新選組の本を読む ~誠の栞~

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 佐藤文明『未完の「多摩共和国」』 

副題『新選組と民権の郷』。
多摩の地に、自主・自治の精神が培われ、幕末に新選組を生み出し、明治期に自由民権運動が盛んになった経緯を、独自の視点から論じた歴史ノンフィクション。

多摩は「東京都の区部と島嶼部を除いた市町村部」と定義され、かつての武蔵国多摩郡に相当する地域である。
この多摩が「新選組のふるさと」とされる所以は、中核メンバーの出身地ということが大きい。
近藤勇は上石原村(調布市)、土方歳三は石田村(日野市)、井上源三郎は日野宿にそれぞれ生家があり、沖田総司の出自についても日野との深い地縁が指摘されている。

そういう彼らが、なぜ京都へ行って新選組を旗揚げすることになったのか。
きっかけは文久3年、幕府による浪士組徴募に応じたことであるけれども、その動機は何だったろうか。
この点を深く掘り下げたノンフィクション本は、意外と少ないように思う。

通説では、おおよそこんなことが言われてきた。
  • 近藤や土方は農民の身分から「武士になりたい」と願っており、取り立てられるチャンスと期待した。
  • 近藤・土方・井上の出身地は幕府直轄領であり、幕府への忠誠心が高かった。だから、上洛する将軍のため尽くすことを名誉と考えた。また、幕府主導の奉勅攘夷に協力する機会と捉えた。
  • 近藤勇の道場・試衛館が経営不振だった。そのため「1人あたり50両の支度金」という触れ込みにつられた。あるいは、天然理心流を広めるため新天地への進出を図った。
いずれも可能性は考えられるものの、疑問を感じもする。

そもそも武士とは、彼らが望むほど良いものだろうか。
武功を立てて出世する機会などなくなって久しい時代、格式やしきたりに縛られ、経済的には逼迫し、失策を犯せば死をもって償う等々、あまり羨ましいとは思えない。
少年の頃に軍記物語の英雄譚を聞いて憧れたとしても、大人になれば現実を知ったはずだ。
特に近藤勇は、先代から天然理心流の道統と道場を受け継いでおり、結婚して子供が生まれたばかりでもある。
一説に近藤の門人は1千余人もいたと言われ、割り引いて考えてもそれなりの収入はあったろう。
もし道場が経営不振に陥ったとしても、上層農民の門人(スポンサー)たちが支援し、つぶれたりはしまい。
そうこう考えると、道場・門人・家族を置いてまで上京する動機として、通説は今ひとつ決定打に欠ける。

前置きが長くなったが、この問題について興味深い説を挙げるのが本書である。
著者の佐藤文明は、日野宿・上佐藤家の出身で八王子育ちの戸籍研究者、フリーライター。
多摩の土地柄を、独自の感性により分析・解明を試みている。

まず、本文は下記の全5章にわたる。

第一章 天然理心流を生んだ武士の郷
第二章 江川担庵の業績と多摩人の自立精神
第三章 武相農兵隊の結成と近藤勇の信念
第四章 明治元年は瓦解元年
第五章 民権から国権へ


各章は十数節に分かれ、それらの節はさらにいくつかの項目に分かれている。
それぞれ見出しが付され、内容を把握しやすい。また、ひとつの項目が短くて読みやすい。
なお、本書まえがき(「はじめに」)と目次の詳細は、出版元がWeb公開しているので、下記リンクからそちらをご覧いただきたい。
>> 「はじめに」を出版元サイトで参照する
>> 「目次」を出版元サイトで参照する

近藤らが浪士組徴募に応じた理由は、第二章末尾の節「熱く国事を語る」から第三章先頭の節「浪士組参加決定の内幕」に記述される。要旨をかいつまんで言うと――

清河八郎(本書表記は「清川八郎」)の献策によって浪士組徴募が実現したものの、幕府は彼を警戒していた。
なぜなら清河は、ヒュースケン暗殺に関与した疑いで逮捕されようとした矢先、町人を斬って逃亡した前歴があるためだ。(※この町人とは、町奉行所の手先であったらしい。)
そこで、彼が問題行動を起こさないよう、監視する者を必要としていた。幕臣・山岡鉄舟と松岡萬を浪士組取締役に就けたものの、彼らは清河主宰「虎尾の会」メンバーだったこともあり、いざという時の抑止となるかは明確でない。
さらに当時、生麦事件の余波から江戸が攻撃される事態も考えられ、対策に充てる人材は乏しい。
そこで、多摩の幕領を支配する江川代官と、講武所教官・斎藤弥九郎が相談し、日野宿名主・佐藤彦五郎を通じて近藤勇に参加を打診した。
(※江川代官というと、江川太郎左衛門英龍こと担庵が高名であるが、安政2年に亡くなった。この時は、前年に10歳で家督を継いだ英武が代官を務めている。優秀な家臣、手代や手付が支えたのであろう。)
近藤はこの密命を受け、まず多摩の天然理心流門人に参加を諮り、次いで試衛館の食客らにも持ちかけた。

