一冊の本を読むのはずごいパワーがいりますよね。
この記事が出たときから、是非とも読んでから感想を書きこみたいと思っていたのですが…無理でした。
風太郎は『明治十手架』くらいしか読んでいないのですが、すごい若い感性と読ませる文章ですね。かつて中島らもが「風太郎は面白い」と言っていたのが印象に残っています。
斎藤一以下、川路など、興味深い人物が大勢登場するようなので、いつか機会を得て(本当に機が熟したら)じっくり読んでみたいと、
この記事を見て心底思わされました。
山田風太郎『警視庁草紙』
明治初期の東京に起きる、数々の不可解な事件。
旧幕臣の千羽兵四郎らと、警視庁大警視の川路利良らとが、事件をめぐり対決するさまを描く、伝奇ミステリー。
タイトル読みは「けいしちょうぞうし」。形式としては短編連作集。ただ、各編の独立性より相互の関連が重視され、全編で1本のストーリーを成しているため、実質的には長編小説と言えよう。
各編の内容は以下のとおり。◯はゲスト的に登場する歴史上の人物。
明治牡丹灯籠
明治6年10月28日の朝、西郷隆盛が東京を去り、川路大警視らはそれを見送る。
その前夜、警視庁の巡査・油戸杖五郎は、不可解な出来事に遭遇していた。
美女の乗る人力車が去った後、路上に大量の血が溜まっていたのだ。
轍の跡を追って発見した粗末な家では、旧旗本・羽川金三郎が変死を遂げていた。
現場近くに住む三遊亭円朝は、当夜の状況を執拗に問い質され、とばっちりを恐れる。
千羽兵四郎、神田三河町の半七、冷酒かん八の3人は、円朝を助けようと真相究明に乗り出す。
そこへ訪れた不意の来客は、かつて羽川と婚約していたお雪であった――
◯西郷隆盛/三遊亭円朝
黒暗淵(やみわだ)の警視庁
料理屋で殺人事件が起きる。土佐訛りの壮士が、他の客と揉めたあげく、相手を斬殺したのだった。
捜査を開始した油戸巡査は、高知県士族・黒岩成存を容疑者として逮捕する。
その6日後、右大臣・岩倉具視は刺客の集団に襲われ、からくも危地を脱した。
警視庁が容疑者グループの検挙に乗り出す。この襲撃事件には、お雪の夫も関わっていた。
兵四郎たちは、お雪が苦境に立たされ、ひいては自らも追及される危機を案じて、対応策を練る――
◯黒岩成存/岩倉具視
人も獣も天地の虫
警視庁が密売春の大規模な摘発を行い、多数の売女が逮捕される。
その大半は、生活に窮した家族を救うため、身を堕とした旧幕臣の子女だった。
5人の知友が捕えられてしまい、お蝶は彼女らを伝馬町の牢屋から救出するよう、兵四郎に懇願する。
窮した兵四郎は、やむなく旧旗本・青木弥太郎に相談。
弥太郎は、かつて悪逆の限りを尽くした大悪党だったが、徳川の恩顧に報いるべく協力、策略を提示する――
◯小政(清水次郎長の子分)/青木弥太郎/お竜(坂本龍馬の妻)/おうの(高杉晋作の愛人)
幻談大名小路
ある夜、かん八は、盲目の按摩・宅市を偶然に暴漢から救う。
宅市は、何者かに大名小路の屋敷へ連行され、かつて自分の視力を奪った奥戸外記と引き合わされた後、郊外に置き去りにされ、そこへやって来た別の者に襲われた、と一連の不可解な体験を語る。
一方、小松川の癲狂院を訪れた油戸巡査は、院長から不審な事件を打ち明けられた。
昨夜、院の門前で奥戸外記が自害し、彼によって入院させられていた女性が何者かに連れ去られたという。
警視庁の捜査によると、外記は大聖寺藩の国家老の子息であり、戊辰戦争では日和見して藩政を惑わせ、維新後に政府の要職を得ていた――
◯夏目漱石/樋口一葉
開化写真鬼図
兵四郎は、横浜から帰途の新橋ステーションで、女と若者の揉め事を見かけてつい仲裁に入った。
若者は肥後熊本出身の桜井直成と名乗り、兵四郎に「決闘の介添人になって欲しい」と懇願する。
桜井は横浜・岩亀楼の小浪という遊女に執着し、決闘するのは彼女のためだと語る。
一方、油戸巡査は、剣術道場で知りあった南部藩出身の青年・東条英教から、やはり決闘の介添を依頼される。
そして決闘の当日。決闘場に赴いた兵四郎は、加治木警部に怪しまれ、危機に陥る。
隅老斎は、写真師・下岡蓮杖の力を借りて兵四郎を救うべく、策をめぐらす――
◯桜井直成/唐人お吉/東条英教/下岡蓮杖/種田政明
残月剣士伝
直心影流男谷派の榊原鍵吉は、かつて講武所教授を務めた幕臣だが、維新後は禄を失い活計に窮していた。
警視庁の剣術師範に迎えたいと旧知の今井巡査らに懇請されるも、新政府に仕える気はない。
そこで、弟子の勧めによって剣術の見世物をはじめる。
この「撃剣会」興行は、予想外の大人気を集め、他流からも似たような境遇の師範たちが集まる。
