションが史実に縛られる必要はなく、自由に創作されてよいと思う。
そしてまた、受け手は、虚実ない交ぜであることを踏まえた上で楽しめばよい。
本項で小説と史実とを対照してみたのは、単に共通点や相違点が興味深いからであって、「史実に反するフィクションは良くない」などという意図は全然ない、念のため。
それはそれとして、源三郎の従来イメージでも「温厚篤実で周囲から慕われる」という面は決して悪くない。
こういう彼を主人公に据えたフィクションもある。例えば、比較的新しい小説では、秋山香乃『新撰組捕物帖』『諜報新撰組 風の宿り』、小松エメル「信心」(『夢の燈影』所収 )など。
主役ならずとも名脇役として描かれる例は、さらに多くある。
今後、我らが愛すべき「源さん」のイメージがどのように変遷していくのか、見届けたいと思う。

井上源三郎が、新選組草創以来の中核メンバーであり、日野出身であったことは、周知のとおりである。
この企画展は、源三郎の兄・井上松五郎も取り上げつつ、新選組と幕末動乱期を検証する内容だった。
展示構成は、以下のとおり。
1.幕末の日野宿と天然理心流
2.井上松五郎・源三郎兄弟
3.浪士組上洛
4.京都での新選組
5.鳥羽・伏見の戦い
6.八王子千人同心と井上松五郎
7.描かれた井上源三郎
全般に興味深い展示だったが、当ブログ的には最後の「描かれた井上源三郎」に着目した。
小説・映画・マンガなどフィクションにおける、源三郎の人物造形とその変遷が面白い。
要点をまとめると、次のようだった。
(1)創作に登場する新選組と井上源三郎
大正時代から昭和20年代頃のフィクションでは、新選組は「近藤勇とその他一同」扱い。
近藤の脇に土方歳三や沖田総司が配される例はあるが、源三郎を含む他の隊士はあまり重視されない。
登場したとしても、年齢や性格などは作品によってまちまちで、決まったイメージはなかった。
(2)『新選組血風録』と井上源三郎
源三郎の人物像を決定づけたのは、司馬遼太郎の小説『新選組血風録』。
作中、源三郎は「老齢凡骨」と形容され、剣才のない老人として描かれる。
史実に創作を混入しリアリティを出す司馬の絶妙なテクニックにより、これが実像と誤解されてしまった。
(3)大河ドラマと新しい井上源三郎像
平成16年のNHK大河ドラマ「新選組!」の頃、マンガやゲームなどの創作もピークに。
当時は、まだ従来作品の設定を流用したものが少なくなかった。
しかしその後、新しいイメージを打ち出す作品が増え、バリエーション豊かになっている。
源三郎についても、実際は年寄りでもなければ弱くもない、ということが知られつつある。
ただ、長年醸成されたイメージが完全に払拭されるには、未だ至っていない。
というわけで、今更ながらに司馬遼太郎の影響力の大きさを思い知った。
土方歳三も沖田総司も、今日のようなイメージが形成され人気者になった流れを遡れば、司馬作品に行き着く。
源三郎もまた同様、とは指摘されるまで意識しなかったが、別にありえない話ではなかったのだ。
ただ、源三郎の場合は土方・沖田と扱いが異なり、いささか残念な感じになってしまった。
小説など創作においては、登場人物が全員カッコよくてもつまらない。
剣客集団・新選組の中に、幹部にもかかわらず強くない人物がいる。お荷物扱いされていたのに、あるとき意外な奮闘を見せる、というエピソードがあれば面白くなる。
作家によってそういう役回りを負わされた結果であろう。
短編集『新選組血風録』のうち、源三郎を主人公とするのは「三条磧乱刃」である。
この1編だけでキャラクターイメージが出来上がってしまったというのは、やはり凄い。
読み返してみて、改めて気づいたことがいくつかある。
【源三郎の外見と年齢】
作中、源三郎は「六十くらい」に見えるが、本当の高齢者ではない。沖田は、43~44歳くらいだと言う。
実のところ、「三条磧乱刃」の慶応元年頃には、37歳である。
これは、作家が事実を知らなかったというより、身内同然の沖田にさえ実際より年嵩に見られているというユーモアなのでは?とも思える。
【源三郎の剣歴】
府中における近藤勇襲名披露の野試合では、源三郎が鉦役を務めたと説明されている。
