新選組の本を読む ~誠の栞~

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 杉浦日向子『合葬』 

長編マンガ。上野の彰義隊戦争を背景として、3人の少年武士の生と死を描く。
2014年12月、実写映画化が発表された。2015年秋、公開予定。

前回『大江戸観光』に続いて、今回も杉浦日向子の作品を取り上げる。
本作に新選組隊士は登場しないが、彰義隊は新選組と決して無関係ではない。
上野戦争には、新選組の原田左之助や岸島芳太郎が参戦したと伝わり、他にも大谷勇雄など江戸に残った隊士が関与していた可能性が考えられる。
また、彰義隊の中には上野敗走後、旧幕軍に合流し、新選組と共同して戦い続けた人々も多くいる。
というわけで、本作を読むことも新選組を知る上で意味があると思う。

本書の構成は、(壱)から(了)までの本編8章と、番外編「長崎より」の全9章。

慶応4年(1868)4月10日夜、江戸市中。
旗本笠井家の跡取り養子・柾之助は、突然に養父を喪った。
養父は朋輩との酒席で抜刀して死んだというが、事故とも自殺とも定まらない。
養母と養祖母に仇討ちを強要され、柾之助はやむなく笠井家を出た。しかし、筋の通らない仇討ちはできず、養母らの本心は自分を厄介払いすることと気づいてもいた。さりとて、実家へ戻るわけにもいかない。
品川の叔父を頼ることにして、その夜は神社の石段に腰かけて明かした。
明くる日、江戸城の無血開城が実現し、府内は新政府軍の占領下となった。

旗本福原家の屋敷では、若き当主・主計と弟・悌二郎が、秋津極と面談する。
極は、福原兄弟の妹・砂世との婚約解消を申し入れてきたのだった。
主計はやむなしと受け入れるが、悌二郎は納得できず強い憤懣を覚える。悲嘆にくれる砂世に「極を連れ戻す」と約束して、彼の後を追う。
激しく抗議する悌二郎と、冷静に受け流しながらも決心を変えない極。
そこへ、茶店で雨宿りしていた柾之助が声をかける。こうして偶然にも、旧知の3人が会した。
極は、家督を弟に譲り、自らは彰義隊の一員として上野に籠もると、決意を語る。
悌二郎は、上様(慶喜)が上野を去って彰義隊は大義を失ったと条理を説くが、極の耳には届かない。
そして、極につられるようにして、柾之助も彰義隊に加わる。

悌二郎は、彰義隊幹部の森篤之進に面会し、極の除隊を懇願する。
穏健派の篤之進は、戦争回避のため日夜努力していたが、血気に逸る若い隊士たちを抑えきれずにいた。
そして、松源楼(料理茶屋)では、酔った新政府兵とのいざこざが死闘に発展してしまう。
柾之助は、松源楼の娘かなに好意を寄せるが、彼女からは極に付け文を渡してくれるよう頼まれる。
極は、弟の撰から、父の体調不良を理由に家へ帰るよう懇願される。しかし、徳川への批判を聞かされて激高し、決別を宣言する。
そうした日々のうちにも、開戦の時は密やかに、しかし確実に近づいていた。


彰義隊とは、ごく大まかに言えば、主君慶喜と徳川家の危急存亡を救おうとする有志たちの集まりである。
一橋家の家臣や恩顧の者が中心となり、慶応4年2月23日、浅草本願寺に集合した130人によって結成。
当初は「尊皇恭順有志会」と称し、上野寛永寺で謹慎する慶喜を護衛。市中警備も任されるようになる。
4月11日、江戸城が開城となり慶喜が水戸へ去った後は、寛永寺の貫首たる輪王寺宮公現法親王と徳川家の祖廟を守ると唱え、活動を続行。
他からも恭順を不服とする抗戦派が次々と合流し、約3000人もの大勢力となる。
市中では、彰義隊と新政府兵との衝突が度々起きた。
新政府は彰義隊を危険視し、大村益次郎に討伐の指揮を命じる。
5月15日の早朝、ついに上野戦争の火蓋が切られ、夕方にかけて激戦が繰り広げられた。
開戦時、上野に立て籠もった彰義隊は1000人ほどという。敗北の果て、300人前後の戦死者を出した。
(その後、脱出した者も潜伏中に捕えられたりしたが、180人近くは箱館まで転戦し、うち60人ほどが戦死を遂げることになる。)