一方、腕の立つ師範を求める川路大警視は、彼らが奉職を厭い「撃剣会」に集まるのを快く思わない。
その意を忖度した加治木警部の命により、元新選組の平間重助が「撃剣会」潰しを実行する。
困り果てた榊原のもとに、からす組の隊長・細谷十太夫として勇名を馳せた鴉仙和尚が訪れる――
◯榊原鍵吉/上田馬之助/天田愚庵/島田一郎・長連豪・杉本乙菊・脇田巧一/平間重助/細谷十太夫/永倉新八
幻燈煉瓦街
戯作者の河竹黙阿弥と、元お坊主の幸田成延を交えて、銀座の煉瓦街を訪れた隅老斎と兵四郎。
そこで、一行はのぞきからくりの興行に目を留める。
興行師が語るストーリーは、尾去沢銅山事件をめぐる政府高官の汚職を告発する内容だった。
興行がはねて人通りも絶えた夜ふけ、路地を見回っていた油戸巡査は、三味線の音に気づく。
のぞきからくりが行なわれていた建物に突入すると、中では三味線を手にした男が死んでいた。
その男は、井上馨から尾去沢銅山の払い下げを受けた岡田平蔵であった――
◯河竹黙阿弥/幸田露伴/井上馨/由利公正/からくり儀右衛門/東条英教/村井茂兵衛/江藤新平/三千歳花魁
数寄屋橋門外の変
のぞきからくり事件から1ヶ月後、かん八は人捜しのため銀座を訪れる。
事件の現場となった建物は、なんと井上馨が買い取り、貿易商社「先収会社」を置いていた。
その建物において、またも事件が起きる。
先収会社の社員18人が、変死体となって発見されたのだ。被害者の全員が、なぜか旧彦根藩士であった。
岡田平蔵の殺害に続くこの事件に、井上馨は激昂し、川路大警視に対して早期解決を強く迫る。
そして巡査・菊池剛蔵に容疑がかかる。菊池は事件当時、現場で不可解な体験をしていた――
◯井上馨/板垣征徳/米内受政/徳川昭武/井伊直憲
最後の牢奉行
旧幕時代から伝馬町にあった牢屋敷は、新政府により「囚獄署」と名を変え、引き続き利用されていた。
明治8年、囚獄署は市ヶ谷へ移転することとなる。川路大警視は、移転準備の視察に訪れる。
当時、斬首刑の廃止が議論されていたため、執行の実情を検分するという目的もあった。
ところが、当日斬刑に処される予定の罪人が、独居房で絞殺されて見つかる。
犯人として疑われたのは、牢番の石出帯刀。彼は旧幕時代には牢奉行であったが、今では冷遇されていた。
石出の子であるお香也と柳之丞の姉弟は、隅老斎に父の無実を訴え、救出を懇願する――
◯山田浅右衛門吉亮/石出帯刀(十七代)
痴女の用心棒
参議・広沢真臣が何者かに暗殺されて4年。容疑者として逮捕された愛妾おかねが、無罪放免となった。
事件は未解決であり、真犯人が唯一の目撃者おかねに接近する可能性がある。
加治木警部は、油戸巡査に彼女の身辺を見張るよう命じた。
まもなく、おかねは旧会津藩士・千馬武雄と所帯を持つ。貧しいながら、夫婦の仲は濃密に睦まじい。
油戸巡査に代わって見張りに就いた紙屋巡査は、夫婦に執拗に接近し、監視を続ける。
千馬は、監視者を真犯人と思い込み「妻が狙われている」と佐川官兵衛や隅老斎に訴える――
◯佐川官兵衛/永岡敬次郎/長連豪
春愁 雁のゆくえ
前回の事件にて殺人の疑いをかけられた兵四郎を救うため、隅老斎は警視庁に匿名で投書する。
これを怪しんだ加治木警部は、紙屋巡査に兵四郎の身元を探るよう密命を下した。
紙屋は、調査のため、柳橋の売れっ子芸者・お千に接近。
目的を忘れて彼女に迫ったあげく、情人の永岡敬次郎によって手ひどく撃退される。
これを恨んだ紙屋は、永岡が書いた密書を奪い去り、お千を脅迫する――
◯黒田清隆/大久保利通/森鴎外/賀古鶴所/永岡敬次郎/玉木真人/乃木希典/野村靖
天皇お庭番
兵四郎たちは浅草に出かけた折、手裏剣打ちの大道芸に目を留める。
飛んでくる手裏剣を避けながら舞う盲目の男は、旧幕時代に徳川のお庭番を務めた針買将馬。
彼に向けて手裏剣を打つのは、妻お志乃であった。
針買は現役時代、薩摩のお庭方によって視力を奪われていた。
手を下したお庭方の頭は今の川路大警視であり、その部下たちも警視庁の密偵となっている。
しかし、針買は過去を捨て去り、虚心坦懐の境地に生きていた。
そんな針買に、かつての徳川お庭番の同僚・杉目万之助らが接近し、報復するよう勧める――
妖恋高橋お伝
山田浅右衛門は、市ヶ谷囚獄署にて首斬り役を務めていたが、近頃は剣技が衰えたと感じる。
そんな時、たまたま出会った街娼のお伝に迷ったあげく、大金を持ち逃げされてしまう。
お伝は、近所に引っ越してきた4人の士族のうち、若く美貌の長連豪に強く惹かれていた。
経済的に逼迫している彼らを、何くれとなく面倒見るお伝。しかし、連豪の態度は冷たい。
