新選組の本を読む ~誠の栞~

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 葉室麟『影踏み鬼』 

長編小説。副題『新撰組篠原泰之進日録(しんせんぐみ しのはらたいのしんにちろく)』。
篠原泰之進が新撰組に加盟、脱退して維新後まで生きのびた経緯と、妻子との絆を描く。

映画「蜩ノ記」、NHK時代ドラマ「風の峠 ~銀漢の賦~」の原作小説を書いた葉室麟が、新撰組を題材とする作品を発表していたと知り、気になったので読んでみた。

単行本の出版当時、作者のインタビュー記事(「本の話WEB」掲載「自分の普通を貫いて生きられるやつは格好いい」)が発表された。
この記事中、作者は自身の新撰組体験について、子母澤寛『新選組始末記』と司馬遼太郎『新選組血風録』に少なからぬ影響を受けたと語っている。

また、本作を執筆した理由について、『新選組血風録』「油小路の決闘」に登場する篠原泰之進が印象的だったこと、「東国人の集まり」というイメージが強い新撰組にも九州出身の隊士がおり、「西南の新撰組」を書いてみたかったこと、を挙げている。

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篠原泰之進は、実在の新撰組隊士であり、経歴が比較的よく伝わっている。
本人記録「秦林親日記」「史談会速記録」の証言、後世の研究により判明している事柄を、ごく大まかにまとめると以下のとおりである。

◆文政11年(1828)10月10日、筑後国生葉郡高見村に生まれる。父は篠原元助、石工業。母はタキ。
青年時代は、久留米藩士に武家奉公しながら、剣術や柔術など武芸を学んだ様子。

◆安政5年(1858)、主の久留米藩家老・有馬右近の江戸出府にしたがい、赤羽の江戸藩邸に入る。
2年後に有馬家を脱して水戸へ赴き、翌年に江戸へ戻り柔術道場で修業する。
やがて京坂へ上って尊攘派志士と交流、さらに関東、奥羽、越後などを広く遊歴。

◆文久3年(1863)、神奈川奉行所に雇われ、横浜の外国人居留地の警備につく。
この頃、服部武雄、加納鷲雄、佐野七五三之助らと親しくなり、加納の紹介で伊東甲子太郎と知りあう。
同年10月、運上所に乱入したイギリス人3人を縛り上げ路上に放置し、追及される身となって江戸に潜伏。

◆元治元年(1864)10月、伊東らとともに新選組入隊のため京へ上る。
しかし、翌年5月まで所用のためとして、単身大坂に滞在。理由は不明。

◆慶応元年(1865)7月頃の隊士名簿によると、諸士調役並監察、柔術師範の役につく。
同月、伊東甲子太郎、富山弥兵衛、茨木司、久米部正親とともに大和へ出張。不審な浪士らと戦って撃退。
10月頃、幕府に捕えられていた元奇兵隊総督・赤根武人、久留米の志士・淵上郁太郎の放免に関わる。

◆慶応2年(1866)1月、近藤勇の安芸出張に、伊東、尾形俊太郎らと同行。
9~10月、新撰組の三井両替店への申し入れに際し、三木三郎と組んで近藤らを説得し、断念させる。
これにより三井から礼金を受け取るも、12月になってさらに金銭を要求した。

◆慶応3年(1867)3月、御陵衛士の同志らとともに新選組から分離脱退。
11月18日、油小路の変にて新選組との乱闘から脱出、薩摩藩にかくまわれる。
12月18日、伏見墨染にて、阿部十郎、加納、富山らとともに近藤勇を要撃。

◆慶応4年(1868)、薩摩軍として戊辰戦争に参戦。赤報隊の「偽官軍事件」に巻き込まれ一時入獄。
出獄後は越後方面で戦い、戦功をあげる。維新後は「秦林親(はたしげちか)」を名乗った。
警察官や大蔵省造幣寮の監察役を経て、民間の実業家へ転身。晩年クリスチャンとなる。

◆妻の萩野との間に、男児庄太郎(文久3年生まれ)がいた。
慶応4年2月頃までは荻野の存在が示されるも、それ以降の消息は庄太郎とともに不明。

◆明治3年(1870)1月、西本願寺内蓮城院東坊の住職・佐々木信瑞の長女チマ(当時16歳)と結婚する。
チマとの間には、明治11年に長男泰親、同21年に次男弥三郎が誕生した。

◆明治44年(1911)6月13日、東京青山の弥三郎宅にて84歳で没す。


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本作は、こうした実際の経歴に概ね沿ったストーリーとなっている。
作者のオリジナリティを感じさせる要素として、以下【その1】~【その7】が印象に残った。