彰義隊の幹部たちを除くと、隊士の多くは十代後半であったという。
本作の主人公たち、柾之助、極、悌二郎の3人は、まさにその年代である。
上級旗本の家に生まれ育ち、それゆえに彰義隊に関わって上野戦争に巻き込まれた彼らが、極限状態の中で此岸と彼岸とに分かたれていく経緯を、本作は描き出している。

主人公のひとり、吉森柾之助は、嘉永5年(1852)生まれ、満15~16才。柔和で温順な性格。
実家の吉森家は1000石取りの旗本だが、自身は妾腹の生まれである。多額の持参金をもたされ旗本笠井家(300石、無役)へ養子に入った。しかし、養父の頓死によって放逐され、なりゆきで彰義隊に加盟。
実家でも養家でも厄介者だった自分が、初めて必要とされたと感じる。

秋津極(あきつきわむ)は、嘉永4年(1851)生まれ、満16~17才。
容姿はクールでも、心の中では激しく思い詰め、時に感情を爆発させる。
ゆくゆくは福原家の砂世を娶り、秋津家を継ぐ立場だった。(縁組みしたからには同等の家格と思われる。)
しかし、江戸開城後に水戸へと発つ慶喜の姿を見送り、あまりの痛ましさに衝撃を受け、主君の受けた恥辱を晴らそうと決意。砂世との婚約を解消し、秋津家を弟の撰(すぐる)に譲って、彰義隊に加盟する。

福原悌二郎は、嘉永4年生まれ(1851)生まれ、満16~17才。
真面目な秀才で、盛んな向学心の持ち主。弁舌が立ち、思ったことははっきり言う。
長崎に留学して蘭学を学び、合理主義的な考え方が身についている。
生家の福原家は1200石、中奥小姓の家柄。兄・主計を敬い、妹・砂世を可愛がっている。
用事がてら数日の予定で長崎から帰省した際、砂世との婚約解消を申し入れてきた極に激怒。嘆き悲しむ砂世のため、極に翻意を迫る。彰義隊に対しても「大義なき屯集」と批判的。

3人に次いで重要な人物が、彰義隊幹部の森篤之進である。当年24才。
身なりをかまわず、風采が上がらない。微笑みをたたえた穏やかな佇まいだが、実は切れ者。
京橋の質屋・丸福屋久兵衛の三男に生まれ、12才にして旗本森家の養子となった。
学問を開成所に学ぶ。剣は鏡心明智流・桃井春蔵直正に師事し、免許の腕前。
隊内穏健派・川村敬三の腹心の部下であり、新政府軍との戦いを回避すべく、彰義隊を穏便に帰順させようと工作している。しかし、隊士らを騙すようなことはしたくない。
面倒見が好く、若い隊士達から慕われている。しかし、強硬派からは命を狙われる。

実在の人物も登場。
大身旗本の川村敬三と池田大隅守、実権を握る強硬派の天野八郎、洋装に連発銃を引っさげた丸毛靱負、文武両道の美丈夫たる春日左衛門など、彰義隊の面々が描かれている。

参戦した大人の幹部らは、全員が上野で討死したわけではない。
上野を脱出後、潜伏中に捕われたり、各地転戦の中で落命したり、維新後まで命を長らえた人物もいる。
彼らには「ここで死ぬのは無意味」という分別や冷静な判断があり、危地を切り抜けるすべも弁えている。
一方、少年隊士たちは、激戦に次々と命を散らしていく。彼らは若さゆえに、純粋であり不器用であり、無力だ。