その連豪から急に借金を頼まれて、有頂天になったお伝は、金を工面するため殺人を犯す。
ところが、連豪に金を渡した翌日、彼ら4人の姿は寓居から消えていた――
◯山田浅右衛門吉亮/高橋お伝/小川市太郎/島田一郎・長連豪・杉本乙菊・脇田巧一/熊坂長庵
東京神風連
明治9年の夏、兵四郎たちは、横浜の根岸競馬場で軽気球の飛行実験を見物した。
その帰途、島田一郎たちと同じ汽車に偶然乗り合わせる。
隅老斎は、彼らにも、また自分たちにも、警視庁の監視がついていると気づく。
しかし、なぜ拘引されず泳がされているのか、理由はわからない。
一方、川路大警視らの宴席に侍ったお蝶は、永岡敬次郎の同志2人が警視庁に狙われていると知る。
お蝶の懇願を受けて、兵四郎はこの2人を助けようとするも、自身が窮地に陥ってしまう――
◯からくり儀右衛門/谷干城/島田一郎・長連豪・杉本乙菊・脇田巧一/山県有朋/山岡鉄舟/静寛院宮/根津親徳・平山直一/前原一誠/永岡敬次郎
吉五郎流恨録
掏摸の名人・むささびの吉五郎が、兵四郎たちの協力者になる以前のこと。
安政6年、捕えられ伝馬町の牢屋敷にいた吉五郎は、三宅島への遠島に処される。
島の暮らしは非常に過酷であり、赦免される望みもほとんどない。
生きのびたのは、牢内で酔いどれ絵師から手に入れた「笑い絵」を隠し持ち、巧みに利用したためだった。
明治5年、吉五郎は赦免され本土へ戻り、すっかり変わった世の中に戸惑いつつ、吉田松陰の知る辺を捜す――
◯吉田松陰/河鍋暁斎/山城屋和助/山県有朋/野村靖
皇女の駅馬車
思案橋事件において永岡敬次郎と同志らが逮捕された後、残された家族たちは生活に窮していた。
その境遇を案じたお千の依頼を受け、兵四郎たちが消息を尋ねてまわる。
旧会津藩士の子・柴五郎が協力して、家族の子供たち30人がお千の隠棲先へ預けられた。
兵四郎は「永岡を助けて仇を討つ」というお千の願いをかなえたいが、それには多額の費用がかかる。
そこで、費用を工面するため、熊坂長庵から持ちかけられた密謀に乗ろうと思い立つ。
折しも静寛院宮が、十四代将軍家茂の木像を京都から東京へ馬車で運ばせようとしていた――
◯柴五郎/熊坂長庵/山岡鉄舟
川路大警視
前編の続き。兵四郎ら一行は「静寛院宮御用」の馬車を駆り、家茂像と秘密の荷を運んでゆく。
加治木警部の命を受けた4人の巡査が追うも、荷の中身を究明することはできない。
駿河に入ると、どこからか渡世人たちが現われ、次第に人数を増やしつつ馬車の護衛に加わって走る。
ついに安倍川のほとりで、4人の巡査は渡世人の頭目を捕えようと挑みかかった。
一方、川路大警視は、鹿児島へ密偵を送り込むべく部下たちに指示を与えていた――
◯清水の次郎長/大政/天田愚庵/山岡鉄舟
泣く子も黙る抜刀隊
明治10年2月7日、築地の海軍操練所にて、軽気球の2度目の実験が行なわれる。
兵四郎は、隅老斎に同行し見物する予定だったが、永岡敬次郎が処刑されるという知らせに市ヶ谷監獄へ向かう。
しかし、それは兵四郎を捕えようとする警視庁の罠だった。
一方の実験場では、川路大警視が隅老斎と対決した末、逮捕しようとする。
ところが、隅老斎についてきたお蝶が兵四郎の危機を知って逆上し、思わぬ行動に出た――
◯からくり儀右衛門/清水定吉
レギュラーの登場人物は、以下のとおり。
千羽兵四郎
26~27歳。旧幕時代は町奉行の同心。伊庭道場で心形刀流の免許皆伝を受けた、剣の遣い手。
幕府瓦解後、愛人お蝶のヒモ同然となって暮らしている。
新政府に対して反感を抱いているが、かといって転覆させようなどという物騒な考えはない。
不遇な者を放っておけない義侠心、警視庁を翻弄して楽しむ遊び心ゆえに、事件に関わることとなる。
隅老斎(駒井相模守信興)
旧幕時代、江戸南町奉行を務めた。
瓦解後、奉行所跡地の小さな家にひっそりと住まう。何事にも動じない、鷹揚で上品なご隠居。
推理力に長け、兵四郎に何かと知恵を貸す、頼もしいアドバイザー。新政府側の有力者にも顔が利く。
通称の「隅老斎」は、バロネス・オルツィ作「隅の老人」シリーズが由来と思われる。
冷酒かん八
30歳くらい。旧幕時代、神田三河町の半七親分の下で働いていた目明し。
冷や酒を飲みながら仕事をするので、この渾名がついた。
瓦解後、三河町で昔ながらの髪結床を営業する。近代的な床屋もザンギリ頭も大嫌い。
少々お調子者だが、面倒見が好い。兵四郎や隅老斎のため、骨身を惜しまず働く。
お蝶
柳橋の芸者。芸名は「小蝶」。御家人の娘だったが、幕府瓦解によって芸者となる。気っ風が良い。