【その1】篠原泰之進の人物造形。
弱い者を庇おうとする人情や正義感の持ち主。
感情面の安定した常識人。他人から何を言われても、柔術のワザのように巧みにいなすことができる。
自信はあるが、かといって攻撃的でも尊大でもなく、常に立場を弁えて行動する。
柔術や剣術に長けているのみならず、頭脳明晰で、伊東甲子太郎の右腕として各種の交渉もこなす。
観察眼が鋭く、たとえば御陵衛士に加わった斎藤一が間者であることも、すぐさま見抜く。

主人公なので、読者が共感できる好人物に描かれるのは当然だろう。
ただ、実際に泰之進と親しかった西村兼文は、『新撰組始末記』に「過激人」と記している。
新撰組隊士の中でもそう特記されるくらいだから、思想や行動に突出した何かがあったのではなかろうか。

【その2】泰之進が上京後、大坂に滞在した理由。
盟友の酒井伝次郎が斬られたという三条新地の牢屋敷を見にいって、萩野と松之助の母子に偶然出会う。
夫を亡くした荻野に同情し、母子を大坂の知人宅まで送り届け、危機に巻き込まれかけたところを救う。
そのまま半年ほど家族のように暮らした。

泰之進にとって、荻野と松之助の存在が生き甲斐となっていく。
彼が志士として活動しつつ、混迷の中でも自己を保っていけたのは、守りたいものがあったゆえ。

少々付け加えると、酒井伝次郎は実在の久留米藩士。江戸藩邸で泰之進と親しくなった。
万延元年に帰国。文久2年、寺田屋事件に関与して強制送還される。
翌3年、天誅組の大和挙兵に参加して捕えられ、京都の獄で元治元年2月16日に処刑された。享年27。

【その3】新撰組という組織の実態や内情。
新撰組が会津藩に重宝される理由は、市中取り締まりのほか、豪商からの資金調達も果たしているから。
近藤勇は自己の栄達を夢見ているらしく、新撰組はすでに「同志集団」ではなく「近藤とその家来」「近藤の野望を果たすための道具」と化している。
隊士の多くはそうした新撰組の在り方に失望し、松原忠司は現状を嘆きつつ亡くなる。
伊東派の面々も、入隊してみたものの期待が外れた。試衛館派だった藤堂平助も、近藤への反感を露わにする。
伊東甲子太郎は近藤を「利害優先で人の気持ちを考えない」「武士の心を解さない百姓あがりの野人」とみなす。

【その4】土方歳三との確執。
伊東派の入隊を、土方は当初から快く思っていない様子。
泰之進に対しては、伊東を支えるその有能さゆえに、特に油断ならない相手とみなしている。
露骨な敵意を向け、常に監視しつつ心理的プレッシャーをかける。

近藤・土方を悪者にしておけば、読者は主人公の泰之進に感情移入しやすいだろう。
それにしても、土方が初対面から「粛清してやる」気満々なので、つい笑ってしまった。
こんな扱いを受けたら、事情はどうあれ入隊を辞退して帰ってもよいと思う。

新撰組と御陵衛士とは、いずれ衝突を避けられない剣呑な関係と描写される。
ただ、そのわりに分離後も双方の行き来が続いているのは、不思議な感じがした。
分離前からこれほど不和が露呈していては、表向き協力関係を標榜しても、意味を成さないかも。

両者の対立を見れば、「最初からその芽があった」と類推しやすいのはわかる。
しかし実際、泰之進も含め伊東派の多くは、新撰組に入隊して重要な役職に任じられた。
ということは、少なくとも当初は歓迎され、良好な関係だったのではなかろうか。
たとえ悪感情を持たなかったとしても敵対関係に至ってしまうのが、幕末という時代の混沌であり、予測不能な人の運命であると思う。

前出インタビュー記事によると、作者は新撰組を「実態はかなり凄惨な組織」と捉え、全共闘世代に近い立場として「連合赤軍のような内部粛清をする組織の恐ろしさ」をイメージしているとか。
「現代では新撰組は女性に人気があるが、本来は女性に好まれるようなものではないと思う」「良いイメージで捉えられることに違和感がある」といった旨も語っている。
新撰組をその手の過激派に準えるのは、同世代かそれ以上の作家にしばしば見かける傾向なので、やっぱりこの作者もそうなのかと思った。【その3】【その4】も、その反映と感じられる。
ただ、この陰険で殺伐とした描かれ方も、主人公に降りかかる試練(ストーリー上の仕掛け)と思えば面白い。