作者は、本作を描いた動機について、次のように述べている。
――(※古今亭志ん生の落語「火焔太鼓」で、道具屋をひやかす客の世間話に、上野戦争の体験談が出てきた、という前置きをして)とても不思議な、そして身近な親しみを感じました。
『合葬』は上野戦争前後の話です。描くにあたり、この志ん生のまくらを終始念頭に置くようにしました。四角な歴史ではなく身近な昔話が描ければと思いました。
彰義隊にはドラマチックなエピソードが数多くあります。勝海舟、山岡鉄舟、大村益次郎、伊庭八郎、相馬の金さん、松廼家露八、新門辰五郎等、関わるヒーローもたくさんいます。
が、ここでは自分の先祖だったらという基準を据えました。隊や戦争が主ではなく、当事者の慶応4年4月~5月の出来事というふうに考えました。
この選択に悔はありませんが、好結果となったかどうかは心もとない限りです。
江戸の風俗万般が葬り去られる瞬間の情景が少しでも画面にあらわれていたら、どんなにか良いだろうと思います。――
(本書前書き「ハ・ジ・マ・リ」より)

つまり、遠くて近いような、近くて遠いような114年前(執筆当時)の、「江戸」という時代、「江戸」という町が迎えた終末。その時そこに居合わせた人々は、何を思いどのように過ごしたのか。
それが作者の描きたかったものであり、「江戸」への愛情表現なのだろう。
主人公たちの辿った運命は、過酷な歴史に蹂躙され失われていった「江戸」の姿に重なるようだ。

タイトル『合葬』の意味は、柾之助が松源楼の娘かなから託された肌守りの扱いに込められている。
極に渡すことができず、かといって捨てるに捨てられなかったそれを、彼はどうしたのか、ここに明記することは控えたい。ただ、深い悔恨と無力感が伝わってくる一場面である。

本編の後に収録された番外編「長崎より」は、上野戦争勃発より前のおそらく3月頃だろう、悌二郎が長崎で勉学に勤しむ日々を描いている。
学友たちと親しく語らい、砂世への土産を苦労しつつ買い求めるさまは、明るく微笑ましい。
この青春の日々も、前途有為の精神が抱いた志も、二度と戻らないことは本編に描かれたとおりだ。

本作は、少々眺めただけではわかりにくいかもしれないが、じっくり読むと独特のリアリティを感じる。
決して「迫力ある戦闘を描く」「旧幕方諸士の雪冤に懸ける」などと力んではおらず、むしろどこか長閑ささえ漂わせるが、「江戸」を肌で感じているような気分になってくる。これは、愛着のみならず、確かな時代考証に基づいているためでもあるだろう。
また、描写の細やかさにも魅力がある。柾之助が菓子の半分をイヌに与えたり、極が雨の中で悌二郎に傘を差し出しながら自分は佩刀にちゃんと柄袋をかけていたり、悌二郎が砲火の中でクジャクに見とれたり、といった何気ない部分に心理や性格など様々な要素が含まれている。
出来事の経過をきちんと踏まえ、伏線をきっちり回収するなど、ストーリー運びも巧い。

本作の初出は、『ガロ』1982年7月号~1983年4月号。
1983年、上記の連載分に「長崎より」を加えて、青林堂より単行本が刊行された。
1987年、ちくま文庫版が出版。
1995年、『杉浦日向子全集 第2巻(合葬)』として筑摩書房より出版。
2014年、青林堂の単行本が、小池書院より再刊された。

彰義隊のノンフィクションを読むなら、加来耕三『真説 上野彰義隊』(中公文庫/1998)、森まゆみ『彰義隊遺聞』(新潮文庫/2008)がよく調査・研究されており、なおかつ比較的手に入れやすいかと思う。
ちなみに、杉浦日向子は加来耕三と親しかったそうで、『大江戸観光』では「同い年のお友だち」「彼の調査の手腕には、ほんとうに敬服しています」と述べている。
また、上野戦争のみならず、彰義隊の蝦夷地での戦いと降伏までを解説した研究本として、菊地明『上野彰義隊と箱館戦争史』(新人物往来社/2010)がある。