新政府の要人や役人を嫌い、そうした客の座敷に出ても口をきかないが、その美貌ゆえに容認されている。
ヒモ同然の兵四郎を養いつつ、いつか大事を成し遂げる男と期待をかける。
同輩や似たような境遇の女たちが困っていると放っておけず、兵四郎に救援を依頼することも度々ある。
川路利良
薩摩出身、司法省警視庁の大警視。頭脳明晰で冷静沈着、時に非情な決断も辞さない。
西郷隆盛によって抜擢されたため、深く恩義を感じ、心服している。
薩摩藩士時代すでに御庭番を使いこなしていたため、警視庁でも密偵を使うのが巧み。
加治木直武
警部。川路の腹心。薩摩出身で、やはり西郷隆盛を信奉している。職務に忠実。性格はわりと直情径行。
油戸杖五郎
巡査。長身で体格が良い。生真面目で職務に忠実。優れた棒術の遣い手で、巡査の六尺棒を見事に扱う。
維新後は生活苦に追われ、ようやく警視庁に職を得たものの、旧仙台藩士の前歴ゆえに出世の見込みはない。
家庭では、しっかり者の妻おてねに頭が上がらない。
菊池剛蔵
巡査。油戸の同僚。元は水戸浪士、前名は海後嵯磯之助。
万延元年3月3日、桜田門外の変で井伊直弼を要撃したグループの一員だった。
藤田五郎
巡査。油戸の同僚。元新選組の斎藤一。
外見について「のんきそうな、平べったい容貌」と形容される。
今井信郎
巡査。油戸の同僚。元見廻組の組士。
旧幕時代の話はほとんどしない。キリスト教に傾倒している。
---
ストーリーは創作であるが、歴史上の事件を背景として歴史上の人物が多く登場する。
虚実ない交ぜの、ある種贅沢な群像劇に仕上がっている。
伏線の張りかたも面白い。登場人物をめぐる因縁が複雑で、なおかつ意外性に富む。
あまり重要でない脇役などは、てっきり架空の人物だと思ったら、モデルが実在することも多い。
人物や背景となった出来事へを調べていくと、なかなか勉強になる。
あっさり読み流しても楽しめるが、歴史好きならこだわってみるのも妙味だろう。
史実をどれだけ承知しているか、創作との境界をどこまで見極めることができるか、作家と勝負しているような気分にもなってくる。
本作を読んでみた理由のひとつは、藤田五郎が登場すること。
警視庁の巡査として度々活躍し、新選組隊士だったという前歴も語られる。
ただ、ストーリー全体から見ると、重きを成すほどの役回りではない。
永倉新八や佐川官兵衛も登場するのに、藤田との関わりはまったく描かれない。
新選組に関心を寄せる者として、この点は残念と言えば残念である。
どちらかというと新政府方の人物よりも、旧幕方の人物へのシンパシーを感じさせる描写が多い。
その一方で、ストーリー全体は川路大警視の深慮遠謀に貫かれている。
川路がこれほどに大きな敵役であればこそ、千羽兵四郎や隅老斎たちの活躍が際立つのかも。
最後に、作家らしい奇想天外なスペクタクルがある。
そのカタルシスのまま完結するかと思ったら、さらに予想外のオチがついて終わった。
千羽兵四郎と川路大警視との3~4年にわたる対決は、果たしてどちらが勝ったのだろう。
どちらとも解釈できる可能性を残して終わるところが、心憎い。
幕末から明治へと激しく時代が変わる時、人々の運命も大きく変わった。
混乱に乗じて成功を得た者もいれば、かつての地位から転落した者もいる。
ただ、その立場はいつ逆転するかもしれない危うさもはらんでいる。
そうした人々の波乱に満ちた人生を、アイロニーやペーソスを交え巧みに描き出しているところも秀逸。
---
本作は2001年、NHK金曜時代劇としてドラマ化された。
タイトルは「山田風太郎 からくり事件帖 ―警視庁草紙より―」、全9話。
本作の初出誌は、文藝春秋刊『オール讀物』。
1973年7月号から1974年12月号まで、全18回にわたり連載された。
これまでに出版された書籍は、おおよそ以下のとおり。
『警視庁草紙』上・下 文芸春秋 1975
『警視庁草紙』上・下 文春文庫 1978
『山田風太郎コレクション 警視庁草紙』上・下 河出文庫 1994
『山田風太郎明治小説全集 1 警視庁草紙』 筑摩書房 1997
『山田風太郎明治小説全集 1 警視庁草紙 上』 ちくま文庫 1997
『山田風太郎明治小説全集 2 警視庁草紙 下』 ちくま文庫 1997
『山田風太郎ベストコレクション 警視庁草紙』上・下 角川文庫 2010
電子書籍も各種出版されている。


旧幕臣の千羽兵四郎らと、警視庁大警視の川路利良らとが、事件をめぐり対決するさまを描く、伝奇ミステリー。
タイトル読みは「けいしちょうぞうし」。形式としては短編連作集。ただ、各編の独立性より相互の関連が重視され、全編で1本のストーリーを成しているため、実質的には長編小説と言えよう。