【その5】斎藤一の人物造形。
本作の斎藤は、つかみどころのない自由奔放な人柄。
近藤・土方から泰之進を斬るよう命じられ、それを隠そうともせず彼につきまとう。
かと思うと、重要な情報を教えたり、新撰組への背任にあたりそうな行動をとってまで助けたりする。
谷三十郎の頓死、武田観柳斎の粛清にも、泰之進と斎藤との駆け引きが大きく関わっている。

泰之進と斎藤は、敵とも味方とも言い難い、不思議な関係にある。
組織の中にあっても自己の価値観を優先し行動するところは、よく似ている。互いに陰画と陽画のような存在。

【その6】油小路の変の描写。
伊東横死の知らせが届き、泰之進は遺骸収容を同志らに呼びかける。
新撰組の待ち伏せがあることは、当然予測している。
服部武雄が鎖帷子の着用を提案するが、泰之進が「死んだ後に見られては命を惜しんだようで見苦しい」と反対したため、全員が着用せずに現場へ行くことになった。
現場では、予測どおり新撰組との乱闘になる。
服部が、鎖を着込んだ原田左之助を「さほどに命が惜しいか」と嘲笑。原田が逆上する。
泰之進は、近藤がその場にいないと知ると「生きて近藤を討ち、恨みを晴らす」と同志らに退却を指示する。

本作では、御陵衛士が誰も鎖帷子を用いない。
実際には、服部武雄が着ていたと、遺体を目撃した桑名藩士・小山正武が証言している。
このような実戦で装備をできるだけ整えておくのは至極当然であり、別に未練でも卑怯でもない。
服部が踏み止まった者の中で最も長く奮戦したらしいのも、剣技に優れると同時に、装備を疎かにしなかったことが大きな理由だろう。

余談ながら、このあたりの泰之進の言動は、首尾一貫を欠いている。
伊東の後を追って死にたいのか、生きのびて報復したいのか、命が惜しくないのか惜しいのか、どっちなんだ!と問い詰めたくなった。
逆上のあまり正常な思考ができなかった、と解釈すべきだろうか。

【その7】維新後の、萩野と松之助の消息。
チマとの結婚については簡単に触れるのみで、そちらの家庭の描写はほとんどない。

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本作のタイトル『影踏み鬼』の由来とは――
作中、泰之進が幼い松之助にせがまれ、何度かつきあってやった遊びのひとつである。
また、油小路の変後、復仇のため近藤・土方をどこまでも追うと誓った泰之進が「影を踏まれた者が鬼となり、踏んだ相手を追いかける影踏み鬼に似ている」と心に思う。
さらには、泰之進と萩野ら母子との行き違いを暗喩するような節も感じられた。
長かった影踏み鬼がようやく終わる最後の場面は、静謐のうちにも感動をもたらす。

幕末の「時勢の渦」の中で活躍した英雄たちは、多くが道半ばで命を落とした。
本作の篠原泰之進は、彼ら英雄とは異なる道を歩んだ。
維新後、「わたしは伊東さんが唱えた草莽の大義を生きたかった。だが、いまになってみると、薩長の藩閥政府をつくるために懸命に働いていたようなものだ。ひょっとすると、草莽の大義は近藤や土方に持っていかれたような気もする」と述懐している。
しかし、そうした思いを抱えた泰之進も、終幕には報われたと実感する。
英雄的ではない普通の生き方も、充分価値あるものになりうる、ということだろう。

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参考として、篠原泰之進が記した「秦林親日記(筑後之住秦林親称泰之進履歴表)」の主な収録書を挙げる。
『維新日乗纂輯』(三) 日本史籍協会 1926 (※出版元・出版年の異なるバージョン複数あり)
『新選組覚え書』 小野圭次郞ほか 新人物往来社 1972
『新選組史料集』 新人物往来社編・発行 1993/1995(コンパクト版) >> 記事を参照する
『新選組史料大全』 菊地明・伊東成郎編 KADOKAWA 2014 >> 記事を参照する

「史談会速記録」については、下記を参照されたい。
>> 山村竜也『新選組証言録』の記事を参照する

他に、詳しい研究書として下記をお薦めする。
>> 市居浩一『高台寺党の人びと』(&『新選組・高台寺党』)の記事を参照する

本作の初出は、『オール讀物』2014年2月号~6月号。
2015年、単行本(四六判ハードカバー)が文藝春秋より刊行された。
2017年、文春文庫版が出版された。

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