新選組の本を読む ~誠の栞~

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 司馬遼太郎『王城の護衛者』 

中短編集。幕末維新期に活躍した人物を描く歴史小説、全5編を収録。

「王城の護衛者」
会津藩主・松平容保の生涯を描く中編。
全7章に分かれている。各章の概要は以下のとおり。

一.会津松平家の興り。保科正之の出生、会津23万石の領主となり家訓を遺すまでの経緯。
二.九代容保の出生、会津藩主となる経緯。一橋慶喜と松平春嶽により、人柄を見込まれる。
三.家訓ゆえに、滅亡を覚悟して京都守護職を拝命した容保と、覚悟を決めた家臣たち。
四.容保、藩兵を率いて上洛。孝明天皇に拝謁。過激浪士取締の方針がまとまらず苦心。
五.足利将軍木像梟首事件により、過激浪士への温情を捨てる容保。お預り浪士・新選組の発足。
六.8.18の政変。孝明帝の内意を得て、薩摩藩と協力し長州藩を追放することに成功。
七.戊辰戦争勃発。「朝敵」と見なされ徳川本家からも見離された容保の失意。敗戦から逝去まで。

一橋慶喜と松平春嶽の2人から是非にと説得された容保は、家臣らの反対を押し切り、京都守護職を拝命する。そして、孝明帝の信任に報いるべく苦闘を重ねた。
ところが孝明帝亡き後、一転して「官軍に追われる賊軍」とされてしまう。自分を守護職に就かせた春嶽の越前福井藩は、「官軍」の側についていた。また、同じく守護職を強いた慶喜は、江戸への逃亡に容保を同行させておきながら、東帰後は登城を禁じた上、府外へ立ち退くよう命じる。
やむなく会津へ帰り、慶喜の恭順にならって謹慎。幾度となく恩命を嘆願したものの受け入れられず、新政府軍の追討を受けることに。こうして、会津藩は苛酷な戦いに臨み、敗れたのだった。

新選組については、浪士組の残留者たちが京都守護職の手先となって反幕浪士の取り締まりにあたった経緯が説明されている。
現代では信じがたいことだが、当時、罪人の捕縛は「不浄な行為」とされ、家門である容保やその家臣たちが不浄な行為に直接携わることは慣習上ゆるされなかった。そこへ浪士組残留者が「お役に立ちたい」と願ってきたので、渡りに船とばかりに「会津肥後守御預浪士」として採用した。
ところが、こうして発足した新選組が任務に励めば励むほど、容保は世間(特に長州人)から「血に飢えた鬼畜」などと誤解されるようになっていった。

容保が孝明帝のため身命をなげうって至誠を尽くしたことが、やがて容保自身を「朝敵」にしてしまうとは、「運命は皮肉」としか言いようがない。
本作の結末には、容保が孝明帝から賜った宸翰について書かれている。
そのレプリカをかつて会津で見たことがあるが、この結末が思い出されてつい目頭が熱くなった。

NHK大河ドラマ「八重の桜」について、視聴者の中には「歴史に詳しくない初心者にはついていけない」と感じる向きもあるようだ。幕末の政情を把握しづらいのだろう。
ドラマのストーリーを理解する参考書として、この「王城の護衛者」はオススメ。容保が先代容敬から藩祖・保科正之の遺訓を教わる場面、水戸藩討伐に反対する場面など、ドラマと共通の場面もあり、会津藩や容保の置かれた状況がわかりやすい。分量的にも長大でなく、手軽に読める。

私事だが、かつて某週刊誌で、反社会的な某集団に関する記事を読んだ。
そこに、某集団リーダーの親衛隊グループを「新選組」となぞらえる一節があった。何の必然性も合理性も窺えない不適切な比喩には、不快を超えて憤りを禁じ得なかった。
勢いで編集部の認識不足を指摘する手紙を送り、「王城の護衛者」を読めと書き添えた。若気の至りでつまらぬことをしたと、今となっては思う。この週刊誌は、昔からよく司馬遼太郎を取り上げているが、その一方でこういう記事を載せるとは、自ら不見識を露呈したようなものだろう。