各編の内容は以下のとおり。◯はゲスト的に登場する歴史上の人物。
明治牡丹灯籠
明治6年10月28日の朝、西郷隆盛が東京を去り、川路大警視らはそれを見送る。
その前夜、警視庁の巡査・油戸杖五郎は、不可解な出来事に遭遇していた。
美女の乗る人力車が去った後、路上に大量の血が溜まっていたのだ。
轍の跡を追って発見した粗末な家では、旧旗本・羽川金三郎が変死を遂げていた。
現場近くに住む三遊亭円朝は、当夜の状況を執拗に問い質され、とばっちりを恐れる。
千羽兵四郎、神田三河町の半七、冷酒かん八の3人は、円朝を助けようと真相究明に乗り出す。
そこへ訪れた不意の来客は、かつて羽川と婚約していたお雪であった――
◯西郷隆盛/三遊亭円朝
黒暗淵(やみわだ)の警視庁
料理屋で殺人事件が起きる。土佐訛りの壮士が、他の客と揉めたあげく、相手を斬殺したのだった。
捜査を開始した油戸巡査は、高知県士族・黒岩成存を容疑者として逮捕する。
その6日後、右大臣・岩倉具視は刺客の集団に襲われ、からくも危地を脱した。
警視庁が容疑者グループの検挙に乗り出す。この襲撃事件には、お雪の夫も関わっていた。
兵四郎たちは、お雪が苦境に立たされ、ひいては自らも追及される危機を案じて、対応策を練る――
◯黒岩成存/岩倉具視
人も獣も天地の虫
警視庁が密売春の大規模な摘発を行い、多数の売女が逮捕される。
その大半は、生活に窮した家族を救うため、身を堕とした旧幕臣の子女だった。
5人の知友が捕えられてしまい、お蝶は彼女らを伝馬町の牢屋から救出するよう、兵四郎に懇願する。
窮した兵四郎は、やむなく旧旗本・青木弥太郎に相談。
弥太郎は、かつて悪逆の限りを尽くした大悪党だったが、徳川の恩顧に報いるべく協力、策略を提示する――
◯小政(清水次郎長の子分)/青木弥太郎/お竜(坂本龍馬の妻)/おうの(高杉晋作の愛人)
幻談大名小路
ある夜、かん八は、盲目の按摩・宅市を偶然に暴漢から救う。
宅市は、何者かに大名小路の屋敷へ連行され、かつて自分の視力を奪った奥戸外記と引き合わされた後、郊外に置き去りにされ、そこへやって来た別の者に襲われた、と一連の不可解な体験を語る。
一方、小松川の癲狂院を訪れた油戸巡査は、院長から不審な事件を打ち明けられた。
昨夜、院の門前で奥戸外記が自害し、彼によって入院させられていた女性が何者かに連れ去られたという。
警視庁の捜査によると、外記は大聖寺藩の国家老の子息であり、戊辰戦争では日和見して藩政を惑わせ、維新後に政府の要職を得ていた――
◯夏目漱石/樋口一葉
開化写真鬼図
兵四郎は、横浜から帰途の新橋ステーションで、女と若者の揉め事を見かけてつい仲裁に入った。
若者は肥後熊本出身の桜井直成と名乗り、兵四郎に「決闘の介添人になって欲しい」と懇願する。
桜井は横浜・岩亀楼の小浪という遊女に執着し、決闘するのは彼女のためだと語る。
一方、油戸巡査は、剣術道場で知りあった南部藩出身の青年・東条英教から、やはり決闘の介添を依頼される。
そして決闘の当日。決闘場に赴いた兵四郎は、加治木警部に怪しまれ、危機に陥る。
隅老斎は、写真師・下岡蓮杖の力を借りて兵四郎を救うべく、策をめぐらす――
◯桜井直成/唐人お吉/東条英教/下岡蓮杖/種田政明
残月剣士伝
直心影流男谷派の榊原鍵吉は、かつて講武所教授を務めた幕臣だが、維新後は禄を失い活計に窮していた。
警視庁の剣術師範に迎えたいと旧知の今井巡査らに懇請されるも、新政府に仕える気はない。
そこで、弟子の勧めによって剣術の見世物をはじめる。
この「撃剣会」興行は、予想外の大人気を集め、他流からも似たような境遇の師範たちが集まる。
一方、腕の立つ師範を求める川路大警視は、彼らが奉職を厭い「撃剣会」に集まるのを快く思わない。
その意を忖度した加治木警部の命により、元新選組の平間重助が「撃剣会」潰しを実行する。
困り果てた榊原のもとに、からす組の隊長・細谷十太夫として勇名を馳せた鴉仙和尚が訪れる――
◯榊原鍵吉/上田馬之助/天田愚庵/島田一郎・長連豪・杉本乙菊・脇田巧一/平間重助/細谷十太夫/永倉新八
幻燈煉瓦街
戯作者の河竹黙阿弥と、元お坊主の幸田成延を交えて、銀座の煉瓦街を訪れた隅老斎と兵四郎。
そこで、一行はのぞきからくりの興行に目を留める。
興行師が語るストーリーは、尾去沢銅山事件をめぐる政府高官の汚職を告発する内容だった。
興行がはねて人通りも絶えた夜ふけ、路地を見回っていた油戸巡査は、三味線の音に気づく。
のぞきからくりが行なわれていた建物に突入すると、中では三味線を手にした男が死んでいた。