合葬
(ちくま文庫)



合葬



真説 上野彰義隊
(中公文庫)



彰義隊遺聞
(新潮文庫)



上野彰義隊と箱館戦争史




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彰義隊

彰義隊と新選組の関連というと、ちょっと変化球ではありますが、子母澤寛のお祖父さんが彰義隊に参加して五稜郭まで戦いに行ってますね。もしかしたら、新選組の誰かと知り合いだったかもしれませんね。

彰義隊は新選組と違って組織作りがユルかったせいか、何かまとまりのない印象がしてしまうのですが、振武軍としてワタクシの住む狭山丘陵地域に来たりしているので、なにか親近感のようなモノを感じます。まぁ、当時遭遇していたら迷惑極まりなかったのでしょうけど(笑)
杉浦さんの描く彰義隊の面々が「どこか長閑」に描かれているというのは、それだけで何か彰義隊の本質をついているような気がしますね。

2015/04/23(Thu) |URL|イッセー [edit]

イッセーさんへ

ご感想ありがとうございます。

子母澤寛が祖父から聞いた昔語りの中に、新選組隊士の話もあったのでは…と想像できますよね。
彰義隊から分離し振武軍を組織した渋沢成一郎は、この『合葬』には登場しませんが、彼もまた蝦夷地まで戦い続けた人ですし、興味深く思います。

新選組を基準に幕末維新史を見てしまいがちで、彰義隊はまったく別の組織とわかっているつもりでも、その違いに驚くことがあります。
新選組は20代の隊士が主力だったのに対して、彰義隊は10代後半が多かったと最初に知った時は、意外でした。それまで、天野八郎(38才)など幹部の年齢しか意識していなかったので。
こうした悲劇は白虎隊や二本松少年隊だけではなかったと思うと、哀しいです。

前回に触れた『百日紅』など他の作品も含めて、杉浦日向子のマンガの凄さのひとつは、何気なく描かれたコマの中に、まさしく「長閑」が感じられることだと思います。
これこそ「江戸」の空気、と日向ちゃんは愛しんでいたのでしょう。

2015/04/24(Fri) |URL|東屋梢風 [edit]

読んでみたい本がいっぱいです

東屋梢風さん、こんばんは。
先日は当方のブログを探し出してコメントをお寄せ下さり、ありがとうございました。

今日たまたま「合葬」の実写映画化についての情報を知ったばかりです。その名前すら知らなかったのに東屋梢風さんの記事でも出会ったので、ぜひ読んでみたいと思います。

こちらのブログでは本の内容紹介だけでなく、初出〜現在の状況についての情報も得られるので、私にとってはバイブルとなっています。

2015/06/17(Wed) |URL|遅咲きの桜鬼 [edit]

遅咲きの桜鬼さんへ

コメントありがとうございます。

先日は貴ブログ「薄桜鬼らぶ」にお邪魔して失礼いたしました。
お申し出をいただき、どのようなブログをなさっているか拝見したくて推参した次第です。
当方の『新撰組顛末記』『新選組奮戦記』の記事をご紹介くださって恐れ入ります。
また、ブックマークしていただいたので、当方も貴ブログをリンク集に入れさせていただきました。

杉浦日向子の作品は、マンガもエッセイもお薦めです。
『大江戸観光』の記事内で紹介した『百日紅』も、劇場版アニメが先月公開されました。
映像化をきっかけに、作者の遺した業績が再び注目されればよいと思います。

このようなブログですが、これからも読書のお役に立てていただければ幸甚に存じます。

2015/06/18(Thu) |URL|東屋梢風 [edit]

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