新選組の本を読む ~誠の栞~

小説 史談 エッセイ マンガ 研究書など

 太宰治「虎徹宵話」 

短編小説。タイトル読みは「こてつしょうわ」。
近藤勇らしき男と、女とのやりとりを、叙景的に描く掌編。

太宰治については、「斜陽」「人間失格」「走れメロス」などを著した文豪、とだけ認識していた。
新選組を題材とする作品を書いていたと知ったのは、初期作品集が新潮文庫から出た時。
当時はさらっと読み流したが、最近再読してみた。

慶応4年(1868)の春半ば、江戸近郊は向島の小梅村。
小糠雨が降りしきり、夕闇が近づく頃。
ある茶屋で、男女が差し向かいで酒を酌み交わしている。
ふたりは惚れあい、この10日近くを共に過ごした仲。

男は、姓名を明かさず、ただ「新選組の馬の骨」と自称する。
女は、その茶屋の女将おせい。男嫌いで通っているが、彼には惹かれている様子。

男は、ついに別れの時が来たと言い、わが身を振り返って愚痴を洩らす。
それは、これまで信じてきた価値観が崩壊してしまったことへの不安と混乱。
時勢の急激な変化に取り残された絶望と恐怖。
旧主への忠義を失いながら今もうわべは従っている、己の不甲斐なさ。
あの近藤勇も、贋物と承知の虎徹を振り回している、捨て鉢の狂人だ、とまで言い出す。

聞いているおせいに、事情はよく理解できない。男のやるせなさは、なんとなくわかる。
それにしてもくどいので、次第に愛想を尽かしたくなってくる。

男が去った後、おせいが自棄酒を飲んでいると、年若い武士が入ってくる。
今ここを出ていったのは近藤勇だろうと問う武士に、おせいは……


本作の初出は、青森の同人誌『猟騎兵』6(昭和4=1929/07)。
その改訂稿が、弘前高等高校『校友会雑誌』15(昭和4=1929/12)に、筆名「小菅銀吉」で再掲載された。
(※本項記事は、新潮文庫『地図 初期作品集』に収録された改訂稿を参考としている。)
正確に言うと、当時の作者は、旧制弘前高等高校在籍の津島修治、20歳である。
「太宰治」として最初の小説集『晩年』を出したのは、昭和11年(1936)、27歳の時。
それ以前の、習作とも初期作品ともよばれる作品群があり、本作「虎徹宵話」もそのひとつ。

男が新選組隊士であることは間違いなさそうだが、近藤勇本人か否かは明確にされない。
作品の骨子は、時流に背かれた男の嘆きと、男への愛憎を自分ながら持て余す女の心の動きである。
ごく短い掌編なので、ストーリーと言えるほどのストーリーはないようなもの。
男にも女にも多くの物語があるのだが、その一場面を切り取って見せた作品、というべきだろう。
個人的に、ここで終わるのは勿体ないというか、もう少し続きがあってもよさそうな気がした。
もっとも、そういう終わり方だからこそ、印象に残りやすいのかもしれない。

史実を重視した作品ではない。
おせいは架空の人物であろうし、実際の近藤がこのような心情を洩らすとは考えづらい。
創作は創作でかまわないと思う。
それとは別に、作者は近藤勇や新選組をどのように承知して本作を書いたのか、少し気になった。
発表前年の昭和3年(1928)、東京日日新聞社会部編『戊辰物語』、子母澤寛『新選組始末記』が刊行されているので、それらを読んだ可能性はありそうな気がする。

昭和4年(1929)6月刊行の子母澤寛『新選組遺聞』は、時期的に極めて近い。
注目すべきは、これに収録された「虎徹の話」と題する項目。
近藤所有の虎徹について、真贋や、入手経路をめぐる説が詳述されている。
作者が着想を得るとしたら、まさに恰好の材料と思う。出立ての『新選組遺聞』に触発されて本作を執筆した、と考えるのは穿ちすぎだろうか。
出版後すぐに入手できたかどうかだが、発売前に広告を見るなど事前情報を得る手段はある。
さらに、津島家は資産家であり、ちょうどこの頃は三兄圭治が東京で美術を学び文学に親しんでいたというから、万里閣書房(東京)から出た新刊は入手可能だったと考えても不自然ではなかろう。

【注記】
「虎徹の話」は、『新選組遺聞』中のいくつかの項目と共に、昭和37年、中央公論社の子母澤寛全集『新選組始末記』に転載された。
これ以降、「虎徹の話」が載った『始末記』と載っていない『始末記』とが存在する。
昨今のWeb情報には、近藤の虎徹の典拠を『始末記』とするものが多いので、留意されたい。
なお、『始末記』のバージョン違いについては『新選組始末記』(新人物文庫)で説明している。