その男は、井上馨から尾去沢銅山の払い下げを受けた岡田平蔵であった――
◯河竹黙阿弥/幸田露伴/井上馨/由利公正/からくり儀右衛門/東条英教/村井茂兵衛/江藤新平/三千歳花魁
数寄屋橋門外の変
のぞきからくり事件から1ヶ月後、かん八は人捜しのため銀座を訪れる。
事件の現場となった建物は、なんと井上馨が買い取り、貿易商社「先収会社」を置いていた。
その建物において、またも事件が起きる。
先収会社の社員18人が、変死体となって発見されたのだ。被害者の全員が、なぜか旧彦根藩士であった。
岡田平蔵の殺害に続くこの事件に、井上馨は激昂し、川路大警視に対して早期解決を強く迫る。
そして巡査・菊池剛蔵に容疑がかかる。菊池は事件当時、現場で不可解な体験をしていた――
◯井上馨/板垣征徳/米内受政/徳川昭武/井伊直憲
最後の牢奉行
旧幕時代から伝馬町にあった牢屋敷は、新政府により「囚獄署」と名を変え、引き続き利用されていた。
明治8年、囚獄署は市ヶ谷へ移転することとなる。川路大警視は、移転準備の視察に訪れる。
当時、斬首刑の廃止が議論されていたため、執行の実情を検分するという目的もあった。
ところが、当日斬刑に処される予定の罪人が、独居房で絞殺されて見つかる。
犯人として疑われたのは、牢番の石出帯刀。彼は旧幕時代には牢奉行であったが、今では冷遇されていた。
石出の子であるお香也と柳之丞の姉弟は、隅老斎に父の無実を訴え、救出を懇願する――
◯山田浅右衛門吉亮/石出帯刀(十七代)
痴女の用心棒
参議・広沢真臣が何者かに暗殺されて4年。容疑者として逮捕された愛妾おかねが、無罪放免となった。
事件は未解決であり、真犯人が唯一の目撃者おかねに接近する可能性がある。
加治木警部は、油戸巡査に彼女の身辺を見張るよう命じた。
まもなく、おかねは旧会津藩士・千馬武雄と所帯を持つ。貧しいながら、夫婦の仲は濃密に睦まじい。
油戸巡査に代わって見張りに就いた紙屋巡査は、夫婦に執拗に接近し、監視を続ける。
千馬は、監視者を真犯人と思い込み「妻が狙われている」と佐川官兵衛や隅老斎に訴える――
◯佐川官兵衛/永岡敬次郎/長連豪
春愁 雁のゆくえ
前回の事件にて殺人の疑いをかけられた兵四郎を救うため、隅老斎は警視庁に匿名で投書する。
これを怪しんだ加治木警部は、紙屋巡査に兵四郎の身元を探るよう密命を下した。
紙屋は、調査のため、柳橋の売れっ子芸者・お千に接近。
目的を忘れて彼女に迫ったあげく、情人の永岡敬次郎によって手ひどく撃退される。
これを恨んだ紙屋は、永岡が書いた密書を奪い去り、お千を脅迫する――
◯黒田清隆/大久保利通/森鴎外/賀古鶴所/永岡敬次郎/玉木真人/乃木希典/野村靖
天皇お庭番
兵四郎たちは浅草に出かけた折、手裏剣打ちの大道芸に目を留める。
飛んでくる手裏剣を避けながら舞う盲目の男は、旧幕時代に徳川のお庭番を務めた針買将馬。
彼に向けて手裏剣を打つのは、妻お志乃であった。
針買は現役時代、薩摩のお庭方によって視力を奪われていた。
手を下したお庭方の頭は今の川路大警視であり、その部下たちも警視庁の密偵となっている。
しかし、針買は過去を捨て去り、虚心坦懐の境地に生きていた。
そんな針買に、かつての徳川お庭番の同僚・杉目万之助らが接近し、報復するよう勧める――
妖恋高橋お伝
山田浅右衛門は、市ヶ谷囚獄署にて首斬り役を務めていたが、近頃は剣技が衰えたと感じる。
そんな時、たまたま出会った街娼のお伝に迷ったあげく、大金を持ち逃げされてしまう。
お伝は、近所に引っ越してきた4人の士族のうち、若く美貌の長連豪に強く惹かれていた。
経済的に逼迫している彼らを、何くれとなく面倒見るお伝。しかし、連豪の態度は冷たい。
その連豪から急に借金を頼まれて、有頂天になったお伝は、金を工面するため殺人を犯す。
ところが、連豪に金を渡した翌日、彼ら4人の姿は寓居から消えていた――
◯山田浅右衛門吉亮/高橋お伝/小川市太郎/島田一郎・長連豪・杉本乙菊・脇田巧一/熊坂長庵
東京神風連
明治9年の夏、兵四郎たちは、横浜の根岸競馬場で軽気球の飛行実験を見物した。
その帰途、島田一郎たちと同じ汽車に偶然乗り合わせる。
隅老斎は、彼らにも、また自分たちにも、警視庁の監視がついていると気づく。
しかし、なぜ拘引されず泳がされているのか、理由はわからない。
一方、川路大警視らの宴席に侍ったお蝶は、永岡敬次郎の同志2人が警視庁に狙われていると知る。
お蝶の懇願を受けて、兵四郎はこの2人を助けようとするも、自身が窮地に陥ってしまう――