これも私事だが、数年前、新選組関連の某施設でボランティアガイドらしき人と話した。
その人が「慶喜が恭順したのに、逆らって新政府軍と戦った容保は極悪人」みたいなことを言うので、仰天した。新選組について一般人より知識を持ち合わせているはずなのに、会津藩がなぜ戦わざるをえない状況に置かれたのかは知らず、なんとなく偏見や反感を持っていたらしい。
こういう人にも「王城の護衛者」をぜひ読んでもらいたいところだ。

そのほかの収録作4編は、下記のとおり。

「加茂の水」
国学者・玉松操が岩倉具視のブレーンとして活躍した経緯を描く短編。
玉松は、錦旗を考案、討幕の密勅を起草、新政府構想の骨子を立案するなど、学識・文才によって岩倉の密計を助けた。この功により、鳥羽伏見戦争で薩摩長州が官軍として勝利を得る。しかし、市井に埋もれ世を去った。
新選組に関しては、長州藩主父子免罪復位の宣旨が中山忠能から岩倉具視に渡る際、隊士らが中山邸を偵察していた、とごく簡単に触れている。

「鬼謀の人」
天才的軍略家・村田蔵六こと大村益次郎を描く中編。
優れた才能・学識を持ちながら軽格扱いされていた益次郎だが、第二次征長戦に勝利した実績を評価され、彰義隊討伐の指揮を任され、江戸を焼き払うことなく作戦を成功させる。ただ、極端な合理主義で他人との交際術を欠いていたことが、その命を縮めた。
新選組は登場しない。

「英雄児」
越後長岡藩執政・河井継之助を描く短編。
独自の価値観、抜群の才知と行動力によって藩政を改革、財政を黒字へ転換し、その莫大な財力をすべて軍備に充て、新政府軍を迎え撃った継之助。しかし、会津藩と新政府との調停役に立つことも、自藩を守りきることもできず、戦いの末に命を落とした。
新選組に関する記述はない。

「人斬り以蔵」
土佐勤王党・岡田以蔵を描く中編。
足軽の出でありながら武市半平太の門人となって剣の腕を上げた以蔵だが、無学ゆえ議論に加わることができない。自らを正義の志士と示す手段は、人を斬ることだけだった。
新選組は登場しない。

以上5編とも、初出は1964~65年、文芸雑誌への掲載である。
いずれも史実に沿ってはいるが、創作が交じり、多少のミスもあり、すべてが事実というわけではない。
ただ、主人公達が幕末という時代に生まれたからこそ数奇な運命を辿ったこと、なおかつ一度は権力に支えられ活躍しながらやがて背かれたことは事実であり、それこそが各編の要点と言える。

本書『王城の護衛者』は、講談社より1968年に単行本、1969年にロマン・ブックス(新書版)、1971年に文庫本、2007年に文庫本新装版が刊行された。

中編小説「王城の護衛者」は、下記書籍にも収録されている。
『司馬遼太郎短篇総集』 講談社 1971
『司馬遼太郎全集20 峠2・酔って候・最後の将軍』 文芸春秋 1972
『昭和国民文学全集30 司馬遼太郎集』 筑摩書房 1974
『筑摩現代文学大系84 水上勉・司馬遼太郎集』 筑摩書房 1977
『昭和国民文学全集35 司馬遼太郎集(増補新版)』 筑摩書房 1977
『歴史小説名作館11 幕末2 暗夜を斬る』 大衆文学研究会編 講談社 1992
『新選組読本』 日本ペンクラブ編 光文社 2003
『京都府文学全集 第1期(小説編)第5巻(昭和戦後編3)』 河野仁昭編集主幹 郷土出版社 2005
『司馬遼太郎短篇全集 第10巻』 文藝春秋 2006

王城の護衛者
(講談社文庫)
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