新選組の本を読む ~誠の栞~

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 長部日出雄「近藤勇の最期」 

短編小説。甲州勝沼戦争から刑死するまでの近藤勇の、言動と心境を描く。
甲州戦の間は主に永倉新八の視点で展開し、永倉が去った後の経緯は手短にまとめられている。

慶応4年3月2日。
新選組を中核とする甲陽鎮撫隊は内藤新宿を発つが、行軍は遅々として捗らない。
途中、上石原や日野で郷党の接待を受けるたび、近藤勇は「若年寄格・大久保大和」として「上様をいただき甲府の新天地に王道楽土を建設する」夢を語りまくる。
与瀬から先は大雪に見舞われ、脱落者が続出。
2日後ようやく勝沼の手前に着くも、甲府は東征軍に占領され、しかも多勢に無勢の劣勢は明白だった。

近藤は、神奈川の菜っ葉隊を呼び寄せるべく土方歳三を派遣し、永倉新八と原田左之助には「猿橋まで会津の援軍が来ている」と味方へ虚報を伝えるよう命じて、諌言を聞き入れようとはしない。
そして、東征軍との交渉にも失敗すると、たとえ自分一人になっても無謀な戦いに臨むと言い張る。

永倉は、かつての近藤ならばあり得ない失策や周章狼狽ぶりを目の当たりにして、「ここにいるのは近藤勇ではない!」と衝撃を覚える。
果たして鎮撫隊は敗退。それでもなお近藤は、「大久保大和」の立場に拘る。
永倉は、近藤の変貌ぶりに最早ついていけなかった。

この時期の近藤勇、甲陽鎮撫隊の動向や目的については、創作でもノンフィクションでも様々に取り上げられているものの、不明の部分が多く、事実の解明には至っていない。
本作では、「大久保大和」は十万石大名の夢に目が眩んだ俗物だったが、投降後は本来の「近藤勇」に立ち戻って死んだ、として描かれる。
永倉新八の批判的な視線は、『新撰組顛末記』などの記述を反映したもののようだ。
試衛館以来の同志が訣別するには相応の理由があったのだろうし、本作はその可能性のひとつを提示したものだと思うが、読後感はやるせない。

ちなみに本作は、甲陽鎮撫隊の行程を3月2日に府中着、3日に与瀬着、4日に駒飼着、と設定している。
特に後半がずいぶんな強行軍で、創作としても無理がある。
例えば、同時代史料と推定される佐藤彦五郎の日記には、3月1日に府中着、2日に与瀬着、3日に猿橋着、4日に駒飼着とある。
甲州街道と宿場の状況に照らしても、このほうが事実に近かろう。

そして、『歴史と視点』の項に説明したとおり、土方歳三が神奈川へ菜っ葉隊を呼びに行ったという事実はない。
世の小説の多くがこの説を取り入れており、本作に限った話ではないけれども。

本作の初出は、「小説現代」昭和52年(1977)2月号。
収録している書籍は、下記のとおり。

『代表作時代小説 昭和53年度』 日本文芸家協会編  東京文芸社 1978
『代表作時代小説 第24巻』 日本文芸家協会編 東京文芸社 1984
『魔剣くずし秘聞 新選代表作時代小説14』 日本文藝家協会編 光風社文庫 1998
『誠の旗がゆく』 細谷正充編 集英社文庫 2003

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誠の旗がゆく
(集英社文庫)
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