◯からくり儀右衛門/谷干城/島田一郎・長連豪・杉本乙菊・脇田巧一/山県有朋/山岡鉄舟/静寛院宮/根津親徳・平山直一/前原一誠/永岡敬次郎
吉五郎流恨録
掏摸の名人・むささびの吉五郎が、兵四郎たちの協力者になる以前のこと。
安政6年、捕えられ伝馬町の牢屋敷にいた吉五郎は、三宅島への遠島に処される。
島の暮らしは非常に過酷であり、赦免される望みもほとんどない。
生きのびたのは、牢内で酔いどれ絵師から手に入れた「笑い絵」を隠し持ち、巧みに利用したためだった。
明治5年、吉五郎は赦免され本土へ戻り、すっかり変わった世の中に戸惑いつつ、吉田松陰の知る辺を捜す――
◯吉田松陰/河鍋暁斎/山城屋和助/山県有朋/野村靖
皇女の駅馬車
思案橋事件において永岡敬次郎と同志らが逮捕された後、残された家族たちは生活に窮していた。
その境遇を案じたお千の依頼を受け、兵四郎たちが消息を尋ねてまわる。
旧会津藩士の子・柴五郎が協力して、家族の子供たち30人がお千の隠棲先へ預けられた。
兵四郎は「永岡を助けて仇を討つ」というお千の願いをかなえたいが、それには多額の費用がかかる。
そこで、費用を工面するため、熊坂長庵から持ちかけられた密謀に乗ろうと思い立つ。
折しも静寛院宮が、十四代将軍家茂の木像を京都から東京へ馬車で運ばせようとしていた――
◯柴五郎/熊坂長庵/山岡鉄舟
川路大警視
前編の続き。兵四郎ら一行は「静寛院宮御用」の馬車を駆り、家茂像と秘密の荷を運んでゆく。
加治木警部の命を受けた4人の巡査が追うも、荷の中身を究明することはできない。
駿河に入ると、どこからか渡世人たちが現われ、次第に人数を増やしつつ馬車の護衛に加わって走る。
ついに安倍川のほとりで、4人の巡査は渡世人の頭目を捕えようと挑みかかった。
一方、川路大警視は、鹿児島へ密偵を送り込むべく部下たちに指示を与えていた――
◯清水の次郎長/大政/天田愚庵/山岡鉄舟
泣く子も黙る抜刀隊
明治10年2月7日、築地の海軍操練所にて、軽気球の2度目の実験が行なわれる。
兵四郎は、隅老斎に同行し見物する予定だったが、永岡敬次郎が処刑されるという知らせに市ヶ谷監獄へ向かう。
しかし、それは兵四郎を捕えようとする警視庁の罠だった。
一方の実験場では、川路大警視が隅老斎と対決した末、逮捕しようとする。
ところが、隅老斎についてきたお蝶が兵四郎の危機を知って逆上し、思わぬ行動に出た――
◯からくり儀右衛門/清水定吉
レギュラーの登場人物は、以下のとおり。
千羽兵四郎
26~27歳。旧幕時代は町奉行の同心。伊庭道場で心形刀流の免許皆伝を受けた、剣の遣い手。
幕府瓦解後、愛人お蝶のヒモ同然となって暮らしている。
新政府に対して反感を抱いているが、かといって転覆させようなどという物騒な考えはない。
不遇な者を放っておけない義侠心、警視庁を翻弄して楽しむ遊び心ゆえに、事件に関わることとなる。
隅老斎(駒井相模守信興)
旧幕時代、江戸南町奉行を務めた。
瓦解後、奉行所跡地の小さな家にひっそりと住まう。何事にも動じない、鷹揚で上品なご隠居。
推理力に長け、兵四郎に何かと知恵を貸す、頼もしいアドバイザー。新政府側の有力者にも顔が利く。
通称の「隅老斎」は、バロネス・オルツィ作「隅の老人」シリーズが由来と思われる。
冷酒かん八
30歳くらい。旧幕時代、神田三河町の半七親分の下で働いていた目明し。
冷や酒を飲みながら仕事をするので、この渾名がついた。
瓦解後、三河町で昔ながらの髪結床を営業する。近代的な床屋もザンギリ頭も大嫌い。
少々お調子者だが、面倒見が好い。兵四郎や隅老斎のため、骨身を惜しまず働く。
お蝶
柳橋の芸者。芸名は「小蝶」。御家人の娘だったが、幕府瓦解によって芸者となる。気っ風が良い。
新政府の要人や役人を嫌い、そうした客の座敷に出ても口をきかないが、その美貌ゆえに容認されている。
ヒモ同然の兵四郎を養いつつ、いつか大事を成し遂げる男と期待をかける。
同輩や似たような境遇の女たちが困っていると放っておけず、兵四郎に救援を依頼することも度々ある。
川路利良
薩摩出身、司法省警視庁の大警視。頭脳明晰で冷静沈着、時に非情な決断も辞さない。
西郷隆盛によって抜擢されたため、深く恩義を感じ、心服している。
薩摩藩士時代すでに御庭番を使いこなしていたため、警視庁でも密偵を使うのが巧み。
加治木直武
警部。川路の腹心。薩摩出身で、やはり西郷隆盛を信奉している。職務に忠実。性格はわりと直情径行。
油戸杖五郎
巡査。長身で体格が良い。生真面目で職務に忠実。優れた棒術の遣い手で、巡査の六尺棒を見事に扱う。
維新後は生活苦に追われ、ようやく警視庁に職を得たものの、旧仙台藩士の前歴ゆえに出世の見込みはない。