また、永倉新八『新撰組永倉新八』(1927)や平尾道雄『新撰組史』(1928)も同時期の刊行だが、当初は自費出版物だったので、どれほど流通したのか、作者が本作執筆前に読む機会はあったのか、疑問ではある。

本作の舞台が向島の小梅村である点も、興味深く思える。
東京都墨田区向島1~4丁目、業平1丁目、押上1・2丁目、江東区大島1丁目、亀戸1丁目に該当する。
東京スカイツリーの足下に広がる現代の街は、作中に描かれるような「田舎」とは程遠い。

当時の向島は、河川と運河の多い水郷地帯であり、江戸近郊の農村地帯であった。
ほとんどが田畑と寺社地。江戸の豪商がこの地に寮(別宅)を構えることも、少なくなかった様子。
江戸の通人たちが遊びにくる、有名な料理茶屋などもあった。
ただし作中の茶屋は、高級料亭ではなく、庶民が気軽に休憩し酒や軽食をとる店と思われる。

ところで、実際の新選組が甲州から退却した直後の、慶応4年3月10日前後。
江戸へ戻った近藤勇と土方歳三、佐藤彦五郎が、この小梅村で面談している。
彦五郎は、言うまでもなく日野宿名主、歳三の義兄、近藤道場の門人であり後援者。
甲州へも従軍したが、退却は別行動をとっており、この日ようやく再会した。
佐藤家の家伝「今昔備忘記」に、彦五郎が「江戸向島の小梅某方ニ、近藤・土方其同士数十人潜伏中ニ付、行て進退を相談せんと」出かけていったことが記述されている。

「某方」とは具体的にどこか、それはわかっていない。
話の内容は、双方の向後についてと思われるが、詳細は記されていない。
ただ、歳三が彦五郎に、自分の愛用刀・越前「葵」康継を渡した。
その刀は、現在も佐藤家に伝わり、佐藤彦五郎新選組資料館(東京都日野市)にて展示を見ることができる。

「今昔備忘記」は長く非公開だったので、作者が新選組と小梅村の関連を知っていたわけではないと思う。
単純に、江戸近郊の潜伏場所、流山方面への移動に都合の良い場所として、選んだのではないだろうか。
面白い偶然の一致である。

「今昔備忘記(抄)」は、『続 新選組史料集』『新選組史料大全』に収録されている。

本作を収録した主な書籍(商業出版物)は、下記のとおり。
『太宰治全集 第12巻』 筑摩書房 1956
『太宰治全集 第14』 筑摩書房 1960
『筑摩全集類聚 太宰治全集 12』 筑摩書房 1972
『太宰治全集 1(初期作品)』 筑摩書房 1999
『新選組人物誌 文藝別冊』 河出書房新社 2003
『地図 初期作品集』 太宰治 新潮文庫 2009(※底本は筑摩書房『太宰治全集』1998-99)

『地図 初期作品集』には、本作を含めた全28編が収録されている。
新仮名新漢字に改められていて、読みやすい。ただし、新選組に関連するのは本作のみ。

地図 初期作品集
(新潮文庫)
>>詳細を見る



にほんブログ村 歴史ブログ 新選組へ
にほんブログ村 ←クリック応援ありがとうございます

短編小説の関連記事

COMMENT FORM

  • URL:
  • comment:
  • password:

太宰が新撰組を扱っていたとは知りませんでした!
といっても、私自身、太宰作品は有名どころしか読んだことはないんですけどw

ブログを拝見すると短編佳作といった感じでしょうか
しかも男=近藤勇かどうかもわからない点が面白そうですね
機会を作って読んでみたいと思います!

東屋梢風さんのブログでいつも刺激をいただいてます
これからもよろしくお願いします!

2016/05/11(Wed) |URL|うさぎ [edit]

うさぎさんへ

コメントありがとうございます。

太宰治が新選組ものを書いていたとは、意外ですよね。
私も『地図 初期作品集』を見るまで、まったく知りませんでした。

短編よりもさらに短い掌編ですが、いろいろな要素を読み取れる作品です。
男が近藤本人か否か、読者の判断に委ねたところも印象的と言えそうです。

小梅村の風景描写、緑の早苗や夕餉の煙なども、趣深く感じられました。
ちなみに、男が去った先にある「源森堀」とは、古地図に「源森川」と書かれた運河を指すようです。
ここから舟で流山方面を目指したことを暗示しているのでしょう。

拙いブログですが、こちらこそ今後ともよろしくお願いします。

2016/05/11(Wed) |URL|東屋梢風 [edit]

Trackback

トラックバックURL:https://bookrest.blog.fc2.com/tb.php/194-ef3691f8


back to TOP