これは佐藤彦五郎の書簡が伝える事実。ただし、「安政5年」ではなく文久元年のことだ。
また、源三郎が天然理心流の「目録止まり」とあるのは、事実でない。
実際には、嘉永元年(1848)に「切紙」「目録」を受けた後、安政2年(1855)に「中極意目録」、万延元年(1860)に「免許」を授かっている。
【同郷同流出身の絆】
源三郎と近藤・土方・沖田の強い心理的結束が、描かれている。
多摩の郷党と深く結びつき、天然理心流を修業した4人の信頼関係は、江戸以来の同志の中でも別格。
明確な根拠を挙げづらいものの、ほぼ事実ではなかろうか。
例えば、池田屋事件の時、土方が自分の手勢を分け指揮を任せたのは、源三郎である。深い信頼あってこそできたことだろう。そして源三郎の隊は、土方隊よりも早く池田屋に駆けつけ、近藤隊を支援して戦ったという。
また、慶応3年の江戸での隊士募集には、源三郎が土方に同行、補佐している。
フィクションの人物造形に利用される材料は、ほかにもいくつかあると思う。
主要なものを挙げると、こんなところだろうか↓
◆八木為三郎の証言(子母澤寛『新選組遺聞』)
(壬生寺で子供と遊んでいる沖田のところへ)井上源三郎というのがやって来ると、「井上さんまた稽古ですか」という。井上は「そう知っているなら黙っていてもやって来たらよかりそうなもんだ」と、忌(い)やな顔をしたものです。井上は、その時分もう四十位で、ひどく無口な、それで非常に人の好い人でした。
証言者は、新選組が最初に屯所を置いた壬生、八木家の子息。
『新選組遺聞』は、昭和4年に単行本が出版され、研究にもフィクションにも多くの影響を与えた。
「三条磧乱刃」にも、この証言は引用されている。
◆井上泰助の証言(井上家の伝承)
おじさん(源三郎)は、ふだんは無口でおとなしい人だったが、一度こうと思い込んだらテコでもうごかないようなところがあった。鳥羽、伏見の戦の時も、味方が不利になったので大坂へ引揚げるため、引けという命令がでたが、戦いを続けてすこしも引かず、ついに弾丸にあたってたおれてしまった。
証言者は、井上松五郎の次男、源三郎にとっては甥。12歳にして新選組に入隊、源三郎の戦死を目撃した。
井上家の伝承は、ご子孫や研究家の谷春雄によって関連出版物に発表されるなどしている。
司馬遼太郎は、取材に日野を訪れ、地元住民から聞き取りをしたことがある。
◆川村三郎の書簡
井上源三郎 同(戊辰正月)三十七、八歳。武州八王子同心ノ弟ニテ、近藤土方等ト倶ニ新撰組ヲ組織セシ人ナリ。依テ副長助勤ト名称シ局長会議ニ参与スル務ナリ。併シ乍ラ文武共劣等ノ人ナリ。
証言者は元新選組隊士、在隊時は近藤芳助と名乗る。元治元年の入隊時には22歳。
明治39年頃、高橋正意からの問い合わせに回答した。その返書が、京都府立総合資料館所蔵『新撰組往事実戦譚書』として現存する。存在が広く知られたのは、昭和47年、研究家の石田孝喜によって紹介されて以来。
司馬遼太郎が先んじて読んでいたどうか不明だが、可能性は否定できまい。
記述された年齢は、実際の40歳よりやや若い。前歴は、そこそこ正確。
しかし、「文武共劣等」のくだりは「三条磧乱刃」を裏づけるかのよう。
あんまりな評価と思うが、このように見られる場合もあった、とは言えるのかもしれない。
フィクションが史実に縛られる必要はなく、自由に創作されてよいと思う。
そしてまた、受け手は、虚実ない交ぜであることを踏まえた上で楽しめばよい。
本項で小説と史実とを対照してみたのは、単に共通点や相違点が興味深いからであって、「史実に反するフィクションは良くない」などという意図は全然ない、念のため。
それはそれとして、源三郎の従来イメージでも「温厚篤実で周囲から慕われる」という面は決して悪くない。
こういう彼を主人公に据えたフィクションもある。例えば、比較的新しい小説では、秋山香乃『新撰組捕物帖』『諜報新撰組 風の宿り』、小松エメル「信心」(『夢の燈影』所収 )など。
主役ならずとも名脇役として描かれる例は、さらに多くある。
今後、我らが愛すべき「源さん」のイメージがどのように変遷していくのか、見届けたいと思う。
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