――ということだ。
近藤としては、大スポンサーで義兄弟の彦五郎に「お代官様から」と説かれれば断われないだろう。
この要旨だけではわかりにくいかも知れないが、詳細は本書を読んで確認していただきたい。
なお、浪士組の東帰にもかかわらず近藤らが京都に残った理由は、幕閣の間で清河を幕臣・佐々木只三郎に斬らせると決まったため、監視役から外れ、将軍警護の一翼を担うことになったから、と説明されている。

この浪士組参加の動機は本書のごく一部であり、他にも注目すべき記述は多数ある。例えば――

◯多摩の農民たちが剣術を学んだのは、幕末の治安悪化による急な流行ではなく、それ以前から半士半農の気風が培われてきた土地だったから。
◯近藤勇生家の宮川家や、土方歳三生家について、地理的な立地からルーツが推測可能。
◯江川担庵と多摩との関係。多摩領民の自主性を尊重したことが、後の農兵取り立てを可能にした。
◯幕末多摩の開明医師ネットワークは、広汎に及び、幕府典医・松本良順にもつながる。
◯瓦解(維新)後の多摩において自由民権運動が盛んとなるのは、単に幕府を倒した新政府に恨みを抱いたからではない。古くから自立・自治を重んじる土地柄であったので、新政府の強引な中央集権支配に抵抗した。

――等々。巻頭に収められた多摩地域の各種地図も、かなり有用な資料と言えよう。

本書の説の中には、根拠の提示が不充分なため、論理が飛躍していると思える部分もある。
とは言え、著者には確信するだけの根拠があった、という感じも受ける。
こうした不充分を補完するような続編を出して欲しかったが、惜しくも著者は2011年、62歳で他界した。
この遺産を受け継ごうとするならば、史料など客観的裏づけを挙げ、決して単なる主観ではないことを証明しつつ活用・発展させていくことが必要では、と考える次第である。

2005年、凱風社より刊行された。
現在も版元在庫があり、品揃え豊富な大型書店の店頭には陳列されている。

ちなみに、著者の関連著作に『フォー・ビギナーズ・シリーズ 96 新選組』(現代書館/2003)もある。
新選組についてこれから知ろうとする向きには、こちらがわかりやすいだろう。

未完の「多摩共和国」
新選組と民権の郷
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新選組
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地域の人々が浮き彫りにされる

 地域史を愛する者にとって、この著作は離せません。
 この著作により、三多摩地域で活躍した方々の事績を知り、具体的な活動を集積し、関連づけることによって、より三多摩の地域史が生き生きとすることを実感しています。
 ここに紹介頂き、心からお礼を申し上げます。

2016/01/30(Sat) |URL|野火止用水 [edit]

野火止用水さんへ

コメントどうもありがとうございます。
やはり本書をご存じでしたか。さすがのご慧眼、恐れ入ります。

以前から紹介したいと思いつつ、どのように記事を書くべきか迷っていました。
全体を浅く広く説明しても取り止めがなく、かといってくどくど説明しても実物の劣化コピーにしかならないような気がしました。
当ブログの読者諸氏に興味を持っていただけそうな切り口を考えた結果、こうなった次第です。
本書の魅力を充分には伝えきれていませんが、少しでも気に留めてくださる方がいれば嬉しく思います。

新選組への興味から多摩の歴史を調べるようになった私にとっても、本書は大変有用です。
僭越ながら、より活用していくためにはただ鵜呑みにするのでなく、より確かな根拠を求めて勉強しなければと、記事を書きながら改めて考えました。
もっとも、これは本書に限らず多くのノンフィクション本に言えることですね。

2016/01/30(Sat) |URL|東屋梢風 [edit]

郷土からの目線

幕末から明治にかけての多摩について、非常によく追っている本だと思います。
多摩に住む者の目線からでないと気がつかない部分があり、ワタクシも本書を大いに参考とさせてもらっています。
本書の舞台となっている日野と、ワタクシの住む東大和は江戸時代は同じ代官の治める天領ということで、歴史的な共通点も多く、納得もさせられました。
筆者がすでに亡くなられていることが残念ですね。

2016/02/04(Thu) |URL|イッセー [edit]

イッセーさんへ

コメントありがとうございます。
イッセーさんもおそらくご存じと拝察しておりました。

本書を「怪しいトンデモ本」のように決めつける意見もあると聞いて、そうだろうか?と疑問を感じたのも、ここに取り上げた理由のひとつです。
著者自身が「読み物であって学術的な歴史書ではない」と断わっているとおり、史料的根拠はいちいち提示されていませんが、だからといって代々地元に居住してきた立場ならではの見解を軽視するのはいかがなものでしょうか。
もし著者がご存命なら「なぜそのようにお考えなのか根拠を教えてくださいますか」と質問・依頼もできたのに、残念ながら今となっては叶いません。
結局、後に残った者が客観的裏づけを探し出し、補完あるいは証明していくしかないのでしょうね。
それはまた、否定的立場をとる側にとっても同じことで、検証を伴わない毀誉褒貶は単なる「主観」「感想」と思います。

とは言え、ただ読み物として楽しむにも面白い本ですよね。
「新選組と多摩の関係なんてとっくに知ってるよ」と仰せの向きにも、読んでみていただきたいです。

2016/02/05(Fri) |URL|東屋梢風 [edit]

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