家庭では、しっかり者の妻おてねに頭が上がらない。
菊池剛蔵
巡査。油戸の同僚。元は水戸浪士、前名は海後嵯磯之助。
万延元年3月3日、桜田門外の変で井伊直弼を要撃したグループの一員だった。
藤田五郎
巡査。油戸の同僚。元新選組の斎藤一。
外見について「のんきそうな、平べったい容貌」と形容される。
今井信郎
巡査。油戸の同僚。元見廻組の組士。
旧幕時代の話はほとんどしない。キリスト教に傾倒している。
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ストーリーは創作であるが、歴史上の事件を背景として歴史上の人物が多く登場する。
虚実ない交ぜの、ある種贅沢な群像劇に仕上がっている。
伏線の張りかたも面白い。登場人物をめぐる因縁が複雑で、なおかつ意外性に富む。
あまり重要でない脇役などは、てっきり架空の人物だと思ったら、モデルが実在することも多い。
人物や背景となった出来事へを調べていくと、なかなか勉強になる。
あっさり読み流しても楽しめるが、歴史好きならこだわってみるのも妙味だろう。
史実をどれだけ承知しているか、創作との境界をどこまで見極めることができるか、作家と勝負しているような気分にもなってくる。
本作を読んでみた理由のひとつは、藤田五郎が登場すること。
警視庁の巡査として度々活躍し、新選組隊士だったという前歴も語られる。
ただ、ストーリー全体から見ると、重きを成すほどの役回りではない。
永倉新八や佐川官兵衛も登場するのに、藤田との関わりはまったく描かれない。
新選組に関心を寄せる者として、この点は残念と言えば残念である。
どちらかというと新政府方の人物よりも、旧幕方の人物へのシンパシーを感じさせる描写が多い。
その一方で、ストーリー全体は川路大警視の深慮遠謀に貫かれている。
川路がこれほどに大きな敵役であればこそ、千羽兵四郎や隅老斎たちの活躍が際立つのかも。
最後に、作家らしい奇想天外なスペクタクルがある。
そのカタルシスのまま完結するかと思ったら、さらに予想外のオチがついて終わった。
千羽兵四郎と川路大警視との3~4年にわたる対決は、果たしてどちらが勝ったのだろう。
どちらとも解釈できる可能性を残して終わるところが、心憎い。
幕末から明治へと激しく時代が変わる時、人々の運命も大きく変わった。
混乱に乗じて成功を得た者もいれば、かつての地位から転落した者もいる。
ただ、その立場はいつ逆転するかもしれない危うさもはらんでいる。
そうした人々の波乱に満ちた人生を、アイロニーやペーソスを交え巧みに描き出しているところも秀逸。
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本作は2001年、NHK金曜時代劇としてドラマ化された。
タイトルは「山田風太郎 からくり事件帖 ―警視庁草紙より―」、全9話。
本作の初出誌は、文藝春秋刊『オール讀物』。
1973年7月号から1974年12月号まで、全18回にわたり連載された。
これまでに出版された書籍は、おおよそ以下のとおり。
『警視庁草紙』上・下 文芸春秋 1975
『警視庁草紙』上・下 文春文庫 1978
『山田風太郎コレクション 警視庁草紙』上・下 河出文庫 1994
『山田風太郎明治小説全集 1 警視庁草紙』 筑摩書房 1997
『山田風太郎明治小説全集 1 警視庁草紙 上』 ちくま文庫 1997
『山田風太郎明治小説全集 2 警視庁草紙 下』 ちくま文庫 1997
『山田風太郎ベストコレクション 警視庁草紙』上・下 角川文庫 2010
電子書籍も各種出版されている。
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COMMENT FORM
記事をご覧くださって、ありがとうございます。
この『警視庁草紙』はかなりボリュームがあり、読むのに時間がかかりました。ストーリーに引き込まれつつも、気になった人物や事件を調べながら読んだので……ただ、史実を踏まえて作品に触れることが、個人的には勉強になったと感じます。
もっともこういう読み方は当方の趣味で、史実にこだわらず普通に読み進めても楽しいでしょう。
過去に読んだ風太郎作品では、短編集『幕末妖人伝』も面白かったです。
https://bookrest.blog.fc2.com/blog-entry-162.html
また、『明治十手架』や『幻燈辻馬車』『地の果ての獄』『明治断頭台』などといった他の明治ものも、いつか読んでみたい気がします。